第七十七話 語り続けるギゼモニコス
二日酔いで目覚めたロジェは出かけることにする。その中で幾つもの事実が明らかになって……?平和が戻った港町が分かるプエルトン編、ちょっとほのぼのなラストの第七十七話。
※手違いで更新遅くなりました。すみません。
遠かった鈍痛が近付いてくる。はっきりと知覚した時、目を覚ました。起き上がるも身体が鉛のように重い。
「……いったァ……」
喉がカラカラに乾いている。水を飲まなければ。部屋を出ると寝間着姿のヨハンと日向ぼっこしているサディコがいた。
「おはよう。二日酔いのロジェ」
「今何時……?」
「昼の二時」
「うそ」
『よく寝たねぇ』
くあ、とサディコは欠伸をした。二時まで寝たというのにまだ眠そうだ。
「心配するな。俺も今起きたばかりだ。飲んどけ」
客間の机の上にサイダーらしき小瓶が乗せられる。蓋を開けると爽快感のある薬草の香りがした。
「なにこれ」
「二日酔いが治るらしい」
味はほんのり甘い。飲み干した瞬間に頭痛と身体のだるさが吹っ飛んで行った。
「……凄い」
『今日はどうすんのー?』
とてとてとサディコはロジェに近寄ると膝の上に乗った。普通に重い。また大きくなっているのかしら。
「祭りがあるらしい。行ってみないか。身体がだるいんだったら休んだ方が良いが……」
「良いわね。行きたいわ」
ロジェは冷蔵庫からミックスジュースを取った。お祭りでたくさん食べたいし、お腹には何も入れないでおこう。
「なら行こう」
ソファに戻ると机の上にある新聞が目に入る。ロジェは驚いた表情でまじまじと見つめた。
「新聞?ここ入るのね。めずらしー」
「あぁ。読むか?」
「そうね。王都がどうなってるか知りたいわ」
「オルテンシアが『お眠り』になったらしい」
新聞を受け取ると『お眠り』というのは、オルテンシアが魔法を蓄える時に使われる言葉だ。歴代の『ラプラスの魔物』も『お眠り』になったことはあるが、大抵ロクな事をしなかった。
「……何するつもりなのかしらね」
「それと……『将校は皆無事』、だそうだ」
ヨハンは新聞を開いて見出しを見せた。『ファステーラへの行軍 将校は皆無事』とある。ロジェは震える手で記事を探ると『テュルコワーズ元帥は負傷するも無事帰還』『アリス公爵令嬢は魔力にかなりの損失が見られるため、暫くは家で療養のご予定。身体面に問題はなし』とあった。
知らず知らずのうちに涙が零れてくる。それは『アリスが死んでいなくてよかった』ではなく、『自分の罪が消えた』ことに対する安堵。あるいは新聞の情報が嘘であるかもしれないという恐怖。少女からの感謝の言葉を防ぐために、ヨハンはデコピンした。
「余計なこと考えるなよ。今はアリスが無事だったってことだけ考えておけ」
しゃくりを上げて泣き出したロジェの頭を優しく撫でる。ロジェは何とか笑みを浮かべた。
「ほらもう泣くな。祭りに行く準備をするぞ」
「うん……!」
呼吸も荒いままロジェは部屋に戻って行った。枕係がいなくなったソファの上で使い魔はぐぐっと身体を伸ばす。
『お優しいねぇ』
コテージに新聞なんて入らない。あれはヨハンがロジェが起きる三十分前に起きて購入したものだということを、サディコは知っていた。しかも気を遣わせない様に寝間着にまた着替える徹底ぶりである。
「まぁな」
新聞の続きにはコンテンツがまばらに掲載されていた。貴族の取り組みなんてのもある。重大なニュースがこれだけというのは、心の内の惨状を別として平和なものである。
「人を殺すのはいつだって負荷がかかる事だ。あの子の家族は貴族である時間が長いから、そういう覚悟はしているだろうが……」
『相手が悪かったね。まぁ生きてたし良かったけど』
サディコは無邪気に、かつそこそこの悪意を持ってヨハンを見上げた。
『ねぇねぇ。アリスであぁなったんだから、ヨハンの時はどうなっちゃうんだろうね?』
ヨハンはサディコを一瞥すると、余裕を含ませて軽く息を吐いた。
「そうだな、その時は……もう一度殺したいと思えるくらい格好良く死ぬとするかな」
『どんなの?』
思ってもみなかった返答にサディコはにししと笑った。
「考えとく。準備するから待ってろよ」
『ぼくだって準備あるもん』
おませな喋り方をしたサディコに、ヨハンは吐き捨てるように言った。
「……準備って……お前全裸だろうが」
扉が閉まる音が一つだけ。その静寂の中で思考をした。サディコの毛は艶やかでふわふわなのである。それはもうコートになった暁には値段もつけられないくらいには。なのに。全裸呼ばわり、だと?
