第六十九話 完全無欠のキーメクス
マルクレオンの弱点を理解したロジェは、とうとうカノフィア脱出作戦を決行する。しかし、人造神と対峙したヨハンはある提案を持ちかけられ……?止まった時が大きく動き出す第六十九話!
ともかく、と少女は息を吐いた。
「これで相手の弱点は見つけた。完全無欠の神様が相手じゃないから助かるわ」
『お?それじゃあそろそろ脱出?』
「そうよ」
起きたばかりだが夜の為に眠らなければ。ベッドの傍にはあのマリア・ステラ号の本が置いてある。
「寝るわ。あんたも寝てよね」
『もちろん。……ねぇロジェ』
部屋を暗くすると、サディコは声を潜めて嬉しそうに問うた。
「なに?」
『ヨハン、無事だといいね』
ロジェはちょっと気を緩めて。
「無事に決まってるわよ」
「……緊張する」
深夜。とっくのとうにロジェは夕食も済ませてベッドの縁に座っていた。行き場のない足がブラブラと動いている。
『これって何待ち?』
「エルフィア様のハッキング待ち」
『どういう計画にするの?』
「エルフィア様を助けたら、このビルは一時的に動かなくなるわ。その隙をついて『ヴァンクール』を取り返して脱出よ」
『上手くいくかなぁ』
「いってもらわなきゃ困るわね」
スピーカーにノイズが入った。エルフィアだ。
『準備が出来ました。まずは私の部屋に来て下さい』
「分かりました」
ロジェは本を抱えて部屋を出る。以前連れて行かれた博物館は何階だったか。エレベーターで悩んでいると自動的に動いた。
『お。便利じゃん』
「エルフィア様ですか?」
『えぇ。サクサク移動出来た方が良いでしょう?』
到着のベルが鳴ってロジェは暗闇の博物館に降りた。エルフィアが待つ展示の奥の奥へと足を進める。カーテンの奥にはあのガラス球。ロジェは意を決してガラスに足をかけた。ずるりと下に落ちる。
「……これ登れる?」
『無理じゃない?』
頭上からエルフィアの声が下りてくる。
「物を投げて落としても構いませんよ。私は見た目以上に頑丈なんです」
エルフィアの声にロジェは顔を顰めた。人に物を投げるのは嫌なものである。だけど悠長なことも言ってられないし、仕方ない。何か投げるものを探し出す。展示エリアに戻って人形が持っていた望遠鏡をふんだくった。
思いっきりエルフィアに向けて投げると、若干ズレた軌道は何とか彼女である血色のオブジェクトにぶつかって共に落ちる。
『やったじゃん!』
「本番はこっからよ」
ロジェがオブジェを拾い上げた辺りでアラームが鳴り出す。ガラス球の中の都市は一度強く輝いたかと思うと、光は絶えた。
「消えちゃった」
「私の力がなければ仮想都市は持ちません」
「それじゃあ、間接的に人を殺したってことになるんじゃ……」
『ロジェ、急いで』
感傷に浸りかけたロジェをサディコは急かす。後ろ髪を引かれるような思いがありながらも、エレベーターに向かって走った。
「貴方は誰も殺してませんよ。元よりあそこに人はいませんから」
「どういう意味ですっ、か?」
肩で息をしながらボタンを押す。次は十六階だ。けたたましいアラームが耳をつんざく。
「履歴を確認したところ、カノフィア人の精神をガラス球に転移した際に何らかの問題があった様で、皆死に絶えたとありました。一万年前からずっとそうなのでしょう」
それが本当ならマルクレオンの一人芝居だ。エルフィアから時間を奪い、カノフィアに訪れた人々を殺し、ロジェを閉じ込め、カノフィアの復活を待ち望んでいた。究極的に滑稽で究極的に許されざる所業。
奥歯を噛み締めながら十六階に降りた。あの細く長い欄干の先にロジェの神器がある。
