大船団、川内水軍!
毛利軍は尼子の白鹿城と周りの支城を落とし、残るは富田城と美保関の支城のみとなっていた。
だが元就はむやみに富田城への戦は仕掛けなかった。
徐々に糧道を断ち尼子軍の体力を奪う策である、戦を仕掛けることで無駄に兵達を失うからだ、最小の労力で最大の効果を!
元就の知将たる由縁だ。
その元就は荒隈城で宍道湖の夕日と大山の紅葉を堪能していた。
元就はじっくり構えていたのです。
15000の兵達の滞在費用は石見銀山から潤沢に送られており、何処からともなく商人が集まり、置屋ができ、城下は賑わいを見せていた。
すでに毛利軍は荒隈城に入ってから一年と半年が過ぎていた。
尼子軍にとって兵糧ルートさえ確保できれば、堅固な富田城のことである、
何年でも耐えられる自信はあった。
だが富田城への糧道は美保関の日本海から中海へ通る水道しか残ってなかった。
ここは権現山城、横田山城、鈴垂城と尼子の水道防衛の基城が建ち並び、又対岸には高岡城と堅固な守りになっていた。
権現山城は城主小川石衛門勝久、横田山城は城主秋上伊織之介、鈴垂城は城主亀井秀綱である。
高岡城は(境港市竹内町)武良内匠頭が城主であり、鈴垂城から水道を渡って約5キロほど離れた尼子の支城である。
武良内匠頭は高岡の小さな国人であるが、闇の関銭で莫大な財をなしていた。
領内のとある場所に船溜りを造り、関銭を徴収するのだが、歴代の鈴垂城主と手を組み、ここでの関銭は富田城へは上納せず裏金として貯める仕組みとなっていた。
当然その関銭は鈴垂城主と折半し自分の懐に入っていた。
亀井秀綱が永禄元年より晴久から
森山、宇井、福浦、美保関等の領内守護の命を受けていたが、関銭管理も重要な仕事であった。
実は秀綱もこの武良からの闇銭を受け取っていた。
武良の不正を告発し処分する気概はあったが、歴代の鈴垂城主にお咎めが及ぶことに踏ん切りがつかなかったことと、そのうちに度重なる戦と筆頭家老の立場から、それなりの兵の確保が必要なために鈴垂城の財政が逼迫し始めたために闇銭を受け取らざるおえなかったためだ。
平気で人に責任を架し、黄道色の顔色が不気味で信頼がおけない男と皆は思っており、どうして秀綱が高岡城ほどの大事な城を任せているのか不思議に思っていた理由がそこにあったのです。
そして尼子の将義久は、伊織之介、鹿介、源太兵衛達、尼子近習衆の精鋭部隊と近衆馬廻衆の4000をこの地区へ布陣させていた。
最も義久の策ではない、伊織之介達が志願したのである。
この水道が奪われることが尼子家の終焉になることを皆が自覚していたからだ。
鈴垂城主、亀井秀綱はもはや近習衆の勢いに負け、口出し出来ない状況であった。
秀綱は馬潟原の戦いでの失策もあり、筆頭家老の色はなかった。
逆に伊織之介は心配していた、
奥方に、
「秀綱殿は大丈夫ですか?急に年を取られたみたいです、まだ老け込むのは早いと存じますが、、、」
「はい、いつも弱気なことを申しております、なにせ66歳ですから、このような状況でなければ、とっくに隠居の身、心配でございます、、」
「馬潟原の勢いと比べますと、まるで天と地でございますよ、まだまだ頼りにさせて頂くことがあろうかと存じます。
拙者は秀綱殿には育てて頂いた御恩がございます、秀綱殿の名誉挽回の機会は必ずあると信じております。」
「なにか精がつく物を、、、」
この精気を失った秀綱が後にとんでもないことをしでかすことを伊織之介は知る由もない。
伊織之介は久しぶりに横田山城に帰って来た、11才になったお七は、まだ子供ながらに目鼻立ちがはっきりし、とびきりの美人になりそうな気配があった。
「おぅ、お七久しぶりじゃのう、元気でしていたか? 変わりないか?