『開けろ!このバカ!開けろーっ!』
ドアを開けようにも鍵がかけられていて開けられそうにない。爪を立てて扉を削ると中から『壊すなよ』とだけ聞こえて来た。
悔しい限りだが仕方ない。あとで絶対仕返ししてやる。ぺろぺろと毛繕いをしながら支度を待った。
レースと刺繍があしらわれたワンピースに身を包んだロジェは、お祭りの会場へ足を進めていた。
「お腹空いたわね」
「遅めの昼飯にでもするか」
『ぼくも食べれるヤツがいいなぁ』
「ブイヤベースにしましょう」
「言ってたやつか」
そうよ、と言ってロジェは地図を広げた。有名なブイヤベースの店は階段状になっているプエルトンの街の一番上だ。坂を準に登っていくと、屋台だらけの街並みが見える。
「すっごい賑やかねぇ」
『遊べるとこもあるのかなぁ!』
「屋台で甘いもの食べようかしら」
「飯食おうぜ」
ヨハンの一言に引っ張られながら、ウワサのブイヤベース専門店の前に着いた。祭りということもあってか人混みが尋常では無い。が、それを凄まじい速度で捌いている女将がいる。
「何人前だいッ!?」
「えっ、あ、三人前です!」
「中に入んなッ!」
番号札を渡されて店内に入る。白い石張りで奥のバルコニーからは海が見えていた。
「すげー勢いの人だったな」
「順番が回って来たのに気づかなかったわ……」
ウェイトレスは一行にバルコニー席を勧めた。今日は人が多いからか簡易的なテーブルが置いてあるのみで、出来るだけ人を詰め込めるようにしているらしい。だからゆったり出来るバルコニーに案内してもらえてよかった、とロジェは半ば安堵した。
息付く暇もなく料理が運ばれて来た。香草とトマトの香り。我慢出来なくてスープをすする。
「お、おいしい……!」
「暖かいもんはいいな」
ヨハンも満足げにスプーンを動かす。ロジェはしばらく黙ってただ夢中で食べ続けた。店内が騒がしくなって、魚介類の解体ショーを見る。
「あれがこの店の名物なのか?」
「うん。追加で具材を入れる時にするんだって。あのショーがある時はおかわりしても良いらしいよ」
『ロジェ!ぼくのとって!』
「良いけど食べ過ぎないでよ」
ロジェは並んでおかわりを勝ち取ると、サディコの前に置いた。喉を嬉しそうにきゅるきゅる鳴らして頬張っている。
「ここのこと、覚えててくれたんだね。嬉しいわ」
「ちょっとくらい観光したいしな」
「確かに。追われながら旅してたもんね」
ヨハンは緩く微笑みながらロジェを見る。随分と心配をさせてしまったらしい。
『うぇ……おなか、いっぱい……』
「もう。食べ過ぎるなって言ったのに」
「祭りはこれからだぞ」
食事を済ませて店を出る。辛いものを食べたら次は甘いものだ。
「次は何を食べよっかなー……」
「もう食べれるのか」
「別腹ってやつよ」
地図を広げて屋台が立ち並ぶ祭りの会場へと向かう。今度は階段を下りる。
『ぼくも食べる……』
食べすぎたサディコがヨタヨタと歩いているのを見て、ロジェは苦笑した。
「あんたはちょっと休んどきなさい」
「何となく来たが、これ何の祭りなんだ?」
道中には様々なランタン、色とりどりの飾り、そして異国の香りが漂っていた。人々は皆歌い、踊り、願っている。王都マグノーリエでも『ラプラスの魔物』の生誕祭があるが、ここまでの熱気は無かった。
「エルフィア様の帰還を願った帰還祭……という肩書きの、五穀豊穣を願うお祭りよ。毎年やってるって聞いたけどこんなに盛況なんてねぇ」
広場のど真ん中に一際大きな屋台があった。積み上げられた茶色い物体は砂糖をまぶした揚げパンだった。中にはアイスクリームも入っている。
「美味しそう……あれ食べたい!」
「腹壊すなよ」
ロジェは顔ほどもある揚げパンを受け取った。ヨハンはコーヒーを飲むことにしたらしい。控えめに足でちょんちょんとつついてくるサディコに、ロジェはパンの欠片をやった。
「熱いから気をつけてね」
『うん!冷たくて熱い!』
「そりゃ揚げパンにアイス入ってんだからそうでしょ」
『これカスタードも入ってない?』
「ほんとだ。通りで美味しいわけだわ」
