84 閑話 入寮前夜
「いよいよ、明日だな」
ハーリオン侯爵は書斎に養子のハロルドを呼び出し、王立学院での過ごし方について講釈をたれていた。
「全寮制だが、うちの使用人もついていくし、何も心配はないぞ」
「ありがとうございます。私は他の貴族子弟の皆様と付き合いがなく、一人ぼっちになってしまうのではないかと思っていましたが、二人もついてきてもらえるとは」
連れて行くことができる使用人の数は、家格で上限が決まっていた。王族は五人、公爵家は三人、侯爵家は二人、それより下は一人まで。男爵家や能力特待生の平民になると、使用人を連れていないことも多い。
「君の身体のことも心配なのだよ。脚が痛む日もあるだろう?記憶もあやふやなままだ。日常生活で不便に感じるやもしれん」
「脚は、無理をしなければ平気です」
「ダンスの特訓にも耐えたか」
「はい。マリナにパートナーをお願いしました」
侯爵は二回瞬きをしてハロルドを見た。
「マリナか……」
「……?どうかしましたか?」
「マリナを、どう思う?」
「どう、とは?……優しくて頑張り屋だと思いますが」
「いや、そうではなくてだな。……その、異性として……」
「マリナは妹でしょう?異性として見るなどあってはならないことでは……」
真剣な瞳で睨まれ、侯爵は少し面食らった。
「マリナ以下、五人は君の兄弟ではない」
「なっ……」
ハロルドの顔色が変わる。
「港から戻った日に、妹や弟だと紹介されました。あれは嘘なのですか?」
「兄弟として仲良くしてほしいとは思っていた」
「私はっ……」
何か言いかけて、ハロルドは唇を噛む。
「王立学院を卒業したら、君には領地の管理をしてほしい。説明が足りず混乱させて申し訳なかったが、君は代々ハーリオン家の領地を管理している分家の跡取りなんだ。ハーリオン家の継嗣はクリスだ。君には故郷に帰ってもらう」
「……わかりました」
静かに呟き、ハロルドは視線を上げた。
「王立学院で多くのことを学び、ハーリオン家の繁栄に尽力します」
「ありがとうハロルド。助力は惜しまないつもりだ。頑張ってくれ」
寝る前の挨拶をし、書斎から出ていく養子の後姿を見ながら、ハーリオン侯爵はどこか心にひっかかるものを覚えていた。
◆◆◆
オードファン公爵邸、書斎にて。
レイモンドは父と長い夜を語り明かしていた。
「学院はいいぞ。新たな出会いがあるからな。私も演習で……」
少しだけ酔いが回った公爵は、上機嫌で妻とのなれそめを語り始める。
「父上、そのお話は先ほど聞かせていただきました」
「そうだったかな?うん、まあいい」
コップを傾け、一口。
「うまい。お前も卒業したら一緒に飲もう」
「はい、約束します」
「ところで、明日アリッサ嬢とデートなんだって?」
「デ……コホン。一緒に図書館へ行く予定です」
「夕方までには王立学院の寮へ入るのだからな。名残惜しくても時間は守るのだぞ」
明後日は入学式だ。新入生は前日の夕方までに入寮するきまりとなっていた。
「はい。心得ております」
「それからな、しばしの別れだからとキスはするなよ」
レイモンドはビクッと震えた。
「は……」
公爵はまた酒を流し込む。ブランデーの瓶が空になっている。
「卒業するまではダメだ。人前でしちゃあ、いかん。いかんぞぉ……」
「分かっております」
「本当か?なあに、卒業したらすぐに結婚すればいい」
「アリッサが卒業するまで、あと五年ありますが」
「耐えろ。耐えて、アーネストの信頼を勝ち取れ。キスしたくなったら、数式のことでも考えていろ。学院長の髪型は地毛か、でもいいな。私は、十中八九被っていると見ているが。……おっと、話が逸れたな。私も禁欲生活に耐えたのだ。お前にできないはずはない」
息子の肩を掴み、目を見て侯爵は訴えた。
「父上も、耐えて……」
居間で愛を語らう両親を思い出し、レイモンドは話の真偽を問いただしたくなったが、酔っ払いの惚気を聞かされるのもつらく、話を受け流すことにした。
「アリッサ嬢が入学するまで二年ある。他の令嬢に目移りでもしてみろ。二度と彼女と会わせてもらえないものと思え」
「はい。絶対浮気はしません」
「よく言った。それでこそ私の息子だ」
オードファン公爵はさらにゴキゲンになり、コップの中のものを一気に口に流し込んだ後、椅子の背に身体を預けて伸びをした。




