第七十四話 魔法殺しのオブザーバー
追い詰められたヨハンは追い詰めたなりに糸口を掴み初め、追い詰めたテュリーはそれに気づかない。一気に戦況を翻していく第七十四話!
ヨハンの犬歯は胸に仕舞われていた己の銃の引き金を器用に引く。発砲音の後に拘束が外れた。口に咥えていた銃を手に収めれると背後に立っていたテュリーに視線を動かす。
「外したか」
顎を抑えて立つテュリーに向き直った。脳髄は吹き飛ばせなかったらしい。再びヨハンは目の前のテュリーを射撃ののち、背後からサーベルで斬られる。右腕が落ちた。噴き出す血液が形を纏って腕の形に戻る。
「本当に不老不死なんですね」
「調査書に書いてなかったか?」
「いえ。初めて見たものですから」
ヨハンが次に呼吸する前に切り刻まれる。脳がこれはテュリーの行為だということをブロックにされた目に伝えた。
「『閉じ込める魔法』!」
ヨハンの足元に発生した蓋が包み込むよりも蘇生が早く、魔法陣から抜け出す。そして銃弾をテュリーの方向に三発。全て避けられる。
向かって来たサーベルに鉈をぶつけると、劈く金属音が部屋に響いた。
「なるほど。オルテンシア第一執事兼王国魔道部隊元帥の名は伊達じゃない、な!」
テュリーは弾かれたサーベルを直ぐに潜り込ませたが、ヨハンに防がれる。これは読めるか。
この男に刺客を送ったのはここ最近の話ではない。それこそ五百年前から、代々『ラプラスの魔物』達が殺そうとして来た。では何故倒せなかったのか。
不老不死だから?それもあるだろう。命が一つしかないこちらに対して向こうは無限。何回でもやり直し出来る。しかし、それが理由では無い。
ずば抜けた洞察力。それがヨハンの強さだ。誰が呼んだか『魔法殺し』。神秘でねじ伏せようとしても、真実で弑逆する折れぬ刃。
自分は上がってくる報告を全て読んだ。相手が『魔法殺し』と呼ばれる存在なら、通常戦に持ち込んだ方がいい。魔法は補助だ。実際この戦闘式なら善戦出来た記録がある。
この男の経歴は軍人上がりだと聞いている。しかし所詮この程度だ。今まで鍛錬していた自分には遠く及ばない。着実に要所を抑えることが出来れば勝てる。要は絶対に魔法を表に出さないことだ。
執務室は静謐さを忘れて荒れ果てていた。書類が降る中ヨハンは間隙を縫って近距離で発砲した。テュリーの耳が吹き飛ぶ。彼は身を翻してヨハンの腹にサーベルをぶち込んだ。
食肉を捌くが如く腹にサーベルが突き刺さるヨハンはぼんやり考えた。曲がりなりにも元帥だ。ペースが全く掴めないし、何より動きに無駄がない。腹に埋まるサーベルを抜こうにもテュリーが抑えていて動かない。
近距離から撃つか。いや、さっきの瞬間移動で逃げられる。ならここは死ぬしかない。引き金に指を置いて引く前に右腕が飛んだ。
「『閉じ込める魔法』」
残っていた左腕で首を切った。綺麗に残った右腕が閉じ込められる寸前で復活。が。右腕の方にテュリーは動いていて、
「無駄です。『閉じ込める魔法』」
避けてテュリーから距離を取る。このままじゃ埒が明かない。一度退却するか。ヨハンは執務室から飛び出て廊下を駆け出した。
「逃げるつもりですか。そうはさせませんよ」
目の前にはテュリーの姿。この戦況を誤魔化してくれるような風が背後からほんの僅かに吹く。絶体絶命とはこのことか。窓の外には激戦を経て火の海になっている街が見えた。
距離を取ってもダメ。詰めてもダメ。それでいて攻撃は堅実。一体どうすれば良いのか。軍人としては素晴らしい限りの戦闘力だ。
廊下には美しい花々が飾られた花瓶があった。ヨハンはそれを掴むと窓に投げ、テュリーの方向に発砲した。
「こんなことをしても無駄だと分かっているでしょう」
「無理だと分かってても、足掻いてみたくなるもんなんだよ」
目の前に再び現れたテュリーを避けて、暴風吹き荒れる外に飛び出る。脂汗を滲ませて飛行艇の壁面を掴むと、そのまま直下に滑り落ちる。底には乗り口が着いていた。
軍用飛行艇には地上からの爆撃に備えるため、中部にエンジンがある。しかしそれではガソリンを入れるには非効率ということで、構造上、上部からも下部からも入れられるようになっている。