「あと十分程度は追っ手が来ないように設定してあります。落ち着いて急いで下さい」
疾走する少女の腕の中のオブジェクトは平静の声音で言った。
「ありがとう御座います!」
欄干の奥、部屋の中には力を失ったチューブがあった。取り囲むようにしたその真ん中『ヴァンクール』が眠っている。少女はオブジェクトを側に置いて手早く装着する。そしてエルフィアを抱え直した。
「『転移魔法』!」
魔法が発動しない。力をまとめた、エーテルをまとめた傍から霧散していくのだ。
「マルクレオンは強力なエーテル壊変能力を持ちます。恐らく彼を壊さない限りは魔法が使えることは無いでしょう」
何かレバーが押し上がった音がする。部屋の入口を見ると檻が降りて来ていた。
「ロジェ、急ぎなさい。間に合わなくなる」
「あの!エーテル壊変能力ってなんですか!?」
欄干は跳ね橋だったらしい。上がり始めた橋をずるずると転げながらも掴んで、垂直になった橋に飛び移る。しかし少女は泣き言一つ言わずエレベーターに駆け込んだ。
「かつて栄えたとされる超古代文明は、エーテルを用いた戦争により滅びました。超古代文明の人々にとってエーテルは毒でしたので、それを無毒化する機能がアレには搭載されているのです」
『説明は有難いんだけどさ、これ次どこいくの?』
「二階だよ、可愛い悪魔ちゃん。とにかくこのビルから出ないとね」
エルフィアの返答を聞いてロジェは吹き出した。『可愛い悪魔ちゃん』は、ちょっぴり怒りながら影から口を出す。
『かっ……可愛いかもしれないけど、ぼくはどっちかって言うとカッコイイタイプだと思うんだけどなぁ!』
そういうところが可愛いんじゃないかしら、とロジェは現実逃避がてら心の中でごちた。二階だ。エレベーターから出た瞬間、柵が落ちて来る。廊下に慌てて飛び出るも、もう殆どの柵が廊下を仕切っていた。
「ど、どうしよう……」
刹那、銃声が響く。柵を吊っていた鎖が落ちた。人一人分抜ける隙間が出来た。一つ分の柵を超えてかの人に歩み寄る。こんな辺境まで一緒に来て、ロジェを助けてくれる人。そんな人は一人しか知らない。
「ヨハン!」
廊下の向こうには銃を下ろし、微かに微笑むヨハンがいた。再会も儘ならぬまま、抱えていた書物を下に投げる。柵が完全に降りた。
「これ!」
「本?」
白いドローンが本を拾い上げてヨハンは表紙をなぞった。
「それはマリア・ステラ号に関する書物よ。私が居なくても、魔法使いがいれば貴方を元の世界に帰してあげられる」
男はゆるりと顔を上げて、柵にしがみつく少女を冷たく見下ろす。
「貴方から何もかもを奪ったのは私の家だから。悔いなく渡せてよかった」
「……この都市と心中するつもりか?」
またあの、好奇心に捕われた獣の目。否、それよりも深く恐怖を植え付けさせるもの。
「無理だった時の保険よ。死ぬつもりなんて無いってば」
「……念の為に言っとくが、もしこんなところで死んだら……」
男は少女のこめかみに拳銃を突きつけると一言。地を這うような声で。
「死んでも呪ってやる」
ヨハンは拳銃を下ろすと傍にいるドローンに指示を出した。
「絶対に死ぬなよ。ロク、ロジェを助けてやってくれ。俺の『お連れ様』だ」
『分かりました』
廊下の奥に戻って行くヨハンの後ろ姿を見て、サディコはごちる。
『……こっわぁ』
「あれぐらい気が強い方が良いですよ」
『良いのかなぁ』
呆気に取られていたロジェも柵を握り締める手を強くした。
「私の為に二徹してくれてる人に文句は言えないし、言うとしても後よ」
ロクはまた何かを読み込む音をさせながらロジェに向き直った。
