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あなたに出会えてよかった  作者: 森の 緑


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12/14

もらったお守りと受験

 その頃、星野は熊本の祖父母宅にいた。

 田舎にありがちな、やたら大きな平屋で、築50年はゆうに過ぎていると思われる。すべてのふすまを外すと、40畳くらいの畳の間が出来上がる。

 お正月は、そこに親戚が一堂に集まり30人近くの宴会になる。本家の長男である父と嫁の母は、その準備のために、毎年、福岡から帰省する。星野にとっても、毎年の恒例行事となっている。 

 祖父と父が掃除を担当し、母が祖母と親戚の女性たちと協力して料理を担当する。星野は、雑用係として、買い出しをしたり、注文してい料理を受け取りに行ったりして忙しい。この春、車の免許を取ってからというもの、運転手としてすっかり当てにされてしまった。

 今年も、元旦に阿蘇神社へ初詣に行った。そして、迷った。

 咲良にお守りを買うべきかどうか。

 以前の苦い経験を思い出していたのだ。だからといって、教え子みんなに買って行くつもりもなかった。やはり、あの子も特別だったが、咲良は更に特別だった。自分でもよくわからないが、何かが違った。

 「そのピンク色の合格祈願のお守りを1つ下さい」

 悩んだが、やはり、買ってしまった。そして、横に置いてあった『恋愛成就』のお守りに何気なく目が留まった。

 「恋愛?」

 そうだ。この違和感。何かが違うと感じたもの。それは、あの子と咲良との決定的な違いだった。

 あの子には、特別だと思わせてしまった事を後悔した。だが、咲良には、特別だと思って欲しい。他のみんなとは全く違うのだと教えたい。そう思う自分がいる。目まいがしそうだった。

 『オレは、咲良のことが好きなのか?』

 思い当たる節はあった。

 あの合宿での宮崎の海だ。

 自分も負傷したというのに、咲良を助けることができたことが、心底うれしかった。咲良のほっとした表情を見て、自分のケガなどどうでもいいと思えた。咲良を守りたいと思った。その時の感情が恋愛感情だったとは思えない。緊迫した非日常的な状態においてのただの錯覚に過ぎない。

 だが、あれからというもの、あの時抱きしめた咲良の身体の感触が頭から離れなくなってしまった。

 ボロボロと涙を流す咲良、冷え切って震えていた咲良、水着の上からでもわかる胸のふくらみ、華奢だった体。

 若い生身の男なのだ。意識するなという方が無理な話だ。

 大事な生徒、教え子、高校生、それだけだと何度自分に言い聞かせてきただろう。

 あと3か月。受験が終わるまでの事だ。受験さえ終わってしまえば、もう咲良と会うこともなくなる。自分は社会人、咲良は大学生となり、それぞれ違う生活が始まる。そうなってしまえば、咲良を思い出すこともなくなるだろう。

 じゃあ、何でお守りなんか買った?いや、このお守りは、咲良が九大に合格するための祈願として買った。特に目をかけた生徒だから渡す。それだけのことだ。

 しかし、現実問題として、九大はかなり厳しい。今までが、暗記重視の勉強法だったためか、思考力が開花しきれていない。数学を解くためには、この思考力が絶対不可欠なのに、それが欠如しているのは、少々厄介だ。

 今更そんな事を言っても仕方ないのだが・・。

 今できることは、公式を暗記して、当てはめて解くこと。基本問題は絶対に落とさない事。それで点数を稼ぐ以外に方法は無い。

 共通テストまで、あと半月。咲良は、今も必死に勉強しているに違いない。


 「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 「明けましておめでとうございます。こちらこそ、よろしく」

 正月三が日が明けて、今年最初の塾が始まった。

 毎年、この日は、一日中生徒が来る度に、このあいさつが繰り返される。

 年末最後の塾から4日しか経っていないというのに、年が明けただけで、新たな気持ちになり、やる気がみなぎってくる。大晦日にすべてリセットされ、元旦に新たにスタートする。昔からあることとはいえ、1年を365日と決め、1年ごとにスタートのチャンスを与えることを考えた昔の人はすばらしいと、つくづく思えた。