おぅ、お守りもちゃんとしているな、
ワッハッハ!」
「ウフフ、、」
伊織之介はお七の顔を見るだけで嬉しそうであった。
お七は横田山城で下働きの世話をしていたが、近くの鈴垂城へ千秋から読み書きを習いに通っていた。
その準備をしていたお七に、
「お七、鈴垂へ一緒に行こう!」
「はい!」
二人は3キロほど離れた鈴垂城へ出掛けました。
途中の権現山城を横切り右手に境港の水道を眺めながら伊織之介が、
「お七、あの旗印の舟は尼子の舟なんじゃ、富田城へ物資を運び入れてるのじゃ、たくさんおるじゃろう、わしはこの光景を絶対なくさんぞ! お七のためにもな、、、」
「はい!」
夏の日差しで水道の海はキラキラ輝いていました。
伊織之介の独り言です。
「この海は、わしに何かを望んでいるようじゃのう、、、」
伊織之介は頭に手をやり、ゆっくり歩いていました、まるで、つかの間のお七との時間を惜しむかのように。。。
その時! 地の底が、
ごぉぉ、ごぉぉ、ごぉっと鳴りました、地震です。
二人はしゃがみ込みましたが、
横揺れの小さい地震はすぐ収まりました、この辺りは小さい地震は度々あるのです。
伊織之介達は何事も無かったように又歩き始めて行きました。
鈴垂城に着くと、千秋がお七を待っていました。
「伊織之介様も一緒でしたか。」
「千秋殿、久しぶりじゃのう。」
「はい、お久しぶりでございます。」
「お七を頼んだぞ。」
っと言ってそそくさと本丸へ入っていきました。
伊織之介は千秋への未練はもうすっかり無かった。
心の中は無色に近かった、どんなことが起きても対応できるように心の整理をしていたのである。
太陽の日差しは力強く、木の葉は瑞々しく生い茂る夏の日、鹿介と千秋は久し振りに鈴垂城近くの山へ登っていた。
「鹿介様、懐かしいですね。幼き頃時子も連れて3人でよく登りました。しかしいつも時子は途中で疲れてぐずりだすので頂上へは辿りつけませんでした。」
時子は千秋の妹である。
「そうでしたね、時子殿は一度泣き出すと中々泣き止まずあやすのが大変でした。ですが今日は念願の頂上へ辿り着けそうです。」
二人は笑った。
木に覆われている道を歩き、澄んだ空気を胸いっぱい吸い込んでいると自分たちの置かれている状況、戦の事、毛利の事、色々な不安を一時忘れさせてくれた。
額の汗を拭い脚が痛くなってきたがもう少し!ようやく頂上へ辿り着いた。
そこから見えた真っ青にどこまでも広がる日本海、そして堂々と鎮座する雄大な大山の姿に二人は暫し感動した。
そして、千秋には今日どうしても鹿介に伝えたい想いがあり、決心してきていたのである。
「きれいな景色ですね、足が痛い事など忘れてしまいます。こんなきれいな景色を一緒に見れて嬉しいです。」
鹿介は笑っていた。
「これらからは近習衆の出番、千秋殿の為にも頑張るつもりです。」
「はい、鹿介様なら必ずや御活躍されると信じております。」
こちらを見詰める千秋が何か言いたそうにしているのに鹿介は気付いた。
「どうかされましたか?」
「はい……」
千秋は一瞬ためらったが想いをぶつけた。
「あの日、鹿介様は一人前になって迎に来ると言ってくださいました。私はその日をずっと待つつもりでおりましたが、今、尼子はお家存亡の危機にあります。
だからこそお願いしたい事がございます。
私と夫婦になって下さいませ、今でないとだめなのです。」
鹿介は驚いた。
「千秋殿、今の状況拙者はいつ死んでもおかしくないのです。そんな事では千秋殿をとても幸せになんか出来ません。哀しませるだけです。」
「ですが約束しました。鹿介様に何が起こるかわからない事も十分に覚悟した上で申しております。
たとえ、一緒に過すごした時間が短かったとしても、私は幸せです。鹿介様と夫婦になれただけで十分なのです。」
千秋の切実な訴えに鹿介の胸は熱くなっていた。
鹿介も千秋と夫婦になりたかった、だが、この状況とても言えないでいた。
「拙者は幸せ者です。本当なら拙者が言わなければいけなかったのに申し訳ありませぬ、夫婦になりましょう!
秀綱殿にお許しをもらいに参らねばなりませんね。」
「はい、すぐ参りましょう!」
千秋は鹿介に抱き着いた。鹿介もしっかり抱きしめた。
山を下りる途中、お地蔵様に二人でお願いをした。
夫婦のお許しがもらえますように!