つまり、侵入さえ出来れば冷却水を抜いてガソリンをぶち込み、爆弾でも入れれば爆発させることが可能だ。乗り口から中に入ると、手榴弾を幾つかと銃を持った。
ガラス筒に青い背骨が入った銃。撃鉄近くのカウンターには『200』と書いてある。
「これ、ロジェが言ってたアレか」
名前は忘れたが再現性を持つ魔物の背骨が入っていて、様々なものに使われているというアレ。ヨハンはその銃を懐に仕舞うとエンジン室へ入る。
何ガロンも入れるからか人一人入れそうなくらい大きな給油口に二、三個爆弾を投げ入れ冷却水を排出させる。エラー音が部屋の中に響いた。見積もって十分後には盛大な音を立てて爆発するだろう。
計器の時刻を睨むこと二分。エラーは止まった。ガソリンの通常供給が始まる。
「……やはりな。だが、良いタイムロスになった」
冷却水が注入されたとしてもエンジンはまだ熱く、連結棒はピストンを押し上げる。
「それに……俺は『もうやった』。今更この流れを止められはしない」
爆弾が爆発するまで数秒。圧縮された空気がエネルギーを生むまでコンマ0。
一瞬音が消えたかと思うと、ヨハンの立っていたエンジン室ごと飛行艇は消し炭になった。
時刻はミカエルが亡骸で徘徊していた頃に戻る。バフォメットは手のひらで動き回る光を潰そうとしていた。
「随分逃げまくってくれたじゃないか。いい加減観念したらどうかねェ」
「あら嫌ですわ。乱暴な人なんですから」
のたうち回る光は悪魔の手を焼こうとして逃れた。それは人の形を作っていく。シスターの姿をしたアウロラだ。
「悪魔が神の遣いの真似事かね。汚らわしい」
「酷い言い方ですわ。私はとても清廉ですのに」
「戯言は良いんだよ。さっさと本当の姿を現しな」
純粋に微笑んでいたアウロラは口角を歪めると、瞬く間に異形へと変じる。六枚の羽に四本の腕。素肌には幾つもの目が世界を凝視していた。
「殺した力ある者を舐め啜り、ここまで醜い姿になるとはねェ。呆れたよ。さっさと死にな」
アウロラの返答を待たないままにバフォメットは雷で眼を失明させた。これでしばらく力は使えまい。
「バフォメット、それは間違いです。力ある者は私と共に永遠の高みを目指せるのですよ。きっと喜んでいるはずです」
「分かったから死ね」
アウロラも黙ってやられはしない。どろりとした金色の液体が矢を型どり向けられる。バフォメットはそれを受け流しながらアウロラの力の根源である目を焼いた。
「あらあら、お転婆ですこと……」
黒ずんで溶けた目は復活した。焦げ付いた魔力の匂いにバフォメットは顔をしかめる。
「……なるほどねェ」
どうやらアウロラは殺した者のタマシイを自身に連結させることで擬似的な不老不死を実現させているようだ。彼女は指を鳴らすと異空間から山羊の頭を生やしてアウロラを飲み込ませた。目が飛び出して内側から破壊された瞬間を狙ってバフォメットは茨の雨を降らす。
「あはは!激しい攻撃ですわ!」
バフォメットは魔法で斬りかかる。もちろんアウロラも応戦する。魔法と魔法がぶつかり合う激しい音。
「早く土地をお渡しなさいな。悪いようにはしませんから」
「御免だねェ。ワタシはキミに死んでもらいたんだ」
アウロラは微笑みを崩さない。それはヒタヒタと笑うバフォメットも一緒だ。
「土地を渡してくれるのなら、信仰の寄せ集めである貴方に確固たる存在を与えられる。貴方の望んでいることでしょう?」
目の一つをえぐり出してアウロラは異形を作るとバフォメットに差し向けた。
「……それ以上に、貴方は私より位が下。頭を下げておいた方が礼儀的にも理にかなっています」
異形はバフォメットが生み出した魔法陣に飲まれて消えた。一つ、胸元の眼窩が空く。
「フン。頭を垂れるのはどちらか、もう一度よく考えることだねェ」
「そうですか。……残念ですが、この土地を焦土にせねばなりませんね」
声を二重に重ねてアウロラは手を横に広げると黒雲を呼んだ。空から流れ星が落ちてくる。
