中編3
ーーPM9:56
「アキ、これが何か分かるか?」
机から取り出したカードを彰彦に手渡す。
「……トランプにしては大きいし種類も少ないけど、カードに描かれている図形は何処かで見た事があるな……」
修二から手渡されたカードをまじまじと見るが、具体的にそれが何なのかは分からなかった。
「これはESPカードって言って、簡単に言えば透視能力を鍛えるためのカードだ」
「あ~!昔よくテレビの特番なんかでやってたな。だから見た事があるのか」
ーーESPカードとは、それぞれ丸、十字、波、四角、星の5種類の図形が描かれたトランプ状のカードである。その用途としては、主に物体などを透視する能力を発展、向上させるための物である。
「ちなみに透視能力を英語で言うとclairvoyance、語源はフランス語の『clair(明白な)』と『voyant(見えている)』を足した物だ」
ツラツラと話す修二の表情は勝ち誇っていた。
「……キャプテン……お前ドヤ顔でうんちく語っているけど、どうせネットで調べたまんま言ってるだけだろ?」
薄目で呆れている彰彦は静かに鋭いツッコミを入れる。
「はっはっは。よく分かったなアキ……さては俺の思考を透視したか?」
「冗談はいいから面白い物って何だよ?……まさかこのカードが面白い物なのか?」
「まぁな。このカードの使い方は知っているか?」
「確かカードを裏返して図形の形を当てるんじゃなかったか?」
「そう。この5種類のカードを裏返して透視能力を使って図形の形を当てるんだ」
「はは……透視能力って。これ、意外と直感でも当たるんじゃね?」
「……当たるだろうな。5種類しか無いし」
「試しにアキ、やってみるか?」
そう言って修二は炬燵の上に、シャッフルした5種類のカードを裏返して横一列に並べる。
「お、俺の野生の感を見せる時がきたか!」
腕を捲り精神を集中させる。彰彦はすっかりと乗り気になっていた。
「……じゃあまずは丸が何処にあるか当ててみてくれ」
「……分かった……丸だな……」
掌をカードの上に翳して、端から順番に手をスライドさせていく。
「……野生の感じゃなかったのかよ」
嫌みたっぷりと彰彦を皮肉る。
「……うるさい。集中してっから話し掛けんな」
ーー何往復かした後、彰彦の手がピタリと止まった。
「……ここだ。間違いない、俺の野生の感がそう言ってる」
何故か自信満々の表情で彰彦は5枚のうちの真ん中を指している。
「……結局感なのね。じゃあ捲るぞ」
彰彦が指定した真ん中のカードをゆっくりと捲る。
「……残念。星だったな」
彰彦の反応を観察しながら修二はポツリと言った。
「くあ!外れたか!……もう1回やらせてくれ!」
外れたのが余程悔しかったのか、人差し指を立てて修二にリベンジを迫る。
「ああ。好きなだけ試していいぞ」
ーーーー
「あ~ダメだ。全然当たらねー!」
「最初の1枚はそこそこ当たるけど、これ連続で当てるのかなり無理ゲーだ……」
何回とチャレンジするが、良くて2回……最高でも3回連続で当てるのがやっとだった。
「ちなみに3回連続で当たる確率は約20%位だな」
この図形当ては消去法では無く、1枚選択したらまたシャッフルして5枚から選ぶ。必然的に、連続で当てるのは至難の技であった。
「マジで?20%もあるのか?……俺全然当たらないんだけど……」
「……って、ESPカードは分かったけど、これの何が面白いのさ?」
「……今度は俺がやるよ」
静かに言った修二の言葉は、不思議とよく通る声だった。
「……だろうな。では……見せてもらおうか!宇宙飛行士になりそこないの実力とやらを!」
「…………」
彰彦のチャチャには一切触れず、両掌を上に向けて軽く開き、肩幅に広げ、目を瞑り集中している様だった。
「……俺の渾身のボケには無反応かい……冷たいな~キャプテンは……」