二人の笑顔にお地蔵様がニコッと笑ったように見えました。
二人は山を下りたその足ですぐ秀綱のもとへ行った。
突然の訪問に秀綱は驚いていた。
「二人揃ってどうしたのじゃ?そんな真剣な顔をして。」
「秀綱殿、今日は千秋殿との輿入れのお許し願いたく参りました。」
「なんとっ!!誠にか千秋?」
「はい、鹿介様との輿入れどうぞお許し下さいませ。」
少しの沈黙の後、秀綱は口を開いた。
「二人の真剣な顔から察するに、今の尼子の状況もわかった上で申しておるのだろう、二人でそう決めたのならわしは反対せん。
鹿介、千秋を宜しく頼む。」
「はいっ、必ずや幸せにしてすみせます!」
鹿介と千秋は顔を見合わせ笑った。
祝言の用意はすぐ整えられた。
ほんの内輪だけのささやかな祝言である。
千秋の白無垢姿はそれは美しく見る者の目を次々に奪っていった。
お七もその一人であった。
いつか私も千秋様みたいな綺麗なお嫁さんになりたい、お七はそう強く願いました。
祝言には伊織之介の姿もあり、二人の結婚を心の底から喜んでいました。
尼子の将義久からのお祝いの手紙も読み上げられ和やかな雰囲気の中、千秋の舞の時間となった。
白無垢姿から一変、鮮やかな朱色に大輪の花が描かれた見事な着物に着替えた千秋が太鼓の音と共に登場し、華麗な舞いを披露した。
それは ''閉月羞花" あまりの美しさに月が隠れ、花も恥らうほどであった。
今まで一番美しく楽しそうで、見惚れる鹿介の目には涙が浮かんでいた。
鹿介は、千秋との幼い頃の記憶を思い出していました。
そして、今日という日を迎えられた事に感謝し、あらためて千秋を必ず幸せにすると心に固く誓ったのでした。
そんな鹿介の涙に気付いた人がいました。
湯新次郎のちの亀井滋矩です。
新次郎は鹿介を兄と慕っており、鹿介が夫婦になるとの知らせを受け誰よりも喜んだ一人である。
「鹿介様、泣いておられるのですか?」
「な、泣いてなどおらん!目にま、まつ毛が入って痛いのだ。おー痛い痛い・・・」
「そうでしたか、御無礼致しました。」
鹿介はありきたりな言い訳を返しごまかしたつもりになっていた。
新次郎はそれ以上何も言わず、涙を拭う鹿介を微笑ましく眺めた。
「しかし、お美しいですね千秋殿は、それにとても幸せそうです。」
「そうであろう、今日は一段と綺麗なのだ」鹿介は惚気た。
夜も更け、祝言もお開きとなり、客人達は家路に着いた。
鹿介と千秋は最後の一人を見送ったあと、ようやく床に就いた。
今日の祝言は皆に祝福されて幸せだったと会話を弾ませているうち、本当に夫婦になったのだと実感がわいてきた。
鹿介は千秋に今日の舞いは綺麗だったと褒めると千秋はとても嬉しそうだった。
そんな千秋を鹿介はとても愛おしく感じるのと同時に、底知れぬ不安が込み上げてきた。
「今までは、戦で死ぬなら本望と命など惜しくなかったのに、夫婦となった今、死ぬのがとても怖いのです。」
鹿介が不安を吐露した。
「尼子は本当に毛利を討ち取る事が出来るのだろうか・・・」
「どうしたのですか、鹿介様。そんな弱気な事を申してはなりません。誰だって死ぬのは怖いのです。
皆同じです。されど、主君の為と勇気を振り絞り戦っているのです。武士として皆と力を合わせて毛利を討ち取るのです。
尼子は強いではありませぬか!必ずや毛利に勝つ事が出来ましょう。」
千秋は鹿介を励ました。
「ありがとうございます、千秋殿にそう言われると勇気が湧いてきます。そうですね、皆で力を合わせれば勝てぬ相手などおりませんね。必ずや毛利を討ち取ります。」
「はい、その調子です。武運をお祈りしております!」
その夜二人の身体は震えていた、歓びの震えであった。
そして、その翌月のことである。
永禄7年1964年9月 に児玉 就方率いる川内水軍が日本海より攻めて来た。
まだ残暑が残る暑い頃であった。
関門海峡を抜け一ヶ月の船旅、途中までは毛利陣地のため各港では大歓迎を受けていた。
いよいよ毛利が中国地方を我が手にする時がきた、期待を込めた川内水軍である。
圧巻の200隻5000人の大船団だ!!
あの厳島の戦いで知られる、陶 晴賢との一戦でも村上水軍と共に活躍した水軍である。
元就の策として、尼子水軍は50艘500人その差は歴然である。
大将に熊谷伊豆守を置き、沿岸より3000の兵で攻め込み、尼子の陸上部隊を混乱させ、川内水軍が一気に尼子水軍を叩き海上制圧をなしとげる。
海上に居座られると兵糧は届かないからだ。
川内水軍が来る時点で読める策である。
もちろん、
川内水軍が日本海沖に来る以前に尼子側は情報を得ていたのです。
近習衆は鈴垂城で軍議を何度となく開いており、秀綱も参加しておりましたが聞いているだけでした。
伊織之介が結論付けた。
「まともに戦っては、我らに勝ち目はない。
沿岸から攻めてくる毛利勢に対し、城は守れても川内水軍からの水道は守れない。
水道の幅はとてつもなく広い、鉄砲や矢は届かない。
しかし鉄砲隊には一番幅の狭い森山付近での攻撃に備えてもらう、
鉄砲隊とその援護部隊の頭に源太兵衛に頼む。
次の策として、
地の利、潮の利はこちらにある、
小さい舟で暗闇に乗じて一隻一隻、わしらが束になって夜討ちをかける、敵の船一隻に対して、わしらの舟三艘が一気に襲いかかるのじゃ、岩場の陰に隠れておれば見つかることはなかろう。
ただ敵の何倍もの舟が必要じゃ、、、
秀綱殿、義久様へ進言して下さらないでしょうか?
