千秋と甚次郎と甚介
1557年 甚次郎12才(後の山中鹿介)
亀井家に入って3年がたった、
甚次郎は、富田城下の亀井屋敷にて、
日々鍛錬を重ねていた。
小さかった背も年を追うごとにずいぶんと伸び、引き締まった身体からは、
筋ばった胸板が見え隠れしており、
幼かった顔立ちも鼻筋が通り、口元が真一文字に引き締まった顔は美男子そのものでした。
元々正義感が強く、気配り、人を撫するのに公平な態度を身に付けていきました。
武道、剣術、兵法、漢学を学び中でも剣術は熱心に取り組み指南役からも期待されていた。
毛利への復讐の使命感、尼子家繁栄の
野望があったが、甚次郎にはある特別な思いがあった。
それは、尼子家に伝わる常光(刃渡り4尺の長刀で、黒金の分厚い刀身)を使いこなす事だった。
常光は元々、尼子きっての武道派新宮党の尼子誠久が愛用していた刀だった。
晴久による新宮党壊滅計画により斬死した誠久の形見として、秀綱がひそかに亀井家に保管してあったのです。
甚次郎は幼い頃、剣術鍛錬中の誠久がこの常光を使っての鬼気せまる姿が目(耳)に焼き付いてはなれなかったのです。
「ブゥーン、ブゥーン、ブゥーン」
刀から発っせられる音があきらかに違い、周りの木の葉がそれに合わせて揺れる様は、甚次郎を釘ずけにしてしまいました。
鍛錬が終わった誠久が、
「おぅ、、、甚次郎なにを突っ立っておるのじゃ、口が空いてるぞ!
お前がこの常光を使いこなせるようになったら、そちに遣わそう、
それまで精進するのじゃぞ!!」
「はい!」
「ワハハハハー!」
大声で笑いながら誠久は井戸の方へ向かっていきました。
その後、甚次郎は常光への憧れ、毛利への復讐の使命感、尼子家繁栄の野望を持ちながら日々鍛錬を重ねていくことになります。
そして、
ある日の亀井屋敷でのことである、
「えいっ!!」
千秋は甚次郎の背後から頭へ竹の棒を勢い良く振り下ろした。
「痛っっ!」
竹の棒はみごと頭へ命中し、剣術鍛錬をしていた甚次郎は頭を抑えながら後ろを振り向いた。
そこには、竹の棒を握り締めた千秋が立っていた。
「そんなスキだらけじゃ立派な武将になれないよ」
と優しく笑いながら千秋は言う。
「姉様、急に後ろから卑怯です!」
甚次郎は悔しがっていたが、顔は笑っていた。
甚次郎と千秋は姉弟である、最も甚次郎は亀井家に養子入りであるから、血はつながっていない。
甚次郎より二歳年上の千秋は、いつも笑顔で煌めく美貌を持っていた、
そして弟甚次郎のことを気にかけ見守っていた、分からないことも教えてくれる聡明な娘であり、
和琴や踊りも稽古しており、なかなかの腕前で教養もあり、父秀綱の自慢の娘だった。
秀綱は千秋に甚次郎の食事の作法を教えるよう命じていた。
それは、食事の作法で本来の礼儀が生まれるからである、秀綱は幼い頃から徹底的に教えこまれ、千秋、時子の娘達にも教えこんだ。
それは、武家にとっての修行であり、食事の作法の裏に見えるのは人格、
慈愛、教養があるからである。
甚次郎は武闘集団の新宮党の生まれで
あるが一様の礼儀は会得していた、
ただ食事の作法はでたらめであった。
食事の姿が美しい、それが本来の武士の姿なのである。
「甚次郎、目上の人が箸を持つまで待つの!!」
「姿勢が悪い!」
「迷い箸しない!」
「飯と汁とおかずは交互に!」
「はい!」
「刺し箸しない!」
「汁は音を立てない!」
「食事中はしゃべらない!」
「はい!」
「手の平で椀を受けない!」
「魚の食べ方がだめ!」
「箸は先だけ使う!」
「はぁい、、」
「大口で食べない!」
「○○○!」
「○○○!」
「ふ~~、、」
「甚次郎、なにその返事! そなたの為を思って、、、」
「姉様、すみません、、、」
こうして、甚次郎は千秋に作法の教育を受ける日々が続くのであった。
いつしか、甚次郎は千秋に姉として慕う以上の感情を持っいた。
いつか千秋みたいな人と夫婦に、、、
甚次郎にとって千秋は理想の女性になっていたのです。
永禄元年 1558年より秀綱が美保関等の領内守護の命を受けたため、家族で鈴垂城へ引っ越すこととなったが、
