尼子対毛利、決戦開始!
永禄5年 1562年6月 石見銀山を守る本条常光が毛利方へ寝返ったことを合図に尼子家中は慌ただしくなっていきます。
「いよいよ、毛利が来るぞ!」
「今こそ、尼子の強さを!」
秀綱率いる、伊織之介、立原源太兵衛、鹿介(結局、甚次郎は山中家で16歳の時、元服をしている、名を山中鹿介)達、秀綱軍一同は士気が盛り上がっており。
「毛利なにするものぞ!」
「積年の怨み今こそじゃあ!」
伊織之介だけは、千秋に振り向いてもらいたいためか、異常なほどの入れ込み様であった。
「先陣はわしじゃあ!」
「手柄はわしじゃあ!」
だが、鹿介は負けず嫌いの男である、
伊織之介には絶対負けまいと思っていたはずである。
それは千秋のためにも、、、、
その7月、毛利元就は15000の軍勢を従え吉田郡山城を出発した。
出雲侵攻の途中に寝返った本条常光とその一党を暗殺し石見銀山を手に入れ、中国支配の経済的基盤を確立した。
12月には荒隈城に(松江市宍道湖湖畔)に陣を置いた。
荒隈城は総構えの堅固な平山城で、
本丸はもとより、二の丸、三の丸、ニノ城までも持ち持久戦に持ち込む供えは万全であった。
眼下には宍道湖が一望でき、宍道湖水運も征圧していた。
元就の好きな椿を一面に植え、2月頃の満開を楽しむ余裕もあった。
元就はこの荒隈城から眺める大山の景色が好きだった、(中国地方の最高峰)雪を抱いた大山は富士山に勝るとも劣らぬ雄大な姿で、山岳信仰の山であり毛利軍の無事を祈っていたと思われます。
当然、元就は持久戦に必要な補給線の確保に重きを置き、時には武力で時には謀略を使い徐々に荒隈城まで侵攻していったのです。
一方の尼子軍は指をくわえて見ている訳ではありません。
鈴垂城(松江市美保関町森山)の亀井秀綱も尼子の将義久と軍議を重ねており、(この時、尼子の将は晴久の死により、嫡男の義久が家督をついでいた。)
尼子十旗と呼ばれる支城網に応援をやり、時には奇襲を、時にはゲリラ戦をと応戦を繰り返しましたが、
元就率いる毛利軍は吉川元春、小早川隆景達の強力布陣で怒涛の進撃の前に
相次いで落城してしまいました。
鈴垂城の秀綱は伊織之介達、家来衆を呼び、
「毛利の軍勢はそこまで来ておる、
わしらは富田城で待ち構えることとする。
ここは手島四郎三郎に任す、皆よいな!」
いよいよ富田城決戦突入か!
全員に緊張感が溢れていた。
その数時間後、移動支度をしていた、
伊織之介は横田山城にいた。
庭では8才になった、お七と4才の千後之進が遊んでいた、千後之進は秀綱の息子である、秀綱が65才で授かった待望の嫡男であった。
千後之進は乳母との散歩に横田山城に度々来ていた。
「これっ!お七、千後之進様に乱暴したらだめじゃ!」
「だって、鈍間なんだもの」
「それを言ったら、だめじゃ!」
「いいか、皆と一緒のように接するのじゃ、そして待ってやるのじゃ、決して乱暴はだめだぞ!」
「はい、申し訳ございません」
「お七、わしは富田に行く千後之進様を頼んだぞ!」
千後之進は知恵遅れだった。
秀綱にとっては気がかりな事であったと思います。
横田山の満開になったヤマザクラは尼子の行末を思い精一杯の花を咲かせていました。
永禄6年 1563年8月、毛利元就は白鹿城攻撃に入った。
元就の嫡男隆元の死が合図だっかもしれません。
九州から尼子攻めに参加する途上、安芸で急死したのです。
訃報を耳にした時の元就の悲嘆は尋常であり、又毛利軍全員が涙を流し、対尼子戦が隆元の弔い合戦と逆に士気が上がってきたのである。
その時の元就は宍道湖に沈む夕日があまりにも綺麗で崇高な眺めに勇気ずけられていました。
白鹿城は標高150Mの山城である、(松江市法吉町)
荒隈城からはなれること4キロほどである。
尼子十旗で最も重要な城で富田城防衛の上で島根半島一帯は軍事拠点となっていたため鉄壁の要害を造っていた。
険しい山々が連なり、数々の壘をめぐらせ難攻不落を誇っていた。
城主には尼子晴久の妹婿松田左近が、それに兄弟の兵庫之頭、三郎二郎と手勢1000人、牛尾太郎左衛門率いる富田の援軍800人で立て籠もっていた。
