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尼子の野面皮者、伊織之介  作者: 菜尾鹿芽
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元就の謀略の意味するもの


時はさかのぼり、天文23年 1554年、春


富田川沿いに満開に咲いた桜も、吹き抜ける風に儚くも美しく散っていきます。

そんな桜吹雪の中、誠久は新宮党の行く末についてひとり考えていた。


新宮党とは、尼子家きっての武闘派集団で尼子家、最大の勢力を誇っていた、

尼子経久が中国地方11州を支配下にし、中国地方最大勢力を誇っていたのも新宮党、3000の精鋭部隊の活躍があればこそでした。


その経久の二男である国久が党首となり、

島根県能義郡広瀬町の月山に尼子本陣である富田城の、その防衛的位置にある新宮谷に館を構えたことから、新宮党と呼ばれるようになった、

経久亡き後は孫子の晴久が城主となり、国久は叔父にあたる。


新宮党の国久は新城主の若い23歳の晴久と意見の対立がしばしばあり、

明日は何が起こるか分からない戦国の世に若い晴久の未熟さを憂いていたと思います、


国久の嫡男である誠久の思いである、


誠久は数々の戦いに於いて、常に先頭に立ち愛刀の常光(刃渡り4尺の長刀で、黒金の分厚い刀身)で敵を斬るのではなく、なぎ倒し突き進む姿は鬼神そのもの様であった。


率先躬行の猛者であると共に人心把握に優れる長となっていました。


今や毛利は飛ぶ鳥を落とす勢いで力をつけてきている。


元就は百戦錬磨の勇将である、

近隣、諸国の武将に知将として恐れられている、そのうち尼子の富田城も落ちるかもしれない、

あってはならないことだが、可能性としてなくはない。


一番大切なことは子々孫々、皆が幸せであり続けることだ。


新宮党が生き残るためにはどうすべきか?

毛利へ寝返る事も重要ではなのではないか?

毛利の世となれば、この乱世が終るかもしれない、、、


誠久はこのことで、ずっと思い悩んでいた、

桜の花びらが瞼の上を通った瞬間!

自問自答の末に誠久は心を決めた。



国久と部屋の中、誠久は自分の考えを国久に伝えた。


しかし、国久は武士として義を貫くことが本来の姿だと諭す。


誠久は強い口調で反論した。


「今まで尼子に尽くし戦で勝利へ貢献してきました。だが晴久殿はその功績を特別褒めもしません。

それどころか、秀綱率いる軍ばがりひいきにして、新宮党は邪険にされています。今こそ毛利へ寝返り晴久殿に目に物見せてやる時だと思います!それこそ新宮党が生き残り繁栄する方法だと自分は信じます!」


国久は目を閉じ、腕を組み考え込んだ。


どれだけの時間が過ぎただろうか。


永遠に感じられた静寂がはびこる部屋の中、国久は目を開き、話しだした。


「確かに晴久殿は新宮党を正当に評価して下さっていない。これでは皆の士気が上がらない。

お前の言う通り新宮党が生き残り繁栄していく為には毛利へ寝返るべきなのかもしれんな。」


「条件として、決起の際、富田城は新宮党が安堵しなければならない」


国久は声に出す事で自分を納得させているようだった。


「それでは早速手紙を書き届けさせます。」

「うむ、頼んだ。」


立ち去る誠久を見ながら国久は思う。

あいつも新宮党の行く末について考え悩むようになったか。

一人前になったもんだ。

そろそろ家督を譲って隠居するのも悪くないなと。

新宮谷で竹の子掘りでもして、穂先をつまみながら朝から飲みたいもんじゃぁ、と苦笑いを繰り返していました。


しかし、この後新宮党は思いもよらない結末を迎える事になった。



そして新宮党の使者が密書をしたため、

元就の吉田郡山城に訪れた。


敵対する、尼子の使者に城内はざわつき始めたが、元就は落ち着き払っていた、

「やっと来たか、、、新宮党だな!」


元就は頭脳明晰な男である、先をしっかり読んでいた、

若い晴久と新宮党の国久とでは懇親になるわけない、改革しようとする将に過去を引きずる国久、内紛が起きる前に決断するのは至極当然の事と。


元就は密書を受け取ると、尼子の使者を殺すように家臣に指示し、


「さあ、風流踊りの始まりじゃ!」


と城内に響きわたるような、大きな声で叫んでいた。

(風流踊り、かねや太鼓、笛などで囃し、おもに集団で踊る踊りである、応仁の乱以降とくにさかんになる)


