第九十一話 海の星の聖母
無事マリア・ステラ号を脱出できたロジェ一行だが、『タイムマシン』を完成させるにはある人に会わないといけなくて……?オルテンシアも動き出す第九十一話!
「マリアはどこにいるの?」
「中央広場、に出て?クルよ、う設定さレテイ、ル……」
ロジェの問いに『博士』は息も絶え絶えに答えた。
「歩けるか」
ヨハンは声を潜めて問うた。
「ダイジョ、うぶだ」
その言葉とは裏腹に、『博士』の足取りはよたついていた。もう、全て終わる。
「……それなら向かいましょう。貴方の娘を見届ける為に」
ロジェ達は足早に中央広場へ向かった。そこかしこで争いや疑問、感情の渋滞が起こり、けたたましい機械音と警告音が交錯する不穏な空気に包まれている。突如、広場の床が激しい振動とともに亀裂を走らせ、まるで長い間封じ込められていた何かが目覚めようとしているかのように、ゆっくりと剥がれ落ちる。サディコがぴょんと後ろに跳ねた。
『うわぁっ!』
亀裂から漏れ出す淡い光が次第に増幅されていく。アンドロイド達の無数のセンサーが一斉に異常信号を発し、暴走状態のプログラムが混乱の極みに達する中、突然、深淵の中から一筋の光が天に向かって伸びた。
そして静寂。光の中から現れたのは、一陣の柔らかな輝きをまとった一人の少女だった。金色の髪はライトに照らされ、陶器のような白い肌は輝きを放っている。
教皇の祭服を彷彿とさせる装いを纏い、首元には純白の肌に刻まれた黒いバーコードが、それに挟まれた王笏を手に持つ。静謐なる表情を浮かべた瞳は、まるで遠い旧人類の記憶を宿すかのように、深い歴史と哀愁を秘めている。
『マリア』は、中央広場の床が完全に開いたその場所から、ゆっくりと、しかし確固たる足取りで姿を現した。周囲の混沌としたアンドロイド達は、一瞬の静寂とともにその姿に釘付けになった。まるで長い間忘れ去られていた聖なる存在の再来を目の当たりにしたかのように、内部システムが激しく乱れ始める。
「貴女が、マリア……」
「私を起こしたのは、貴方々ですか」
辺りを照らす、浄化する声。ただ真っ直ぐに事実だけを見る瞳。
「そうだ」
マリアはヨハンからの返答を受けてじっとロジェを見詰めた。動乱は静かにマリアを見詰めている。
「随分と果てしない旅をしていらっしゃったのですね。そしてここに辿り着き、終焉をもたらした。貴女の旅路は世界に喜びをもたらすでしょう」
マリアが王笏を掲げると先についたルビーが輝いた。煌めきを見届けたアンドロイド達は元通りになり、隊列を作る。すると大きな扉が空いた。果てしない宙が見える。
「聞きなさい、己を探す旅人よ。貴方々は神話を見ているのです」
周りのアンドロイド達は一体、また一体と宇宙へ身を投げ出す。異様な光景にロジェはたじろいだ。
「我が執り成しに、逆らいうるものなからじ」
無事命令が届いたのを見届けると『博士』は喜びながら膝をついた。
「コレだ、これ、で……ま りあ ステラ オワる……全テノ スフィア ロク キ エタ」
限界に近い『博士』はヨハンに鍵を渡した。
「こ れたいむまし んの 鍵 わた……」
言い切らず、『博士』は倒れた。もう稼働している気配は無い。
「……有難う」
鍵を胸ポケットに仕舞うと、サディコがロジェの足に絡みついた。
『逃げよーよ。ここもう駄目になるよ?』
「そうね。サラも行きましょう」
「ううん。私はここに残る」
驚きと当然が入り交じった表情をロジェは出した。故郷を壊しておいて、自分に何かを言う資格は無い。
「やっぱりここが私の故郷だから。地上にいても生きられないもん。誰も一緒にいてくれないし。みんな死んじゃうでしょ?それに、せっかく練習してきた踊りを誰にも見て貰えないなんて悲しいじゃない」
脱出ポッドはこっち、とサラはロジェの手を優しく引く。少女は悲しみを湛えることしか出来ない。
「そんな悲しそうな顔しないで。私の自爆スイッチはね、綺麗な花びらが舞うの。ちゃんとみててね」
マリア・ステラは大きく揺れ、その反動はロジェを脱出ポッドの奥へ押し込んだ。乗り込もうとしたヨハンに、
「計画壊しちゃってごめんね」
くすくす、とサラは屈託なく笑いながらヨハンの耳元で囁いた。
