第1話 いきなり異世界
たばこ屋の角を曲がると、そこは異世界だった。
周りの景色が一変し、煉瓦造りの壁にたいまつの光が揺れる部屋へと変わる。
目の前には、白いひげを床まで生やしたじじいが立っていた。
なにやらしゃべっているが、聞いたことのない言葉だ。まったくわからない。
わけもわからず呆然としていると、周りにいた男達に取り押さえられた。
床に組み敷かれて、俺はしたたか鼻をうつ。
暖かいモノが鼻の下をつたった。
いったいどうなってるんだ畜生め。
ツンと刺さるような鼻の痛みに自然と涙が流れる。
それにしても、なぜ俺を取り押さえてる奴らは鎧なんか着てるんだ。
突然熱気を感じて顔を上げると、先が真っ赤に焼けた鉄片を持ったじじいが立っていた。
取り押さえられている男達によって、俺は上着をまくり上げられている。
何をされるのか理解した俺は、あらん限りの力で暴れまくった。
しかし、俺を取り押さえる男達の力は尋常ではない。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアア!!」
いささかの容赦もなく、じじいは真っ赤な鉄片を俺に押し当ててきた。
熱さと痛みに混じって、自分の焼けるにおいが漂ってくる。
それから何分たっただろう。気絶していた俺は水をかけられて気がついた。
顔をあげ、そこにいたじじいに向かってまっすぐ殴りかかろうとするが、周りにいた甲冑姿の男達に阻まれる。
「ホホッ、元気がいいな小僧。いや、ここは勇者殿とお呼びした方がよろしいか」
「ふざけるな! この野郎、とんでもないことしてくれやがって! ぶっ殺してやる」
「まあそう言わずに、まずはこちらの話を聞いてもらいたい。それに先ほどの傷、もう痛みはないはず。私が魔法によって手当てした」
俺の剣幕にも、顔色一つ変えずじじいは喋る。
そういえば、さっきから背中に痛みはない。
しかしこのじじい、今言うに事欠いて魔法とか言わなかったか?
いったい何を考えてやがる。
「まずはこちらの立場を説明しよう。ここに居るのは王家に忠義を持つハミルトン帝国第一級魔術師マーリンと帝国第一騎士団の面々である。我々は今、窮地におちいっている。それを救ってもらおうと、お前を異世界より召還した。さっきの無礼は許してもらいたい。あれなしではお前をこの世界に固定することも、お前がこの世界の言葉を理解することもできなかった。おかげで今、勇者殿とは話ができるというわけだ」
「異世界? 勇者? いったい何のことだよ」
しかし異世界という言葉を否定するだけの根拠を俺は持たなかった。
高校入試が終わった春休み。家の近所を歩いていたら、この顛末である。
しかもこいつらの身につけてるモノは、もとの世界で見たことないものばかりだ。
「ふざけやがって、誰が協力なんかするか。もとの世界に返しやがれ!」
「ほう、もとの世界に帰りたいとな。ならばこうしよう、もしお前が勇者としてこの帝国の地下にある迷宮の探索に協力したなら、もとの世界に返してやる。何も心配することはない。もとの世界の、もとの時間に返してやる。この召還に使われた魔法は、お前がもといた世界の秩序を変えることはない。つまり、お前がもしもとの世界に帰らなければ、お前はその世界に、もともと存在していなかったということになる。残してきたものたちが悲しむこともない。だから是非とも心置きなく、命を惜しまずに戦ってもらいたい。もし、もとの世界に帰りたいのならばな」
この時、俺はじいさんの言葉を全く受け入れる気にはならなかった。
だってそうだろ。こんなふうに脅されて勇者をやるなんて話、何かが間違ってる。
しかもさっきから、俺に剣でも握って戦えというような口ぶりだ。
何とも言えない絶望感が沸き上がってきて、酷い気分だった。
もし異世界という話が本当だったとしよう。
だいたい剣なんかぶら下げて歩いてる世界だ。
どうせ産業革命以前程度の文明しかないのだから、俺の知ってる蒸気機関や電気などの技術に関する知識の方がよっぽど役に立つはずなのだ。
しかし俺は混乱のさなかにあって、何も言うことができなかった。