本城より300M先の小白鹿城に三郎二郎を配備した。
対する元就は吉田郡山城からの15000の兵と伯耆の杉原盛重ら毛利勢、毛利方についた国人衆の5000人で白鹿城をぐるりを囲み、吉川元春は向いの真山に真山城を築き陣を張った。
いよいよ総攻撃である。
太鼓を合図に全方向から戦を仕掛けてきた。
隆元の弔い戦であり、隆元のために遺された者のなす行為は尼子を倒すことである、毛利軍は必死で闘った、数々の兵は涙をこらえながら。
その結果、三郎二郎の小白鹿城はなんなく陥落し、迎え撃った尼子の兵達も多数の戦死者を出してしまった。
しかし本城の白鹿城は険しく細い山道に数々の土塁に阻まれ、尼子軍が守備を厳重にしたこともあり、
容易に攻め落とせなくなっておりました。
元就は兵糧攻めに切り替え、白鹿城の松田左近は富田城からの援軍待ちの状態となりました。
そして、
富田城の尼子の将、義久は家老近習衆を集め軍議を開いていた。
義久は開口一番。
「毛利の軍勢に我々の支城が落とされたが、白鹿城だけは是非とも守らなければならない。
その白鹿城は今籠城の構えにいる、今こそ尼子が総動員を尽くし毛利を国境まで撃退させなければならぬ。
元就を敗走させることにより、毛利についた国人衆を尼子側につかせ逆に吉田郡山城に打ってでることとなろう!
ここが大勝負ぞ!尼子の意地をみせて進ぜよう!」
若い義久は熱くなっていた。
家老近習衆も同じであった。
そこで、秋上伊織之介、山中鹿介、立原源太兵衛達が、
「この度の白鹿城援兵におきましては、大切な戦となっており、もう失敗は許されません、我々近習の者に先鋒を賜りたく思います。
我々300人あまりが先鋒となり決死の覚悟で毛利軍を混乱させますので、その隙に家老衆の方々が横腹を突いて頂きます。
乱れた軍勢を一気呵成に打ち負かしてくださいませ。
数の上では毛利方にかないませぬ、正攻法では勝ち目がありますまい。」
近習衆で敵陣深く入り込み敵の隊列を乱し混乱させる策である。
捨身の熱き思いである。
と同じに尼子軍の敗北続きに対して家老衆への憤慨が噴き出していたのです。
これを聞いた筆頭家老の亀井秀綱がカチンときた。
(近習者が、100年早いわ! わしらあっての中国の雄、尼子ぞ!)
だが秀綱は抑えた、そして冷静に言った。
「先陣の申し出、立派であるが近習の少数でひとたび崩れると、本体まで崩れることとなろう、その上、合戦の経験が浅い近習衆がこの重大な局面で先陣をつとめるなど笑止千万!
我々家老は戦のかけ引きに十分慣れている、今度こそは義久公に勝ちを御覧に入れることとなかろうぞ。
近習衆は合戦のなかばの折を見計らって討って出ればよい。」
伊織之介達は言葉が出なかった。
ただ悔しさで手が震えていた。
義久が
「それでよかろう」
で決まった。
かくして義久の弟倫久を総大将とし、家老衆率いる7000人の第一陣と、近習衆と近衆馬廻衆3000人の第二陣、総勢10000人余の援軍は永禄6年9月に富田城を出発し、馬潟原(松江市)の決戦の場に布陣した。
対する毛利軍は小早川隆景を大将に吉川元春、杉原盛重、三刀屋弾正左久祐、熊谷伊豆守、天野民部小輔らで対峙した。
早朝になり、倫久が軍配を振るった。
倫久の軍配が朝靄を切り裂いた。
「行けー!」
秀綱ら家老衆率いる尼子軍は馬を出し、弓や鉄砲を打ちかけ、ときの声をあげて戦を仕掛けた。
しかし押しては毛利軍は引き、押しては引きを繰り返すばかりであった。
さすがに尼子軍は深追いはしない、罠の可能性があるからだ、しかし一向に毛利軍は応戦してこないのである。
いろいろ手段をつくしておびき出そうとしたが、戦を始めそうな気配がまったくなかった。
やがて午後4時頃になり、尼子勢はいら立ち罵声をあびせたりしていたが、退屈した尼子勢は気合いが抜けてしまっていた。
秀綱が
「毛利は引きつけて奇襲をかける策であろう、我々は深追いをしなかったために毛利の策に乗らなかったのじゃ。
今、我が方は気勢が落ちてしまってる、今日はこれまでにして、明日は早朝より出陣し軍勢を二つに分け奇襲の奇襲を仕掛けるのじゃあ!」
「良いですな、倫久殿」
「うむ、」
そして倫久は撤退を命じた。
その時!
