81-2 悪役令嬢は言葉を風に乗せる(裏)
【アレックス視点】
ジュリアンは俺を疑っていた。いや、今でもまだ疑いは晴れていないのか。妹のアリッサと俺が婚約したと、侯爵夫人から聞かされて気が動転したと言っていた。俺のことばかり考えていたとも。
嫉妬されている……?
俺の勘違いだとしても、剣を振るいながら怒りをぶつけてくるジュリアンは、妹を取られて憤る兄のようではなかった。
「婚約なんて知らねえよ!」
踏みとどまって応戦すれば、
「どうだか、なっ」
と躱される。俺はすばしっこい動きについていけなくなっている。
どうも調子が出ない。練習前に飲んだ薬が体温を上げている。
「俺は、他に……」
好きな奴がいる。
なぜだか急に叫びたいくらいにこみ上げてきた。
――言えない。
気持ちを伝えたら気持ち悪がられる。絶対。積み重ねてきた友情は消えてしまう。
胸の痛みを覚えて、俺は一歩後ろに下がる。
「好きな女がいるのか?」
ジュリアンが斬りこんでくる。剣で受け止めて横に払う。
「い、いない!」
力が入ってしまい自分でも驚くほど大きな声が出た。
よろけたジュリアンを見れば、奴もかなり消耗しているらしく、呼吸が乱れっぱなしだ。
「ハア、ハア……」
大きく肩を動かし息を吐き、白い手で汗を拭う。
「ジュリアン……俺……」
――お前が好きだ。
「まだまだぁ!続けるぞ……ハアッ!」
勢いを剣で受け止める。金属音が辺りに響く。
神経が研ぎ澄まされ、同時に目の前のジュリアンを見つめることに全能力が集中する。
「……ジュリアン、綺麗だな」
心の声が漏れる。
ジュリアンが苦しそうな顔でこちらを見た。
……軽蔑したか。
男に綺麗なんて言うのはおかしかったのだろう。
――もう終わりだ。距離を置かれても仕方ない。
ジュリアンが口を開きかけ、俺を罵る言葉が吐き出されるのを黙って見ていた。
「アレックス……好き……」
そうだ。お前の言うとおり、俺は気持ちが悪い奴だよ。
気持ち悪――ん?
好き?
熱に浮かされたようなジュリアンが俺を見ていた。
小柄なジュリアンに押し倒され、俺は芝生に転がった。
「ジュリアン、俺も……好きだ」
苦しい胸の内を伝えると、くすりと笑って俺の鼻を鼻でつついてくる。唇が触れそうな距離がもどかしく、俺はジュリアンの髪を梳きながら抱き寄せてキスを……しなかった。
「アレックス……私、本当は……」
言いかけて眠りこけやがった。俺の上で。
俺が幸せな気持ちで抱きしめていると、エミリーがこちらへ歩いてくるのが見えた。
◆◆◆
自宅に戻り、入浴を済ませて夕食のテーブルについた。
父上が入ってきて、手近な壁の装飾に手をつき、数回腕立て伏せをしてから俺を見る。
「今日の練習も捗ったみたいだな、息子よ」
「はあ」
「どうした。いつもの元気がないぞ」
入浴中にエミリーから風魔法でメッセージが届いた。ジュリアンは俺に告白したことも、告白されたことも覚えていなかったと。
「何でもありません」
「そうか。思い悩むときは重いものを持ってこう……」
「いい加減にして」
父上は真鍮製の獅子の置物を片手で持ち上げ、母上に叱られている。一昨日もこんな調子で骨董品を壁にぶつけて壊したのだったな。
「大丈夫です。明日も練習を頑張ります」
「うんうん。それがいいぞ息子よ。騎士を目指して日々特訓だ。お前が立派な騎士になり、我がヴィルソード家の繁栄は約束されたようなものだな。はっはっは」
満足げに俺を見る。……いたたまれない。
――ごめんなさい、父上。
ヴィルソード家は俺の代でおしまいだ。俺は結婚するつもりはない。ジュリアンが覚えていないとしても、彼と愛を誓ったのだから。愛されないのに子孫を残すためだけに嫁がされる妻も可哀想だ。
「父上」
「どうした、息子よ」
「ハーリオン侯爵家から、婚約の話が来ているというのは本当ですか」
父上はスペアリブを掴んでいた手を下ろし、顎を触りながら考え込んだ。肉汁が顔にべたべたついているが、本人は気にしていない様子だ。
「うーん。来ていると言えば来ているな。こちらからも長いこと打診していたからな」
打診?
この父上が、侯爵に俺の婚約を打診していたのか?
筋トレしか興味がない父だと思っていたのに、足元をすくわれた気分だ。迂闊だった。
さあっと血の気が引いた。親同士でもう話がついているらしい。
「まあ、ずっと先の話だ。お前は騎士になるまで結婚はしないんだろう?」
「はい」
騎士になっても結婚はしないのだ。心の中で両親に詫びた。
身勝手な恋のために家系を途絶えさせてしまうことを。
アリッサのことは、時期が来ればレイモンドが何とかするだろう。婚約が破談になったら、傷心のためとでも言って次の婚約話を断ればいい。
「オリバー。アレックスが騎士になるまで待っていたら、いつになるかわからないわよ」
母上は父上の汚れた顔を拭いてやり、俺に向き直った。
「心配するな。アレックスは筋がいいからすぐなれるさ。騎士になってからという条件は、アーネストから言われたことでもあるんだ」
ただの剣士の妻より、騎士の妻の方が聞こえがいいからかな。
俺は黙々とパンを口に入れた。