俺は流されるままに、騎士団とやらの質問に答え、訳のわからないことなどをやらされる。 その間、俺はどうしたらもとの世界に帰してもらえるか、その交渉の種を探していた。
「なんたることだ。この私が一年もかけて用意してきた魔法は、失敗におわったか! 馬も乗れない、剣も使えない、兵法の知識もない、魔力資質だけは異様に高いが、何の属性も持たない! なんということだ、こ、こんな、馬鹿なことが、ことが、あ、ああ……」
俺が上の空で質問に答えていたら、いきなりマーリンが慟哭し始めた。
そのあまりの取り乱しように、まわりの騎士達もうろたえ始める。
そこで、それまで見ているだけだった、周りよりも一つ各上と見てわかる黒マントの男が口を開いた。
「マーリン殿。まだ失敗と決めつけるのは早計。見たところ、この者はまだ若い。月兎の儀式によって力が目覚める可能性もある。それに体つきも悪くはないようだ。多少の時間さえあれば我々の役にも立つでしょう」
「確かにそうだろう。だが我々に残された時間の猶予では遅すぎる。おい、お前。名は何といったかな。それと年だ」
「お、俺は和也。上原和也、15歳だ」
「なるほど。それではカズヤ、お前は女との経験はあるか」
「な、ない」
変な質問にあわてた俺は、つい正直に答えてしまった。
彼女だっていたことはない。
「そうか。ならばこいつを王立魔法学園にでもいれて月兎の儀式だけでもやらせてみるか。属性がないとなれば、こいつに覚えさせる予定だった魔法は全部中止だ。召魔との契約だけは予定通りやっておけ」
俺は何もわかっていなかったが、この月兎の議式というモノは、とんでもなくぶっ飛んだモノだったんだ。でもそれを知るのは、もうちょっと後のことになる。
「では勇者殿。このマーリンは、ちょっとばかり忙しい身なのでね。これで失礼させてもらおう。とりあえず勇者殿には魔法の修行からということになるようだ。何か言うことはあるか」
「魔法よりも優れたモノを俺は知っているぜ。それを教えてやるから俺をもとの世界に帰してくれ。俺のもとの世界には産業革命というのがあって……」
「魔法よりも優れたものとな。ホホッ。帝国の一級魔術師の前で、魔法よりも優れたモノがあるとは、なんとも勇気のある発言。恐れ入るな。もう少しまともなことが言えるようになるよう、学園でしっかり教わってこい」
そう言って、マーリンは俺の言葉に取り合う様子もなく足早に出て行った。
それに続いて黒マントの騎士も出て行く。
いきなり放り出されて戸惑っている俺の前に、テーブルが運ばれてきた。
そして、その上に乗せられた触媒を使って召魔との契約をせまられた。
よくわからずに言われる通りやっていたら契約は終わっていた。
驚いたことに、契約の瞬間から俺の中に新しい感覚が生まれた。
というよりも新しい身体の一部が自分の中に生まれたと言った方がいいか。
使い方など誰からも教わらなくとも、それがどういうものか知っている。
そんな感覚だ。
こうして俺は、光魔、氷魚、魔眼という召魔を手に入れた。
これらは仰々しい名前がついているが、どれも昆虫かは虫類の特徴を持った生き物だ。
光魔は術者の魔力を高熱を発する光に変換する。
氷魚は生命力を持たない物体の温度を食べる。
魔眼は目として機能し魔力を発するものを視認させる。
そして俺は城から連れ出され、近くの民家に寝泊まりさせられることになった。
いきなり焼きゴテを押しつけといて逃げられるような心配はしてない様な扱いだ。
民家に住んでいた城仕えだという夫婦に、俺はこの世界のことを色々と教わった。
しかし彼らは魔法など殆ど使えない。
だから聞けたのは一般的なことばかりだった。
俺は一度試しにと思い光魔を呼び出してみたことがあった。
しかし頭がくらくらしたかと思うと、すぐにその場で気を失った。
自分の中から、何か重要なものを吸い取られるような感覚だった。
その感覚の恐ろしさに、俺は二度と呼び出すもんかと心に誓った。
もちろんすぐ破られることになる誓いだ。
そこで三日ほど過ごしていたら、マーリンからの使いがやってきた。