サービス業という不健康なもの
大都市近郊には、不動産屋と車屋(自動車の販売店や修理屋)が多い。
利幅が大きいからだと思う。
こんなに数多くの店がやって行けるだけ、需要もあるのだろう。
これらの店が半分閉店したとしても、逆に2倍に増えてとしても、
自分の生活には何の変化もなさそうだ。
区役所や出張所、公民館、銀行、コンビニやドラッグストアの店舗も似た様に「過剰にある」と思う。
これらは昔、第3次産業と呼ばれていた。もっと狭義ではサービス業とも呼ぶ。
農林水産業などの食糧生産(第1次産業)でも鉱工業(第2次産業)でもなく、
その他の産業が全てこの分類に入る。
住居や移動手段である乗り物を人から人に転売する商売である。
家も車も高価であるし、時計や宝石の様に無くても生活できる贅沢品でもない。
売っている物の価値がハッキリしない上に不安定でもある。
物の値段とサービスの価値とは人間同士で勝手に決めている様な、曖昧で胡散臭い、
詐欺師やヤクザや悪徳政治家とかが暗躍する裏世界の匂いがプンプンする。
人を騙したり懐柔したり喜ばせたり悲しませたりする、麻薬や煙草や酒の様な有害物の匂いが…。
これらに共通の問題点は依存性が有る事だ。
金にも依存性が有る、と思う。
「それにつけても、金の欲しさよ」とは、常に下の句として使えるそうだ。
ユークリッドに「幾何学の意義」を質問した人は「お前は金が欲しいだけだろう」と追い返されたそうだ。
この小話を、就職して初めて先輩社員の前で披露したら、誰も反応しなかった。
それで、まともに聴いていないと分かった。
社長や部長などと同じ様に人前で話す訓練なのにね。
この経験があったからこそ、その後どんなに理不尽な仕事が来ても、
何とか耐えて定年まで我慢出来たのだ。
現代人は多くの人が「金が欲しいという病」にかかっている。
権力が欲しかったり他人の土地や財産が欲しいと思うのも同類である。
だから、「友達が欲しい」とか「配偶者が欲しい」とか「孫と一緒に遊びたい」とか。
そう考えている人は健康な人なのだ。
僕は今、とても健康である。