騒がしかった通りが更に賑やかになる。首を傾げていると、揚げパンの旦那が声をかけてきた。
「あんた!ここは初めてかい?」
「そうよ。お祭り目当てで泊まってたんだけど……」
「そりゃあいい!今回のお祭りは特別だからね!」
賑やかになる音楽の中で、ロジェは首を傾げた。
「エルフィア様がご帰還なさったんだよ!それにバフォメット様が神位を授けられた!こんなめでたいことが二個も重なったら騒がしくなっちまうよなぁ!」
旦那の言葉にロジェは目を白黒させる。エルフィアが帰還したのは事実で何かしらの形で街の人々に伝わったとして、『バフォメットが神の座についた』ということはどういうことなんだろう。
彼女は恐怖の感情を糧にして生まれた信仰の残滓だ。だから名を呼ぶことも見ることもしてはならなかったはず。
「バフォメット……様が、神になったってどういうことだ?何かそういう神託でも降りたのか?」
「あぁ!守り神様を縛っていた楔が取れて、空から声が聞こえたんだってよ!『バフォメットを神にする』って!」
ヨハンが問いかけるも、謎は更に深まるばかりだ。一行は人気のない場所に入って、ロジェの契約印を見た。力を込めてもなんの反応も無い。
「……喚べない」
『確かロジェ同期切ってなかった?向こうからの承認がないと繋がらないんだよねぇ』
「バフォメットが神になったって、どういうことなの……」
ロジェはサディコに静かに問うた。マルコシアスは問われたことに制約が無ければ必ず答える力を持つ。
『その問いの答えはバフォメットしか知らないようだし、ぼくでも探れないねぇ』
「何にせよ、向こうが接触してこないってことはもう俺達に用はないって事だ」
確かにそう、なのだろうけれど。未だに浮かぶ契約印は『悪魔だった頃の彼女の契約』を意味していて。バフォメットは完全に神になったのでは無いことが分かる。思考の淵に沈むのを、広場から聞こえる歌に止められた。
「あれはエルフィア様への賛美歌よ」
賛美歌の様な荘厳さは無い。ただただ祝う、賑やかな曲調。踊る街の人々は皆笑顔を絶やさずに壁に向かってお祝いの言葉をかけている。
「……ともかく、一件落着ってとこだな。遊んで行こうぜ」
ヨハンがこの事についてあまり考えていないということは、もう過ぎたことなのだろう。ロジェは考えるのを止めて揚げパンを頬張った。
「そうね」
『カスタードこぼれてるよ』
「えっ!?うそっ!」
騒いでいた少女を壁の上、崖の上で見ていた者が一人。『海底2万度』という酒をエルフィアだったオブジェクトにかけながら、白雪の長髪を持つ悪魔は朗々と歌う。
「『海の大魔女 エルフィアは
かつて港を治めきし
ある日大きな白波に
さらわれ帰っていったとさ
郷に帰っていったとさ
海の大魔女 エルフィアは
今も港を治めきし
此の程 美し珠泡に
浮かんで帰ってきたとさ
国に帰ってきたとさ
共にさざ波歌おうぞ』……」
神であるバフォメットが最初に告げた言葉。それはエルフィアが街に帰還した事だった。それからあっという間に二番の歌詞が出来て、今現在これを歌わぬ者はいない。
「死んでたッて言うのに随分なお祭り騒ぎだねェ」
バフォメットは神位の影響で伸びた髪の毛をばっさりと切った。やはりこの長さが一番動きやすい。立ち上がって人々を見渡す。
「街を見たいってんならここからで十分だろ」
ここはプエルトンで一番高い場所。街全てを見渡せる唯一の場所だった。バフォメットは揚げパンやらパイやら食べ物を頬張って遊ぶロジェとヨハンとサディコを見て、目を細めてニヤリと笑う。
「……さてはて、彼らはどういう運命を歩むのか」
その運命の最果てを詳細に知るのは、この世でバフォメット以外にいなかった。それすらも彼らは知らぬのだろうが。どうなると分かっていても、また彼らが目の前に現れるまで。
「見ものだねェ」
人々を見守るしか、神になったバフォメットに出来ることは無かった。
プエルトンから帰還した彼らはノルテ・カーリン国に来ていた。彼らを出迎えるマリア・ステラ号の使者達。宇宙に残された神秘を暴く新章、開幕。