王妃と鏡~白雪姫~
この国には賢君と称えられる王様がいます。その王様には美しい王妃がいました。
「鏡よ、鏡、鏡さん。この国で一番美しいのはだあれ」
王妃はいつものように自分の部屋にある魔法の鏡に尋ねます。王妃が王様に嫁いだ時、まだ少女だった頃は嬉しそうに鏡に尋ねていました。でも今は違います。なぜなら鏡がこう答えるようになったからです。
「この国で一番美しいのはあなたの娘、白雪姫です」
王妃はガタガタ震えました。
「狩人さん、狩人さん! あの子をちゃんと遠くの森へ置いてきたのでしょ!?」
「はい。王妃様」
王妃の部屋の隅にいる男が膝をついて答えます。長い縮れ毛の髪の毛は、男の目を覆い隠し表情がよくわかりません。
「ああ、なんてこと。教えて、鏡さん。わたしが一番美しくなるにはどうしたらいいの? どの化粧品を使えばいい? どんなおまじないが利くの?」
「……愚かな人だ」
狩人は王妃には聞こえない声で呟きました。
「いまだにあんなヒヒじじいの愛を求めるなんて」
王妃は狩人がいつの間にか消えているのに気づきませんでした。ドアも窓も開きませんでしたから。
この国で一番美しい人とはどんな人でしょう。それは決まっています。この国で一番偉い王様に愛される人です。鏡の答えは時々変わりました。
「一番美しいのは、公爵の末娘です」
「メイドのメアリーです」
「町娘のアンです」
王妃はその度にその娘達を王様から遠ざけたり、めいっぱい着飾ったりして王様の愛を取り戻してきました。王様は王妃と二十も歳が離れていましたが、それでも王妃は賢君と呼ばれる王様を慕っていたのです。
でもとうとう鏡は恐ろしい言葉を放ったのです。
「この国で一番美しいのは白雪姫です」
白雪姫は正真正銘、王妃と王様の娘でした。でも王妃も薄々気づいていたのです。王様の白雪姫を見る目が濁ったケダモノの目のようだと。
パニックになった王妃は急いで鏡に尋ねました。
「鏡さん、お願い、助けて! あの子をどうすればいいの!?」
「森に捨ててしまえばいいのです」
鏡がそう答えると、王妃の後ろに長い縮れ毛の髪の男が現れました。
「わたしにお任せください」
男は狩人だと言いました。王妃は突然現れたその狩人に驚きましたが、不思議と恐れる気にはなれませんでした。その声が鏡の声と似ていたからかもしれません。
狩人は白雪姫を城から誘い出し、遠くの森に置き去りにしました。でも鏡はまだ答えます。この国で一番美しいのは白雪姫だと。
王様は白雪姫が死んでしまったとお触れを出しました。でもその裏では白雪姫を探し続けていました。
「王様は白雪姫に似た女性を見つけた事にし、本物の娘である事を隠して白雪姫と結婚しようとしているのです」
「そんな事……」
震える王妃に鏡は言いました。
「白雪姫を殺してしまいなさい。白雪姫を呪われた人生から解き放ってあげるのです」
狩人がまた現れて、王妃にしめひもを渡しました。王妃は自分の胸が締めつけられるようでした。でもこれが白雪姫を救う事だと信じ、小間物売りの老婆に変装して白雪姫の元に向かいました。
白雪姫は狩人が教えてくれたとおり、森に住む七人の小人の家にいました。七人の小人が留守にしたのを見計らって王妃は白雪姫に声をかけ、白雪姫を絞め殺してしまいました。
城に帰った王妃は泣きました。泣き疲れた頃、また鏡に尋ねました。
「鏡よ、鏡、鏡さん。この国で一番美しいのはだあれ」
「それは七人の小人に助けられた白雪姫です」
王妃は白雪姫が生きている事を知りました。王様の出している捜索隊は近い内に白雪姫を見つけてしまうでしょう。絶望する王妃の前にまた狩人が現れました。その手には櫛を持っています。
「この毒のついた櫛で、白雪姫の髪を梳かしなさい。白雪姫は苦しまずに死ぬ事ができる」
王妃は櫛を受け取り、前とは別の老婆に変装して言う通りにしました。そして帰ってきた王妃は、疲れて椅子に座り込みました。
「神様、あなたはどうしてわたしにこんなひどい運命をお授けになったの。実の娘を二回も殺さなければいけないなんて」
その日を泥のように眠った王妃は、浮かない気持ちでまた鏡に尋ねました。
「鏡よ、鏡、鏡さん。この国で一番美しいのはだあれ」
「それは七人の小人に助けられた白雪姫です」
王妃は眩暈がして倒れそうになりました。そこをいつの間にかいた狩人が支えます。そして王妃の耳元に囁くのです。
「この毒リンゴを白雪姫に食べさせなさい。王様の手の者が迫っている。もう時間はない。白雪姫が見つかれば、あなたは魔女として殺されてしまう」
王妃は蒼白になりながら、毒リンゴを受け取りました。そしてまた別の老婆に変装し、白雪姫に毒リンゴを食べさせる事に成功したのでした。
王妃は走りました。木の根につまずいて、思い切り転びます。泥と涙が混ざり、その顔は汚れてしまっていました。起き上がる事もできず、声にならない声で泣き続けました。
「狩人さん、お願い。あの子を助けて! あの子を助けて!」
狩人は遠くでその声を聞いていました。狩人の前には七人の小人に棺に納められた白雪姫がいます。七人の小人は言いました。
「わからないのか、鏡の悪魔よ」
「王妃が望むのは白雪姫の幸せ」
「自分の娘を殺してしまう王妃に」
「二度と幸せは訪れない」
「王妃を愛しているのなら」
「愛してしまったのなら」
「王妃の心を救え」
王妃の嘆きは、悲鳴は、悲痛な願いは、いつまでも聞こえています。狩人の長い前髪が揺れて、苦痛に満ちた表情が見えました。
「わたしは間違っていたというのか。あの人を死の運命から逃れさせるために、白雪姫を殺させようとした事は間違っていたと……!」
狩人は魔法の力を使いました。眠る白雪姫が、隣国の幸せな王子に出会えるように。でも代わりに王妃は魔女として処刑されてしまいました。
神の使いである七人の小人は、王妃の魂を神様の元へは持っていかず、鏡の前に持ってきました。魂は鏡の中に吸い込まれていきます。
鏡の悪魔は王妃の前に跪きました。王妃はにこっと笑います。
「白雪姫を助けてくれてありがとう。わたしの大好きな鏡さん。ずっとわたしといてくださいね」
鏡の悪魔は「はい」と、涙をこらえた声で答えました。
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