11. 王 子 様 の 告 白 、 そ し て 白 雪 姫 は
原作の王子様は白雪姫にも言えない秘密を抱えていたって。
昔、安李くんが面白がって教えてくれたっけ。
譜由彦は、どうだろう?
【 11. 王 子 様 の 告 白 、 そ し て 白 雪 姫 は 】
「遅かったな、唯子」
車にいたのは勿論『某方』こと敦来譜由彦様だ。今日、ここに来るのに譜由彦が車を運転して来た。本当は一人で来ようとしたのだが「だから危機感が足りないって言うんだよ」と睨まれてしまった。どうやって行く気だったと尋ねられて「運転手さんにいちいち送り迎えしてもらうのは悪いので……電車とバスで」と莫迦正直に返答したのが駄目だった。
敦来家の直系がふらふら一人で行動するんじゃない、誘拐されたらどうする、と、くどくど説教され、揚げ句「俺の車で良いだろう」……ちょ、おま、そのほうが問題じゃねっ? つか譜由彦さん免許お持ち……「四月に誕生日が来てすぐ取っただろう」なんですね、そうなんですね……てーか、お兄様こそ敦来の御曹司だろうよ、良いの? 俺の質問を譜由彦は「お前より危機感は在るよ」鼻で笑いやがったよ。あーもーわかりましたよ、お願いしますよ……。
こんなやり取りの末一旦帰宅して後、譜由彦に連れて来てもらった訳ですけども。予想に反して譜由彦は病室まで着いて来なかった。「俺がいないほうが良いだろう。出入り口には警官が常駐しているから、あの人も下手なことはしないだろうしね」御曹司、お前の危険は大丈夫なのか。まー、譜由彦はいないほうが捗りますけどね。
かくして譜由彦お兄様は車で待っていた。車にまでパソコン持ち込んで、俺が来ると助手席にまで散らかしていた書類を無造作に集めファイルに入れて、後部座席へ投げた。俺は一連の動作を見届けて乗り込む。
「お待たせしました」
「本当にね。心配していたんだよ」
「なら、盗聴器でも通信機でも仕掛けたら良かったじゃないですか」
「……。だいぶ本調子になって来たようだね」
あはー。『私』率高くなって来てますからねぇ。いや、チキンハートは健在ですけどね。
「先生はどうだった?」
「体調は、良いようですよ」
「そう。良かったね」
本気で思ってなさそうな声音の譜由彦。肩を竦めた俺がシートベルトを付けると、譜由彦は車を発進させる。クーラーのためにずっとエンジンは掛けていたようだ。「帰る前にスタンドに寄るから」ハイブリッド車の燃費は良くても無駄に起動させてたら減りますよね、ワカリマス。
「お兄様」
「何」
「ちょっとドライブ行きませんか」
譜由彦がちらりと俺を見るけど、俺は視線を合わせない。心臓ばっくばくなのを察せられないためでも有る。ふへへ、さ、誘っちまったぜ……。
当然、ただのデートのお誘いではない。んな訳無い。譜由彦には幾つか訊きたいことが在るのだ。家でも良いけれど、どうせなら違うところのほうが気分も変わって聞けそうな気もする。警戒心も弛むだろう。お手伝いさんとか、叔母さんとか、邪魔が入るかもしれないし。各務さんとか。多忙の譜由彦を連れ出すのは気が引けるけど。譜由彦は形の良い唇を閉じ数瞬黙考して「良いよ。どこ行きたい?」と赤信号で停車するとカーナビを操作した。
「海とか、どうですか」
先輩が入院している病院は、俺と梓川さんが入院していた病院の系列で学校とは正反対の、街から離れた場所に在り海が近かった。運ばれた当初は俺たちが入院していた学校近くの病院にいたんだけども、梓川さんがいたので容態が落ち着いてから転院されたのだ。一応被害者と容疑者だったからね。譜由彦は応答無しでカーナビを設定だけして運転し始めた。運転回数が少ない割にスムーズで上手な運転だった。
海に着くまで俺と譜由彦は無言だった。俺は流れる窓の外を眺め譜由彦は運転に集中していた。途中スタンドに寄って車の燃料を補給したとき、併設されているカフェ兼コンビニで飲み物とサンドイッチを購入した。
海は本格的なシーズン前だからか、人は疎らだった。海水浴の用途で使われない浜辺、ってことは無いと思う。だって、サーファーがいる。俺たちは駐車場に車を止めて降りると浜辺の入り口に向かった。入り口の付近はコンクリートで舗装されていて、今日は開店していないが海の家と併用されているらしい土産物店と自販機、ベンチが在った。
