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snow bird  作者: わたり
7/8

後編

 



 ーーPM11:29



「……生命の危機って……キャプテン、お前一体何を考えているんだ?」



「…………」


「……アキ、これが何だか分かる?」

 ゴソゴソとズボンのポケットから鍵らしき物を取り出して彰彦に見せる。


「何って、鍵だろ……この部屋の鍵か?」


「いーや。これは、とある雑居ビルの屋上の鍵だ」



「……雑居ビル?何でそんな物をキャプテンが持ってるのさ?」

 生命の危機と屋上の鍵……この時の彰彦には、言い様のない不安が広がっていた。




「11時半か……」

 あえて彰彦の問いに答えなかったのか、修二は無意識に部屋の時計に目をやり呟いた。


「よし、とりあえず行くか!」



「え?……おい、行くって何処にさ?それに今から?」


「何処って、決まってるだろ?ビルの屋上だよ」

 ここまでの話と屋上の鍵、とくれば向かう場所は1つだけ……逆に彰彦は何故分からないのかと、修二は不思議そうに答える。



「おいおい、ビルの屋上って……嫌な予感しかしねーぞ……」


「はは。まぁそう言わずにここまで来たら最後まで付き合えよ」

 そう言って立ち上がった修二は組み立て式のクローゼットのジッパーを開ける。



 ーージジジジ……


 クローゼットの中からトレンチコートを取り出し(そで)を通す。その色は(あざ)やかなまでに真っ赤だった。


「……キャプテン、すげー派手っつーか、個性的っつーか……何処で買ったのよこれ……」


 ーー確かに派手だった。一歩外を歩けばたちまち注目の的になりそうな、誰もが振り返るトレンチコートである。



「ああ、古着屋巡りをしていて、最近やっと赤いのを見付けたんだ……勿論即買い」


「……それにクリスマスって言ったら、やっぱりサンタクロースだろ?」

 そう話す修二からは邪念(じゃねん)(よこしま)な考えなど微塵(みじん)も感じない、子供の頃と何ら変わらない純粋な笑顔だった。



「……サンタクロースって……お前やっぱり空を翔ぶつもりなのか?」



「……ああ。俺の夢だからな……」



「素人考えで言うけど……」

 彰彦はその先を言葉にするのを躊躇(ためら)う……修二の決意を確認する事が恐かったからである。



「…………」


「……お前……飛び降りるつもりだな……」

 長い沈黙の後、核心を突いた言葉が彰彦の口から(こぼ)れた。




「……心配するな。俺は必ず成功する」

 一瞬の間、それは自信と不安……相反(あいはん)する2つの感情が見て取れた。



「……やっぱりか……でももし、もしだぞ……もし失敗したら死ぬ……んだぞ?」

 最悪の事態を想像した彰彦は思わず本音を()らしてしまう。




「…………」


「……夢ってさ、人によって色々だろ?プロ野球選手になりたいとか医者や弁護士になるとか」


「……でもその夢が叶う人なんてほんの一握りだけだ。大抵のヤツは諦めたり挫折したりする」


「だから生涯を懸けて追える夢なんてめったに無いと思うんだ。そう言う意味でも俺の夢は幸運だった……生涯を懸けて追える夢だったからな」


 少しの沈黙の後、ポツリポツリと自分の人生観を語り出す修二……それはもう哲学とも呼べる物だった。




「……ああ。言いたい事は分かるよ……でもな……」

 それでも不安を(ぬぐ)いきれなかった。目の前で親友がビルから飛び降りる……日常からはとても想像出来ない状況だったからである。




「心配してくれてありがとな。やっぱりアキは最高の友達だ。でもこれは……今やるか、後でやるか……その違いでしかないんだ。もう直ぐそこに手の届きそうな夢がある……だったら信じて突き進むだけだろ?」