『こんにちは、ロジェさん。ヨハンさんからお話は伺っております。とにかくまずは……』
小さなアームがロジェの背後を指さす。示すまま彼女も振り向いた。
『背後のマルクレオン複製機から逃げることが肝要ですね』
「うぇぇっ!?」
笑顔を浮かべた何体ものマルクレオンが反対の廊下から続々と向かって来る。
『これをお持ち下さい』
ロクは少女に何かを手渡した。白いリモコンだ。
「何これ!?」
『私の子機です。そちらへは向かえませんので、それで連絡を取りたいと思います。まずは横の部屋に急いで下さい!早く!』
「あんたが足止めしたんでしょーっ!」
絶叫しながらもロジェは部屋に転がり込んだ。コピペした様なオフィスだ。机を扉に押し当ててベランダが見える窓際まで来ると、近くにあった椅子を投げる。
「うぉりゃぁぁぁっ!」
粉々に砕け散ったガラスを踏みしめベランダに出る。どうやらカノフィアは薄い空気の膜で覆われていたらしい。というかそれよりも、
「う、うそ……」
横の部屋に急げということは、優に五mはあるベランダを飛ばなくてはならない。さっきのオフィスには隣の部屋に通じる道は無かった。
「どうしよう、どうしようこれ……」
『飛べばいいんじゃない?』
「飛ぶって行ったって、距離まぁまぁあるわよ……?」
ベランダの下を除くと海溝が口を開けて誘っている。落ちたら終わりだ。
『死ぬときゃ一緒だよ』
「全然良くない!」
「安心して、ロジェ。まずは私を投げて下さい」
ロジェはエルフィアに言われるがままオブジェクトを投げた。無事に隣の部屋に到達する。
「投げられたでしょ?飛べますよ、きっと」
扉が破られて複製機達が部屋に押し寄せてきた。皆一様に不気味なほほ笑みを浮かべている。あれに捕まって人間を止めるくらいなら、ここで死んだ方がマシだ。ロジェは助走をつけて手すりを蹴った、そして、
「うわぁぁぁぁっ!」
ずしゃぁぁ、と無様な音を立てて隣のベランダになだれ込んだ。使い魔は呑気な声を上げる。
『飛べてるじゃん』
「『飛べてるじゃん』じゃない!」
『バルコニーにいますね?そのまま部屋に入って廊下に出てきて下さい』
持っていたリモコンから状況を鑑みない声が聞こえる。
「人遣いが荒いロボットだわ!」
ロジェは苛立ちながらも鍵を壊して部屋に入った。また廊下に出る。少女がさっきまでいた柵には、複製機がびっしりと並んでおり視線を動かさない。
「ひっ……」
『無事脱出しましたね。早速ですがマルクレオンの機能を低下させましょう。何か変わったことは言ってませんでしたか?』
ロジェは恐怖を追いやって階段に向かうドローンを追いかける。たどり着いたガラス張りの渡り廊下からはマルクレオンとヨハンが戦っているのが見える。
「大した話はしてないわ」
『世間話でも構いません』
「話は……そうね、カメラ系統が壊れていることは分かったけど」
『なるほど。他には?カノフィアにまつわる施設の話はしてませんでしたか?』
今すぐにでもヨハンを助けに行きたいのに、手段を持たない自分が憎たらしい。感情が綯い交ぜになった中でロジェは静かに呟いた。
「そういや、二号施設のシチューが美味しいとか何とか……」
『二号施設はカノフィア閉鎖の前に閉店しました。それをマルクレオンを知らないのは妙です』
ロジェはにわかに眉をひそめた。
『つまり……彼はこの都市が崩壊する前から故障していたのでしょう。ソフト面でもハード面でも』
それってつまり、と少女が何かしらの言葉を言う前に答えをドローンが言ってしまった。
