第七十八話 人類のメメント
プエルトンから帰還した彼らはノルテ・カーリン国に来ていた。彼らを出迎えるマリア・ステラ号の使者達。宇宙に残された神秘を暴く新章、開幕。
ノルテ・カーリン国は常冬だと言われている。寒冷地帯となった原因は、この国の自然の城塞でえるグランツヒメルという山脈だ。
言い伝えでは頂上に『マクスウェルの悪魔』の神殿があり、神の意向で周辺地帯を常冬にしたと言われている。
何となしに聞いたおとぎ話を胸にロジェは透明の氷が堆積した足元を見た。言い伝えが覆されないのはそれでいいからだし、人には解明できないからだ。
息を吐いて振り返ると吹雪でもう街並みは見えない。息を手にふきかけた。その様子を見たヨハンは風音に掻き消されないように声を上げる。
「魔法で暖かくしてんだから寒くないだろ」
「景色見てるだけで寒くなるわよ」
いくら防寒魔法で暖かくしていても、この景色を見ているだけで指先から悴んでくる。
踏み締めた雪が溶けて幾ばくか歩きやすくなったところで何も変わらない。本当にこの先にマリア・ステラ号が停泊する場所はあるのだろうか。
「ここだ」
目の前で突然ヨハンが止まるものだから、ロジェはヨハンの背中にぶち当たった。顔を抑えて立ち上がる。
「本当にここなの?」
『なんも無いねー』
歩いて来た時と何一つ変わらない一面の雪景色。ヨハンは地図と方角を見比べてもう一度言った。
「合ってる。見える範囲にないってことは雪の下ってことだ」
視線が物を言う。要するに解かせということだ。でも解かしちゃって良いのだろうか。だってここ、一応国の土地だし。ロジェは一通り考えて結論を出した。溶かそう。だってもう今更止めようなんて言える雰囲気と立場でもないし。ロジェは分厚い雪の下にある氷に触れた。
「『灼熱を起こす魔法』」
魔法は巨大な円を描いて発動する。立っていた場所がぐらりと揺れ、足首まで水に浸かる。透き通る水は徐々にロジェ達の位置を下げて、平坦で漆黒のモノリスを浮かび上がらせた。
面は艶やかで刻印一つも無い。雪解け水を僅かに浴びながら、ヨハンは指を震わせて触れた。僅かな電子音の後に長方形の枠が発現する。
『……認証は完了しています。コード入力をどうぞ』
ヨハンがカノフィアで入手した本を片手にコードを打つ。他に存在していたモノリスも起動して文字を浮かび上がらせている。
『凄いねぇ。昔の人はこんなので計算してたんだぁ』
「その様ね」
端の小さなモノリスはカウントダウンをしていた。残り十分。マリア・ステラ号がこの地に近づく事が出来る僅かな期間が、あともう少しで終わる。
『コード入力を承りました。まもなく避難用ポッドが到着します。衝撃に備えて下さい』
一瞬で吹雪が止んだ。同時に莫大なエンジン音が空を切り裂くように聞こえてくる。何か大きな物が近付いてくる気配。モノリスに流れ込む雪解け水が多くなっていることが証左だった。
「上がりましょう。このままじゃ溺れちゃうわ」
『そうだねぇ』
サディコは二人を水で押し上げると雪の上に置いた。空から降りて来た球体は寒空の空に久方ぶりの晴天を連れて、一行の前に浮遊している。
暖かい空気を放つそれは、凡そ無駄というものが無いデザインだった。蒸気と共に扉を開けると自動で電気がつく。
『到着致しました。ご利用の方は速やかにご乗車下さい』
「……行くぞ」
ヨハンを先頭にポッドの中に入って行く。外部の静寂を更に殺した室内は異様な程に静かで落ち着かない。用意されていた椅子に座ると扉が閉まった。
機内は新品の様な匂いがしていた。未だに動きを止めない超古代文明の遺物達が忙しなく働いている。ベルトがしまったかと思うと、足元がにわかに揺れ出した。
『乗員を確認致しました。軌道上の母船、マリア・ステラ号に向かいます』