富田城下へ小舟の製造を急いで頼むと、10日で300艘でございます。」
「うむ!分かった。 皆この策でよいか?」
「はい!」
そして、尼子義久は了承した。
城下の者、農民達は一斉に昼夜を問わず小舟製造に取り掛かることとなった。
鈴垂城下でも総出で小舟製造に取り掛っていた。
近習衆も山から木を切り出し懸命に働いた、8月の炎天下である、吹き出る汗が削ったばかりの木肌に染み込んでいきました。
鹿介が、
「伊織之介殿は大した人でございます、この情勢に於いて冷静でございます、恐くないのですか?」
「ワハッハ!恐いのは通り越したわ!
やりたい様にやるのじゃあ!!!
だがな、鹿介わしらの腕を見せる時はこれからぞ!わしはただでは死なんぞ!ワハッハ」
「ハハハ〜」
それを見ていた湯新次郎は何故か深々とお辞儀をしていました。
「新次郎、お前は真面目な奴じゃのおぅ」
と再び二人は大笑いを繰り返していました。
富田城下より次々とそして又次々と飯梨川を下り中海を通り水道まで小舟が運ばれて来た。
富田城付近の山々はすっかり切り倒された姿になっておりました。
それを薮の中へ隠し着々と計画は進んでいた。
川内水軍が来るまで、およそ後3日、
水道の海は相変わらず穏やかだった。
ただ時折、小さな地震が起きていた。
鈴垂城では、最終の軍議が開かれていた。
伊織之介、源太兵衛が布陣の詰めを指示していた。
「わしらの水軍は三手に分かれ闇夜に出陣する、その数2000」
「源太兵衛は沿岸からの毛利勢に対処してもらう、その数500、森山で鉄砲隊300は待機」
「武良殿は高岡城で伯耆勢からの守りをお願いします、武良殿の手勢500と援軍500で良いですな。」
「500!? 1000は頂きたい!」
「伯耆勢ですぞ、500位しかいないはず。」
「いや!1000じゃあ!敵は海千山千」
「分かりました、1000で、、、」
武良は闇の関銭人である、その事は皆知っていた、相手にすると面倒な事になると伊織之介は分かっていた。
秀綱はうつ向いたままだったので、
伊織之介が、
「本体の水軍の数を減らす、わしらが一人十人力でやるしかないのじゃあ!
まずはわしが何百何千の毛利どもを斬ってしんぜよう!わしに出来ないことはないのじゃあ!わしを見ておれ!」
伊織之介にとって水軍をおさえてしまえば勝ち目はあると踏んでいたはずであるが、それより伊織之介の一人よがりの闘争心に皆唖然とするばかりであった。
いよいよ川内水軍が明日にも襲来する前夜のことである。
すでに各隊の陣形は整えてあった、尼子の実質的な大将の伊織之介は秀綱と鹿介と共に鈴垂城本丸にいた。
伊織之介が
「秀綱殿、いよいよでございます、
拙者はこの状況下での戦はこちらに分が無いのは理解しております、
しかし尼子家近習衆は決死の覚悟で戦うことの所存でございます、
しかも拙者は何か起こりそうな予感はございますが、あくまでも予感でございます、
秀綱殿、戦況に応じて鈴垂城とその付近の支城の尼子家所縁の者と富田城へお逃げくださいませ、
護衛として馬廻衆200をこの城に待機させてございます。」
「伊織之介!」
「秀綱殿は義久公をお守りして頂く使命がございます、秀綱殿あっての尼子家でございます、尼子家の最後を見届けて頂きたく思います。」
伊織之介の目はまっすぐに秀綱をみていた、あまりにも堂々とした姿はオーラを放ち輝いていた。
秀綱は泣いた、鹿介も泣いた、本丸にいた全員も泣いていた。
ただ伊織之介の目には涙は無かった、
あるのは希望だけだった。
そしてついに、日本海から川内水軍が200隻5000人の大船団でやって来た。
日本海の潮風にいくつもの毛利の旗印が勢い良くなびく姿は圧巻であった。