第八十八話 疑似生命体は動き出す
苛烈を極めるロジェとヨハンの戦闘。決着はどのようにつくのか。そして現れた『代理人』。マリア・ステラ号に迫る秘密が明かされていく第八十八話!
「ったく……どこ行きやがった……」
ヨハンはロジェの足音を聞きながら先へ進んだ。今の状態で勝てないと悟ったらしいロジェは撤退したようだが、どこにいるのか分からない。ヨハンが何回目かの角に差し掛かった瞬間だった。
「『捕縛魔法』!」
足も身体も全て拘束される。身動き一つ取れない。全くの隙がない。
「捕獲作戦に変更か?」
ヨハンの視界の先にはロジェが立っていた。彼の問いに答えるまでもなく、手を床につく。
「星は全ての人の上にあるもの。導き、破壊するものよ。数多の時空を超え、星辰の導きに従って進むべき道を示し、天命はこれを持って進め。運命と時は神の上にあらず、常に人の上にあらんことを。固有魔法『終焉もたらす弥終の凶星』!」
床が一面白く眩く光り輝いた。通路ごと吹き飛ばすらしい。ヨハンはその様子を見て微笑むと、軽くを目を閉じた。
空気を切り裂く爆発音。ロジェは膝をつくことしか出来なかった。もう魔力が無い。今のヨハンが本物だったら終わりだ。偽物に決まってると目を開けると、変わらず銃を向けるヨハンがいた。
「あはは……ほんとにあんただったの……」
ロジェの息遣いは荒く滝汗が流れていた。魔法を使いすぎたせいで膝が震え、立つのも辛そうだ。何とか逃れるも二つ目の祭壇の扉の前で崩れ落ちる。もう逃げられない。試しに魔法陣を空中に書いてみたが、得られたのは魔法ではなく全身の痛みだけ。
「私が死ぬ事で……前に進める?」
「あぁ。間違いなく」
「……そう。それなら、いいわ」
冷たい銃口が汗で湿った額に当てられる。彼の指が引き金にかかる。ロジェはその動作を見ながら、自嘲気味に笑った。
「……今度は絶対負けないんだから」
その瞬間、銃声が鳴り響いた。
『……終わった?』
「終わったよ。こっからが急ぎだな」
ヨハンは親指を切り取ると一部色が変わった壁に親指を見せる。
『そうよ。ちゃんとカメラに指を見せて』
「見せた。次行こう」
その後のヨハンの働きぶりは手早かった。憑き物が取れたようにざくざくと倒していく。三周目のロジェを物陰から制し眼球を貰い、二周目のロジェからは舌を抜いた。
無事祭壇に戻ってきたヨハンは血で濡れたそれを置いて、サラはガムの包み紙を押し付ける。現れたのはもちろんロジェ。手を広げてくるりと回る。
「五周目の私、ばくたーん!」
ヨハンとサラからの反応は無い。淡々とした時間だけが流れていく。おずおずと様子を伺った。
「……あれ、二人ともどうしたの。やっぱりきつかった?」
「もうごめんだわ……」
無事に帰って来たロジェを見て、サラは全身の力を緩めた。ヨハンもちらと見て言う。
「あと六割ぐらいは貸し返せよ」
「はぁぁ……ヨハンは凄いわね」
控えめにヨハンを見上げるサラ。何かあったのは確実だがそれを知ることは出来ない。どうやら死ぬとその周の記憶は無くなるようだ。
「えっと……大変だったわよね……ごめんなさい、ちゃんと何かするから!」
ロジェの影からぬるりと出てきたサディコは上手に足を使って前を指す。
『とにかく先行かない?』
「そうね。それが目的だったものね……」
気落ちしたサラを追ってロジェは迷宮の出口へと足を踏み入れたのだった。
迷宮を抜けた瞬間、目の前に広がる光景は地下にいるとは思えないものだった。頭上には青空が広がりふわりと漂う白い雲が見える。しかし、その空はどこか不自然だった。目を凝らせば無数の光が網目のように走り、プロジェクターによる投影であることが分かる。
それでも頬撫でる風の温かさは初夏のものであったし、草の香りも本物だった。本物であればあるほど、この空間の歪さが顕になる。
一本の原っぱの道は石で補正されていて、外を覗くと同じような風景が延々と続いていた。
『ねぇ、』
ロジェと風景を眺めていたサディコが振り返っておもむろに語りかける。が、少女はそれを静止した。
「それ以上言っちゃだめよ」
『酷いなぁ。また迷宮だったらどうしようって言おうと思っただけなのに』
「言っちゃダメって言ったのに……」
歩けど歩けど終わりは見えない。少し開けた場所に赤い屋根を持った家が見えた。宙に浮いているそれを見上げてサラは呟く。
「空飛ぶ家って実際どうなのかしら」
「水とかどうやって引くんだ」