『あれのハッキングはかなり容易いということです。マルクレオンを弱体化させられるし、エーテル壊変能力も止められる!』
「ハッキングってどうやってすれば……」
はっきんぐ、なんて聞いた事のない言葉だ。正直魔法で動く機械人形と何かしらの燃料で動く機械人形の違いが、今の所ロジェには分かっていない。とりあえず同意を示しておこう。
『マルクレオンは記憶媒体を共有することでデータベースの安定を測っています。そこからハッキングすれば、本体の機能も止められるでしょう』
「つまるところ?」
『執務室に向かいましょう。階段ダッシュです』
「随分と手の込んだ真似をしてくれたな」
二階の広間、ヨハンはマルクレオンを睨みつけた。
「それは此方のセリフですよ、招かれざるお客様。きちんと来て下さったなら、おもてなしもさせて頂きましたのに」
そんな気さらさら無い癖に。銃の調子を確認して突きつける。
「まぁいい。お前を壊してここから出る。」
「そう上手く事が運ぶと良いですね」
扉という扉から複製機が溢れ出てくる。五、六発で撃ったら動かなくなる程度の硬さだ。微妙に硬い。百体はある複製機達は大小それぞれの銃を構えて取り囲んで来た。
魔道弾『同期』を使うか?あれは最後に残った弾とその前に使った弾で痛覚を共にする。いやしかし、ロボット相手に効果があるのだろうか。
「……手榴弾でも持っておくべきだったかな」
「後悔しても後の祭りですね」
「ここに来て慣用句をまともに使うヤツに初めて会ったよ」
ぐるりを取り囲む銃口を全て確認して、ヨハンはマルクレオン目掛けて銃を撃った。その途端狙撃が始まる。
ヨハンが放った銃弾は複製機に取り押さえられた。やっぱりそうだよな、と微かに微笑むと。
向けられた銃弾を全て見切り出した。弾幕の淡いを抜けて生成が止まらぬ複製機を攻撃して数を減らしていく。
「驚いた……こんな人間がいるとは……」
人造神は目の前で傷を負いながらも手際よく始末していく人間を見遣る。撃たれては戻るその性質。室温で何となく分かる。あれは不老不死だ。マルクレオンは軽く手を上げて攻撃を停止する合図を出した。
「……貴方と私は似ている。そう思いませんか?」
マルクレオンに何発も撃ち込みながらヨハンは吐き捨てるように言った。
「思わない」
シールドが張られているようで、銃弾は通らない。男は舌打ちしながら取り囲むロボットを処理していく。
「もう少し考えて見て下さいよ。貴方は不老不死なんでしょう。私にはストックがある。死なないと言う点で、私達は似ているのです」
「『スーパーマンドリンク』を飲んでいるから一時的に不老不死なだけだ。その部分だけで似てると言われちゃあ心外だな」
平生と変わらぬ表情で嘘をついた。
「いいえ。貴方には元に戻ろうとする性質がある。間違いなく時が止まったタイプの不老不死でしょう」
答えない。無視して複製機を粉々にしていく。
「まぁ、貴方がそうでないと言うのならそういうことにしましょう。少なくとも今の貴方は私と一緒だ。そこでどうでしょう。カノフィアで創造主様と、私と、貴方とで生活をするのは」
目の前で複製機を壊しまくる人間を勧誘するなんて馬鹿なんじゃないのか。嘲笑に値する話だ。
「ごめんだね。こんな閉鎖的な空間なんて絶対に嫌だ」
「もし貴方が条件さえ飲めば、創造主様との旅は終わりませんよ」
「何を言ってる……?」
心のざらざらした、冷たい何かを触れられているようで気色が悪い。それが何か分かっている。だから銃を握る手が震えるのだ。
マルクレオンとの賭けに勝ったり地上に戻ってバフォメットとエルフィアが奇妙な形で出会ったりするお話!




