90 悪役令嬢はライバル認定される
小賢しい令嬢達の値踏みするような視線から逃れたくて、エミリーは茶会が開かれている庭園を離れ、小さな四阿が立つ静かな空間へと転移魔法を使った。
誰もいないし、誰も来ない。木々が揺れて微かに音を立てるのみ。
「んー」
エミリーは大きく伸びをした。
適当な時間を見計らって会場に戻ればよい。それまでは昼寝でもしていよう。
毎日夜はしっかり眠れているが、日中に昼寝をする癖は習慣化して抜けなかった。
四阿の中に入り、身体を傾けて背凭れに腕を置き、頬を乗せて目を閉じる。心地よい風が眠りに誘う。
ドサッ。
布が擦れる音と、身体に伸し掛かる重さ。
強いチョコレートの香り。
何事?
エミリーが目を開けると、紫色の髪の少年がエミリーを押し倒す姿勢になっている。
「い、いやああああああ!」
瞬時に手に赤紫色の魔法球を発生させる。火と闇魔法を混合させ、即死ものの威力を持たせる。
「待て、うわっ!」
魔法が解き放たれ、驚いてエミリーから退いた少年に向かって飛ぶ。四阿の柱の一つにぶつかり、ガラガラと大理石が崩れた。天井からも細かい石粒が落ちてくる。
「危ない!」
少年は再びエミリーに抱きつくと、瞬間移動して近くの芝生に転がる。同時に四阿の柱が四本砕け天井が落ちた。
大きな音に気を取られ呆然と眺めていたが、気づけばまた少年と密着しているではないか。
バシッ。
魔法を使わず手を払いのけ、立ち上がってドレスの埃を払う。
「人に向かって魔法を放ってはいけないと教わらなかったんですか。危ないじゃないですか」
「そっちが私の上に乗ってきたから」
「純然たる事故です!転移座標を読み違えて……」
少年は転移に失敗してエミリーの上に落ちたのだと弁解する。
「寝こみを襲う痴漢ではないと?」
「僕のどこをどう見たら痴漢に見えると言うんです」
エミリーは少年をまじまじと見た。肩甲骨までの長さの紫色の髪は後ろで括られ、長めの前髪が六対四に分かれて目元にかかる。直線眉と金にも茶にも灰色にも見える不思議な色の理知的な瞳は、敬語を使う真面目な彼にぴったりだ。少し目尻が上がっているところが勝ち気に見えるが。通った鼻筋、程よい厚みの唇。着ている水色の上着はジュリアが好むような派手な刺繍はないけれど、艶があって質がいいものだと分かる。身長は……アレックスよりは少し低いかもしれない。
「全部」
「なっ!」
チョコレートの香りが揺らぐ。彼の魔力はエミリーには甘い匂いに感じられた。
「茶会に来たの?」
「妹が行きたいとごねるので、仕方なく」
「そう」
「うちは伯爵家ですから、頑張れば王太子殿下の妃になれなくもないと。マリナ嬢の圧倒的な存在感を前にしたら、私の妹などとてもとても」
「マリナは生まれた時から女王様っぽいから」
「あなたも、天賦の才がおありでしょう。エミリー嬢」
名前を知られているとは思わなかった。エミリーは嫌な予感がした。
「王宮魔導士の中で、あなたは有名なんですよ。コーノックさんがいつも、うちの祖父に自慢しているとか」
コーノック先生め、余計なことを。今度来たら帰りに迷子になる魔法をかけてやろう。
王宮魔導士が祖父で伯爵なんて、隠しキャラの要素たっぷりじゃないか。
エミリーは動揺する。動揺しすぎて魔力がだだ漏れだ。
「僕も先ほど目の当たりにして、あなたのすごさを思い知りました。学院に入ったら毎日あなたの魔法が見られるかと思うと、今から楽しみでなりません」
「学院……」
「王立学院です。私もあと二年もしないうちに入学します。あなたもそうでしょう」
その通りだ。十五歳で入学するのだから。
「同じ学年なのね」
「はい。知らない人ばかりだと思っていましたが、こうしてあなたと知り合いになれました。茶会も悪くありませんね」
「私は苦手」
「そうでしょうね」
今にも逃走したいアリッサを前に、少年は興味津々といった視線を投げてくる。
「申し遅れました。僕はエンウィ伯爵家のキースと申します」
エンウィ家?
コーノック先生から聞いたことがあったな。確か……。
「魔導師団長!?」
「はい。ご存知でしたか」
顔から血の気が引くのが分かった。国軍は第一から第十までの騎兵や歩兵の師団の他に、特別部隊として魔導士を集めた魔導師団なるものがある。その長は、アレックスの父の騎士団長と並び称される国の英雄である。その孫で、後継となるべく魔法を勉強中となれば、隠しキャラの可能性が高い。容姿も整っている。
ここで下手なことを言ったら、即死亡フラグが立たないとも限らない。
「ハーリオン侯爵家のエミリー嬢。僕は、学院入学までにあなたを超える魔力を身に付けてみせます。魔導師団長の座は渡しません!」
キースは胸を張って宣言した。
どう返したらよいかわからず、エミリーが(無表情で)おろおろしていると、遠くから声がかけられた。大きな物音がしたのを聞いて、城の使用人が数名こちらへ走ってくる。
「誰か来たようですね。どうします?壊したと謝罪しますか」
「直す」
「なら、僕もお手伝いします」
魔法の天才児が二人で同時に地魔法を発動させると、崩れ落ちていた大理石がもとの形を取り戻し、何事もなかったかのように四阿が復元された。
「流石です」
「咎められると面倒ね」
「茶会に戻りましょうか」
頷いたエミリーはキースの手を掴んだ。
「あなた転移、下手だもの。四阿のお礼よ」
無表情で呟き、振り返ってキースを見れば、彼は真っ赤になって怒っていた。