「暑ー」
「もう夏だからな」
譜由彦は俺に日傘を渡して来る。譜由彦自身は帽子を被った。俺は制服だけど、譜由彦は車の運転をするってことで私服だった。日傘を差してふと譜由彦を盗み見る。ぴったりした濃紺のVネックTシャツにジーンズのシンプルな服装。私服ゆえか、譜由彦は平時より大人っぽく見える。……お兄様、長身の上想定外に体がっしりしてるんだよね。細マッチョかこの野郎。元男としては嫉妬したいところだけど、譜由彦程規格外な人間にはその気も起きない。と言うよか今女の子なので格好良いなー、程度のもの。ああ、いや、お兄様は格好良いのよ。ええ。先のスタンドで買ったミネラルウォーターのペットボトルを、袋から取り出して蓋を開けて口を付ける、ここまでの所作一つ一つさえ格好良いものね。ははん。
「で?」
「……はい?」
「何が、目的なの」
バレている。ですよねぇ。あーまーまー、譜由彦ですものねぇ。俺はどう切り出そうと考えていたのでこれ幸いと尻馬に乗った。反応が遅れたのは見惚れて惚けていたんじゃないよ、決して。
「目的と言うか……お兄様にお聞きしたいことが在って」
「何?」
「先生とお話していて、疑問に思ったところを幾つか確認したくて……」
広げた日傘をくるくる回しつつ譜由彦も傘の中に入れる。帽子を被ったって暑いもの。陽射しに焼かれてしまう。お兄様は色白いから、赤くなりそう。俺も『白井優李』だったときは普通の人より白くて弱かったので、痛い思いをしたものです。譜由彦は、何を思ったのか傘の柄を俺から受け取り俺の肩を抱くと、砂浜に続く階段へは行かず閉まっている店の横のベンチに誘導した。ベンチのところは自販機とお店と屋根が作られていて日陰になっている。俺が座ると日傘を畳み譜由彦も隣に座った。
「確認、ね」
「はい。お兄様、知っていらしたんじゃないですか?
椰家先生のして来たことの、詳細」
詳細。由梨お姉ちゃんのときのこと、両親のこと、そして『俺』のことに梓川さんのこと。先輩がどのように関わっていたかなんて、この人が知らなかったとは思えない。龍さんやオーナーの証言まで取っているんだ。細部まで、知っているんじゃないだろうか。譜由彦なら。知らなくても譜由彦のことだもの、感付くくらいしていただろう。
「ご存知だったんじゃないですか? 全部、本当は」
「……」
すっと譜由彦が交錯する目を細めた。迫力満点ですけど、俺も折れる訳には行かないので見据える。や、直視しているようで、ピントの絞りを甘くしたようにぼやかせて誤魔化している。被写界深度が浅い写真みたいな。でなきゃ無理。真っ向勝負とか無理。数分の睨み合いのあと、折れたのは譜由彦だった。溜め息を吐き前髪を掻き上げて、そのまま人差し指に絡めて弄んでいた。ああ、この仕草、久し振りに見た気がするなぁ、なんて呑気に考えていた。
「椰家に何言われたの」
とうとう、先生とも呼ばなくなった譜由彦。そこは……仕様が無いか。俺は「先生は、」吃るが何とか紡ぐ。
「由梨お姉ちゃんの経緯と、白井……さんの件の真相と、梓川さんの事故の原因をお話してくださっただけです」
「ふぅん。体良く騙された訳だ」
譜由彦が俺から目線を外し冷笑を浮かべた。“騙された”? 先輩が俺に嘘を付いたと言うことだろうか。アレは、全部嘘だったって? そうは見えなかったけど……。黙り込む俺へ譜由彦は、表情を変えること無く向き直す。
「どんな説明されたか、俺に聞かせてごらん。一言一句正確でなくて良いから。掻い摘んででも良いから」
俺は促されるまま順を追って、出来る限り先輩から聴取したことを譜由彦へ聞かせた。譜由彦は人差し指に前髪を絡めて引いて、を繰り返しながら耳を傾けていたがやがて、ぴん、と髪を弾いて放すと組んでいた足の膝に手を組み合わせて乗せた。次いで俺を見る。美しい面立ちから笑みは消えていた。
「おかしい、と思わなかったの?」
「え?」
「まず、縞木由梨……由梨さんの件だけど」
俺の手前か譜由彦はお姉ちゃんを『由梨さん』と呼び直した。俺が聴くので手一杯だった衝撃的内容を、譜由彦は間接的とは言え耳に入れて平然としている。そうして矛盾点を挙げ始めた。
「“ドナーにしてしまったから、返せなかった”……おかしくない?」
