星野の悩みと咲良の夢
星野は、電話を切ってもなかなか眠れなかった。
久しぶりに咲良との会話に時間も忘れて話し込んでしまった。すっかり忘れ去られていた楽しい学生生活を思い出させてくれた。
それにしても・・と、電話を切っても、なぜか釈然としなかった。
「いま、幸せ?」
そんなストレートな質問を恥ずかしげもなく投げてくるなんて。そんな質問できるのは、アイツくらいしかいないよな、とふっと口元がほころぶ。明るくて素直なところは、昔のままだった。
そして、改めて考えてみた。
「オレは、今、幸せなのか?」
そんな事を真剣に考えたこともなかった。
もちろん、仕事にやりがいを感じることはあるが、やりたかった仕事か?と聞かれればNOだ。
そもそもやりたい仕事をしている人が、この世の中どれくらいいるというのか。ほとんどの人が、生活の為に仕方なく働いているはずだ。
自分だって、自分の敷いたレールの上をゴール目指して走っているだけだ。それは、楽しい楽しくないといったこととは関係なく、生きる為に、ただ電車を走らせ続けているにすぎない。途中で、妻を乗せ、子供をのせ、やはり走り続ける。
仕事を初めて1年は無我夢中で走り続けた。
でも、2年目に入って、少しスピードを緩めた。周りの景色を見る余裕も少しできた。
しかし、レールはずっと先まで延びていて、一度停まってしまったら、もうゴールまでたどり着くことができないような気がする。
一度停まったら最後、自分の人生設計を根底から崩すことになるのがとても怖い。
麻理絵と結婚して子供を授かり、幸せな家庭を築く。それが、決められたレールだと思っていた。
でも、幸せか?
自分にはまだ結婚の意識はないが、麻理絵に押されて、その方向へ進みつつある。
仕事も2年目に入ると、誰でもできる仕事なのだと気づく。自分という存在意義は何だろう。
咲良の質問は、星野の心を大きく揺さぶった。
この社会で、『オレ』という唯一のものの存在意義はどこにある?
オレにとってのゴールはどこなんだ?
どうすれば、オレは幸せを感じることができるんだ?
アイツは、何でこういつもオレの心を揺さぶっていくんだろうな、と苦笑いしてしまう。
もう、20歳か。きっと、キレイになっているだろう。
無性に咲良に会いたかった。
咲良は、3年生となり塾長から2度目の面談を受けていた。今年も継続契約だ。
「最近、どうですか?」
塾長の質問は、相変わらずだ。
「はい。やっと、やりたいことが見つかりました。今、それに向けてがんばっています」
「そうですか。見つかりましたか。良かったですね」
塾長は、相変わらずニコニコしながら満足そうに頷いていた。
「そう言われれば、昨年とは顔つきが違いますね。活き活きとして見えますよ」
「ありがとうございます。自分の目標が定まると、いろいろと考え方も変わって、毎日がすごく楽しいです」
「そうですか。それはよかった。がんばって下さい」
塾長は、その目標が何なのか・・などと詮索したりはしない。
「はい、ありがとうございます。また、よろしくお願いします」
深々と頭を下げ、塾長室を後にした。
昨年と違って、面談時間は5分にも満たなかった。もう大丈夫だと判断されたのだろう。迷える子羊が1匹救われたようだ。
迷える子羊の咲良は、別の人からも救われていた。
星野との電話を切った後、持って行き場の無い気持ちをどこへもぶつけられず、ただ泣くしかなかった。
そして、孤独に耐え兼ねて、誰かにこの気持ちを聞いて欲しい一心から、スマホの悩み相談室のサイトに書き込みをした。
誰でもよかった。この苦しみを聞いてくれる人さえ見つかれば。
『2年間片思いしていた人が結婚するそうです。私も彼氏がいるとウソをつきました。その人が私を好きになってくれることはもう絶対にありません。自分の気持ちに区切りをつける時がきたようです。でも、苦しくてたまりません。どうすれば、この苦しみから解放されますか』
こう書き込みをした。
まあ、書いたところで、何が変わるわけでもないと思っていたのだが、深夜にも関わらず、すぐに返事がきた。
『辛かったですね。でも、残念ながらその苦しみから逃れることはできません。それは、時が解決してくれるのを待つしかありません。まずは、あなた自身を抱きしめてみて下さい。体温を感じますよね。深くゆっくりと呼吸してみて下さい。気持ちが落ち着いてきませんか?
