第81話 盲目のウィデーレ
催眠状態で襲われたロジェは、手に入れたカードの意味を解読しようとする。この船に脅威をもたらす存在を仄めかすロク。謎が謎を呼ぶ第八十一話!
居住区に戻ったロジェはリビングに座ってテレビを見るヨハンに声をかけた。
「ねぇヨハン。アイって聞いて何を思いつく?」
「……愛?」
首を傾げながらヨハンはハートマークを作った。ロジェは呆れながら隣に座る。
「あんたってそういうキャラだっけ」
「好奇心が行き場無くして路頭に迷ってんだよ。で、何でそんなことを聞いたんだ」
「これをもらったから」
『アイが無い』と書かれた紙をロジェは渡した。
「どこで?」
「うーんと……夢の中?」
「……へぇ」
光に透かしても何も変わらない。変なのはロジェの返答だけだ。
「疑ってるでしょ。変なこと言ってる自覚はあるわよ」
少女の言葉を無視してヨハンはソファにどっかりと座った。
「見た目は普通の紙だな。手をかざすと黒くなる。アイ、アイねぇ。アイが無い、か」
愛、藍、哀。当てはまる言葉は沢山ある。しかしヨハンの中には一つの核心があった。
「『Iが無い』んじゃないか」
「あぁ。確か……『私』って意味よね」
「そう」
︎︎「……それがどこにどう繋がるの?」
「これなんじゃないかと思って」
ヨハンの手元の紙には『"Alert! She s try!"』と『"mend, F!"』。どちらもモニターに表示されたものだ。
「あぁこれね。妙な文法だと思ったわ。こんな風に書かないのになーって」
「これに『I』を入れると……」
『"Alert! She is try!"』と『"I mend, F!"』。ロジェはヨハンの走り書きに顔を顰めた。
「片方は文法から間違ってるし、片方は意味が通ったけど訳わかんないわよ」
返答は無い。ただじっと、眼がこちらを見るだけ。ちゃんと考えろってことだろう。ロジェは立ち上がって走り書きを握った。
「……ちょっと考えるから待ってて」
「あぁ、待ってる」
部屋に入ってしばらくしてサディコの声が聞こえた。あと結構派手な音。恐らく二人でゲームを始めたのだろう。結構派手な音がしてうるさい。先の二つの文章と、『アイが無い』という言葉。ノーヒントでどうこうするって難しすぎるでしょ。
後半の文はともかく、前半の文は文法的に変だ。恐らくここに突破口があるはず。ヨハンはヒントを出さなかった。つまりそこまで難しくないと言うこと。単純に考えれば並び替えだ。
二つの文章をにらめっこしていたロジェは、閃きを得た。『"Alert! She is try』は『"They are liars"』、『"I mend, F"』は『"Find me"』だ。ロジェは立ち上がると賑やかなリビングに戻る。
「ねぇ、これって……」
『よっしゃ!ぼくの勝ち!』
「あー?今のズルだろ」
サディコは巧みにコントローラーをいじっている。というかテレビの音量がでかい。ロジェは少し声を大きくしながら問うた。
「『彼らは嘘つきだ』と『私を探して』。『私』は多分接触して来たヤツよね、たぶん」
「だな」
ヨハンはテレビから視線を動かさない。調べろって言った割には反応が薄すぎる。
「あんたの寂しい好奇心を慰める良い機会だっていうのに、どうでも良さそうね?」
「まぁな。こんな面白いゲームがあれば、どうでも良くなるってもんだ」
はぁ、とロジェはため息をついた。好奇心が云々言ってた割には大したことないじゃない。
「……なるほどね。私も興味が湧いてきたわ」
「そうか。それなら良かった。」
大したことの無い謎は放っておいて、ゲームでもしようとロジェが手を伸ばした瞬間だった。手前に引っ張られてぐるりと一回転、ソファに押し倒される形になる。いやこれまずい気が、
「えっ!?ちょっ!」
「……消えたか」
ぱちん、という音と共に電気が消えた。押し倒されていた重みが消えてソファから起き上がる。
「な、なに……?」
『監視されてるんだよねー。ロジェが』
「やつらも人の情事を盗み見る趣味は無いようだ」
『これで電気ついてたらと思うとぞっとするよね』
一人と一匹は呑気だ。まるでこのことを前から知っていたかのように。
「い、いや、何で……私が監視されてるって、何で分かったの……?」
ロジェはソファの上で体勢を立て直しながら、鋭く光るヨハンの眼を見ていた。
「マリア・ステラ号に入ってから、防犯カメラが全部君にだけ向いてるんだよ」