「……それにさ、夢の価値観なんて人それぞれだろ?他人(ひと)から見ればくだらないって笑われる夢だとしても、俺にとってそれは命を賭ける価値があるんだ」


「それにどうせ翔ぶなら1人より2人だろ?本当に翔んだって証人も必要だしな」

 そう最後に冗談っぽく言った修二は親指を立てていた。



「……分かった。どうせ止めても無駄な事は理解しているつもりだ……長い付き合いだからな」


「でも1つ教えてくれ。何でそんなに空を翔びたいのさ?」

 空を翔ぶ事に(こだわ)る修二を、彰彦はふと疑問に思った。



「……ん?ああ、空を翔ぶってのはあくまでも結果だ。俺はただ、人間が本来持っている可能性を見たいだけさ……そこに理由は無いよ」



「……それだけ……なのか?」

 理由は無い……拍子抜(ひょうしぬ)けした答えに呆れる彰彦であったが、そこにやはり修二らしさを感じてもいた。



「おかしいか?……それにもし本当に空を翔べたらこんなにファンタジーな事はないぞ!」



「はぁ……やっぱりお前は変人だよ……」


「よし、俺も覚悟を決めた!んで、俺の役割は何だ?……まさか突き落とせってワケじゃないよな?」



 ーーそれを聞いた修二は安心したのか笑顔になる。そこには2人にしか分からない確かな信頼関係があった。



「アキにはこれで俺が空を翔ぶ様子を録画してほしいんだ」

 そう言ってクローゼットから新品のビデオカメラを取り出し手渡す。


「お、ビデオカメラか……よし任せとけ!成功の瞬間をバッチリ録ってやる」


「はは。頼む……使い方は分かるよな?」


「……このボタンを押せば録画開始だろ?」


「ああ……そんじゃー行きますか」

 (わず)かに残る迷いを吹っ切るかの様に、修二は少しだけ背伸びをしていた。



「外寒いよな……ってかそのビルは何処よ?ここから近いのか?」


「ここから歩いて20分位かな……」







 ーーーー



 ーーPM11:53 雑居ビル屋上



 誰も居ないビルの階段を上り、懐中電灯を片手に屋上へ通じるドアの鍵を開ける。



 ーービュオッ!!



 ドアを開けると勢いよく風が吹き抜ける。30メートル程の8階建てのビルの屋上は、当然地上よりも風が強い。天候は晴れ、満月が少し欠けた空には雲1つ無かった。



「うおっ、結構風があるな。キャプテン、大丈夫かよ?」

 予想していたよりも風が強かったのか、彰彦は戸惑いを隠さない。



「大丈夫だ。少し位風が強い方が上手く翔べそうだろ?」

 さすがに今から飛び降りる覚悟の修二の心は、多少の事では動じていない様子だった。




 ーー建ち並ぶビル群と裏道沿いに開けたその屋上は、人影も少なく実験をするには絶好の場所だった。




「それよりそろそろ録画を始めてくれ」


「分かった……あ、セリフってかナレーションは要るか?」


「はは。それはアキに任せるよ」


「了解。じゃあドキュメンタリー風になるべく黙ってるわ」



 ーースイッチを入れる彰彦。落下防止用の金網を乗り越える修二……2人の間に言い様の無い緊張感が走る。




「……なぁアキ、知ってるか?」

 乗り越えた先の(へり)に立ち、片手で金網を掴んでいる修二がふいに話し掛ける。



「……ん?何をさー?」

 吹きすさぶ風に金網から5メートル程の距離でも自然と声が大きくなる。



「今年でもう6年、クリスマスの夜に雪が降ってないんだってよ!」


「あーそうなんだ!今日も晴れてるから雪は降らないな!」


「それとさ、もし俺が空を翔べたら……クリスマスケーキを買おうぜ!」


「……え?何だって?悪い、風でよく聴こえない!」


「……いや、何でもねーよ!……じゃあ始めるぞ!」

 そう言って金網に寄りかかり、目を瞑り両手を耳に当て集中する。



「……ああぁぁぁ……」

 低く澄んだ声は、この風の中でも彰彦の頭に直接響いてくる。



「始まった……」

 金網のこちら側で息を飲み、見守るビデオカメラを握るその手は、真冬の寒さとは裏腹に汗をかいていた。


 ーーレンズ越しに映る修二の足元からは旋風(つむじかぜ)の様な空気が渦巻いて見える。



「……何だ?」

 慌ててビデオカメラを外し肉眼で確認するが変わった所は無い。


「気のせいか……」

 再びレンズを覗き込むと修二の『準備』は終わりを迎えようとしていた。







 ーーーー




 ーー12月25日 AM0:02



「……ぁぁぁああ…………よし」

 全ての準備が整った修二は眼下を静かに見据えている。


「見てろよアキ!俺はサンタになる!」

 大きな月を背にバタバタとたなびく真っ赤なトレンチコート姿は、まるでアニメの中のスーパーヒーローの様にカッコよかった。



「キャプテン、最後にもう一回だけ聞くけど……本当にやるのか?」


「当たり前だろ。俺を信じろ!」

「アキ、お前に世紀の瞬間を見せてやる!」



 ーー修二の部屋の時と同様に耳鳴りを(ともな)う空気が辺りを包み込む。



「……痛っ……また耳鳴りだ……声の共鳴は終わった筈なのに……」

 先程のよりも激しい痛みに彰彦は耳を抑える。




「ス~……ハ~…………行くぞ」

 大きく深呼吸をした後、唐突(とうとつ)にそう言った修二は両手を広げて前のめりに倒れ込む。


「キャプテン!」

 本当に飛び降りた……彰彦は思わず声を上げる。






 ーービュウッ!