無理に彼の事を忘れようとする必要はありません。好きならずっと好きでいいのです。今は苦しいでしょうが、この苦しみを乗り越えれば、あなたは、もっと強くなれます。もう眠ってはどうですか?明日、目が覚めれば、あなたは一日苦しみを乗り越えたことになります。
そうやって、毎日目覚めるたびに、乗り越えた自分を褒めてあげてはどうですか?まだまだ、あなたの人生はこれからですよ。
また、何かありましたら、気軽に相談してみて下さい 工藤 』
多分、何ら特別な事が書かれていたわけではなかったはずだ。
だが、今そこにいるかのように、咲良の話に耳を傾け、咲良にやさしく話しかけてくれた。この世界に自分は1人ではないのだと確信できた。
そして、明け方、咲良は眠りにつくことができた。
それから、工藤と名乗る男と、ネット上での交流がしばらく続いた。
工藤は、心理カウンセラーという仕事をしており、普段は病院に常駐しているとのことだった。
そして、ある日突然、自分の親友が自殺して亡くなった。
その数日前に会って話したというのに、その親友が抱えるの心の闇には全く気付かなかった。普段とは変わらない素振りで自殺する人には全く見えなかったという。
遺書もあった。
誰宛てともなく、
『ごめん。びっくりさせたよね。連絡受けて来る時は、ゆっくり来て。事故にあうといけないから』
そう書かれていたそうだ。
遺書と言えば、『ありがとう、さようなら』的な事が書いてあると思っていたのに、そんな事が書いてあったらしい。
一人暮らしをしていたので、職場に来ないのを心配した同僚が管理人と共に部屋に入り、首を吊って死んでいる男を発見した。
警察の現場検証で、置いてある遺書から自殺だと判断され、すぐに両親へ連絡された。
その時に、その遺書の文言を伝えたという。
どう考えても、前々から考え抜いた末の自殺だとは考えにくく、咄嗟の思いつきのような自殺だと思われた。
自殺する人は、自殺するような雰囲気を醸し出しているわけではないと、学んで知っていたにも関わらず、親友に対しては、何もできなかった。
心理カウンセラーという仕事をしているのに、自分はそんな肩書を名乗れるのか。自問自答したという。
自殺する人は、自分で自覚していなくても、多少なりとも、うつ病の症状がでていることが多い。
どうしたら、自殺する人を止められるのか。
悩んで、悩んで、悩みぬいた末、自分のできることをやるしかないと思い至った。
それは、少しでも自殺者を減らすこと。悩んでいる人の話を聞くこと。
その為、同じように賛同してくれる仲間数人で、悩み相談室のサイトを開設したという。
心理カウンセラーという名前の仕事を咲良は初めて聞いた。
医師ではないが、それなりの資格を取得して臨床経験も必要だと教えてくれた。
工藤の親友の話を聞いて、「苦しみからは逃れられない。時が解決してくれる」という言葉は、工藤の経験から出た重い言葉であるとわかった。
咲良とは比べ物にならないくらいの苦しみ。
その後、工藤の話に興味を持った咲良は、いろいろと調べて、大学で開講されている心理学に関する授業を3年時に履修した。心理学の世界は奥が深い。
興味を持ったら一直線。学びたい事がどんどん増えて、勉強することは山ほどあった。
人に寄り添う仕事ということは、自分自身をクリアにしていなければできない仕事だとわかった。
自分軸がしっかりしていなければ、傾聴もできないし、的確なアドバイスもできない。
なんとなくぼんやりとしていた目標が、徐々に明確になってきた。
そして、今、咲良には心理カウンセラーになるという夢ができた。