 「先生、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 咲良も同じように星野にあいさつをして、深々と頭を下げた。

 「明けましておめでとう。今年もよろしく。正月もしっかり勉強したか?」

 「うん。塾メンで太宰府天満宮に初詣には行ったけど、それ以外は、ずーーーーーーーーっと勉強してました」

 息が続く限り、ずーーーーーーっとを強調してみた。

 「よろしい。天満宮の息抜きも許そう」

 「先生の許可いる?」

 「いるさ。『その後、みんなでカラオケ行きました』なんて言ったら、ぶっ飛ばさないといけないし」

 星野は、ボクシングのファイティングポーズをしてみせる。

 「あはは、さすがにカラオケは行ってないよ。すべては受験が終わってからの楽しみにしてます」

 本当にそうだ。受験を決めてからというもの、帰りに友達とカラオケに行くことも、お茶して帰ることもしなかった。大袈裟ではなく、学校と塾と家の往復のような生活をしてきたのだ。だからこそ、ここまで成績が上がった。それはわかっている。でも、あと一歩目標に届いていない。

 「ほら、これあげる」

 星野が、神社の紋様の入った白い小さな紙の袋を咲良に手渡した。

 「お守り?」

 「そう。オレの受験の時には必ず持って行ったお守り。熊本の阿蘇神社の特別な物だぞ。オレは、このお守りを持って行って、受験で失敗したことはない。とにかく、ご利益がすごいお守りなんだ」

 「ほんと?」

 咲良は、そっと袋の中からお守りを取り出した。ピンク色で表に学業成就、裏に阿蘇神社と書いてあった。そして、クスっと笑った。

 「さくらだからピンク?」

 「まあな。合格も桜だから縁起いいだろ?」

 咲良の言ったことが図星だったので、慌てて、縁起がいい・・を付け足した。

 「うん。ありがとう、先生。熊本って彼女と遊びに行ったの?」

 「いや、オレの父方の実家が熊本なんだよ。だから、年末年始はそこへ帰省。これだけは、毎年の恒例行事で外してくれない。受験の時にも連れて行かされたからな」

 「へえー、そうなんだ」

 咲良は、内心少しうれしかった。彼女とデートしながら買ったと聞かされたら、少しつらい。

 「それから、これは大事。このお守りは、咲良にだけ買ってきたから。他の人には内緒だぞ」

 そう言って、人差し指を口に当て、しーっという仕草をして見せた。

 「え?ほんと?」

 咲良の顔がぱっと明るくなり、みるみる紅潮していった。そして、愛おしそうにお守りを頬ずりした。

 その様子を星野は愛おしそうに見つめた。

 「うれしい~。私だけなんだよね?なんか、そういうのってすごくうれしい」

 満面の笑みでお守りを握りしめる。

 大好きな星野から、自分だけがもらったお守り。自分は特別なのだと思えただけで、満足だった。

 彼女がいるのはわかっている。でも、たくさんいる生徒中では、星野にとって自分が一番なのだ。

 「このお守りで落ちた人はいないからな。落ちたら責任取って、神様にあやまりに行ってもらうぞ」

 「行く行くー。いや、違うか。行かなくていいようにがんばります。ほんと、先生ありがとう。めっちゃテンション上がった。ありがとう~」

 もう一度、お守りに頬ずりした。

 そうだ、がんばるしかないのだ。限界以上の力が出るような気がした。

 「じゃあ、勉強してくる」

 そう言うと、咲良は隣の学習室へと足早に去って行った。


 星野は、咲良の様子を微笑みながら、満足そうに見ていた。きっと、こういう反応だろうと思う事を、そのまま咲良はやってのけた。

 そして、星野は思い出していた。

 咲良が塾に来始めた頃、彼女がいるかと聞かれ、いると答えた。

 塾の先生というのは、受験というマラソンを走る生徒の伴走者だ。生徒は、苦しいマラソンを走り切った時、ずっと傍らにいた先生が最愛の者であるかのような錯覚を覚える。そして、その勢いのまま告白されることが度々起こる。

