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あなたに出会えてよかった  作者: 森の 緑


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7/14

勉強合宿

 昼前にバスはホテルに到着した。宮崎の太陽は、福岡の太陽とは別物みたいだ。容赦なく照り付ける日差しは、暑いを通り越して、本当に焼けそうなくらいだ。白い建物の前には、いかにも宮崎といった風情でパームヤシが1本立っている。ホテルは、少々古めかしい感じがしたが、ロビーに入ると、改装された直後なのか、外観の古びた感じは全くなかった。

 それぞれ、荷物を持った生徒たちがロビーの真ん中にぞろぞろと集まり、各塾ごとになんとなく一塊になっていた。

 「みんな、長旅お疲れ様。さあ、これからが本番だ。各自部屋割り表を見て、荷物を置いたら食堂に集合。開校式の後、昼食にします」

 初めてみた頭の薄い中年男性がそう言って仕切っていた。どうやら、この人が5校ある塾のトップである校長のようだ。他にも初めて見る大学生風の人がたくさんいたが、他の塾の先生たちだろう。

 見慣れた顔の人が近づいてきた。

 「咲良、お疲れ。これから地獄の勉強合宿が始まるぞー。覚悟しとけよ」

 「え?マジ?地獄?お泊りなんて久しぶりだから、すごく楽しみにしてきたのに~」

 「お前なー。遊びじゃなくて勉強だからな。わかってるのか?この合宿の出来如何で、2学期の成績が変わってくるからな。がんばれよ」

 咲良の頭をポンポンと叩いて、さっさと歩いて行ってしまった。

 そんな事はわかっている。星野を幻滅させたくはない。勉強がメインである事は重々承知しているが、4日間星野と一緒に居られることが、咲良にはうれしくて仕方ないのだ。合宿の荷物の準備をする時も、ウキウキしながら4日間着る服を選んでいた。

 合宿は、通常の授業とは形態が異なり、成績別に3クラス上中下に分かれ、学校の授業のように、部屋の前にあるホワイトボードを使って授業が行われる。サブの先生が3人ついて、わからない生徒をサポートするというものだった。

 咲良は、もちろん3クラスの下のクラスだ。風見とも分かれてしまった。さらに、咲良をがっかりさせたのは、数学の授業も星野ではないことだった。

 人気講師は、上クラスを教えることになっている、それはそうだろう。塾にしても、宣伝のために受験生の大学進学率がかかっている。いい大学へたくさん生徒を送り込むことに価値が置かれるのは当然のことだ。成績上位20位までをサラブレットのように手厚く保護して、残りの40人の生徒は授業料を収めてくれるだけの駄馬といったところだろうか。

 だが、駄馬の咲良は、サラブレットを目指してこの塾へ入ったのだ。何がなんでも成績を上げるしかない。

 食堂の方からいい匂いがしてきた。お昼ご飯はカレーライスだった。お昼の定番だが、やはりホテルのカレーだけあって、美味しかった。宮崎桟黒毛和牛のカレーとお品書きに書いてあった。これが昼食なら、夕食は何が出るのだろうか、と期待が膨らんだ。やることが勉強だけだと、どうしても楽しみが食になってしまう。

 昼食を食べ終えて、2時から始まった授業は6時まできっちりと行われた。そして、6時から夕食。7時からまた授業。9時半にやっと終わった。さすがに、朝からバス移動、勉強続きでは、最後の方は頭がぼーっとしてきて、授業に集中できるはずもなかった。

 そして、勉強から解放された後のお風呂は最高だった。広い大浴場。温泉ではないのが残念だったが、手足を伸ばして入れるお風呂は、とても気持ちがいい。同室の女子は、大浴場が苦手だとか言って部屋のシャワーで済ませるという。咲良は、せっかくの大きなお風呂になぜ入らないのか、そちらの方が残念だと思った。

 お風呂から部屋に戻る途中、廊下を歩いていると、ポンポンと背後から肩を叩かれた。振り返ると、風見だった。

 「今日は疲れたな。ちょっと休憩していかない?」

 「休憩って、どこで?」

 「そこ」

 風見が指さした方を見ると、窓際に置かれたソファの向こう側にテラスがあった。『展望テラス』と書かれてある。

 「ジュースでも飲んで一息つこうぜ」

 そう言って、風見は近くの自販機でコーラを2本買い、1本を咲良に渡してくれた。

 「ありがとう。今、お金持ってないんだ。あとで返すね」

 「いや、いいよ、別にこれくらい。オレのおごり」

 「え、いいの?ありがとう。喉かわいてたんだ。あ~、冷たくてきもちいいー」

 火照った顔に冷えたコーラを押し当てると、一気に体温が下がった気がした。

 テラスに出てみると、うだるような昼間の暑さかがうそのように涼しかった。海からいい風が吹いてきた。空には雲がかかっているのか、月は無く、海は真っ暗でよく見えなかった。遠くに明かりがぽつりぽつりといくつか見えた。夜釣りをしている漁船の明かりだろうか。