『タンク式なんじゃない?』
浮かぶ家が作る影に隠れて先を進む。足元に石が……何かしらの建築物の残骸が増える。崩れずに残った石柱の奥には森があった。ロジェが密やかに言葉を紡いだ。
「何かありそうね」
茂った森の中には石造りの簡易な神殿があった。神聖な雰囲気とは全く噛み合わないカプセルが一つ置いてある。
「もしかして……!」
サラが近付くよりも先にロジェがカプセルに近付く。カプセルの上部には『マリア』と記載されていた。
「サラは見ちゃダメ!」
「どうして?」
「この子がマリアだからよ!」
辺りを食らうのは静寂だけ。唯一聞こえるのはカプセル内の機械音の微かなハム音だけだった。ヨハンは葉と埃だらけになったカプセルの上面を軽く撫でる。中には一人の少女が眠っていた。
金色の髪を持ち、肌は陶器のように白い。教皇の祭服を纏った少女の眠る顔には安らぎの表情が浮かんでいた。
だが目を引いたのは彼女の首元だった。純白の肌に刻まれた黒いバーコードが、この場の神聖さを突き崩すかのように存在を主張している。
「マリアを見ると廃棄されてしまうわ。そういう決まりらしいの」
「……そう、らしいわね」
サラはデータベースにアクセスしながら呟いた。
「今ならまだ何も知らずに帰れるわ。だから……!」
「ココまデきて、何モ知ラズにカエれルとオモウのかね」
嗄れた声。草を踏みしめ機械音と共に近づく足音。全ての視線を集めて『それ』は現れた。
マリア・ステラ号の中枢区画、暗闇の中でスフィア達が点滅した。
「監視データによれば彼女は既に最深部に到達し、『博士』と直接対面しています。現時点で彼女がどういった影響を受けるかは不明です」
一人のスフィアが言う。
「『博士』の存在があの子に何らかの形で影響を及ぼす可能性は十分に考えられる。即刻、彼女の排除プログラムを実行すべきです」
データ送信の為の沈黙。スフィアの機体が青白く光ると、また別のスフィアが口を開いた。
「それはなりません。ロクのテストにより、彼らは彼らで一つ。一つ弾いたのであれば、全体のバランスを崩し、船全体に波及することは確実でしょう」
「ならば観察を続ける他ありません。しかし、もし『博士』がロジェに重大な秘密を伝えた場合、我々の管理体制が根本から崩れる可能性がある」
その言葉に、一瞬の沈黙が会議を支配した。
「最悪の事態に備えて稼働を考えておくべきかもしれませんね」
会議室内のモニターが一斉に明滅しスフィアたちは互いに視線を交わしているかのように沈黙を続けた。そして、一体のスフィアが結論を下す。
「第七階層の『カノン』を再起動します。必要があれば、それを用いて状況を制御する」
機体を包む強烈な明滅。動揺が会議を襲う。だが一体のスフィアの意思は他のスフィアの意思とも言える。誰も反対することは無かった。
「呼ンだのはワタしだが、ホんトウに来るトは驚ィた」
『呼んだのは私』、ということはこれが『博士』だ。目の前に立つ『これ』こそが。
やせ細っている、というのが第一印象だった。長い年月により傷んだボディ。目は片方しか点灯していない。手足は驚くほど細く、まるで骨と皮だけのように見える。関節部分は露出したケーブルや歯車がむき出しで、動くたびに微かに金属音とスパークが鳴り響いた。
ズタズタになった白衣を纏い、油染みが染み込んでいる。その異様さからだろうか。『博士』には強烈な威圧感があった。
声にはひび割れたような不安定さがありながらもどこか妙に感情的だった。
「……あんたが、『博士』?」
「イかニモ。『代理人』でもァる」
「用はなんなの?何を教えたいのよ」
ロジェが問いかけると、博士は動きを止め頭を傾ける。
「用……あァ、あるとも。君タチニは見せたいものがある。真実ト呼ばれるモノを」
「真実?」
博士は振り返り壊れかけたモニターの方へ向き直る。そして背後の壁から伸びたケーブルを手に取って、自身の胸部に直接差し込んだ。途端にモニターが光り、画面に映像が映し出される。
そこにはかつての「マリア・ステラ号」が映っていた。輝かしい未来を信じて宇宙へ旅立った人々。笑顔に溢れ、繁栄を誓った瞬間の記録。
映像は切り替わって、開発途中のドキュメンタリーになる。『博士』は震える手を学者同士で握手している写真に向けた。
「こレがワたシだ。コノ時はマだ何も知らなカッタんだ……」