元就は外交僧である安国寺恵瓊に、

「この密書を持って尼子晴久の元へ行け、そして毛利武士団の心意気を説き、正々堂々戦いたいとの旨を伝えてくるのじゃ、敵方の寝返り者など要らぬ。 最も新宮党の処遇はお任せするとな。」


「毛利武士団の心意気はな、

常に勇敢である事を至上の価値観であり、逆に卑怯な振舞いを蔑むことである、戦いを挑まれればこれを受けて立ち、正々堂々己の武勇の限りを尽くす、こうして生み出された武勇の名は武士の誉れとして称えられ、末代までの誇りとなるのじゃあ!」


元就は熱弁を奮っておりましたが、

安国寺恵瓊は寒気を覚えながら、こんなこと信じてもらえるだろうか?

元就公が勝算ありと踏んだからには大丈夫だろうが、尼子晴久ってどんな人物なのだろうか?

恵瓊はこの時、死を覚悟していたかもしれません。


富田川沿いの桜もすっかり散り、

雲の切れ目から夏の日差しが差してくる頃、恵瓊は流れる汗を拭おうとせず、富田城下に入っていった。


恵瓊は京都東福寺の使いの者として、

御目通りが許され、富田城には晴久と尼子家家臣団、亀井秀綱らもいた、


恵瓊は素性をあかし、元就の真意を饒舌に話し始めていた、恵瓊の背中は汗が滝のように流れていたが、やはり曲者外交僧である、顔は涼しげに汗の気配すらなかった。


一方の晴久、尼子家家臣団は、

毛利武士団の心意気等の話しより、新宮党、寝返りの書状の衝撃が強く信じ難いことであった、しかしその書状には誠久の花押もあり、若い晴久は唯々狼狽するばかりであった。


「新宮党に殺される〜 新宮党に殺される〜 あの狼みたいな奴らに〜」


みかねた亀井秀綱が狼狽する晴久の姿を隠すように、

「恵瓊殿、ご苦労であった毛利武士の心意気相分かった、正々堂々と戦おうと元就殿にお伝え願う」


晴久の大失態である、敵方の使者に醜態をさらけてしまい、一時凌ぎの対応をせざる負えなかったのです。


後に晴久は元就に見透かされた、このことを猛省し将としての心構え、あるべき姿を身に付けていくのです。

結果的に毛利は石見銀山を晴久代では奪還することが出来なかったほど見事に立ちはだかったのです。


富田城では新宮党に対する評定が開かれていた、

新宮党の裏切りは許せない、しかし戦力的に痛手が大きい、だが尼子の若手達も力を付けている等、意見が飛び交ったが晴久の心は決まっていた、


「新宮党問答無用!」


このひと言で評定の場は静まり帰ったのである。


ただ一人亀井秀綱は無念の涙をながしていた、誠久は優秀な武将である、

共に戦ってきた仲でもある、

誠久の新宮党を思う気持ちは分かる、

晴久と国久の対立があったのも事実だが、自分が間に入ってもっと話し合うべきであった、

「後悔噬臍!」

秀綱の握った拳に血がにじんでいたことを誰も気づいてはいなかった。


そして新宮党壊滅計画の実行である。


この年の9月、新宮党、党主国久は富田城で毎年行われる評議へ出席するため家来20人を引き連れ馬に乗り新宮党館を出た。


毛利からの密書の返事はまだなく、

使者が帰って来ないこともあり、

日々不安に過ごしていた、久しぶりの登城に気乗りがしなかったのである。


富田城へ続く坂道を登り、七まがりに差し掛かった。

そこには、晴久の命により本田豊前守と平野又右衛門が身を隠し待ち伏せていた。

本田は国久の姿を見るやいなや飛びかかった。


「はっ!!」

国久は本田を小脇に抱えひらりと馬から降りた。組合いになっている国久と本田を平野は思いっきり谷底へ突き落とした。

組合ったまま転がり落ちる国久。


谷底には30余人が待ち構えていた。転がり落ちた国久は体勢を立て直し応戦するもむなしく本田の凶刀に倒れ果てた。



その頃、誠久はまだ富田城下で馬に乗り登城の最中であった。


隠れていた大西十兵衛は思う。