小さく取り付けられた小窓から見える景色は地面から遠ざかっていくのを如実に示していた。直ぐにロジェがアウロラと戦った時よりもさらに高い高度に到着する。
「宇宙に行く時ってこんなに揺れないものなの?」
「超古代文明は宇宙旅行も成し遂げたらしい。その技術が使われているって言うなら、ここまで揺れないのも変じゃないさ」
『うわぁ……すごい、超綺麗だよ』
半分だけ水の姿になったサディコは小窓に目を押し当てていた。
「え。見たいんだけど」
『あんなちっちゃい所にぼくたちは住んでるんだねー』
ロジェが身を乗り出して覗こうとした瞬間、ポッドが全面ガラス張りになった。宇宙に宙ぶらりんの状態。それよりも見るべきは、自分達がいた場所。
「なに、あれ……」
「やはり……」
球体でも正四面体でもない。歪んだそれに、空間が切り貼りされている。それを取り囲むような桃色のヴェール。確かに美しいが、それを肯定するには些か不気味すぎる。
「私が住んでいた世界って、こんなだったの?」
眉を顰めるロジェに、異様に大きい影が被さった。それは星々の光を飲み込むかのように漂う、圧倒的な存在感を持った巨大宇宙船──あるいは本当の意味での母船──マリア・ステラ号の姿だった。
「あれがマリア・ステラ号……私達の旅の最後の目的地……」
ロジェの声は悲しみではなく恐怖だった。これ程の船を維持し続けるその内部構造。これはきっと、キラキラしたお星様のような旅では終わらない。
『避難船1192号、まもなく到着します。衝撃に備えて下さい』
ポッドはマリア・ステラ号の下部にクッションの様な衝撃をもたらしてくっついた。天井から蒸気の音がする。
『内部と外部の環境を整備中です。しばらくお待ち下さい』
『しばらく』という言葉で示すには短い時間で、床の真ん中が円状に光った。
『環境整備が完了しました。リフトにお乗り下さい』
指示に従いリフト上に乗ると、形成された柵を掴む。上昇するリフトはポッドの屋根部分に到達すると柵を戻して緑色の矢印で行き先を示した。
辿り着いたそこはガラス張りの格納庫。矢印の反対側を見れば宇宙が見える。
「ロジェ。行くぞ」
「わ、分かったわ」
格納庫のドアがゆっくりと上がっていく。この先が、旧人類が目指した願いの場所。ロジェの瞳にエントランスの光が反射する。
『すごいね、これ……』
上がりきったドアの先は眩い光の空間だった。宇宙船を忘れる程高い天井の下では異なる形状やサイズのアンドロイドたちが、次々と行き交い、賑やかな様相を醸し出している。
人間のようなアンドロイドは書物を見て別の犬型アンドロイドに指示を出している。巨体を持つアンドロイドは天井部分をいじっていて、それからぶらがっている蜘蛛型アンドロイドはロジェに笑顔で手を振った。おずおず振り返す。
「歓迎されてるの、かな?」
「安心させるフリだったりして?」
「もう。何でそういう意地悪言うのよ」
ぷりぷり怒ったロジェにヨハンは小さく微笑んだ。アンドロイド達の視線を受けながらもゆっくりと中に入って行く。機械達は各々質問を浴びせた。無限に。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
「久しぶりの来客だね」
『そーなの?』
「地上はどう?」
「ぼちぼちだな」
「どうやってここまで来たの?」
「あの宇宙船で来たのよ」
「ここの事はどうして知った?」
「地上の文献に書いてあったわ」
「そうなんだ。君の髪の色は綺麗な色だわ」
「ありが」
「その犬みたいな生き物はなに?」
「えっと、」
「知らない腕輪をつけてる。もっと見せて欲しいな」
「あの、」
質問攻めに終わりがない。近付いてくるアンドロイドから離れようとした瞬間だった。聞き馴染みのある声がする。