「何がですか? お姉ちゃんを切り分けてしまった、それが露呈すると困るから隠蔽しようとしたんでしょ?」
「うん、それは在るだろうね。けどそれは────バレた場合のみだ」
譜由彦は言う。「内臓や網膜を取り出したとして、そんなこと外見から判断出来るか?」と。俺は絶句した。確かに。内臓が無くても網膜が無くても、違和感を訴えられる当人は死人で口無しだし、骨が在って極端に凹むことも無いから病院のベッドの上、布団を掛けちゃえば見た目にも察することは不可能かもしれない。譜由彦の指摘は続いた。
「事故で亡くなったとして、体に傷なんか在って当たり前だろう? 外傷を受けていてとか手術を行ってとか、何とか言い訳出来る。まして事故の当事者は二人とも死んでいるんだ。事故の概要を何とでも捏造出来るさ。外部の傷に納得してしまっていれば内部の欠損なんて気にする人間がいるかい?」
言われてみれば、だけど、「た、たとえば検死されたら……」俺は可能性を上げる。譜由彦は「原因のはっきりした事故で病院に運ばれて死亡し、死亡診断書が出てしまったら、解剖を希望する家族はいないんじゃないかな。死因が不明でも有るまいし。少なくとも、あの時点で違法性に気付いたかな、伯父さんたちは」事も無げに返す。『伯父さん』とは『私』の両親だろう。“たち”だから、お母さんも含めている。譜由彦には伯父、伯母だから。
外見でもわからない、移植痕。何とでも誤魔化しが利いたとすれば、じゃあ何で返せなかった? って展開になる。俺は呆然としつつ「……、生徒祭、」戦慄く唇を動かした。譜由彦が「うん?」相槌のように短く訊き返す。俺も頑張って口を開いた。
「初めての行事だから、ケチ付けたくなかった、って……」
「そう? 失踪者が出ているんだから、どちらにせよケチなんか大きく付いているけど」
その通りで「……」俺は言葉を失うしか無い。
「“返せなかった”んじゃなくて“返さなかった”んじゃない?」
「……。え、」
「由梨さんを永遠にそばに置いておきたかった、だけなんじゃないかってこと」
淡々と私見を述べる譜由彦。愕然とする俺は乾いた唇に吐息だけ洩れた。音は混じりもしない。
「だって、日常的に遺骨を見えるところに置いているんだろう? しかも透明の容器に入れて。そんなものを、日ごろ生活して目に付くところに置くって……正常な精神してると、俺は思えない」
譜由彦の言葉が正論過ぎて、俺は返せる文句が思い付かない。俺も聞いたとき引いたし。「そもそも、」まだ在りますか。
「罪の意識が在ってやってるなら、人間、部屋には置いても目の届くところには置かないよ。それも透明の容器でなんて。火葬したときの骨ってね、骨密度がしっかり出来ている人はまるで、骨格標本みたいに残るらしいよ。焼き加減にも因るけど。それって、下手したら頭蓋骨も形残るってことだよね? 顔を知っていようものなら、空の眼窩がこっちを見ている気がしそうじゃない。しょっちゅう見ていたら押し潰されてしまいそうだ」
普通なら、ね、とトドメを刺された、としか表しようが無い。俺は反論の余地の無さに茫然自失だ。譜由彦的にはトドメなどでは無かったようで、こんな俺へ「骨、返して貰えるんだろう? 返って来たらちゃんとDNA鑑定しよう。唯子がいれば出来るから」と平静としてアドバイスをくれた。俺は首肯しか出来なかった。……が。
「お姉ちゃんを愛する余りってことなんでしょう……ね」
擁護に努めた。あの、後輩だった俺に真意はどう在れ接してくれた先輩が、真実を知りたい俺に語ってくれた先輩が、偽りだったとは思いたくないんだ。譜由彦は呆れたように「お前ね……」と言葉を失っていたけど、次に苛立ちを隠さず爆弾を投下してくれた。
「ネタ晴らしするとね、本当はドナー移植まで掴んでいたんだよ。誰にどの部位が行き渡ったかもね」
俺は「……やっぱり……」思いが口を突いた。「お前には椰家の危険性を知ってほしいけれど……過ぎた負担は要らないと思ってね、言わなかったけど」譜由彦は全部把握していた。
「由梨さんが失踪した生徒祭当日、椰家の病院では複数の移植手術が急遽行われていた。怪しむなと言うほうが無理だ。即座に俺は調べたよ。同日ほぼ同時刻、緊急移植が行われたんだから」
