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あなたに出会えてよかった  作者: 森の 緑


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以前教えたあの子

 ビルを出て咲良と幸子は2人で歩きながら駅へと向かった。

 吹き抜ける風が心地いい。時刻はもうすぐ9時になろうとしていた。どちらも言葉を発することなく黙々と歩いていた。何か話さなければと思うと、なかなか言葉が出てこない。

 「どう?がんばれそう?」

 沈黙を破って幸子が言葉を発した。

 「うん。がんばるよ。授業料高くてごめんね」

 自然とそんなセリフが出てしまった。

 「ばかね。別にそんな事は気にしなくていいのよ。後悔しないように、しっかりとやるよの。お父さんもお母さんも、咲良を応援してるんだからね」

 多分、そう言うだろうということはわかっていた。決して裕福な家庭ではない。塾代の月5万円は家計にとって痛手のはずだ。

 でも、何も言わない。きっと、家に帰ったら、幸子は家計費のやり繰りに頭を悩ませるのだろう。電車で通うことになれば、その電車代もかかってしまう。

 両親に負担をかけすぎなのではないだろうか。真面目な性格故に、つい子供らしくないことを考えてしまう損な性格だ。

 「お腹すいたね。何か食べて帰ろうか?お父さんは今日、飲み会で遅くなるって言ってたから、二人で美味しいもの食べて帰ろうよ」

 幸子は、真面目な娘の性格がよくわかっていた。もちろん、月々の月謝代は痛手だが、九大へ行こうなどと大それたことを公言したのだ。それだけ真剣なのだとわかった。そして、咲良をその気にさせた星野先生に会ってみたいと思った。きっと、咲良は恋をしたに違いない。だが、まだ咲良自身気づいてはいないようだ。

 「この近くだと駅ビルの中しかないよ。あとは、そこのファミレスくらい。私は、別にマックとかでいいんだけどね」

 「マックねー。お母さんの世代だと、夕飯がマックって感覚が理解できないわね。まあ、咲良がそこがいいって言うのなら、マックでもいいわよ」

 「そっか。マックだとビールが無いね。いいよ、ファミレスにしよう。私の塾デビュー祝い。お母さんはビール飲んで」

 「変なお祝いね。じゃあ、遠慮なく一杯だけ飲ませていただきます。行こうか」

 幸子がそう言って歩きだしたので、咲良も慌ててついて行った。二人は歩みを速めて、通りの角にあるファミレスへと向かった。


 「うん、いい調子だよ。その問題も公式を使って解けばいいからね。飲み込みが早いね。教え甲斐があるよー」

 星野はニコニコと笑顔を見せながら授業を進めていく。いつも授業の時は紺色のスーツを着ている。それが、塾が決めているドレスコードだからだ。大学生なのだから、普段はTシャツにジーンズといったラフな格好で過ごしている。アルバイトだから仕方ないと割り切っていても、やはり窮屈だ。

 自動車学校へ行く途中に声をかけた高校生が入塾して2か月が経った。

 青木咲良。何となく声をかけて、何気なく勧誘したら、すぐに入塾することになった。自分で言うのも何だが、この塾で人気ナンバーワン講師だ。

 だから、わざわざ勧誘してまで入塾させる必要はなかったのだが、なぜか引きずり込まずにはいられなかった。以前教えてたあの子に似ていたから。

 彼女も高校3年生で塾にやってきた。成績を気にした母親が連れてきたのだ。最初は、全くやる気がなく、出した宿題はかろうじて解いてくるくらいのものでしかなかった。

 だが、夏休みの前から人が変わったように真剣に勉強するようになった。しかも、自分と同じ九大を受けると言い始めたのだ。

 国公立大学コースにはいたものの、九大を受験するなんてとても言える成績ではなかった。学校の先生からも、呆れられたと言っていた。

 だが、持ち前の集中力がすばらしかったのだろう。すべてぶつけるような勢いで勉強し始めると、スポンジが水を吸収するが如く、目覚ましいスピードで成績が伸びていった。毎日、自習室に来ては、わからない事を質問攻めにされた。

 夏休み前の模試ではEランクの判定だったのが、夏期講習の成果が表れたのか、秋の模試ではCランクに上昇していた。冬の直前模試ではBランクにまで上がっていった。

 自分の教え子が、自分の言った事すべて吸収して成長してく、その過程がたまらなくうれしく、毎日ワクワクした。時間外でも、質問に来られるのがうれしくなるほど、その子に教えることに夢中になった。