「……いつから」
ヨハンの眼は驚きを抱いてサラを見ていた。自分はいつか居なくなる。だからこそロジェの傍に誰かいるよう、サラを連れて帰るつもりだった。バレていないはずだったのに。
「途中から」
ポッド内からは早く入るよう急かすサディコの声が聞こえる。ロジェは不思議そうにこちらを見ていた。
「大丈夫だよ。ロジェはきっと……別れの辛さに打ち勝てる人だから」
本当だろうか。いや、本当だろう。探求の為に身を投げ出せる人間なのだ。きっと、きっと大丈夫。
「ていうか自分は死ぬのにロボットには頼むってちょっと自己中だと思うわよ?」
「……返す言葉もない」
「まぁ良いわ。欠陥があってこそ人間だもの」
それじゃあ、という前にサラはぽん、とヨハンを押した。その華奢な身体付きからは想像できないほど強い力で押し込められ、扉が閉まる。
システムが自動的に発進シークエンスを開始する。ロジェは身体を起こし透過ガラス越しにサラの姿を最後に捉えた。アンドロイドは……少女は微笑んでいた。何の悔いもない笑み。
「サラ!」
ロジェが名を呼ぶと、サラは軽く手を振った。そしてゆっくりとポーズを取った。彼女の最期の舞台が始まる。
『発進シークエンス、カウント開始』
機械的な音声が響く中、ロジェは拳を握りしめた。何か言わなければならない気がした。でも、喉につかえて何も言えない。
ヨハンは黙って天井を仰ぎ、目を閉じた。その傍らではサディコが丸まって、しゅんとしながらロジェの足元に寄り添っている。
そして。
その時が訪れる。
宇宙空間へと投げ出される脱出ポッドの窓から、ロジェは広大な暗黒の中で光を放つマリア・ステラを見つめた。
ゆっくりと、しかし確実に、艦のあちこちが崩れ落ち、無数のアンドロイド達がその中に消えていく。サラの言葉の通り、彼女のステップが佳境になればなるほど、構成していた鉄が花びらのように消えていく。
「……本当に、花みたい」
ロジェが呟くと、ヨハンはぼんやりと目を開け、窓の向こうを見やった。
「……ああ」
サディコが小さく鼻を鳴らす。
「ねぇヨハン。これで良かったのかしら」
「……そう思うしか無いだろうな。彼女が決めたことだから」
ヨハンは後ろ髪を引かれる様な思いで呟いた。今回の件はただの自分のエゴだ。ロジェがこのことを知ったらどう思うだろう。軽蔑するだろうか。
ヨハンは胸元から出した何の変哲もない鍵をかざして、マリア・ステラから落ちてきた廃棄済みアンドロイドと目が合った。
「それ……『博士』から貰ったものよね」
「そうだ。偽物じゃないことを祈る」
『本物だよ。ちゃんと神器の流れがある。けど……まだ完成体じゃないね』
じっとサディコは鍵を見詰める。
「どうすればいいんだ?」
『『空間の塔』に行けばいいかもね』
「え゛っ……」
聞き馴染みのある言葉にロジェはひしゃげた声を上げた。
「何だよその声。心当たりでもあるのか?」
「大ありよ!ねぇサディコ!他に方法は無いの!?」
『あはは!ないない!あそこにいる人達以外に『タイムマシン』をどうこうできる人はいないよ!』
「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
ロジェは転がり笑うサディコを見ながら力無く座った。ヨハンが冷静に尋ねる。
「説明してくれるか」
ロジェは頭を抱えたまま、忌々しげに言った。
「あー……言ってなかったっけ。私の姉二人が幽閉されてる場所よ。……世界の端にある監獄みたいな塔」
「幽閉? 何をやらかした?」
ヨハンは眉をひそめた。ロジェは大きくため息をつく。
「男癖が悪すぎたのよ」
「は?」
ロジェは疲れた口振りで続ける。
「モルガンお姉様が船を沈没させるのが趣味でね。沈没させて生き残った男の人を漁るのがアルチーナお姉様の趣味だったのよ」
『究極のwin-winだね』
「最悪の、の間違いでしょ」
ヨハンはロジェをまじまじと見つめた。
「君も苦労してるんだな」
「全くよほんと」
ロジェは身体の力を抜いてヨハンに視線を遣る。
「ともかく。塔には私だけで行くわ。あの二人に男の人を会わせると思うだけでゾッとする……」
「別に行ってもいいんだぞ」