博士の声には疲労と後悔が滲んでいた。映像はさらに進み、街区にはたくさんの人々が行き交い笑っている。その中にはマリアらしき人物もいた。
「マリアか?」
ヨハンの呟きに博士は静かに頷く。
「マリアはワタシたちノ希望のムスメ。だが、ワタしは試みを知らナカった……」
映像は書類に切り替わった。『叡智保存計画』『DNA交換効率』『生物種の可能性について』などのタイトルがついた書類。ぷつりと映像が途切れた。
「マリア・ステラ号の表向きノ目的ハ『人類の理想郷』だッタ。シカし、実際ハ非倫理的ナ実験を行いタイ科学者の為ノ実験施設、『科学者の理想郷』ダった」
次の映像はアンドロイド達が人々を世話する写真だった。下に『生物種交換計画』と書いてある。
「アンドロイドは人類の世話役でアリ、時間が来レバ人々を収容すル」
『極秘』となった資料には、抵抗むなしくアンドロイド達に連れて行かれる乗員が映されていた。
「乗船間近二知った私は、マリアを見るコトで『自由意志』が芽生エるアップデートを密か二忍ばセタ。ソレを知ッタ人々は迷宮を目指シタガ、つィぞ叶ワず……」
映像は終わり、『博士』は皆に振り返る。
「真にこの船を終わらセナケればナラナい。『旧人類』は互イヲ殺し合い、知恵を愛した。同種を滅ぼス叡智など、不要だ」
『博士』は軋む腕をゆるりと上げてカプセルを優しく撫でた。
「汚染さレタが、アップデートはまだ残っているダロう。実際マリアをパナギアとして崇める宗教は残っているヨウダしな……」
「汚染?」
彼の発言にロジェは不思議そうに首を傾げた。
「ァあ。ウイルス汚染があッタ」
「マリア・ステラ号が汚染されたのはいつなの?」
「一万年前くラィだ」
「カノフィア人達が精神体になったのもそれくらいだったわ」
点が一つ灯る。ロジェが顔を上げると、ヨハンも同じことに気付いたらしい。
「あそこには、精神と肉体を分離させる技術があった……」
だけどあんな場所からここまで魂を連れてくる事が出来るのだろうか。その問の答えを知る者がここにはいる。
「ねぇ『博士』。カノフィアから……海の底からここまで、精神体を移動させることは出来るの?」
「可能だロウな」
「……これは推測だけど、ロクがカノフィアに詳しかったのは元々カノフィア人だったから?」
点と点が繋がった。ロジェの焦りを宿した表情に、サラは不安げに問うた。
「そ、それって何が問題なの……?」
「ロクはカノフィアの人造神マルクレオンの破壊を命じられていた。だが、俺達はその最後を見ていない」
ロジェが答える代わりにヨハンが告げる。
『……もしかしなくても、何かしらの手段でヤツを復活させようってこと、だよね』
「カノフィアの有識者何人かがコのマリア・ステラに逃げたコトハ承知しテイる。その可能性は否めナイダろう。マルクレオン程の力がアレば『カノン』の起動モ可能だ。目的はソレだろウ」
「『カノン』?」
マリアにカノン。ここにはよく分からない姿で人名を宿したものしかないのか。ロジェはまたもや首を傾げた。
「マリアの対トナるスフィア達が創り出した究極のAI兵器。本船の制御能力ハモチろん、惑星一つ破壊出来る攻撃能力がアル。が、最も厄介ナノは再調整プログラムだ」
『博士』は神妙な面持ちで説明を続ける。
「アンドロイドの意識をリセットする『完全初期化機能』を持つ。根源データの『現行世界』にマツワる部分を消したアと、機能を使われたら君達は出られなくなる。彼らの記憶に『人類』はいなくナルカラだ」
ここにずっとなんてごめんだわ。ロジェはその気持ちを抱いて『博士』に声を荒らげた。
「それなら停止させないと!どこにあるの?」
「第七層。ここノウエだ」
「繋がってるのね?それじゃあ……」
『ヴァンクール』を構え手を広げたロジェに、ヨハンは軽く握り拳で制した。
「ちょっと待て」
︎︎「何よ。ぶっ放てばいいじゃない」
「この先戦闘もあるだろう。君は大抵固有魔法を二回使えば倒れてしまうんだ。力は温存させておいた方がいい」
ロジェはちょっと不服そうに手を下げる。ヨハンが『博士』に問うた。
「何か上に上がれるものは?」
「壊れたエレベーターがアルが……」
「それで行こう。固有魔法を使うよりも魔力の消費は少ないだろ?」
「そうね」
ヨハンの提案にロジェは頷いて、『博士』の後を追った。
『カノン』の起動場所に向かった一行は、明るみになったロクの作戦を聞く。今、旧人類を相手取った戦争が始まった。土壇場が続く第八十九話!