 その結果、奇跡が起きた。学年でも下位ランクにいた彼女は、見事、九大に合格したのだ。受かる確率は五分五分よりやや下だと思っていたが、その予想は見事に裏切られた。

 後日、塾に合格の報告をしに来てくれた彼女を見て、思わず泣きそうになってしまった。だが、彼女が告げたのは、合格の報告だけではなかった。

 「先生が好きです。だから、苦しい受験勉強もがんばれました。晴れて、同じ大学へ通うことになりました。私と付き合って下さい」

 予想外の展開に驚いた。いや、違う。何となくの予感はあった。だが、敢えて気づかないふりとしていたのだ。受験勉強を一生懸命がんばる彼女を応援したかった。彼女に夢中だったし、愛しいと思えないこともなかったが、それはどちらかといえば、妹を愛しいと思う感情に近いと思えた。恋人として見られるかといえば、ノーだ。

 緊張して頬を紅潮させている彼女は、まっすぐに星野を見ている。ここで、ノーを突きつけていいものだろうか。案外、付き合ってみたらうまくいくかもしれない。そう思ったが、答えはやはり決まっていた。

 「合格おめでとう。本当によくがんばったね。先生も本当にうれしいよ。今まで見た生徒の中でも一番がんばってた。どんどん成長していくキミがとてもまぶしく見えたよ。でも、ごめん。それは恋愛感情ではないんだ。誤解させてたのなら申し訳ない。これから、キミは晴れて大学生だ。大学に入ったら、もっと素敵な人にたくさん出会える。だから、ごめん。キミとは付き合えない」

 まっすぐに見つめていた彼女の目には、みるみる涙があふれてきた。その涙をぬぐうこともしなかった。顔をクシャクシャにしたかと思うと、わんわん泣き出した。

 その様子をみながら、星野は不謹慎ながら、「小さな子供みたいだな」と、笑いそうになってしまった。

 他の先生たちが、何事かとパーテーションの中を覗きに来たが、身振り手振りで「何でもないですよ」と合図をして退散してもらった。彼女の頭を撫でていいのか、声をかけた方がいいのか、どうやったら泣き止んでくれるのかと、所在なく自分の頭をかくしかなかった。

 すごく長い時間に感じられたが、実際には15分そこらの時間しか経過していなかったようだ。

 「わかりました。泣いたりしてごめんなさい。うれしさとショックが同時にきてしまって。私が1人で勝手に盛り上がってしまってました。合格したら先生と付き合えるって。だから、ここまでがんばれたんです。でも、それって私の一方的な妄想でしたね」

 そう言って、少しさみしそうに笑う彼女にかける言葉がなかった。

 「大丈夫です。しばらくは失恋のショックを引きずりそうですが、来月からは大学生ですから。新たな出会いを見つけてがんばります。今までありがとうございました」

 彼女は、赤い目をこすりながら、一礼して去って行った。

 後には、苦いものが残った。特に好意を持ってもらおうと意識して授業を行ったわけではない。何もしていないが、勝手に好きになられたのだ。ただ、1つだけミスをおかした。

 受験生に向けて、受験前に塾から生徒たち全員に学問の神様として有名な太宰府天満宮のお守りを渡す。もちろん、塾長が合格祈願をして、人数分購入してきたものだ。

 星野自身の受験の時に持って行ったお守りは、学問の神様として有名な太宰府天満宮のものではなかった。熊本県にある阿蘇神社のお守りだった。父方の祖父母の家が熊本にあり、事あるごとに参拝に行くのがその神社だったのだ。そのお守りのお陰で、高校も大学受験も一発合格できたと本気で思っている。

 そして、お正月に帰省した際、彼女にだけ、そのお守りを購入したのだ。一番がんばっている一番かわいい自分の生徒。ただそれだけの意味だったのだが、他の人はもらっていないお守りを自分だけがもらったとなると、自分は特別だと思ったのだろう。

 それから、さらに勉強のピッチが上がったことは言うまでもなく・・。

 「うわー。何やってんだ。オレはー」

 屋上に上がって大声でそう叫びたかった。

 告白してふられた経験はあるが、自分がふった経験は初めてだった。なんとなく後ろめたさがあり居心地が悪い。かつて自分をふった相手もこんな感情だったのかもしれないな・・と、ふと思った。

 そう。青木咲良は、どうしても彼女を思い出させる。素直でまっすぐて真面目なところ。「九大に行けますか?」なんて普通の子なら言うはずがない。

 でも、直感で、「この子なら行けるかも」と思ったのだ。

 「先生、就職先決まったの?」

 突然聞かれて、我に返る。

 「うん、決まったよ。ソフトオアシスコーポレーションに内的もらった」

 「うわっ、その名前知ってる。大手だ。先生すごいね」

 そう言って、咲良はニコニコと笑顔を見せた。

 

 

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