第六十二話 魔物蔓延るタラッタ
エイルズと接触したテュリーは彼らが残したある物を拾う。一方ロジェ一行はカノフィアに向かうも、船が動かなくなり……?海底都市に向かう第六十二話!
【応。そう書き換えられているからな】
書き換え。テュリーには思い当たる節があった。『コード』の書き換えだ。世界を編纂する力。そして、夢の世界に閉じ込めるオルテンシアの固有魔法。
【汝は『マクスウェルの悪魔』に選ばれず、魔法も無かった。そして『ラプラスの魔物』に食ってかかり、この世界はそう、なった】
テュリーは意識が定まらないまま話を聞く。呼吸が浅い。
【それ故に、問う。汝は今の立場を手放し、オルテンシアを殺したい程憎んでも『マクスウェルの悪魔』を継承したいか】
「待って、ください。今貴方様はどこにいるのですか。もう誰かに降りられたのですか?」
【ここより遥か過去と少し先の未来で、吾は聖定を下した。主人をギルトー・エイルズとしている】
エイルズ・ギルトー。目の前に座って、紅茶を楽しんでいる、この人間が!
「じゃ、あ、そこにいるのは……!」
兵士を呼ぶ為の声を貼りあげようとするも、声帯は動かない。ただただ、『マクスウェルの悪魔』は此方を見ている。
【汝はどうする。力を望むか】
……生まれてこの方、魔法が作り出す世界だけを見てきた。オルテンシアのお付となり、それ以外の夢は見なかった。それならば!
「……俺には、世界を何も、知らない、もっと、魔法以外の別のことがしたい……!」
【では、望まぬと?】
「望まない!」
『マクスウェルの悪魔』は唸る様に笑うと、
【……その願い、聞き届けたり】
彼らは結界ごと姿を消した。焦点が定まらない。呼吸が荒い。あれが、創造神と対を成す、言うなれば破壊神の姿。
とにかく必死に肺へ空気を送り込んで、ふらつく足で椅子から立ち上がる。飲み干した紅茶の傍にある美しい南国の羽を拾い上げた。
「極楽鳥の羽……」
エイルズ捜索の手がかりになるかは分からないが、無いよりはマシだ。テュリーは手がかりを手にして、部屋を出た。
さざ波の音でヨハンは目を覚ました。明け方の空はまだ暗く、白く冷たく光る砂浜は太陽の来訪を待ち望んでいる。布団が妙に寒いから違和感の方向を見ると、
「いつの間に布団に潜り込んでたんだ……」
「えへ。ビックリさせようと思ったの。成功ね」
ベッドで寝ていた筈のロジェが眠そうな目を何とか意地悪く歪ませながら、少し寂しそうに手を触っていた。
「……どうした」
理由は分かっている。彼女の心の内の不安を解消する為に本音を言っても意味が無いことも。ヨハンは少女の手から己の手を取り返すと、壊れ物を扱うように髪に触れた。
「ううん。なんでも無い。さ、早く準備してカノフィシアに行きましょ」
ロジェは起き上がると伸びをして、まだ明けない空を見に窓辺に寄った。
「それにしても淑女が男の布団に入り込んでくるのは感心しないな」
喉を鳴らして笑うヨハンに、ロジェはうんざりしながら答えた。
「追い出されたのよ、サディコに」
少女が指し示したベッドの上では、伸びに伸びまくったサディコがいる。これでは寝られまい。
「なるほどな」
「可哀想だし早く行きましょ。カノフィアだったらちゃんと寝られるかも。ほら起きた起きた!」
サディコの内臓をシェイクする勢いで揺さぶるロジェを見て、ヨハンは一つ。
「寝られる場所なんてあるのかねぇ」
手短に朝食を済ませて、一行は灯台の外に出る。『還らずの海』では魔法が使えないから、船で行かなければならない。
「さて。船を探すところからね」
「あるよ」
灯台の傍に経つ木の上から声がした。この声はバフォメットだ。案の定底意地の悪い笑みを浮かべている。
「オハヨウ諸君。今から行くんだねェ」
「あんた……何しにここに来たのよ」
「おお怖い怖い。船の場所を教えてやろうとしたのに。タダで」
突き刺さる視線を受けても表情一つ変えない悪魔は、そのまま淡々と続ける。