甚次郎は富田城下の亀井屋敷に残り日々鍛錬を重ねていた。
甚次郎には兄がいた、
山中幸高で山中家の嫡男である。
山中を継いでいたが病弱なため武勇もなく、山中家の今後が心配されていた。
富田城下では幸高を仏門に入れ、甚次郎を呼び戻し山中で元服させてはどうかを話し合われていた。
鈴垂城にいた千秋もこの噂を耳にしていた。
亀井家の当主を秀綱から譲られ、
立派に引き継がれるものと思っていたし、そのつもりで接してきたが山中家の事情もあるし、複雑な想いで聞いていたが、まだ決まったことではないのであまり考えないようにしていた。
それは、寂しさで胸が一杯になりそうだったからである。
一方の伊織之介。
伊織之介の元服前の名は甚介である。
甚介と千秋は幼なじみである。
家が近い事もあり二人は毎日のように遊んでいた。
草むらの中を転がるように走り回り、川で石をひっくり返し逃げるサワガニを捕まえたり、石合戦をしたりと、色々な事をして遊んでいた。
ある時、甚介が木登りをした。
千秋はそれを下から眺めていた。
「千明も登っておいで!」
「甚介様、恐いから嫌です!」
「弱虫者!」
「怖いかどうか、登ってみなければ分からぬではないか!」
そう言われ、千秋は迷ったが意を決して木にしがみつき登ってみた。
しかし、やっぱり上手く登れずドサッと大きな音を立てて木から落ちてしまった。
「きゃぁっ!!」
「千秋大丈夫か?!」
甚介はすぐさま木から降りてきた。
泣く千秋を助け起こし、着物に付いた土を払ってやった。
甚介は千秋をなぐさめおぶって家まで送る事にした。
しばらくすると千明の涙もとまり、ふと話した。
「あたし、大きくなったら甚介様のお嫁さんになる」
「えっ本当か千秋?」
甚介はその言葉に驚いたが同時に嬉しかった。
「うん本当。だって甚介様が大好きだもん」
「わしも千秋が大好きだ、約束だぞ、大きくなったら夫婦だ」
「うん!」
夕闇とともに肌寒くなってきた帰り道、しかし二人の心は明るく温かかった。
大きくなってくると、お互いに稽古事をするようになり幼いときみたいに遊ぶことは減っていった。
しかし、2人の心はあの時のまま変わらず想い合っていた。
千秋が舞を披露するお祭りの時には甚介は必ず観に行っていた。
美しく舞う千秋にいつもみとれていた。
舞い終わると千秋は甚介のところへやって来る。
「甚介様っ!」
「おぉ千秋、この度の舞いも素晴らしかった。千秋が1番上手だったぞ」
「本当ですか?毎日毎日練習しました。そう言って頂けると嬉しいです。」
二人は笑いあった。
いつも会えるわけではないので二人は色んな事を話し合った。
それはとても幸せな時間だった。
でも千秋はこの頃には分かっていた。
武将の娘として嫁ぎ先を選べない事を。
甚介とは結ばれることはない事を、、
1559年10月、鈴垂城(松江市美保関町森山)
城内では伊織之介、降露坂の戦いでの戦功の宴が始っていました。
宴は伊織之介の手柄話しで盛り上がり、飲めや唄えでさらに盛り上がっておりました。
千秋が舞の準備で支度部屋に向かおうとした時、廊下で侍女に肩に手をかけ、耳元でささやき口説いてる風の男がいました。
伊織之介でした。
千秋は慌てる様子もなく、
「伊織之介様、この度はおめでとうございます。」
伊織之介は、はっ!とし、急ぎ手を戻しながら、
「おぅ!千秋殿、久しぶりじゃのぅ」
「どうじゃ、わしは手柄を立てて来てやったぞぅ」
「相変わらず、きれいじゃのぅ」
「どうじゃ、宴に戻ってわしに酌でもしてくれんかのぉ」
伊織之介は慌てた様子で途切れ、途切れで話してましたが、
「わたくしは舞の準備がございますので、失礼します、」
「うむぅ!」
伊織之介は富田城下では、すっかり時の人となっていました、侍女、町娘、農家の娘等が噂し、隙あらばと思っている娘達も多く、夜遅く忍びこむ娘もいたほどであった。
骨太で筋肉質、精悍な顔にこの度の活躍である。
娘達も調子にのっていたが、
伊織之介も調子にのっていました。
武士の本懐は主君のために日々精進すること。