譜由彦の言う通りだと思う。けれど、先輩は移植された先は知らないって供述していた。俺が疑問をぶつければ譜由彦は嘲りを全面に出して「知らない訳無いだろう」笑った。
「この日緊急移植手術を施された患者は、みんな白井優李が就職活動中何らかの関係を持った会社の重役本人か、その家族ばかりだったんだから」
がつん、と後頭部を鈍器で殴られたみたいだった。比喩のはずなのに、現実に物理攻撃を受けたようにくらくらする。
「まぁ、強いて言うなら、誰がそうだって限定出来る情報は知らなかったかもね。全員が全員あの病院で由梨さんから臓器や網膜なんかを貰っている訳じゃないだろうし。にしても、偶然では無いよ。事実椰家は白井優李の件に関して由梨さんのことを匂わせていたらしい。……協力者の証言だよ」
先輩は自身、正しくは家の病院が仕出かしたことを逆手に、重役たちを脅したってこと? そこまでしたと言うのか。だが俺は先輩からニュアンスの違いで誤解だったんじゃないかと聴いている。
「で、すが、先生は白井さんに有利になるよう働き掛けただけで、落とすような真似はしていないと」
「俺が、言葉を取り違えたって? そんな些細なへますると思う?」
思わない。わざとなら在るかもって思いましたけど。俺は首を横に振った。「だろう?」譜由彦が鷹揚に頷いた。
「取り零しなんか無いよう慎重に聴いていたんだ。訊き方一つ気を遣っていたよ。言い方一つでどちらとも取れるような訊き方はしていないね、断じて。在れば追究したさ」
譜由彦の性格上そうかもしれない。逃がしはしないと穴を片っ端から虱潰しだろう。故意でないと。だったら。
「先生は、白井さんを陥れたってことですか?」
ショックだ。先輩はさっきも俺に嘘を付いたってことになる。いや、『敦来唯子』が『白井優李』なんて知らないんだから……“も”は変か。だけれど俺からしたらまた、騙されたって認識になる。
「そのほうが説得力在るくらいだよ。白井さんは、成績も面接での印象も悪くなかったらしいから。あの好成績、面接結果で一社も受からない、なんて裏で意図的に邪魔されたと思うほうが自然だよ」
へー、そーなんだー、俺、良かったんだぁ。うれしくないのは現状死んでるからってだけじゃないよね。褒められれば褒められた分対照的に先輩から裏切られたと思い知らされるからだ。共感出来なくても理解出来なくても、信じたかったのに。打ち拉がれる俺は不意に気が付いてしまった。
「じゃあ、梓川さんの件も……」
「変なこと、言ってなかった?」
「え、」
「椰家。夏服になったこと、言及していたでしょう」
そう言えば。
「先生、“失敗した”……って」
“失敗しちゃったな”
先輩の声が耳の奥で木霊する。そうだ。先輩はそう言った。アレは、どう言う意味だったのか。今更、気に留めるなんて。真っ青まで行かずとも顔色を失っているだろう俺。譜由彦は「どう言う意味だったのかね」と遠くを見遣りながら俺が考えるのと同じ科白を言ちた。
「はてさて。“完全に夏服だったら怪しまれても証拠は出なかったのに”と言う意味だったのか、唯子の話を鵜呑みにして“呼び止め方を変えればこんなことにならなかったのに”って意味だったのか。これこそ、取りようだね」
揶揄するみたいな口調で譜由彦がせせら笑った。俺は咎めることはしなかった。それどころじゃなかった、とも言える。ここで譜由彦が完璧なトドメを刺した。
「隈倉の一件も怪しいことこの上無いってことで調べ直しだって。……もし椰家が、邪な思案を一切していないですべてが偶発的なものなら、どうして鵜坂宮に唯子の監視をさせようとしたんだろうねぇ」
「鵜、坂くん? 何で、」
鵜坂くんの名前が唐突に出て来たことへ、瞠目せざる得ない。聞き返せば譜由彦はさらっと答えた。
「鵜坂宮の家は製薬会社だ。椰家の家の病院は、腐っても経営は上々な総合病院だからね。利用者もそこそこの権力者が多い。大口の契約をちら付かせ、断れば元からしていた契約をすべて切る、と暗に脅迫されたらしいよ。富山神が俺に取引をしないかと申し出て来たとき言ったんだ」
「取引?」
譜由彦曰く、俺と仲の良かった鵜坂くんに目を付けた先輩が、俺の監視をするよう持ち掛けた。鵜坂くんは悩んでいた。俺の監視なんてしたくない。かと言って家に迷惑は掛けたくない。懊悩の末遠戚の富山くんに相談した、と。