ぶつくさと文句を言いながらカードをシャッフルした彰彦は、先程と同じように横一列に並べた。
「……並べたぜ」
「…………」
彰彦の言葉にゆっくりと目を開け頷く。
「……じゃあまずは……波を当ててくれ」
「俺から見て一番左だ」
ーー速かった。彰彦が図形を指定してから1秒もたたずに間髪入れず修二は答える。
「はやっ!本当にここでいいのか?変えるなら今のうちだぞ?」
あまりにも速い修二の決断に、彰彦の方が戸惑っていた。
「……いいから早く捲れよ」
無表情のまま彰彦に促す。
「……分かった分かった。どれどれ……」
「……波だ……まぁ最初だしな。偶然って事もある……もう1回だ」
「……いいぜ。もう1回だ」
今度は目も瞑らず、カードをシャッフルする彰彦の手元をジッと見ている。
「……っと、じゃあ今度は四角を当て……」
「俺から見て右から2番目だ」
彰彦が言い終わるよりも速く答える。
「……!!……まさか……」
またしても素早く答える修二に、思わず言葉を飲み込んだ彰彦は、恐る恐るカードを捲る。
「……当たってる……」
「……キャプテン、何かイカサマしてるな?このカードにトリックがあるんだろ?」
「……アキ、もう1回だ」
そう答える修二は人差し指を立てていた。
ーーーー
「……また当たった……これで10回連続だ……もうこれ、偶然ってレベルじゃねーぞ……」
「……お前、一体どんなトリックを使ったんだ?いい加減教えてくれよ!」
「簡単だよ。俺にはカードが透けて見えてる」
フゥと一息ついた修二は更に続ける。
「ちなみに10回連続で当たる確率は0.00001%な」
「……0.00って、今サラッと何て言った?……カードが透けて見えてる?……冗談だよな?」
目の前で起こっている出来事をにわかには信じられない彰彦は、興奮気味に捲し立てる。
「…………」
「……アキ、驚くのはまだ早いよ……」
そう言って今度は、両手を軽く耳に当てて目を閉じ集中し始める。先程と違うのは口を少しだけ開き、低い音で何か声を発しているという事だった。
「……あぁぁぁぁああぁ……」
初めは低い音から、時おり高くなってはまた低い音へ……修二が発する音の波が静かな部屋に響いていく。
「……キャプテン、何をして……」
「シッ!集中するからちょっと黙っててくれ!」
制する様に言った修二の目は閉じたままだったが、先程迄とは表情が違っていた。
「わ、悪い……」
彰彦は言い様の無い修二の迫力に完全に気圧されていた。
「……あああぁぁぁああ……」
ーー修二のその声に反応するかの様に、暖かい筈の部屋が一瞬ピーンと凍る様な空気に包まれた感覚がする。
「……うっ、何だ?……急にキーンって耳鳴りが……」
ーー明らかに変わった空気感。それを敏感に察知した彰彦は、痛みを感じる程の耳鳴りに襲われていた。
「ああぁぁぁぁ…………よし……」
「……アキ、さっき言った事を覚えてるか……」
そう言って修二は再び野球のボールを手に取り立ち上がると、真っ直ぐ腕を伸ばす。
「……耳鳴りが止んだ……今のは一体……」
「……って……まさかそのボール……」
「……見てろよ」
ゆっくりとボールを握った手を離す。
「!!……嘘だろ……」
ーー彰彦が驚くのも無理は無かった。何と修二が手を離したにも拘わらずボールは宙に浮いたままだったからである。
「……これが念動力だ」
ーーやがて、張り詰めた空気が穏やかになっていくのが分かる。それと同時に宙に浮いていたボールがストンと床に落ちて小さく弾む。
「……す……スゲーな……」
開いた口が塞がらないとはまさにこの事だった。オカルトにそれほど感心が無い彰彦でも、目の前で起こった現象には素直に驚いていた。
「キャプテン……今のは……」
「分かってるよ。ちゃんと説明するから」