 星野が告白されたのは、あの子だけではなかった。だから、咲良の事も予防線を張っておいたのだ。彼女がいると言っておけば、好きになられることもないだろう、と。

 実際、塾のアルバイトで出会いは無かった。同じバイト仲間の女子大生はいるが、特にそういった関係にはならなかった。大学に入って何人かの女性と付き合ったが、長くは続かなかった。

 星野が忙し過ぎたのだ。大学の授業は、研究もあり、レポートの提出の量が半端じゃなかった。しかも、塾では人気講師になってしまったため、入れるだけは入ってくれと頼まれていた。

 そうなると、もちろんデートの時間など捻出できるはずもなかった。いや、本当に好きだったなら、時間など何としてでも捻出していたはずだ。なので、それほど好きではなかったということだろう。

 咲良はどうだ?

 日曜日の塾が休みの日以外は、ほぼ毎日顔を見ている。日曜日、たった1日顔を見ないだけで、寂しく思うことがある。

 ただ一緒に居て、勉強を教えているだけで、十分に満ち足りた気持ちになった。会話の内容が、ほぼ勉強の事でも、その合間のちょっとした雑談が楽しかった。咲良の私生活を覗けたようでうれしかった。

 学習室で、風見と肩を寄せ合って話しているのを見ると、わけもなく無性に腹が立った。思わず、テストを返却するふりをして咲良を呼びつけて、風見と引き離したりもした。何度、風見を背後からぶんなぐってやろうと思ったことか・・。完全に嫉妬だ。

 担当の曜日でもないのに、わざわざ塾へ来ていたのは、咲良の勉強を見てあげたかったこともあるが、ただ咲良の顔が見たかったに過ぎない。

 咲良の顔を見られただけで、その日一日を幸せだと感じることができた。

 マラソンの伴走者が、マラソン選手を最愛の者だと思ってどうする。完全に逆だ。

 せっかく4日間の休みだったのに、咲良に会えないだけで、無駄な4日間に思えた。そして、今日会えた喜びは、想像以上だった。

 「ああ、オレは完全にいっちゃってるなー」

 そうつぶやいて、天を仰いだ。


 その日の朝は、小雪が舞っていた。本降りになる前にと、早い時間に会場の大学へ行く生徒が多かった。

 咲良も、予定していた時刻よりも1時間早い電車に乗った。毎年、この時期になると、ニュースでは、大雪の為、受験生の足に影響が出るといった内容の事を伝えている。

 『毎年の事なのに、何でこんな時期に試験をするのよ。インフルエンザも流行るのに』

 咲良は大声で叫びたい気分だった。だが、秋にやれば、台風の影響で交通網がマヒしてしまう可能性もあるのだ。いつでもどんな時でも何かしらある。与えられた時に与えられた事をする他ないのだ。

 電車を降りると、雪はますます勢いを増していた。コートに手袋、マフラー、背中とお腹にはカイロを貼っていても、手足が冷えて感覚を失っていく。手がかじかんでしまっては、鉛筆を持つ手に支障がでてしまう。

 早めに来てよかった、教室でゆっくり手を温められる、と少し気持ちが和らいだ。

 昨日は、受験生が集められ、塾長から一人ずつ太宰府天満宮のお守りを渡された。校長、塾長らが合格祈願へ赴き、いただいたありがたいお守りなのだという。

 咲良の手元には、3つのお守りがある。

 塾からもらったお守り、自分で買ったお守り、そして、星野からもらったお守りだ。

 「絶対に先生を失望させたくない」その一心で、今日まで残り少ない日々、時間を惜しんで勉強した。たった2週間程度で何が変わるはずもないが、気合の入り具合は十分だった。

 好きな人のためというのは、最大のモチベーションになる。今までの成果を、今日発揮する。

 会場の教室は暖房が効いていて、全く寒さは感じなかった。席についた生徒たちは、参考書を開いて最後の追い込みをしている。

 思ったほど緊張はしていなかった。

 『いつもの調子で行け』星野から、昨日、最後にかけられた言葉だった。

 寒さでかじかんだ手をカイロで温めながら、星野からもらったお守りをそっと撫でた。


 さあ、勝負だ。


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