19歳の伊織之介の心に、手柄を立てることで自分を褒めてほしい、人より目立つ存在でありたいと言う欲が出ていたかもしれません。
「なあぁ、お七、伊織之介様はいつからあんな風になられたのですかね~」
お七は伊織之介が山吹城下から連れて帰った身寄りのない娘のことである。
不憫に思っていた千秋は、お七を横田山城から鈴垂城へ度々と遊びに来るように招いていたので、仲良しになっていた。
「うん。」
「お七は分からないか!」
「そのうち気付かれるでしょうね!」
「お七、私が今から舞を踊るからしっかり見ておくれよ!」
「うん!」
千秋はあの時の伊織之介との幸せな時間を、ふっと、思いだしていました。
そして、
甚次郎は伊織之介の戦功の祝いに鈴垂城に前の日から来ていた、亀井屋敷の門前で、甚次郎と千秋は一年振りの再会である。
この一年のさらなる精進の賜物か甚次郎はさらに逞しくオーラを放ち、顔立ちからは教養があふれており、所作には自信があふれておりました。
すっかり驚いた千秋は
「甚次郎!」
「いや甚次郎様、しっかり精進に励んでますか!」
「はい!姉様、お久しぶりでございます!」
「はい!今日の夕げは久しぶりに一緒ですよ、お作法は大丈夫ですか?」
「無論です」
亀井屋敷の庭に咲く、満開のきんもくせいの橙黄色が風に揺れまぶしく見えたのは、千秋の心の姿だったかもしれません。
宴の日の昼下がり、
甚次郎は前の海で魚釣りをしていた。
水道には荷物を積んだ船が往来し、岩場には小さい波が立ち、秋の柔らかい日差しが甚次郎をのんびりさせていました。
「えいっ!!」
千秋が竹の棒で甚次郎に後ろから斬りかかりました、
とっさによける甚次郎!
今の甚次郎にスキはない!
空を切った瞬間、千秋が足を滑らせてしまい。
「あっ!」
とっさに甚次郎は千秋を抱きかかえました。
見つめ合う二人。。。。。
「ドキッ、ドキッ!」
二人の鼓動が聞こえるようでした。
「甚次郎様、ごめんなさい」
「いえいえ姉様、大丈夫ですか?」
しばらく沈黙し、、
「中山で元服する話しは本当か?」
「兄上はずっと床に伏せっておられる、おそらくそうなると思います」
また二人は沈黙のままだった。
知らぬ間に、秋の日差しは雲に覆われ、波の音だけが虚しく繰り返しておりました。
宴が終り、床についた千秋は激しい虚無感に襲われていた。
それは、胸の思いの一番重い部分が現実となりそうだったからだ。
「甚次郎、、、」
「甚次郎、、、」
とずっと繰り返しつぶやいていた。
陽が昇り朝が来た。
千秋は床の中から出れずにいた。
中々起きてこない千秋を心配し、侍女が障子の前から声をかけてくる。
「千秋様、どうされたのですか?起きてこられないので秀綱様も心配されています。」
「何だか気分がすぐれないのです。もう少し寝かせて下さい。」
「それは大変です!すぐ医者を呼んで参ります!」
「待ちなさい、寝ていれば治ります。心配は要りません。」
「ですが…」
「大丈夫です。父上にもそう伝えて下さい。」
「わかりました。」
千秋はそのまま深い眠りに入っていった。
それから間もなく、鈴垂城に伊織之介がやって来た。
秀綱に昨夜の盛大な宴のお礼を言うためだった。
というのは建て前で、本当は千秋に会いに来たのだ。
「秀綱殿、昨夜は拙者の為にあのような盛大な宴を開いて頂きありがとうございました。一言お礼を申し上げたく参りました。」
「わざわざ参らずとも良いのに。律儀なやつじゃな」
秀綱は嬉しそうだった。
「あんなに愉しかった宴は記憶にないほどで、千秋殿の舞も素晴らしく見とれてしまいました。」
「毎日稽古に励んでおるからのぉ」
「千秋殿にもお礼を申し上げたいのですが、今どちらへおられるのですか?」
「千秋は今床に伏せておるのじゃ。病ではないようだが、気分がすぐれぬようでまだ起きて来ぬ。」
「どうされたのでしょうか、拙者が様子を見て参ります。」
「うむ、元気づけてやってくれ」
伊織之介はいそいそと千秋の部屋へ向かった。
「千秋殿、ご免入るぞ。」
千秋は伊織之介の声と障子の開く音で目が覚めた。
「気分がすぐれぬそうだが、心配ないか?」