ニヤリと笑うヨハンに、ロジェは即座に申し出を拒否した。
「絶対にダメ!」
彼女の顔はひどく青ざめ、心底嫌そうな表情をしている。ヨハンは眉をひそめた。
「そこまで警戒する必要があるのか?」
「あるに決まってるじゃない!」
ロジェは荒々しく頭を掻いた。
「いい?アルチーナお姉様はね、顔が良くて賢い男が大好物なの! あんたなんか連れて行ったら、それこそ食われるわよ!」
ヨハンの眉が僅かに動いた。
「……比喩表現だよな?」
「それで済まないのがあの人達なのよ」
そもそも、とロジェは付け加える。
「『空間の塔』は幽閉場所でもあるし禁域なの。私達親族や国の関係者以外立ち入り禁止よ」
「仕方ない。興味があったんだが……行くのは君だけにしておこう」
ヨハンはわざとらしく諦めたように頷いた。ロジェは大きく安堵の息を吐くと、ポッドの航路を微調整し始めた。そう。そこまでは覚えている。
「じゃあ決まりね。私が塔に行ってお姉様たちに鍵を完成させてもらう。それまで二人はどこかで待ってて」
確か他愛のない話で笑って……その先が思い出せない。どこで身を隠すかの話だったっけ?だめ、全く思い出せない──私は、何を──
「ふわぁ……散々なお目覚めだねぇ」
朧月夜邸の寝室。オルテンシアはぐぐ、と身体を伸ばして崩れゆく己の固有魔法を寝台から見ていた。マリア・ステラ号にそんなものがあったことには素直な驚きだが、計画は順調に進んでいる。
「お嬢様。お目覚めになりましたか」
見計らった様に入ってきたテュリーを見ながら、オルテンシアは欠伸をした。
「たっぷり寝たからねぇ。ふふ……いろいろあったみたいだし。ヤンと一戦交えたんだって?」
テュリーは僅かに眉を寄せ、静かに跪いた。
「……申し訳ございません、お嬢様。ヨハンには及びませんでした」
その声は悔恨に満ちている。だが、オルテンシアは特に気にした様子もなく、ふふっと喉を鳴らした。
「いいんだよ。テュリーはそれでいい……ふふ、それに大事なのはそこじゃないんだもの……」
オルテンシアは楽しげな様子で、紫色の瞳を細めた。衣擦れから伸びた手がテュリーの頬を撫でる。
「この世界をつつがなく、平和に統治するには、彼が『この世界に残る理由』を見つけないといけない。なのに今はそれがない。帰ることばかり考えているんだよ?……だったら、考え直させてあげなきゃね?」
テュリーは息を呑んだ。
「まさか……お嬢様、ヨハンをこの世界に縛り付けるおつもりですか?」
「んー……あの人だけじゃないかな。ロジェお姉ちゃんと一緒に、この世界にい続けないとダメなんだよ。二人は仲良しだからきっと上手くいくはず」
香しい匂いと柔らかな感触が離れた。オルテンシアは手を引いてテュリーと共に窓辺に近寄る。
「あたし、すっごい楽しみなんだぁ。ロジェお姉ちゃんが壊れて、ヤンがどうすればいいか分かんなくなっちゃうの。想像するだけでゾクゾクするよねぇ……?」
テュリーの目にはいつもと変わらないオルテンシアが写っている。だけどその影は伸びに伸びて、最早創造神としての威光はない。ただこの世界に絶対的な、誰がなんと言うと否定させない幸福をもたらそうとする何か。オルテンシアの尺度で図られた、オルテンシアだけが望む世界。
そんな思考を見破ったのか、少女は蠱惑的に笑って小さなまろい爪でテュリーの甲に引っ掻いた。
「ね、あたしの可愛いテュルコワーズ。お願いがあるの」
オルテンシアがまるで甘えるようにテュリーの肩へ頭を乗せる。そのまま、囁くように言った。
「何なりと」
テュリーは跪いた。少女の小さな手が、彼の髪を優しく撫でる。
「ロジェお姉ちゃんはすっかり成長したよね。ヤンとロジェお姉ちゃんは仲良し。だからさぁ……」
オルテンシアの笑みは、あまりにも慈悲深く、そして、恐ろしかった。
「ロジェお姉ちゃんを、壊しておいで」
その言葉に、テュリーの心臓が跳ねた。それでも言う言葉は決まっている。それ以外言えることは……いや、言えるかもしれない。それでもテュリーはその場に跪き、静かに答えた。
「……御意」
地上に降り立った少女は徐々に思い出して行く。どうしてここまで来たのかと、どうしてこうなったのかを。ヨハンに最大のピンチが訪れる第九十二話!