 まだいくらか濡れている咲良の髪が、さらさらと風になびいた。

 「うわー、いい風ー。気持ちいいねー」

 「うん、解放感あるよな」

 「合宿って楽しそうって思ってたけど、結構しんどい。夕飯食べた後は、もう脳みパンクしそうだったよ」

 「あはは。それくらいでパンクしてどうする?おまえ、死ぬほど勉強したことないだろう?」

 「風見くんはあるの?」

 「あるよ。高校受験の時には、ご飯とお風呂と寝る以外は勉強してた気がする。今考えても、何であんなに頑張れたのか不思議なんだよな」

 風見は、遠い昔を思い出すように海をじっと見つめた。

 「すごいね。私は、高校受験はあまり勉強した記憶ないわ。私の成績で入れる高校を無難に選んだから、楽なもんだったよ。お正月も三が日中、親戚の家を廻ったりして、全く受験生に見えないって言われた」

 「だから、今苦労してるのか」

 風見がいじわるそうに笑った。

 「そうですよ。今までさぼってたツケが回ってきたんだね。詰め込む事が大すぎて、ほんとキャパオーバーだよ」

 「おまえ、九大が第一志望だって?めちゃくちゃ目標高いよな。尊敬するわ。南高からだと、学年で1人行くか行かないかレベルだろう?」

 「うん。でもね、星野先生が教えた生徒が南高から九大に行ったんだって。その話を聞いたら、なんだか私でも行けそうって思っちゃったんだよね」

 「何だ、それ?」

 「なんかね、星野マジックにかかったみたいなの。死ぬほど勉強したら行けるって言ってくれて。そしたら、私が九大に通ってる姿がありありと目に浮かんだのよ」

 真顔で話す咲良をみて、風見はうなった。

 「うーん。ある意味、おまえってすごいよな。恥ずかし気もなく、マジで言ってるから。そういえば、星野って何かとおまえを気にかけてるよな」

 「え?ほんと?」

 ワンオクターブくらい高い声が出た。特に何を望むわけではないが、他の人よりも、少しだけ特別な存在でありたい。そんな気持ちが咲良の声には表れていた。

 咲良が、両手を上げて思いっきり背伸びをすると、再びいい風が吹いてきた。咲良の髪からふわりとシャンプーの香りがした。

 「なんか、おまえからいい匂いする」

 「シャンプーの匂いでしょう?ホテルの備え付けのやつだから、風見くんも同じ匂いだよ。変なの」

 咲良はクスクスと笑っていたが、風見は笑っていなかった。

 「さあ、もうそろそろ中に入ろう。消灯時間になっちゃうよ。明日も早いしね」

 そう言って、咲良はロビーの方へ向かって歩きだした。その後を追うように、神妙な顔をした風見も歩きだした。


 2日目も3日目も同じようなスケジュールで進んでいった。3日目の夜は、もう何も考えられないほどヘロヘロだった。いつもは、個人授業なので、自分のペースに合わせて先生が指導してくれる。

 だが、この合宿では、学校形式でやるので、1つつまずくと、たちまち置いて行かれてしまう。サブの先生がついてくれていても、いつものように理解するのは難しかった。

 そして、他の生徒に比べて、自分は遅れているのだということをまざまざと見せつけられた。それが、咲良の心にずっしりと暗い影を落としていた。

 もう、頭の中はこれ以上詰め込めないというくらいパンパンだった。運動して体がヘトヘトになるのはすぐに理解できるのだが、脳も、使うとこれほどまでに疲弊するものなのだと初めて知った。

 死にそうな体験をすると、それだけで体重が2~3キロ減ると聞いたことがある。それは、脳が生き残る為の術を、過去の体験を遡って探し回り、脳が疲弊するからだという。

 そんなバカな、と思っていたが、あながちウソではないようだ。現に、咲良の体重は、運動せずに勉強しているだけで2キロ近くも減っていた。

 とにかく、疲れた。肩こりならば、お風呂に入れば幾分楽になるのだが、脳の疲れには、何も考えずにぼーっとするしか方法は無い。

 毎日、大浴場に通っている。お風呂のお湯に体を委ね、目をつむり大きく息を吐いた。身体の中から溜まった澱のようなものが出て行くような気がする。それと同時に、九大へ行くのだという、根拠の無い自信が揺らいでくる。やっても、やってもきりがないように思える受験勉強。一向に見えてこないゴール。否が応でも他の人と比べてしまう自分。勉強すればするほど、やらなければいけないことが見えてきて、その膨大な量におののいてしまう。果たして、自分はその量をこなせるのだろうか。時間は足りるのだろうか。