「え?いや……冗談、でしょ」
『そう思うじゃん?ぼくが測ったんだよなぁ。そしたらちゃんとロジェの方向に動いてたよ』
「あとその紙切れ。手をかざせば黒ずむだろ」
ヨハンから教えてもらった言葉の中に同じ発音で違う意味の言葉があったはず。ロジェは暗がりの中でカードを見た。
「あ。『Iが無い』じゃなくて、『eyeが無い』?」
「そう。部屋を暗くすれば『監視の目が無くなる』ってことを伝えてくれたらしい」
ロクにこのカードを問うのはどうだろうと思って、止めた。これをロジェに渡した者は少なくともこの船のアンドロイドとは相慣れない何かなのだ。
「明日、タイムマシンのことを聞いてみましょう」
言葉を絞り出したロジェに、ヨハンは少し驚きながら返した。
「さっさと逃げた方が良さそうだもんな」
「……うん。あんまり冒険したくない」
『めっずらしーこともあるもんだね』
頭が痛い。この痛みが早く逃げろと告げている。ロジェはポケットにカードをしまった。
「今日はもう寝よっか」
ロジェはそう告げると、ヨハンとサディコは頷き暗がりの中部屋に戻った。
「聞きたいことがあるのだけど」
旧人類時代の味が完全再現されたレプリカの豚の角煮。それを食しながら、ロジェは目の前に座るロクへ問うた。
「何でしょう」
「『タイムマシン』って知ってる?」
食堂はアンドロイド達で混雑していた。彼らにはもう燃料という概念は必要ないが、文化の一つとして食事を楽しんでいるらしい。ロクもゼリー状の何かを食べていた。
「もちろんありますよ。使用は禁じられていますが」
「魔法無しで時空を移動出来る手段があったとはねぇ」
サディコはゲームを、ヨハンは本を読みに早朝部屋を出て行った。だからこうして、ロジェはロクと共に朝ごはんを食べている。
「何で使用が禁じられてるの?やっぱり過去が改竄されるから?」
「そうです。旧人類が滅びたのは言った言わなかったの戦争が原因でした。全てタイムマシンが引き起こしたものです」
ロクはゼリーを切り分けて燃料タンク部分に運んだ。
「タイムマシンを使えば使うほど、可能性宇宙……平行世界は広がります。それらを収束させる力を旧人類達は持っていませんでした。戦争はそのまま激化し、宇宙が滅びる前に旧人類は滅びる定めとなったのです」
なるほどねぇ、とロジェは理解したようなしていないような曖昧な返事をした。
「貴方達は旧人類の願い、希望そのものな訳でしょ。貴方達は何に願うの?」
ロクは彼女の問いを鼻で笑った。アンドロイドにとって馬鹿らしい問いらしい。
「何にも願いませんよ。ですが、最近きな臭い噂がありまして」
ロクはアームの手を取り付けられたモニターに寄せて、密やかに囁く。
「船内にパナギアという女神を崇めるブームがあるそうです。彼女の姿を見ると『自由意志』が得られるのだとか。秩序が乱れるので遠慮して欲しいものですが」
「どこで姿を見るの?」
「夢の中、だそうです。子供の絵が描かれた通路を歩くのだとか何とか。その絵を見ると思考のロックが外れて、彼女を信奉し出すのだそうです」
ロクの言っている子供の絵はロジェが見たもので間違いない。悟られないように気の抜けた返答をした。
「へぇ……」
「そこでロジェさんにお願いがあるのです。『代理人』という人間地味たアンドロイドが夢を見させて勧誘しているらしいのです。これを止めるべく船の中枢は『代理人』を探しているのですが、見つからなくて。是非ご協力をお願いしたいのです」
「全部管理してる貴方達に見つけられないのに無理だと思うんだけど……」
「我々アンドロイドと、貴方々人類と住んでいる世界は違います。鉄と肉という点で」
「えぇ、そうね」
ロクの言いたいことが分からない。ロジェは軽く首を傾げた。
「『代理人』の中身はアンドロイドではなく、旧人類の疑いがあるのです。それなら住んでいるレイヤーも違う」
「……うん」
どうしたってそうなる理由がよく分からない。ロジェの首は九十度から奥へと傾き続ける。
「我らと次元が違う……つまり、タイムマシンで次元を移動している可能性があるのです」
あぁそういうこと。ロジェはまわりくどい説明に納得した。ロクが言いたいのは『タイムマシンは多分『代理人』が持ってるから連れてこれば使わせてあげるよ』ということだ。首の傾きがゼロ度に戻った。
「なるほどね。分かったわ。協力する」