「富山神が、“鵜坂のことをどうにかしてくれる代わりに協力する”って。俺からすれば、唯子のことで迷惑を掛けているんだからこの情報提供だけでも充分だけど……梓川の事件が在っただろう。“アイツにも唯子にも借りが有る。鵜坂のことも在るし俺にも何かさせてくれ”ってね」
「富山くんが……」
「結局、富山には然り気無く唯子の動向を観察するようにお願いしたんだよ。急いて余計なことをしないように、とも言い渡したね。ああ、あと鵜坂には尻尾を掴むためにも当分椰家に従うよう言ってもらったくらいかな」
生徒祭前に医務室へ行こうとしたとき、俺を足止めした鵜坂くんが脳裏を過った。何か言いたげな面持ちだった。もう、良いです。やめてください。気力の殺げた俺はもう聞きたくなかった。先輩が嘘を付いた。俺の友達を巻き込んだ。今の友達すらこうなんだから前の友達も、わからない。彼女のことはともかく、譜由彦の言う通り、引き離されたのかもしれない。
「……。まぁ、」
「……」
「嘘を付いたかどうかはもうわからないよ。もしかしたら、椰家の話も、椰家からすれば本当かもしれない。矛盾していない人なんていないからな」
下手な慰めは要りません、と言うことすら出来ない。もう、良い。先輩は俺を、と言うか標的にした人間を隔離したかっただけだ。ただ、それだけ。俺は項垂れていた。甘かったんだろうか。共感も理解も叶わない人間は所詮、思考回路が違い価値観も違うから、信用すら出来ないってことか。いや、観念が違うなら、先輩は騙した気も無いのだろうか。
呆然とする俺に譜由彦が重ねて語った。宥めているようで言い聞かせるようでも在った。
「嘘を付くってことは、お前が椰家にとって『重要』だってことだよ」
や、訳わかんないから。俺は顔を上げゆるり譜由彦へ首を巡らせる。譜由彦は、こちらへは目もくれず真っ直ぐ前を見ていた。白皙の肌が映える横顔は無表情だった。
「『重要』?」
「少なくとも、俺が相手なら気にもせず牽制しながらあからさまなことを言うよ。言い逃れしようと取り繕うだけ、お前に対して好意が在るんだろう」
「好意が在れば、嘘付くんですか」
「濁したり隠したり偽ったりしても、失いたくないって感情は在ると思うよ。……俺は、わかるかな」
「───」
譜由彦は、わかるのか。上に立たされる者同士、やはり感じ入るところは在るのか。俺はぼんやり譜由彦を見詰めていた。譜由彦は俺のほうへ上半身ごと向いた。片方の肘を背凭れに置き、もう片方の腕は組んだ足の上。背凭れに肘を立てた手で頬杖を突きつつ、俺をしっかり見据える。……ちょっと居心地悪くなった、気がする。
「……正直、ね。椰家の気持ちはわかる気もするんだ。濁したり、隠したり、偽ったり。そうしても手元に置いておきたいんだよ……お前にはわからないだろうけど」
話す毎に伏せ目がちになる譜由彦。何が言いたいのか、俺は測り兼ねて譜由彦を黙視するしか無かった。単純に譜由彦も、上から押さえ付けられ左右に寄り掛かられ下から突き上げられている立場だから、先輩のことを何となくでもわかるのだろうか、と漠然と考えていた。……“手元に置いておきたい”、か。先輩は由梨お姉ちゃんや俺だった。譜由彦は、誰だろう。
「そんな方がいらっしゃるんですか」
「人だけじゃないけどね。地位とか足場とかもそうだよ」
成程。仕事とか目的のために駆け引きするにも、濁したり隠したり偽ったりするだろう。それなら、わかる気がする。ホスト時代、俺もそうだったから。俺が納得していると、譜由彦が俺の頬に足の上に乗せていた手を伸ばして来た。俺は避けるのも変なのでされるがまま触らせる。
何だろう。俺が不思議がっていると。
「そう。濁して、隠して、偽って、─────守って来たのに。お前は、いろいろ危なっかしくて、目が離せなくて、問題起こされて苛々させられるのに、純粋に慕って来るから振り解けないわ放って置けないわ」
「……」
うっ、と、俺は口籠もる。身に覚えが在り過ぎて所在を無くす。「本当にお前は、」譜由彦の愚痴は続投の構えのようです。『唯子』は譜由彦の世評を悪くしているんでしょうか……。遮る訳にも行かず黙々と聞き入る。