「誠久は強い。失敗は許されない、一気に片を付ける。」

耳をすまし、ひづめの音に集中した。


近くに来た瞬間、大西は誠久の片ももを馬の太腹もろとも斬りつけた。

不意を付かれ深手をおった誠久は暴れる馬からずるりと落ちた。


すぐさま一緒に隠れていた立原備前守幸隆は誠久を押さえつけ脇腹に刀を突き刺す。

「うっ!!」

誠久は低い呻き声を上げる。


豪腕の誠久である、重症をおいながらも、二人を返り討ちにしたが、

誠久は太もも、脇腹と深手を負ってしまっていたので次第に息が弱まってきた。

薄れゆく意識の中、

「毛利元就、 、 お主は一枚も二枚も上手じゃった、 、 我が新宮党はお主への怨み必ず晴らさでおくべきか、、、 みんなすまない、、、、」


その様子を見ていた誠久の家来は急いで引き返し、後から来る誠久の弟敬久に報告した。


「急ぎ申し上げます。誠久殿が大西十兵衛と立原備前守幸隆に襲われ殺されました。」

敬久は耳を疑った。


「おぬし何を申しておる?何故大西殿と立原殿が兄上を襲うのだ?」


「二人は身を隠し、近くに着た所を馬もろともを斬りつけ、不意を付かれた誠久殿は落馬し抵抗むなしく… 」


家来は言葉が続かなかった。涙を堪えているようだった。


敬久の顔が歪み殺気立つ。

「晴久殿の魂胆か!!」

「ならば敵は数千!」


敬久は籠城するため新宮党に急ぎ立ち帰った。


新宮党に帰った敬久は500人余りで一丸となって押し寄せる敵を待ち受けた。


一方晴久は時間が経ち新宮党が勢いづくのを防ぐため自ら大将となり兵5000をもって新宮党を取り囲みどっと鬨の声をあげた。


敬久の弓勢、槍勢の活躍は目覚しく立ち所に2、30人を射り、突き倒した、しかし、多勢に無勢で兵も次々と討死し敬久も矢傷を多く受けていた。

敬久はもはやこれまでと縁先に出て潔く腹をかき切って自害した。


誠久には3人の息子がいた。

長男の善四郎常久、次男の神四郎吉久、三男の孫四郎はまだ二歳だった。

常久は弟の吉久に

「自分はここで自害し、父上の冥土のお供を申し上げる。お前は落ち延び晴久殿に一矢報いて父の怨みを晴らせ。」

しかし吉久は言う。


「敵はこの新宮党を取り囲んでいます。逃しはしないでしょう。逃れることが出来たとしても親兄弟が討死したのを見捨てて逃げ出した吉久だと笑われるのも残念です。私も一緒にお供します。」


あまりの不憫さにまわりの女たちが泣き出した。


まだまだ幼い兄弟だったが共に立派な切腹をし、三男の孫四郎は 乳母の夫小川左衛尉重遠が吉田の寺に落ち延びさせていた。(後の尼子勝久である)


尼子家、最大勢力の新宮党はこの時消滅した。

毛利元就がこの報告を聞き、

口元を緩ませて語った言葉が、

「風流踊りは終わりじゃ、、、」



11月、新宮谷の国久、誠久、誠久の子供達の墓の前に、亀井秀綱と秋上伊織之介、亀井甚次郎がいた。


亀井甚次郎とは尼子家の重臣・山中満幸の二男で新宮谷に居を構えていた、秀綱が、新宮党壊滅実行の前に晴久に亀井家は男子がいないため養子縁組の了承をとっていた。


甚次郎は正義感があり、武勇に優れていたため、秀綱は新宮党壊滅で優秀な人財が滅失しないよう手を打っていたのです。

甚次郎この時9歳、後の山中鹿介である。


伊織之介は元服を終えたばかりで15歳

であった。


秀綱は墓前に自分の力不足を詫びた。


そして、元就への復讐を誓うとともに、伊織之介、甚次郎達の新しい力が、これからの尼子家の支えになるよう御守り下さいと願った。


新宮谷から吹き下ろす秋風が木の葉を揺らし、人のうめき声のように聞こえたのは、誠久の無念を表しているかのようでした。


これ以降、尼子軍は徐々に衰退の道を歩むこととなっていきます。


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