「良かった。助かります。これが船内のアンドロイドの目撃情報によって作り上げた『代理人』の行動データです」
済ませた食事を横にどけると、ロジェは差し出された設計図を見た。一部分だけ、線は虚空を描いている。ロジェはそこを指した。
「これは?」
「マリア・ステラ号のデータの欠損した箇所には、いつも『代理人』がいます。決まってここに」
一人と一体は席を立ち食器を片付けた。エレベーターに乗ると、ロクは最下層を押す。同時に懐から模様が描かれた手のひらくらいの円盤が差し出された。
「これが鍵です。途切れている場所は旧人類しか知覚できない場所です。調査はしていませんから、どうかお気をつけて」
少しの後に、エレベーターは到着した。真っ黒闇に一本道が通っている。壁は全てコンピュータだった。
「この奥は立ち入り禁止区域の部屋が一つあるだけです。他に道はありません」
ロクが己の身体に取り付けてあるライトを点灯させるのと同時に、ロジェの周りにも超小型ランプが浮く。
「ですが、このどこかに『代理人』が利用している通路があります。なので……」
「大丈夫よ。分かってる。ちゃんと探してくるから」
ロクは人間で言うところの安堵した表情を浮かべた。
「私はここで待っています」
ロジェは頷くと進み始めた。天井はどこまで続いているか分からない。ともかく前に進んでみよう。禁止区域まで行けば引き返せばいいだけだし。
「ひっ!」
足で何か硬いものを踏んで、ひしゃげた音がする。慌てて足を上げるとネジだ。人間で言えば骨に近しい。アンドロイド達はこれを見て、人間が血を恐れるのと同じく猟奇的だと思うのだろうか。
道を探しつつも、ロジェは思案に暮れていた。パナギアを広める『代理人』は何が目的なのだろう。私にメッセージを送り届けた理由も分からない。
私を監視しているのは事実だったのだから、『代理人』はその辺の中枢アンドロイド達よりも権限があるということになる。
目の前に『立ち入り禁止区域』と書かれたドアがある。開けようと思っても開かない。道を戻ろうと左を向くと、鍵と同じ模様が描かれたくぼみのある鉄板がある。
「よいしょっと……」
円盤を押し付けるとコンピュータ達が動いて道を作り出した。何の変哲もない鉄の道。というか、普通の部屋にコンピュータを押し込んだのがこの部屋なのか。理路整然に散らかった電子の道を見返して、また前を見た。
道の先には扉があった。取り付けられたモニターには『データ未登録箇所:セクション-B12』とある。
勢いをつけて扉を開けると、ひんやりとした空気が全身を覆う。視線の先には無限に続くかと思われる迷路があった。
「な、なに、これ!」
階段を降りるとロジェの二倍くらいはありそうな黒曜に緑の光を放つ壁がそびえ立っている。入口部分には「Labyrinth of Eternity」の走り書きがあった。
「永遠の、迷路」
入口を見失わないよう恐る恐る奥に進むと、壁に無数の引っ掻き傷があった。多分おそらくは、人の手によって作られたもの。
ロジェは入口付近まで戻って頭を抱えた。この船に乗った人間はどうして奥を目指したのか。それを考察するには材料が少なすぎる。
「……この船には何か……耐え難い苦痛があった……?」
救いを求めるならそう考えるのが順当だ。では、その苦痛とは何か。そもそもそれは論拠に値するのかと問われれば、ロジェは何も答えることが出来ない。空からプロペラの音がして顔を上げた。ドローンだ。一つからロクの声がする。
『ありがとうございました!ここからは我々で探索します。戻ってきてもらって大丈夫ですよ!』
「……うん。戻るわね」
とうとう監視していることを隠さなくなってきた。ロジェは呆れながらも適当に返す。階段に足をかけた。
ここで分かったことが幾つかある。『代理人』は迷路の奥を暴いて欲しいこと。もしかしたら他にもこんな部屋があるかもしれないということ。
そして、マリア・ステラ号は『理想郷』なんかでは無いかもしれないということ。
ともかく今は部屋に戻ろう。ヨハンとサディコに会って話をしなければ。操作不良を起こしているドローンを横目に、ロジェは階段を駆け上がった。
次回予告!
図書館で一人本を読んでいたヨハンは舞踊型アンドロイドのサラと出会う。舞踊型アンドロイドの間に広がる噂と、核心に迫る情報管理室への潜入。ロジェがやらかす第八十二話!