軍勢が引き始めた様子を見た小早川隆景が動いた。
「今こそ好機、行けー!」
太鼓が鳴り、貝を吹き、鐘を打つと同じに矢を放ち、鉄砲を打ち、砂塵を舞い上げ一気に攻めこんだ。
元就の謀の真骨頂である。
虚を突かれた第一陣はもろくも崩れた。
逃げまどう尼子軍に一気呵成に襲いかかる毛利軍!
戦況は火を見るまでもなかった。
ここぞとばかりに尼子の重臣の首を狙う輩が怒涛のごとく中央突破を仕掛けてきた。
秀綱ら家老衆はたじたじとなったが、第二陣の伊織之介、鹿介らが救援に入り命からがら退去したのである。
伊織之介、鹿介達はしんがりを務め、追撃してくる毛利軍と戦い、烈火のごとく伊織之介は槍を振い、鹿介は誠久愛刀だった常光で豪快に敵をなぎ倒していった。
もはや家老衆ではだめだ!
わしらが何とかせねば!
危機感と怒りで槍と常光はみるみる血に染まりました。
この戦いで尼子軍は二百余名の戦死者を出し富田城へ撤退したのである。
秀綱の生涯最大の失策である。
自分の読みを過信しすぎたのである、
せめて元就の策を仮説に持っていれば、第一陣が撤退すると見せておきながら第二陣が待ち伏せする策も講じて置くべきだった。
この敗戦は尼子にとって大きな痛手となった訳です。
もし勝っていれば、その後の尼子家滅亡はなかったかもしれないからだ。
馬潟原の戦い。。。。
それは尼子終焉のカウントダウンだったのです。
そして、白鹿城内では味方の敗戦に落胆していた。
すでに籠城は40日を越えていた、ある者は毛利に寝返り、ある者は富田城へ逃げ帰り、兵糧も尽き果てかけていた、すでに水の手は切ってあり、援軍は期待できず落城はすぐそこまでの状態であった。
当初は1800人いた兵達はすでに500人に減っていた。
城主の松田左近は本丸に篭り、一日中イライラしていた。
「富田からの援軍はまだか?
良い策はないのか?このままでは、わしは毛利に首を跳ねられる!死ぬのは嫌じゃあ!」
弟の兵庫之頭は頭を抱えていた。
この後に及んで頼りない兄者だ、武将の誇りはないのか、、、、、
「お前さま、しっかりしなさい!
なんて嘆かわしい、この乱世、何があるか分からぬのではありませんか!!
最後の最後まで諦めてはなりませぬ。
家臣家来衆はお前さまを信じているのですぞ!」
奥方の千歳が一喝した。
千歳は元就の好敵手であった尼子晴久の妹である、晴久が将であった時には結局、元就は石見銀山を落とせなかったのである。
千歳は出雲の国人であった松田家と政略結婚をさせられたのであった。
松田左近は千歳がしっかりし過ぎていて、明晰であり、二言目には尼子の名誉を言い出すため、ほどほどウンザリし多数の側室と酒にのめり込む日々を過ごしていたのです。
政務は弟達に任せていたため、いざと言う時頼りないのは仕方が無いことかもしれません。
左近は、
家臣家来衆がわしを信じている?
そんな馬鹿な、皆んなお前の顔色を伺っているのだぞ!っと思っていたが、
「承知」と答えた。
「お前さま、兵糧も残り少なくなっております、私どもも倹約に尽くすのです、側室達は放免しますよ。」
「うむ、、」
「兵庫之頭、皆に伝えるのです、
今の辛抱が必ず報われることとなります、木の実、木の皮、土に至るまで、なんでも口に入る物は食し耐えるのです!」
「はっ!」
名君晴久の妹である、負けることなど一切思っていなかった。
この時、千歳は35歳、左近は34歳、夫婦になって5年ほどだった、2人には子は無く、夫婦の関係も皆無だった。
対する元就はただの兵糧攻めではなかった、たえず小競り合いを繰り返すことで白鹿城の兵達の精神状態を疲弊させていた。
それから20日後のある夜、千歳は本丸の隣りの月見御殿にいた、心地よい秋風が頬をなでていたが、それを感じる余裕はなかった。
その時、男の囁く声がした、
「千歳様」「千歳様」
声の方へ目をやると、泥で汚れた黒装束を着た伊織之介が木立の陰に隠れていた。
伊織之介は白鹿城をぐるりと囲む毛利勢の目をかいくぐり、険しい西ノ谷から忍んできたのです。
目的は秀綱の命を受け千歳を救出することであった。
秀綱を始め、晴久に恩義のある者は沢山いた、せめて千歳だけでも助かることを皆が望んでいたからだ。
最も松田のことはどうでも良かった。
伊織之介はその事を千歳に告げた、
だがもう一言告げなければならなかった。
「周りは毛利勢に囲まれており、
西ノ谷からの道しかありませぬ、しかしこの道は女手では険しすぎて千歳様では無理かと存じます」
「秀綱殿の命を受けたからには、この伊織之介一命に替えても千歳様をお助けする覚悟でしたが、残念でなりませぬ。」
伊織之介は泣いていた。
「もうよい! 泣くでない!