「お客様はお疲れなんですから、そんなたくさん聞いてはいけませんよ。久しぶりの人間で嬉しいのは分かりますけど」
円筒状の身体にはディスプレイがついていて、絵文字で表示された顔には困惑が読み取れる線の動き。足はキャスターで、ロジェ達の前に立つ。この音声は聞いたことがある。
「お前、もしかして……ロク、か?」
ヨハンの問いかけにロクはにっこりと振り返って伸縮性の腕を上げた。
「そうです!ロクです!」
「良かった、また会えた……!」
ロジェはロボットに抱きつくと、腕は優しく少女の背を撫でる。
「また会えるって言ったじゃないですか」
ロクから離れると長身のロボットが見下ろしていた。青白い光を放ち、紫色のベールを纏ったロボットは清廉な雰囲気を放っている。
「NW_H00610。その人間達は知り合いなのですか?」
「はい。私の友人です。ここに来たいと言っていたので、案内しました」
「では、ここでの世話役は貴方に任じます。失礼のないように。それと」
人で言うと目に該当する箇所を、ロボットはすっと細めて。
「友人と言っても試験は免除しません。そのつもりで」
「分かっています」
それだけ言うと、青いロボットはどこかへと去って行った。話について行けないロジェ達にロクは説明する。
「あのロボットは全てのロボットの思考を統括して最適な答えを出す役割を持っているんです。あと試験っていうのはですね、」
さらに困惑の色を深めるロジェに、ロクは苦く微笑む。
「うーん。最初からお話しますね。まずはお部屋にどうぞ」
一行はロクの案内で静けさが支配する廊下に出た。ここも一面ガラス張りだ。無数の青や白に輝く星がひっくり返した様に広がり、闇が支配する宙を無限に照らしている。地上では見られない壮大な風景だった。
『本当に綺麗な場所だねぇ』
サディコはガラスにべったりとくっつきながら宙から星々を見下ろした。使い魔の傍にロジェも立ち尽くす。見上げた星々は今や足元にあり、彼方を見れば闇は深い。途方もない冷たさにロジェの顔には冷や汗が伝った。ヨハンはどこか廊下の先を見つめていた。
「そうね。本当に綺麗な場所だわ」
「ふふふ。マリア・ステラ号はどこでも星が見えるようになっているんです。地上から見上げるのとじゃまた違うでしょう?」
誇らしげなロクの音声が聞こえて、ロジェは静かに頷いた。ガラス張りの廊下には終わりがない。天井からは果てなく続く宇宙船が見えた。
「この船、大きいのね」
「全長は一つの国くらいありますよ」
「周りきれるのか?」
「用途が限定されている場所が多いので、周りきれなくても困りません」
ロクは立ち止まると廊下の途中の壁を押した。長方形のラインが光ったかと思うと扉が開く。
「こちらが居住区です。中にお入り下さい」
部屋に入ると電気がつき、シンプルで無駄のない空間が現れた。ソファの真ん中には台があり、奥には水面の様に揺れる何かがあった。
「これは?」
「ぜひ触ってみて下さい」
ロジェが水の様な触感を持つカレイドスクリーンに触れると、宇宙の情景が浮かび上がった。もう一度触れれば地上のものに変わる。
「なにこれ、すごい……!」
「ホームシック防止に良さそうだ」
変わるのは風景だけでは無い。音楽や環境音も変わる。宇宙船にいるのを忘れるくらいの完成度だ。こほん、とロクは思わせぶりに咳払いした。
「それじゃあ、海の星の聖母号について、お話させて頂きたいと思います」
ロクの言葉にロジェ達はソファに座った。カレイドスクリーンは森の情景を照らしたままだ。
「ここは旧人類が目指した『争い無き平等な世界』を実現する為に作られた宇宙船。つまるところ、理想郷なんです」
確かに。あのエントランスでの煌びやかな風景は理想郷だった。誰もが相互に協力し、一つを作り上げる光景。
