真実の愛ですか……
ずっと浮かんでいてようやく形になった
わたくしには大事な宝物がある。
『これが使われずに忘れられるのが一番いいんだろうけど』
渡してくれた時のあのぬくもりも忘れられないだろう。だけど、必死に押し隠して貴族令嬢としての務めを果たそうと努力した。
たぶん、このまま幼い時の柔らかい思い出としてどんどん薄れていくだろうなと思っていたのだが、周りが怪しくなってきたのでしまい込んでいた宝物を取り出したのは、一年前だった。
「オオルリ・キュリア。貴様との婚約を破棄する」
王城で建国記念の式典でいきなり婚約者である王太子に宣言された。
「なぜ。とお聞きしてよろしいでしょうか……」
「はっ、決まっている!! 貴様がツグミに嫌がらせをしたからだ!!」
王太子の傍には男爵令嬢が怯えたように腕を掴んで隠れている。
「嫌がらせ……? 何故、わたくしが?」
首を傾げ心底不思議に思ったので尋ねるオオルリに、
「惚けるなっ!! お前が真実の愛の相手であるツグミに嫉妬して嫌がらせをしたのをこっちは知っているのだぞっ!!」
真実の愛という言葉にオオルリの内面が漏れ出しそうになったが、オオルリはそれを貴族の義務という言葉で抑え込む。
「真実の愛……? それはつまり浮気と言うことでは……」
「はっ、馬鹿馬鹿しい!! それこそ浅ましい嫉妬だろう。お前はそんな言葉を使わなければ俺を抑えつけれないと思っているんだろう」
何を言っているのか理解できない。
抑えつける?
浅ましい嫉妬?
「貴族の義務で結ばれた婚約ですよ。そんな」
「そんなもの。何の役にも立たないだろう」
意味が理解できずに視線を両陛下に向ける。きっと王太子を窘めてくれるかと思ったのだが、
「義務などと言う言葉でしか息子に縋れないなんて弱い娘ね。そんな娘に息子を任せられないわね」
王妃の声がゆっくり響いた。
「そうですね。母上。真実の愛ほど価値のあるものはないですからね。まあ、ここで縋れば側室として役に……」
そこまで聞いて、今まで貴族の義務とか淑女としてあるべき姿という言葉で抑え込んでいたものが耐えられなくなって爆発した。
「そうですか。――真実の愛はそれほど価値があるのですか」
「当然だ」
オオルリの言葉が少し棘のあるものに変わったのに誰も気づかない。それどころか勝ち誇ったように、王太子は肯定する。
「では、それほどまで価値のあるものを誰も妨げてはいけないと」
「決まっている。真実の愛なのだから」
王太子の言葉と共に懐にずっと持っていた宝物を取り出す。取り出して、それを天井に思いっきり投げつけた。
『お父さま。わたくしはツバメを愛しています。お父さまも婚約を認めてくださったではありませんか!!』
幼いオオルリの声と共に映像が会場の天井に映し出される。
『王命は絶対だ』
『ですが……』
『真実の愛などくだらない。貴族として果たすべきことをしろ』
告げる言葉と同時に幼いオオルリの左手の薬指に填められていた指輪を抜き取られて捨てられる。必死に取り戻そうとするオオルリを押さえつけて指輪は彼女の手が届かない場所に消えていくのが映像として映される。
王太子妃教育として常に勉強をしているオオルリ。僅かな間違いがあると彼女の手の甲を鞭で叩かれる。
『これくらいできないでどうするのですか』
『王妃様。すみません。ですが、お腹が空いて……』
『たかが、2日抜いたくらいで死にませんよ。平民はもっと食べられない者がいるのですから』
言っていることは正しい。だけど、王妃の眼差しは加虐的なものが見えていた。
『貴方は王太子妃になるのですよ。そのためなら出来ますよね』
出来ないと告げたら何をされるかという恐怖が伝わってくるような光景に、今まで慈悲深い王妃だと思っていた人々は怯えたように青ざめていく。
『殿下。帝王学の先生がお見えですよっ!!』
オオルリが慌てたように王太子の後ろ姿を見かけて声を掛ける。
『少しは休ませろよ』
『ですが、そう言って前回も』
オオルリの言葉に王太子は溜息を吐いて、
『たかが公爵令嬢だから王太子妃に選ばれたお前と違って僕はするべきことがたくさんあるんだ。少しは自由時間を貰ってもいいだろう。その分お前がやれよ。無理やり王太子妃になったんだから……』
『違います……』
『嘘言わなくてもいい。分かっているんだぞ。権力を使って無理やり王太子妃になった分際で』
王太子の傍には見目麗しい女性の姿。
『お父さま……わたくしは王太子妃になりたくありません……』
『王命だ。聞き入れろ』
『ですがっ!!』
『貴族の義務を蔑ろにするつもりかっ!!』
声を荒上げる父親の姿に、怯える少女の姿。
そして――。
『オオルリ。試作品の魔道具だけどあげるよ』
『ツバメ。これは何なのです?』
『これはね。苦しい記憶とか悲しい心を少しだけ吸い取ってくれる道具。その時の記憶や感情がわずかでも薄まれば時が癒すまで耐える人が減るかもしれないと思って作ってみたんだ。でも、本当はこんなものに頼らず忘れられたら一番だけどね』
そっと触れる優しいぬくもりが伝わるような光景。
『だけど、これは一時的に封じてあるだけ、もし壊れたら封じていた記憶が映像として見えてしまうかもしれないね』
その時に心は耐えられるか。
優しい優しいツバメの声を聞きながらそっとその場から立ち去っていく。
わたくしはずっと耐えた。貴族の務め。淑女としての矜持。だけど、わたくしのこの努力を踏みにじり、わたくしからツバメとの未来を奪ったくせに、自分がそれを大義名分としてわたくしのすべてを壊すつもりなら容赦しないと。
阿鼻叫喚な会場を後にしてゆっくり外に出る。
「派手にやったね。――僕の出番はなかったよ」
馬車の前に立つ一人の青年。
「お姫さまを助けに来たつもりだったけど、ただの道化に終わったよ」
肩をすくめる彼は、とある国で魔道具作りの第一人者として爵位を貰ったと風の噂で聞いていた。人の心の傷を和らげる魔道具で多くの人を助けたとか。
その国の貴族に気に入られて多くの令嬢との結婚を薦められているが、想い続けている人が居るからと断り続けているとか。
「いいえ。もう会えないと諦めていたから……会えて嬉しいわ」
ツバメ。
そっと名前を呼ぶと、彼はわたくしを抱きしめてくれる。
くだらないと言われて奪われていた真実の愛をわたくしはやっと取り戻せたのだった。
自分は真実の愛を諦めたのに真実の愛を理由に婚約破棄されたら怒れますよね