武者で名高い、伊織之介がおかしいぞよ」
「私くしは覚悟はできてます、けっして毛利の辱めは受けません、兄
の名を汚すことは断じてありませぬ。」
「伊織之介、私しのお願いを聞いとくれ、この白鹿城はもうすぐ落ちるでしょう、私しは自害します、介錯をお願いします。」
「拙者がですか?」
「お主なら本望です!」
伊織之介は大声で泣いた。
千歳も又泣いていた。
それを聞いていた、侍女達もすすり泣いていた。
伊織之介はしばらく白鹿城にいることとなった。
兵糧はすでに底を突いていた、さすがに左近は覚悟を決めていた、あとはいつ開城するかだった。
そして、ついにその日がやってきた。
千歳はいつものお気に入りの散歩道を侍女と共に歩いていた。
柔らかな日差しの中、今日もシダは光を浴び風に揺れていた。
それを横目に見ながら千歳もまた頬に当たる風を感じていた。
こうやって歩くのも今日で最後か…
山々の青々とした色、鳥たちの羽ばたく姿、可憐に咲く草花、それらを目に焼き付け一歩一歩踏みしめるように歩いた。
本丸に戻ると白装束に着替え、最期の時を迎える準備を整えた。
心は落ち着き穏やかだった。
左近も白装束に着替え隣に座っていた。
そして、毛利の立会人3名と伊織之介が静かに見守っていた。
「お前さま、私しは幸せでございます、これでやっと夫婦になれた気がします、あの世では何の気兼ねなく、2人で楽しくすごしましょう!」
「千歳!!」
「伊織之介、、、お前は伊織之介らしく生きるのですよ、晴久殿が何度となく仰ってましたよ、あいつは尼子を変える男だと、何をしでかすか分からない魅力があるとね、今のお前は晴久殿が望んでおられた、伊織之介ではありませんぞ! 遠慮は禁物!」
「はっ! ありがたきお言葉ありがとうございます」
伊織之介は目が覚めた気がした。
千歳の言葉に一気に視界が広がった。
そして千歳は左近に目で合図した、、、、、
左近の最期を見届けた千歳はなんの迷いもなく小太刀を腹に突き刺した。
みるみる手が血に染まる。
伊織之介はすぐさま後ろから首を切りつけた。千歳は前のめりに倒れた。
立派な最期だった。
千歳は南天の赤い色が好きだった、
今でも白鹿城本丸付近には名誉を守り誇らしく死んでいった千歳の壮麗な思いからか、鮮血のような鮮やかな赤い実の南天が風に激しく揺れてる。
11月白鹿城は落城した、70日間の籠城であった。
伊織之介は富田城への帰路にいた。
なにか清々しい気持ちであった。
お前らしくか、、そのとおりじゃな、、悔いなくやってやろうぞ!
と心に思いながら天を仰いだ。
今にも手が届きそうな、どんよりとした雲が流れていた。
「秀綱殿、只今帰りました。
千歳様は松田左近殿と自害を覚悟されておりました。そのおり拙者が介錯をし、立派な最期を見届けて参りました。」
「そうか…。千歳殿らしいな、なんと潔い。さすが晴久公の妹君じゃ。ご苦労だったの伊織之介。ゆっくり休め。」
その夜、城下で伊織之介は鹿介、源太兵衛、横道兵庫之介、亀井茲矩らと酒を飲んでいた。(後の尼子十勇士達?)
「千歳様は立派であった、見事であった」
「うむ、、、」
「わしらは、最後まで義久殿に忠義を尽くす覚悟はできている、だがな、悔いは残したくない、分かるか?鹿介」
「悔いとは何ですか?」
「わしらが、やりたい様にやることじゃあ!」
「大きな声で言えんがな、義久殿を始め家老衆は過去の経験でしか判断できない、乱世はすさまじく動いているのじゃ、早さに付いていけるのは、わしら若い者だけじゃ。分かるか?鹿介」
「そんなことが出来るのですか?」
「経久公、晴久公が築いた尼子を末代まで残すためじゃ、いいと思ったら、わしは何でもする覚悟ぞ!」
「皆、良いな!」
「おぉー」
「鹿介、良いな!」
「はい!」
この時、山中鹿介19歳であった。
いよいよ秋上伊織之介23歳、人生で最大の功績をあげる弓ヶ浜決戦に突入!