「アンドロイド達は見ましたよね?」
「えぇ。姿形が様々で……綺麗だなと思ったわ」
ロジェはここに来るまでずっと、機械は全て一緒だと思っていた。だけど、蜘蛛型犬型その他型、人型だけでは無いことを知って、アンドロイド社会も意外と単一では無いことを学んだ。
「それ、私達は感知出来ないんです」
「どういうことだ?」
ヨハンが首を傾げる。
「私達は姿だけではなく能力値も全て固定されていて、感知することは出来ません。差異は争いを産むからです」
『でもさっきまとめるのが役割ーって言ってなかった?』
サディコの言う通りだ。知覚出来ないというのならさっきのロクの発言は訳が分からないことになる。
「知識として知っているだけで、本当の意味で理解はしてないんです。羨望や嫉妬を避ける為、こうした処置を施されています」
「……どゆこと?」
感覚が理解できない。ロジェは口をすぼめて首をゆらゆら動かすロクへと問う。
「説明が難しいですね。これはアンドロイド特有の感覚ですから。公式は知っているけど使えない、と言えば伝わるでしょうか」
「まぁ、なるほど。分かった。で、ここでの注意は何かあるか?」
ヨハンにとってアンドロイドの感覚よりも注意事項の方が大事らしい。それとも分からないから理解しないのだろうか。
「人間社会で不法行為に当たるもの以外は全てを許可しています。ただしこれらは試験を受けてから、という話ですが」
試験。さっきから頻出しているワードだが、一体どういうものなのだろうか。
「入船試験を合格して頂かないと、居住区と飲食スペース以外の区画には立ち入れません。皆さんにはこれを受けて頂きます」
『頑張ってねー』
くぁ、と大きく欠伸をするサディコにロクは笑った。
「貴方もですよ」
『ぼくもぉ!?勉強苦手なんだけどなぁ……』
小さな肉球で頭を抑えると、手の隙間から使い魔はロクを見上げる。
「大丈夫ですよ。皆さんで受けてもらいますから。試験は二つ受けてもらいます。知識を問う『適格者テスト』と、価値観を問う『善悪の試練』です」
一拍置いて、ロクは続ける。
「『善悪の試練』は考え方が偏っているから不合格、というものではありませんので、心配なさらないで下さい。根拠の無い問題に根拠を持って答えられるかを問うているだけですから」
イマイチ内容がよく分からないが、ともかく回答の内容で落ちることはないようだ。それでも求められている事が何かわからないということは変わらないけど。
「説明は以上になります。何か質問などはございませんか?」
「無いわ。あんた達は?」
「無いよ」
『なーい』
「また何かあったらいつでも連絡して下さい。そのボタンを押せば来ますから」
それでは、と言ってロクは去って行った。ロジェは息を吐いてソファに伸びた。
「試験かぁ……ヨハン、どこ行くの?」
部屋の扉に触れて外に出ようとしたヨハンにロジェは尋ねる。
「外行ってる。桃色のヴェールを見に」
ロジェは目を一周させて思考を巡らせた。確かにそんなのがあった気がする。
「……あぁ、あの。それを見てどうするのよ」
「下見だよ。アレはオルテンシアの固有魔法だからな」
ずっと遠かった月が、振り返ったヨハンの背を照らしている。
「……俺はヤツの固有魔法の本質を知っている」
それはきっと誰も知り得ない秘密。全てを得るマリア・ステラ号だからこそ知り得た秘密。
「オルテンシア・トラオム=朧月夜の固有魔法は、『惨憺たる夢幻夢想王国』」
伏せていた瞼が上がって、ロジェを見た頃には。
「この世で最も醜悪で劣悪で惨い魔法だ」
好奇心の欲に溺れた眼が二つ、爛々と光っていた。
オルテンシアの固有魔法が明らかになると同時に開催されるクイズ大会。マリア・ステラ号の不気味さが明らかになる第七十九話。