 吹き付ける冷たい風が、まるで小さな針の様に肌に突き刺さる。



「……うわぁぁ……」

 加速を付けて落ちる身体が、恐怖で膠着(こうちゃく)していく……それでも修二は目を閉じ脳に電流が走る場所をイメージしていた。



 20メートル……15メートル……徐々に迫る『死』と言う名の大地。その極限の恐怖とそれに打ち勝つ強靭(きょうじん)な精神力が修二の身体にある変化をもたらす。



(……きた)

 ビリビリと脳に走る電流に目を開ける修二……そこには眼前にまで迫る地面があった。



(遅かった?……くそっ!ダメか……)

 そう思った刹那(せつな)……脳天から爪先まで、まるで(いかづち)が落ちたかの様な、今まで体験した事が無い程の電流が全身を流れる。



「…………うわぁぁ!!」

 声にならない声を叫ぶ。ビリビリと全身を襲う痛みが治まる頃……脳が覚醒していくのがハッキリと分かった。



 ーー周囲の時間がゆっくりと流れる感覚、自由に動かせる身体……数キロ先の音までもが聴こえそうなその五感は、まさに究極と呼べる程に研ぎ澄まされていた。


 修二は頭から地上に落ちる(すん)での所でクルリと身体を反転させ足から着地する。



 そのまま(かが)み込んだ修二はグッと強く踏み込み今度は空へ向けて跳び上がった。



(……身体が……軽い……)

(やったぞアキ、俺は成功したんだ!)



 まるで背中に羽が生えたかの様に軽い身体はグングンと上昇を続けている。子供の様に興奮を覚えた修二は両手を強く握り締めていた。







 ーーーー




 ーー数秒前 屋上



「……本当に飛び降りた……」

 覚悟を決めていた彰彦も修二の……いや人間の可能性を信じてカメラを回していた。


(キャプテン、早く空を翔んで見せてくれ……)



 ーー時間にして2、3秒……だがそのほんの僅かな時間が何十倍もの長さに感じられる。



(……まさか……失敗……)

 そう思い金網に駆け寄ろうとしたその時、突然下から姿を表す修二は確かに空を翔んでいたのである。



「あ……」

 レンズ越しに空を翔ぶ修二……それを見た彰彦は瞬間的に脳に強烈な電流が走るのを覚える。


(何だ……今のは……)

 一瞬、平衡感覚(へいこうかんかく)を失うも、すぐさま体勢を立て直しカメラで修二を追う。



「はは。やったなキャプテン、本当に空を……空を翔んでいるぞー!」

 そう叫ぶ彰彦の(ほほ)を、ふいにヒタッと冷たい感触が伝わる。


「冷たっ……雨?」

 驚いた彰彦は空を見上げる。



「……嘘だろ……雪……だ……雲は無いのに……」



 ーーそれは雪だった。予報では快晴、現に空には雲1つも無い……それでも確かに雪は降っていたのである。



「……これも……修二の……人間の奇跡の力なのか……」

 空を見上げて呟く彰彦はビデオカメラを修二に構え直した。レンズ越しのその姿は、既に豆粒程の大きさになっている。



(良かったなキャプテン。お前の夢が叶ってさ)


 声は届かなくても自由に翔び回るその姿からは、修二の喜びが伝わってきていた。カメラを回しながら見守る彰彦はいつの間にか微笑んでいる。








 …………


 ……



「人が倒れているぞー!」

 ふいに静寂(せいじゃく)を切り裂く様に響く叫び声。それはビルの下から聞こえている様だった。



「え?」

 その声に反応した彰彦は咄嗟(とっさ)にカメラを外し金網に駆け寄る。


 僅かに見える眼下には人混みができつつあった……それと同時にガクガクと震え出す両の足……。


「まさか……嘘だろ……」

 祈る様に再び空を見上げるが、勢いを増した雪のせいか修二の姿は確認出来なかった。



「救急車!早く救急車を呼べ!」

 尚も聞こえる叫び声に、震える足を押さえつけて走り出す。


「人違いだ……だってキャプテンは……修二は確かに空を翔んでいたんだ……」




 ーーカンカンッカンカンッ!



「ハァッ、ハァッ……」

 息を切らせて階段を降りたその先で、彰彦が目にした光景……。




 ーーそれは、うつ伏せに横たわる修二であった。周囲には不思議と血は一滴も無かった……両手を強く握り締め、眠っているかの様に目を閉じているその顔は……笑っていた。



 風が()み、キラキラと舞うように降り続ける雪は、いつの間にか修二の背中にも積もっている……真っ赤なトレンチコートに降り積もるその雪は、まるで銀色に輝く小さな翼の様に……。



 修二の側に駆け寄り膝を付く彰彦からは涙が(こぼ)れていた。



「……うっ……そうか……」

「……キャプテン、お前は空を翔んだんだな……」







 ーーーー




 12月25日未明……クリスマスのムードに染まるこの街には、実に6年振りの雪が降った。この日……手を繋ぎ愛を語らう恋人達は、楽しそうに空を舞う赤いサンタクロースを確かに見たのであった。









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