83-2 悪役令嬢は血に濡れる(裏)
【レイモンド視点】
王太子のところへ参った帰り、王宮内で俺は父上から手紙を渡された。宰相の執務室に侯爵が落としたものらしい。
差出人はアリッサ。ハーリオン侯爵に外出を禁じられ、図書館へ行けなくなったという。後は出会ってからの一部始終を事細やかに記してあった。紙は百枚以上ある。すばらしい記憶力だ。
図書館でも会えないとなれば、後は王太子に頼んで、マリナと一緒に王宮へ招くしかないか。セドリックに借りを作るのは納得がいかないが、背に腹は代えられない。
他の方法を模索しながら俺は大通りを馬車で通り過ぎた。ぼんやり外を眺めていると、不意に銀色の髪が目に飛び込んでくる。
「アリッサ?」
この国では銀髪は珍しい。それも、白銀のように神々しい輝きを放つ銀髪は、かの家の血筋にしかいない。俺は御者に停車させ、歩いて彼女に近寄る。
ギイギイ音を立てた古めかしい馬車が停まり、アリッサと思しき少女が中に乗り込む。無理に引っ張られたのか、背負っていた荷物が散らばり、本とぬいぐるみが転がる。見るからにガラの悪そうな男が外側から鍵をかけ、あっという間に馬車が走り出す。
俺は走って公爵家の馬車に戻り、すぐに怪しい馬車を追うように指示する。我が家の優秀な御者は手綱さばきも鮮やかに、次第に間隔を詰めていく。
「追い抜いて、前に出ろ!」
「は!」
忽ち古い馬車を追い越し、わざと前に割り込む。戸を開けて飛び降り、後ろの馬車に走り寄る。
「なんだァ?」
柄の悪い男が俺を睨む。怯んでいる暇はない。力を込めて急所を殴る。
「ぐはっ……」
俺のような子供から鳩尾に強烈な一撃を受け、面食らった御者の男は目を見開いたまま仰向けに倒れた。地属性の魔法で外側についた鍵を融かし、ドアを壊して中に入る。
「アリッサ!」
やはり彼女だった。俺が見間違えるはずはない。
「追いついてよかった、アリッサ」
たまらず抱きしめれば、彼女は脚を怪我して痛みに耐えていた。
アリッサのドレスを腿まで捲り、クラヴァットで止血する。
余程怖かったのだろう。アリッサは小さく震えていた。
「行こう、アリッサ。手当てしなければ」
馬車にアリッサを乗せると、誘拐犯達の始末を従僕に言いつけ、俺は家路についた。
◆◆◆
うちの使用人達は、裂けたドレスのアリッサを見てすぐに緊急事態を悟ったようだ。何も言わなくても傷口を洗うための清潔な湯が用意された。治癒魔法が使える魔導士を呼ぶと言う執事を黙らせ、俺はドレスの用意だけを頼んだ。
魔導士を呼んでいる時間があったら俺が治療してやる。アリッサが可哀想だ。待っている間に傷口が化膿したらどうする。……そこまでの傷ではなさそうだが。
部屋の中ではアリッサが椅子に座り、俺の上着をひざ掛けにしていた。
「レイ様?」
「強力な治癒魔法は使えないが、多少は心得がある。時間をかけて魔法をかければ治るだろう。おとなしく治療されてくれないか」
嘘だ。実はそこそこ強力な治癒魔法も習得済みだ。
だが一回で治してしまってはもったいない。折角彼女の脚に触れられる機会だというのに。貴族令嬢は滅多なことでは脚を見せない。ドレスの下の脚は、夫だけが知る秘密だ。俺は興奮を隠しながらドレスの裾を捲り、白い脚を撫でた。
「っ……」
少しずつ魔力を強める。息を呑んで治療の痛みに耐えるアリッサは美しく、痛がるのを知りながら俺は傷口に触れた。やがて傷口が塞がった。
「もう、大丈夫です」
「まだだよ、アリッサ。ほら、触ると傷が分かる」
何度も触れて、緩い治癒魔法を丁寧にかけていく。傷が消えたのを確認し、頬を染める彼女の腿を何度も撫でていると、ノックがして侍女が入ってきた。
ちっ。
既製品のドレスが届いたようだ。
アリッサの脚に触れていた俺を、侍女は横目で見て溜息をついた。
◆◆◆
ハーリオン侯爵夫妻がアリッサを引き取り帰ってしまった。
真夜中をとっくに過ぎているのに、父上は俺を部屋に呼び出した。
「ご用でしょうか、父上」
「大事な用件だ」
そう言って、父上は笑顔を浮かべる。いつもは目が笑わない父上だが、今夜はいつになく嬉しそうだ。
促されて椅子に座る。向かいの椅子に座り、父上は俺の手を取る。
「よかったな、レイモンド。アーネスト……ハーリオン侯爵はお前を娘の夫に認めたぞ。これで晴れて婚約だ」
「そうですか……嬉しいです」
喜びを噛みしめているのは俺だけではなかった。父上は息子の幸せが嬉しくて泣きそうな勢いだ。
「そこでだ、レイモンド」
「はい」
「アーネストと話し合って決めたんだが、図書館へ行く時は必ず、お前が付き添うことになった」
願ってもない申し出だ。
「お前も王宮でセドリック様と勉強している身だ。もうすぐ王立学院に入学するのだしな。忙しい時は無理しなくていいそうだ」
忙しくなどない。王太子の勉強に付き合ってやっているだけだ。何ならそっちを断ってでも……。
「殿下と勉強するのは、お前の大切な役目だからな。くれぐれもすっぽかすなよ」
父上は鋭いな。こうでなければ宰相は務まらないのだろうが。
「分かっています」
「アーネストはお前の行動力に恐れ入ったようだな。ふん、初めからおとなしく頷いていればいいものを」
「……父上は、僕を買いかぶりすぎではないですか」
「そうかな?うちの息子は次代の王を支える宰相になる逸材だからな。平凡な令嬢ではお前に相応しくない」
「アリッサは父上のお眼鏡に適ったのでしょうか」
俺から話で聞いてはいても、我が父はアリッサにあったことはなかっただろう。
「一晩で分厚い恋文をかき上げるような面白い子だ。アーネストが手放したがらないのも無理はない。得難い娘さんだと思うぞ」
「僕もそう思います」
「それと、な」
父上は渋く流し目をし、椅子から立ち上がって俺の肩を叩いた。
「節度ある交際を、とも言っておった。……ま、意味は分かるな?」
――やはり。釘を刺されたか。
「はい。アリッサの名誉を傷つけないよう、自重します……」
就寝前の挨拶を交わし俺は自室に戻った。ベッドに倒れこみ目を閉じれば、攫われた馬車の中で傷の痛みに耐えるアリッサの表情が浮かんだ。
二度とあんな目には遭わせない。
王立学院への入学が近づいている。俺は宿舎に寝泊まりするのだから、今までのように気軽に二人で出かけられなくなる。侯爵や侯爵夫人が忙しい時に、アリッサが図書館へ行きたくなったらどうするのだろうか。対策を立てておかなければ……。




