86 悪役令嬢は略奪愛を打ち明けられる
色づいた枯葉が落ちるヴィルソード侯爵家の中庭。
いつもの剣の練習の時間、アレックスは気もそぞろで、まるで練習にならなかった。
「真面目にやってよ、アレックス!」
ジュリアはとうとう苛立ってアレックスの手首を掴んだ。
練習中に剣を持つ手を掴まれるなど、動きを見切られている証拠である。
「う、……ん、真面目にやる」
アレックスは力なく呟く。視線が泳ぎ、怒りで赤みを帯びるジュリアの頬と、輝くアメジストの瞳に引き寄せられる。
「さっきから何回同じこと言わせんの?練習にならないんだったら、帰る!」
掴んでいた腕を放し、前髪をかき上げ一気に結わえていた髪を解き、ジュリアは大股でその場を立ち去る。
「ま、待てよ、ジュリアン!」
追いかけてきたアレックスが肩を叩くと、上半身だけ振り返り非難するような視線を向ける。
「俺が役立たずだったのは認める。今日は、ちょっと、いろいろ考えてしまって」
「考える?アレックスが?」
普段何も考えていないようにしか見えない男が、何を考えると言うのか。
「その、俺がヴィルソード家を継いだ後のことだ」
「ああ、適当な令嬢と結婚するんだろう?」
もうその話は聞きたくないと、ジュリアはまた歩を進める。
「伯爵令嬢とも、誰とも結婚するつもりはない。俺は生涯独身を貫く」
――ん?どうしていきなり……。
「俺の好きな人は、……好きな人とは結婚できないんだ」
最後の方は声が小さくなっていた。ジュリアが振り向くと、拳を握りしめて苦しそうな顔をするアレックスがいた。
「どういうこと?お前、人妻にでも恋してるのか?」
人妻に恋する十三歳ってどうなの?あ、アレックスは私より誕生日が早いから、あと少しで十四歳になるのか。十四歳でもダメじゃんね?不倫ダメ、ゼッタイ。
「そんな相手はやめておけ。他にも出会いはあるからさ」
宥めるように言うジュリアに、アレックスは首を振った。
「嫌だ。俺はその人が手に入らないなら……」
「ちょ、ちょっと待て。手に入らないから略奪するとかダメだからな!」
「略奪?……そうか、彼もいずれは結婚して……」
――彼??
今、こいつ、彼って言った?
アレックスの好きな人って男なの?
ヴィルソード家には騎士団が出入りし、屈強な従僕がたくさんいて、剣士ならば憧れるようなワイルドかつダンディーなナイスガイもよりどりみどりだ。筋トレマニアの父のように、筋肉こそ全てだと思っている可能性もある。鋼の肉体美に憧れる年齢かもしれない。憧れが恋に変わることだって……いやいや、それはどうかな。
「うん、ま、他人の恋人をとるのはよくないよ。後味が悪いだろう?」
「分かった。……結婚する前が勝負ってことだな」
――全然分かってないじゃん!
ジュリアは叫びそうになったが、金の瞳を煌めかせて真剣に見つめる親友には何も言えず、彼に請われるまま練習を再開したのだった。
◆◆◆
「皆!聞いて聞いて!」
その夜。ハーリオン侯爵家の四姉妹の部屋で、ジュリアはベッドに仁王立ちになり、得意げに今日の成果を報告した。
「どうしたの、ジュリアちゃん」
レイモンドへの手紙を書き終えたアリッサが、可愛らしい押し花の封筒に封印を押してこちらを向いた。
「マリナも、エミリーも聞いてよ。私、とうとうミッションクリアよ!」
「ミッション……」
何だったかな、とエミリーが首をひねる。
「アレックスの奴、男が好きらしい」
ベッドに座りニヤッと笑って話すジュリアを見て、エミリーが溜息をつく。姉は分かっていないのだなと確認する。そして、ヘタレのアレックスが面と向かって告白できずにいることも。
「相手は誰なの?」
ジュリアの隣に腰かけたマリナが訊ねる。
「知らない。騎士団の誰かじゃない?相手が結婚する前にキメるみたいなこと言ってたから、まだ独身だと思うけどさ」
「随分急な展開だこと」
「うん。私も正直びっくり。今までそんなそぶりなかったし。アレックスん家で騎士団の人に会っても、怪しい雰囲気にはなってなかったもん」
「誰でも怪しい雰囲気になるわけじゃないわよ」
「そっか」
「でも、ジュリアちゃんはそれでいいの?アレックス君のこと、心から応援できる?」
エミリーがマリナの反対隣りに座り、ジュリアの顔を覗き込んだ。
「応援、か。するしかないでしょ?親友だもの」
「ジュリア……私が変な提案をしたから……」
マリナは申し訳なさそうにジュリアの手を取った。
「いいんだって、気にしないでよ。私もちょっとは、アレックスを親友以上に思ってたかもしれない。でもさ、あいつが好きなのは男なんだよ?どうしようもないじゃない」
「そう……あなたの中で整理がついているなら、何も言わないわ」
手の甲を優しく撫で、マリナは手を離した。
「ねえ、アリッサ」
「なあに?」
「レイモンド様からのお手紙は、何か変わったことが書いてあった?」
「んー、特に……あっ!」
アリッサはぱん、と手を打った。
「何?」
「森での演習で、お兄様を上級生の令嬢達が取り合って殴り合いの喧嘩になったって」
「うわー、まじか。何その破壊力」
「ね?お兄様すごいよね?」
「領地管理人の息子だけど、モテる……」
二年後の入学時には、どんなことになっているやら。四人は先のことを考えて眠れなくなりそうだった。
三人が寝静まった頃。
エミリーはアレックスへ向け、風魔法で伝言を送った。
――ジュリアはやはり全く覚えていない。残念だったな。