食器棚からとてもこの部屋とは似合わない、少し大きめのワイングラスを取り出した修二は、腰を下ろし炬燵の上にそれを置いて話し始める。
「……まず今のは正真正銘の念動力だ。俗に言うトリックは無い」
「更に言えば、脳が少し覚醒した事による副産物と言えるかもしれない」
すっかりと元通りになった部屋では、相変わらずヤカンから湯気が出ている。そこで修二はボールが宙に浮いた現象を脳が覚醒した、いわゆる超能力による物だと語り出す。
「……俺にはよく分からないけど、今のがトリックじゃ無いって事は信じるよ」
「それよりその前の『ああぁぁ』ってのは何だ?急に耳鳴りがするし……それにそのワイングラス……」
「順番に話すよ。念動力は物体を念で動かす力だ。動かす対象が大きくなる程より強い力、つまり脳の覚醒が必要になると思う」
「そして今の俺にはボールを動かす位が限界だな。あ、ちなみに透視能力は念動力より簡単だったかな俺は」
「……キャプテン、さっきからとんでも無い事をスゲー軽く言ってるぞ……」
「そうか?小さい頃から当たり前に信じてたからかも。確かに最初はちょっと感動したけどな」
修二は子供の様に無邪気に笑っている。
「それで、ノートの話しを覚えてるか?俺は今まで数えきれない位の実験と失敗を繰り返してきたんだけど、正直成果はあまり無かった……」
「そもそも『世の中の普遍的な常識』からズレた体験が何なのかも分からなくなっていたんだ」
「完全に袋小路に入った俺は、自分の仮説が間違っていたのかと諦めかけていた」
「そんなある日、何となくテレビを観ていたら俺の宇宙飛行士になるって目標を止めるキッカケになる映像と出会ったんだ」
「……その映像と、持ってきたこのワイングラスが何か関係しているのか?」
「……ああ。俺がその時に観た映像は、声だけでグラスを割る達人が居るってやつだった」
「そして実際にその達人は声だけでグラスを割って見せた……でもその瞬間、ふいに俺は閃いたんだ……まさに思考の裏を突かれた感覚だったよ。………それが約半年前」
「……アキ、声でグラスが割れる原理が分かるか?」
「……まさか。俺に分かるワケ無いだろ」
ーー俺もそんなに詳しいワケじゃないけど。修二はそう前置きをして続ける。
「簡単に説明すると、音は物体の振動が空気の振動として伝わる……音波ってやつだな」
「そして物体……物のが分かり易いか。物には固有の振動域があるのさ。このワイングラスを叩くと音が鳴るだろ?」
ーー炬燵の上に置かれたワイングラスを軽く指で弾く。
「……この音……音色かな、がこのワイングラス固有の振動域」
「うん。そこまでは何となく分かったけど、振動域ってのは何だ?」
「……今みたいに指で弾くとワイングラス自体が音を出して震えるだろ?この震える幅みたいな物かな」
「逆に考えると、ワイングラス固有の音……つまり音色を声で再現出来れば、このワイングラスを震わせる事が出来るのさ。……確か共鳴って言ったかな?」
「あ~もう1回言っておくけど、理系の大学卒だけどそんなに詳しくないからな。大体そんな感じって思ってくれ」
「……つまり本当に合ってるか自信がないワケね」
「はは。でも大体はそれで合ってると思うよ」
「要するに……声でワイングラスを震わせて、その振動の振り幅がワイングラスの限界を超えると……」
そこまで言って話しを止めた修二は、彰彦の様子を伺う。
「割れる!」
納得のいく答えが得られたのか、彰彦も嬉しそうな顔になっていた。
「ああ。おそらくさっきのアキの耳鳴りも、俺が出した声の振動域がアキの耳に干渉したからだと思う」
「そうだったのか。でも痛みを感じる程の振動って……何か恐ろしいな……」
「あ、その振動とボールを浮かせたのは、どんな繋がりがあるワケさ?」
「……ちゃんとそれも話すよ」
ーーガタガタと部屋の窓が鳴る。外では風が強くなり始めていた。