そう言いながら千秋の傍らに座り、髪を撫で始めた。
千秋は嫌に思いながらも態度に出さないよう気を付けた。
「はい、心配入りません。ところで、何故鈴垂城へ?」
「昨夜の礼に参ったのだが、秀綱殿から千秋殿が床へ伏せておると聞いたので様子を見に来てやったのだ。」
髪を撫でていた手は頬へと移る。
「左様ですか、わざわざありがとうございます。ですがもう良くなりましたので」
起き上がろうとする千秋を伊織之介は制止した。
「無理をするな、寝て居れば良い。それがしが元気付けてやろうか」
伊織之介は布団の中へ手を入れ、千秋の柔らかく豊かなふくらみに触る。
「伊織之介殿、お辞めください」
千秋はその手を払おうとするが逆に手を押さえ付けられた。
「そんなつれない事を申すな、夫婦の約束を交わした仲ではないか」
伊織介は千秋の胸から腰、お尻へと慣れた手つきでさすり、内ももの方へと手を這わせてきた。
千秋は今までに感じたことのない恐怖を覚え叫び声を上げた。
「誰かっ!!!」
甚次郎は庭で剣術の稽古をしていた。
しかし、千明のことが心配で仕方なかった。
いつも元気な姉様が、未だ起きてこられない、もう昼だというのに…。
甚次郎は稽古を切り上げ、千秋の様子を見に行くことにした。
千秋の部屋へ向かっていると、侍女達が走っていた。
「何をそんなに急いでいるのですか?」
侍女を呼び止め聞いてみた。
「今、千明様の叫び声が聞こえてきたのです!」
「叫び声?!」
甚次郎も侍女達と共に千秋の部屋へ急いだ。
「姉様、甚次郎です!入ります!」
部屋の中には胸元を押さえ今にも泣き出しそうな千秋とそれを呆然と見つめる伊織之介が居た。
「千秋様!」
侍女達が駆け寄る。
伊織之介は無言のまま足取り荒く部屋から出て行った。
「皆すみません、あんな大声を上げてしまって。心配して来てくれたのですね。ですが、大丈夫ですありがとうございます」
そう言って笑おうとする千秋は痛々しく、甚次郎は胸が締め付けられた。
甚次郎は千秋の元へ駆け寄り、その太く力強い腕で抱きしめた。
千秋の小さな肩は震えていた。
甚次郎の暖かな腕の中で千秋は、恐怖が和らぎ大きな安心感に包まれていくのを感じた。
千秋は実感した。
わたしは甚次郎を弟としてではなく、一人の男として好きなのだと。
大きくうなずき、決心した。
想いを甚次郎に伝えよう。
甚次郎は何と言うだろうか…。
不安だが溢れる気持ちを抑えきれなかった。
次の日
強い雨が降りしきる中、千秋は横田山神社へと向かっていた。
昨夜甚次郎に文を渡し、来るよう呼び出していた。
蓑笠に当たる雨音は、千秋に勇気を出すよう後押ししているようだった。
横田山神社へと着くと、小さな社のひさしの下に甚次郎はもう来ており、千秋を待っていた。
「甚次郎殿、雨の中呼び出してご免なさい。」
「いえ、こんな雨、大したことないです。それより話したい事というのは?何かあったのですか?」
「はい…、甚次郎殿実は…」
鼓動が大きく速くなる。甚次郎に聞こえてしまいそうだった。
意を決し、千秋は甚次郎の目を見ながら伝えた。
「わたくしは、そなたのことが好きなのです。弟としてではありません。一人の男として好きです。この前抱きしめられた時はとても幸せでした…」
千秋は顔が火照るのがわかった。
甚次郎は信じられなかった。
千秋は理想の女性で憧れの人なのだ。
その千秋が自分の事を好きだと言ってくれている。
体中の血が沸騰しそうなくらい嬉しかった。
「姉様、拙者は小さな時からお慕いしておりました。山中で元服し、一人前になった暁には、山中家当主の奥方として必ずお迎えに参ります。」
「秀綱様からお許しが出るような武勲も必ず立てて参ります」
笑顔を見せる甚次郎に千秋もまた微笑み。
「はい」
と返事した。
そして見つめ合う二人、甚次郎の手が千秋の頬に触れる。
どちらからともなく近づきキスをした。
そのまま抱き合い、千秋は甚次郎の腕の中に顔をうずめる。
二人はいつまでも抱きしめ合った。
降りしきる雨は上がり、厚い雲の切れ間から光が射し込んだ。
それはまるで二人を祝福しているかのようだった。