「更に今は莫迦みたいに無防備で、布陣を万全にして置かなくちゃ、気が気じゃなくて離れて生活も出来やしない。困ったものだよね」
「……」
これは謝るべきなんだろうか……俺が逡巡している間に、譜由彦は愚痴とは異なる一言を口にしていた。
「なのに……何でお前を手に入れて置きたいんだろうね? 俺は」
「……え」
あれ、今、とんでもないこと発言しなかったか。譜由彦。え。俺がぽかんとしていると譜由彦は自嘲するように苦笑を浮かべた。
「まぁ、お前はわかってないだろうとは思っていたよ」
え、え、わかるも何も。譜由彦が『敦来唯子』をたいせつにしてくれているのは知っている。何だかんだ、気を配っていると。譜由彦は俺の頬から手を放す。体勢は戻さず視線だけ斜め横目に逸らした。喋ることを思索するみたいに。
「俺も高一のとき倒れてね。しばらく記憶のはっきりしない時期が在ったんだ。でも起きてすぐお前が俺に泣いて縋ったのは憶えている。仰天したからね。何で、て。一週間近く、昏倒していたんだから当たり前だけど」
譜由彦が語るのは例の空白の十日間だ。俺はどうせ何も言えないので黙然と聴いていた。
「起きた最初はわからなかったんだ。それからお前はしばしば俺に纏わり付いてね。お前が纏わり付くのは前からだって今の俺はもう認めているけど、当時の俺は昏睡していたのが長かったせいか記憶も曖昧だったから……思春期も在ったんだろうね。お前が鬱陶しくてさ。避けていた時期でも在った」
言い終えて譜由彦はふっ、と息を抜いた。一呼吸置いて、再度喋り出す。
「お前がね、『お兄様』って俺を呼ぶのも反発が有った。お前は妹じゃないだろう、って。当然の成り行きだけど、お前と接する時間は減った。そうこうしている内に父さんのセクハラが始まって、お前はお爺様の元へ逃げるようになった。お前は、俺との時間が無くなるのに比例してお爺様、延いては各務といる時間が増えた」
あるとき、各務と会話しているお前を見て、無性に腹が立ったんだ。譜由彦は零す。清々するどころか、腹が立った、と。
「“俺に懐いて付き纏っていたくせに、構ってくれるなら他の男でも良いのか”って。勝手な話さ。腹が立って唯子を見ないようにして気付いたんだ。知らぬ間に、俺は唯子を目で追っていたことに」
意識して見ないように気を付けているなんて、すでに無意識で見ているってことだ。話が進むに連れて表情が消えて来ていた譜由彦が再び笑った。先程の笑い方とは別の種類、思い出し笑いなのだろうが、とてもやさしい、慈愛に満ちた笑みだった。……既視感。一番初めに俺と会ったときの譜由彦が、こう言う感じの微笑を浮かべていた、と俺も思い出していた。
「習性なのかなって思った。俺の。習性になる程見ていたってどう言うことだって、考えていたよ。で、理解した。『お兄様』って呼ばれることへの反発も、判然としない身勝手な腹立ちも、意識しなきゃ剥がせない目も。お前が好きなんだ、って、ね」
「……」
えええぇぇぇえっ? いえいやうぇっ? あえー、それ記憶あやふやで混乱しての勘違いとかじゃないんですかっ? ……。いや待て夢を思い出せ。いつぞやの夢だよ、俺!
“……お兄様は、お兄様は、非道いです”
“お兄様は、私をご自身から引き離して置いて、戯れにやさしくする。……残酷、です”
“お兄様っ……”
悲痛に叫んだのは、中三のときの図書館。いきなり冷たくされる理由がわからなくて、突然放り出されてしまって、なのに気紛れに構うから……途方に暮れていた時分のだと、今はわかる。図書館だから音量を抑えたけれど、溢れ出るのは止められなかった。
あの日背を向けた譜由彦は、何て返して来たんだっけ。……あー、そうそう。
“唯子。俺はね……────今ここにいる『俺』は、お前の『お兄様』じゃないんだ。
ごめんよ、唯子”
零れる涙を留めて置けない俺に、一瞥だけくれて背中を見せたままそう言った。アレはどう言う意味だったのかと思っていた……────コレはもしかしなくても、そう言う意味だったってことですかっ? ええええぇ。あー、でもでもこのときの『唯子』は『俺』じゃないからなぁ。『唯子』は譜由彦にもしかしてって思った、し、って、え、けどじゃあどうしたら良いのコレ。要するに、両想いですよね?