 『死ぬほど勉強したならば』と言った星野の言葉が身に染みた。『死ぬほど・・ね・・』

 もう一度、ふうっと大きなため息をついた。

 30分くらい湯船に浸かっていただろうか。いろいろな事を考えすぎたせいで、脳の回復ができていない。お風呂から上がっても、髪を乾かすのがしんどくて、肩にタオルをかけて濡れた髪をそのままにしておいた。

 女湯ののれんをくぐってロビーをノロノロと歩いていると、一昨日、風見と一緒にいたテラスが目に入った。

 このまま部屋に帰りたくなかった。なんだか、海を見て風に吹かれたかった。

 今日は、少しだけ月明かりがあり、海のさざ波が影絵のように陰影をつけてはっきりと見えた。海に月が写っているのだが、波のせいで、ギザギザとしていて丸い形には見えない。咲良は、『今の自分みたい』と思った。心がささくれているようだ。

 海には、光ったり消えたりする漁船の明かりがいくつも見えた。イカ釣りは夜行うと聞いたことがあるので、きっとイカ釣りの船なのだろう。風が心地よく心に沁みた。

 「随分お疲れのようだね」

 背後から声がして、びくっとして振り返った。星野だ。

 「は~、びっくりした。ほんと、先生って背後から声かけて驚かすの好きだね」

 最初の出会いを思い出していた。あの出会いが今の自分を作っているのだと思うと、人の出会いと言うのは、何が起こるかわからないものだとつくづく思う。

 「ごめん、ごめん。肩を叩くほうが、もっと驚くだろ?」

 星野も咲良との出会いを思いだしたようだ。

 「悲鳴をあげなかっただけ、成長したね」

 「あれは、事情が事情だっただけに、怖かったの」

 「ああ、パチンコ強盗の話ね。オレが犯人だと思ったんだったな。悪いが、そんなに金に困ってない」

 胸を反らせて、エヘンと咳ばらいをして見せた。

 「塾のアルバイトって、そんなに時給いいの?」

 「まあ、他のアルバイトよりダントツにいいだろうね。咲良も、九大に入ったら、オレの後釜に推薦しとくよ」

 あはは・・と笑う星野だったが、咲良はうまく笑えなかった。

 「先生、私、ダメかも・・」

 必死に笑顔を作ろうとしたのだ、気持ちとは裏腹に、そんな言葉が出てしまった。

 「どうした?もうへばったのか?まだスタートして数歩しか走ってないだろう?」

 おどけた様子の星野を見ても、やはり笑えない。

 「先生、私よくわかってなかったみたい。勉強さえすれば、九大だって簡単に入れると思ってた。でも、違うね。やればやるほど、やるべき事が増えていくような気がする。この合宿で、他の人と一緒に授業受けて、自分が如何に勉強してなかったかを突きつけられた。なんかね、ゴールが全く見えなくなっちゃった」 

 そう言うと、くるりと星野に背を向けて、テラスの手すりに手をかけ、遠くの水平線を見つめた。もちろん、暗くて、はるか遠い水平線など見えるはずもなかった。

 「ふーん」

 星野も同じように手すりに手をかけて、咲良の隣に並んだ。二人とも何の言葉を発することもなく、ただ並んで海を見ていた。

 耳を澄ますと、呼吸のタイミングに合わせて、波の音がざざーっと言っているように聞こえる。静かだ。お風呂で脳を休めていた時とは違う、もっと深い部分が心地よく鎮まりかえってっていくような。波の音というのが、これほど心地いいものだということを初めて知った。体内回帰なのだろうか。温かいものにすっぽりと包まれている、宇宙と自分が一体になっている感じ。星野が隣にいるからだろうか。今、星野が何を考えているのか気になった。

 二人で、どれくらいそうしていただろうか。

 「おっと、もうすぐ消灯だ。早く部屋に帰れ。オレも見回りに行かないと」

 いつもの星野だった。

 「もうそんな時間なんだ」

 「咲良、おまえ、髪濡れたままだろう?ちゃんと乾かさないと、明日、めっちゃ寝ぐせがつくぞ」

 星野がにっと笑った。

 「うわっ、先生いじわる。普通は、風邪ひくぞっとか言うものでしょう?」

 「ふふん、オレはそんなにやさしくない。さあ、早く、行け!」

 はーい、と返事をして咲良はドアに向かって歩きだした。少しだけ心が軽くなった気がする。ふいに背後から星野の声がした。

 「咲良、合宿に来てよかったな」

 

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