「美しいでしょう。俺の本当の魔法だ。天使時代の人格に汚染されてしまうことが残念なのですけども……」
バフォメットは氷柱で打ち砕いていくが、攻撃の一つ一つが重たい。やはり元天使か。
「貴方はこの土地の信仰によって生まれた存在。なら、土地ごと無くなれば余計な手間をかけずに殺すことが出来ると思うのです」
「ワタシは在り続けるよ。ヒトが望む限り」
「なら、それを見てみたい。貴方の証言だけでなく、本当にこの目で」
その言葉と同時にアウロラの目が二つ落ちた。サディコに傷つけられた後に埋め込まれたそれ。義眼だ。
バフォメットとアウロラは再び激戦に投じる。雲の上で生じる終わりない魔法陣。異形が出ては魔法が発射される。実力は互角といったところで、互いの詠唱がどちらのものか分からない位になっても、切り傷を作ることしか出来ない。
「『悪魔の呼び声』」
「『悪の裁き(ハニナリア)』」
「『天地引き裂く堕天の牙』」
「『神代崩ゆる土着の神』」
バフォメットは山羊の姿に転じて掴みかかる。対してアウロラも幾つもの人の頭が生えた薄紫色の怪物になって応戦する。揉み合って崩れ落ちて、地上に堕ちていく。お互いがお互いの胸に魔法を撃ち放った。
胸に穴が空きつつ地面にぶつけられたバフォメットは、元の姿に戻りアウロラを探した。
「随分激しいですねぇ。熱烈で嬉しく思います」
「ワタシもだよ。キミの本気がよく分かったからねェ」
アウロラから伸びてきた金色の腕を払う。閉じ込めようとした結界も崩す。今度は防御一線だ。
「あら?今は休憩の時間ですか?」
「ククク……そう思うのなら思っておくといい」
「よく分かりませんが……私、頑張りますね」
攻撃は激しさを増していく。しかしバフォメットは笑うだけだった。アウロラの心の中には久しく存在していなかった疑念が生まれる。
何故、バフォメットは笑っているのでしょう。この勝負が楽しいとか?いや、そんな訳はない。私にとっては陣取り合戦をやってるみたいで楽しくても、バフォメットの場合は住処を追われているわけなのだし。
なら、表情を崩さないのは勝利を確信しているから?さっき頭を垂れるのは私の方だと言った。よく分からない。バフォメットは人に頭を下げさせて喜ぶような悪魔だったかしら。
ミカエルに貸していた力が戻ってくる。終わってしまったみたい。結局私は力を得るのだし、どうして彼女が笑っているか分からずじまいだ。
防御に徹しているのがうざいから、バフォメットを貫いてみた。……けど、あんまり効果は無い。天使として実体を持つ私とは違って、彼女は信仰の塊なのだ。痛みを感じることなく復活出来る。何それずるい。私は口を尖らせた。
「時に。神代は何故終わったと思う?」
ふとバフォメットは口を開いた。アウロラは首を傾げる。
「何故って……人々の信仰心が世界を支えられなくなったからですよ。今や彼らの心の中に精霊や神々はいないのです」
「そうだねェ。終わったのはニンゲンのせいだ」
「えぇ、そうです。……それで、何が言いたいんですか?」
アウロラは攻撃するのを止めた。手がだるくなってきた。話を聞いたらまた攻撃しよう。どうせこんなの直ぐ終わるのだし。
「いやねェ。ここにはニンゲンがいるだろう。強いニンゲンが」
「もしかして、貴方の街の皆さんが襲撃してくるとか?そんな面白い物が見れるんですか?」
アウロラはケタケタと楽しそうに笑う。その様子を見てバフォメットは更に高らかに嗤った。
「キミは阿呆だねェ。仕様のない阿呆だ。ワタシがそんな危険な真似を民草にさせると思うかね」
「でもそれ以外考えられないです。他に誰が居ないって言うん」
ですか、と言う前にアウロラの左足が消えた。糸がほつれた人形のように余韻だけを残して消え去る。
「他にもいるだろう。ニンゲンが。誰よりも強いニンゲンが。……本当に覚えが無いのかい?」
太陽を遮って誰かが立っている気がする。私を遮って誰かいる。それは背後だ。アウロラはゆるりと振り返った。
次回予告!
太陽を遮り、アウロラの背後に立つのは誰なのか。ヨハンはテュリーの何に気付いたのか。謎が謎を呼ぶ第七十五話!