だがしかし、『俺』だよ? 現今の『唯子』は『俺』だよ? 良いの? コレ。あ、や、ほら、男がさー、今はめっきり出て来なくなった『管理者』がさー、“魂に性別は関係無い”とか仰せだったじゃない? 『俺』の意識もだいぶ『唯子』に侵食されてるし……え、でもだけど。
この状況において、『俺』を“本人”として良いのか? え、て言うか。
『俺』、の、想いはどう、なるの? 譜由彦は好きっちゃ好きだけれど……え。
俺が混沌の坩堝に嵌まっている俺の横で譜由彦が溜め息を吐いた。嘆息だった。
「ゆっくりで良いよ。お前は、どうせ俺を『お兄様』としてしか見ていないだろうし」
えーと、いや、そーでも、無い、みたいですよ? 少なくとも生来の『唯子』は。『白井優李』だった『唯子』がちょっと考えていないだけで。あれ、だけどもさ、俺が『唯子』になるんなら感情はどうなるんだろう。記憶は継承される、意識は塗り変えられる、……感情は? 感情もこの世に、記憶に付随するって『世界の管理者』たる男は言ってた。『唯子』に引き摺られてる感は初っ端から在った。譜由彦を信頼する俺は、『唯子』に影響されている部分は絶対在った。じゃ、『俺』も……。
「唯子?」
……いずれ、譜由彦を? 呆ける俺の前に、覗き込む譜由彦の手のひらが翳されてスライドする。きちんと認識してますから、お兄様。
「大丈夫かい? ああ、今のお前に言う言葉じゃなかったね。椰家のことでも疲れているものね。ごめん」
心の底から申し訳無い、みたいに謝罪するから。俺はとっさに「謝らないでください」口から出ていた。
「謝らないでください。ただ、聞かせてください」
「うん?」
「昔の『唯子』が好きだったんじゃないんですか? 今の、『私』でも、」
好きなんですか? ごちゃごちゃ考えていた割に、すんなり出たのはこんな問い。大事じゃない。
好きだったって言われて、たとえば、たとえばだよ? 付き合ったとしても。「昔のほうが好きだった」なんて、言われたら。『俺』には、どうにも出来ないことだから。
譜由彦は刹那瞬きして、笑った。
「“お兄様は、『お兄様』です”」
「へ、」
「目を覚ましてしばらくしてお前が言ったんだよ。“お兄様は、『お兄様』です”“たとえ、お兄様じゃなくなっても、今、私を助けてくださったのは、あなたでしょう”ってね」
……。ああ、言った。冷たくされていて落ち込む『私』へ、追い討ちを掛けるように莫迦なお兄様信者から呼び出しが在って。のこのこ付いて行った私は暴力を振るわれそうになって。
“何しているのかな、そこで”
どこからか耳に入れたお兄様が現れて、信者は慌てて逃げて行った。信者がいなくなると、お兄様も何も言わず去ろうとしたから追い縋って。お礼を言う私にお兄様は“こんな目に遭ってまで俺を慕うお前がわからない。もう俺は、以前のお前の『お兄様』じゃないんだぞ”って苦々しそうにしていた。だから。
“お兄様は、『お兄様』です。昔のようにやさしいお兄様も、今の、戸惑っていらして私に冷たくするお兄様も、皆、『お兄様』です。私がお慕いする気持ちは変わりません。
たとえ、お兄様じゃなくなっても、今、私を助けてくださったのは、あなたでしょう?”
精一杯、伝えたくて。言い募った私に呆れた顔で“ああ、そう”と打ち切って、切り上げていなくなってしまった。だって、お兄様。
お兄様は高校生なのに、私は中学生なのに校舎も違うのに、離れているのに、来てくださったから。この日、生徒会の合同会合も何も無くて、中学に来る予定なんて無かったはずだから。
冷たくしても、気に掛けてくださってる、て思ったから。
お兄様は変わってしまったけど、変わっても私を気にしてくださっているから。
『私』は、今のお兄様を受け入れようと思ったんだ。
「お前が、俺を受け入れたように、俺も、今のお前も好きでいようと思っているよ」
今のお前も好きだよ。やさしい眼で、あったかい微笑で、耳通りの良い声で、臆面もせず言うから。
「……っ」
……くっそぉ、美形め! 最強美形め! 性格は残念なくせに! 脳内で俺は悪口雑言頑張って並べ立てた。でないと、顔の熱が引かない気がした。ああああ、ホスト時代に自分だってやってたことなのに。コレは俺が、『唯子』になって来ているからなのか譜由彦の持ち前の何かなのか。先輩もそうだったけどフェロモンでも持ってんのかよ。魅了系の魔法でも使ってんですか。某悪魔召喚ゲームの夢魔みたいなさ。……やたら掛けて来るよね、あのゲームの夢魔。男キャラが掛かると「ちょ、おま」ってよく草生えた、俺。
「さて、」
俺が、一人で煩悶している心を落ち着かせようとしているのに、譜由彦は帽子を被り直し立ち上がって。
「そろそろ戻ろうか。おいで、唯子」
何も無かったかの涼しい顔で俺に声を掛けた。……この野郎。己は言いたいこと言ってすっきりかい! 何か悔しい。そして今。
「はい、……“譜由彦さん”」
『お兄様』って呼ぶ気がしねぇ……甘い情じゃなくてな! むしろ昏いほうでな!
譜由彦が目を見開いた。俺を瞠視する。俺も何食わぬ顔で立つ。日傘を広げ譜由彦の隣まで歩く。叔母様の真似してみたぜ、ふふん。名前で他人行儀で呼ぶとか無いからな。ちょびっと気が晴れた……が。
「唯子」
呼ばれて心臓どっきーんですよ! さっきとは異なる動悸にびくびくと、さっきとは正反対に顔を青くしつつ。俺は「はい」傘に隠れて返事した。ふふふ。譜由彦のことだもの、意趣返しには感付いて……「もう一度」……へぃ?
「もう一度言ってごらん」
「な、何を、ですか……?」
覗いて来たのが余りに真剣な双眸だったので、軽くパニックする。え、俺、呼んだだけじゃんね。俺が訳もわからず見返すと譜由彦は、今度は言い直した。
「もう一度、さっきみたいに呼んでごらん」
呼ぶ? と思ってまさかアレですか、と思い至る。もしや。
「“譜由彦さん”?」
ぐらいしか心当たり無いんですけど。当たりだったようで譜由彦は笑んで「……うん」と応答して顔を引っ込めた。何だコレ。付き合いたてのカップルかよ! ……違うけど!
仕返しが効力を成さなかったどころか、倍返しにされた感が拭えない俺だった。あ、サンドイッチとかは勿体無いので車中でいただきました、まる!
こうして、俺はまた『唯子ちゃん待遇改善計画』を実行する日常に戻った訳で。
まず鵜坂くんと富山くんに謝られた。んで、梓川さんと他愛無い小競り合いして万事、『白井優李』の『敦来唯子』化は進行中。あー、あとね、噂のメディアクリエイティブ部が取材に来たよっ。何でも、時期生徒会に名前が挙がってるんだって。生徒祭の御蔭って言うか、せいって言うかだけど。へー、って感想しか無い。だって、柄じゃないもん。家が家だし、このところ良い子してるからってのも在るんだろうけど。
須らく予定調和って感じだ。先輩のことも、その後どうしたのか、聞いていない。訊いても、心配させるだけだし。富山くんに至っては、話題に出ることも蛇蝎の如く嫌っていた。何も知らない安房くんが話題にしたとき、凄い形相で「知るか」って吐き捨てていた。ぼへーっと眼で、楽しいこと以外興味が無い富山くんにはめずらしいことだ。
由梨お姉ちゃんの骨は、無事に返って来た。鑑定もした。お姉ちゃんだった。透明ではなく白い骨壷で返されたんだけど、見たら涙が出た。お墓に入れたとき、各務さんは笑ってくれたけどもやっぱり、さびしそうだった。
俺と譜由彦に進展が有るかと言われれば、特筆すべき点は無い。唯一在るとすれば。
「高校卒業前には決めてくれないとね」
と催促されたくらいで。何でも、お爺様は高校卒業後には私の出荷先ならぬ出嫁先を決めたいと考えているのだとか。目下、一番候補は各務さんだろうとは、譜由彦の予測。
「お爺様は懲りているからな。唯子の意思を尊重するとか宣っているが、実際には外に出したくないんだろう」
俺なら問題無いと思うけどね、って言う譜由彦に、どうしてそこまで自信家なんですかと質したい。怖いからしないけれど。従兄妹は法律上結婚出来るからなぁ……。
高校までの期限とリミットを設けられた俺だけど、特に焦ってもいなかった。なぜって、そのころには『俺』は完全な『敦来唯子』になっているだろうから、だ。
高校を卒業するころ、『唯子』ではない『俺』でもなくなっている『敦来唯子』は、何を考え、何を選び、どうしているのだろう。未だわからない。想像も付かない。
ただ、友人に囲まれ、それなりに慕われ、誰かに愛されている現況を手放してないと良いと思った。
周囲をたいせつにして、たいせつにされて、たまに突き付けられた選択に悩んで傷付いて思う存分、普通に一日一日過ごしていられたら良いなって考えていた。
「帰るよ、唯子」
「はい、……譜由彦さん」
アレ以来名前じゃないと反応しない譜由彦に手招きされて、足早で傍らに行く。肌を焼く熱に、きらきら反射して光る葉の緑に、白く漂白されるアスファルトに、もうすぐ夏休みだなー予定いっぱいだなー、なんて。
『俺』は思いを馳せて今日も生きている。
「ね、管理者さん?」
こっそり、仰いで問うと、もう今は視認出来ない『世界の管理者』が、息だけで嘆いた。
【了】
一先ず完結です。ここまでご愛読ありがとうございました。
何れ、また彼女ら彼らを書こうと思いますので、そのときはどうぞよろしくお願い致します。