「タダより高いものは無いぞ」
「こりゃ随分疑われたものだねェ。そこら辺に転がっている事実なんてタダも同然だよ。希少価値がない」
彼女の口ぶりから察するに、どうやらその事実とやらはプエルトンの住民ならば誰でも知っているものらしい。
「海沿いの崖下にボートがある。ここいらで難破した時に使うものさァ。使いたければ使うとイイ」
しゃがんでいたバフォメットは立ち上がって、
「キミ達にそう易々と死んでもらっちゃあ困るんだよ。じゃあね。良い旅を」
そのまま姿を消してしまった。
『悪い悪魔じゃないんだけど、いかんせん態度がアレだからな……』
悪くない悪魔ってなんなんだろう。それはもう悪魔では無いのでは、と言いかけてロジェは辞めた。バフォメットも悪魔としての地位がある。故に無闇矢鱈攻撃を仕掛けたりなんかしないってことなんだろう。
「悪魔は皆ああじゃないのか?」
『ぼくはお行儀いいでしょ?』
えへん、と使い魔は胸を張ってお利口に座る。が、ロジェはサディコの耳を軽くつねった。
「お行儀の良い悪魔は主人をベッドから蹴飛ばしたりしないのよ」
『うぐぅ……』
船に乗る為に崖下へ急ぐ。自然の階段を降りていく訳だが、海藻でぬるぬるしているから滑る以外の選択肢がない。ロジェの目の前をすたすたと歩くヨハンは足取りに淀みがなかった。
「ひっ、まっ、待ってヨハン!きゃあっ!」
「早く来いよー」
「むりっ!こける!コケちゃうから!」
ぎゃあっ!と酷い悲鳴をあげてロジェはヨハンに倒れ込んだ。何とか顔を怪我する被害だけは避けれたようだ。
『ロジェって案外運動音痴だよね』
「が、ががが学校で五十m走が四十人中二十五位だった私の実力なめないでよ!」
『微妙な順位だなぁ』
「またトレーニングをした方がいいかもな」
「やだっ!頑張るっ!頑張るからっ!」
頑張ってどうにかなる訳もなく、かなり足をもつれさせて何とか岩肌に辿り着く。今まで使っていた浜辺からの階段とは大違いの環境だ。
「ボートは……あった」
オールが無事かどうかを確認しているヨハンの隣で、ロジェは足を震わせながら肩で息をしていた。
「はぁ、はぁ、こわ、怖かった……」
「乗るぞー」
「はぁい、いきます……」
ヨハンとロジェは船に乗ると、
「サディコ。船を押して」
『おっけー。おまかせあれ!』
船の周りの水が、包み込むようにして隆起する。水は勢いよく船を押した。船が波に乗ったのを見て、サディコが水面を歩いて飛び乗る。
『よーっし!出発だぁ!』
「楽しそうねぇ……」
天気が良いと言うのに風が強いからか、高波ばかりで荒れている。船の下に馬のような魚影が一つ通る。その一匹は高く飛び上がり、また水に消えた。
「あれが魔物……」
ヨハンは人外嫌いなのもあってか、水棲魔物はあまり見た事が無かった。よくよく辺りを見れば人魚も泳いでいる。
「あれは海カメレオンよ」
「あれが?とてもそう見えないが……」
さっき波から飛んだそれは、尾ひれのついた馬のような生き物だった。
「あれは見たものを再現してるのよ。本当はちっちゃいトカゲくらいの大きさなの。青くて綺麗なのよ」
気味の悪い鳴き声が海のどこかから聞こえてきた。
「海カメレオン自体は再現性を持たないんだけど、蜃気楼を出す蛤を主食にすることで能力を得ているのよねー。結構商業利用されてたりするのよ。骨も青紫で宝石っぽくて綺麗だし」
それでも海は気にしないし、他の生き物達もどうでも良さそうだった。
「なんと言っても再現性なの。物にもよるんだけど、糸一束を十束に増やすことが出来るのよ。だから海カメレオンはなるべく強い魔物がいる海域にいるの」
「つまり迂闊なことをすると俺達も食われると」
もう一つのオールを取ったロジェは、後ろにもたれるように力を込めて返した。
「そーゆーこと」
このまま着かなかったらどうしようなんて不安をかき消す波の高さはそのまま。町が小さくなっていく。ヨハンが地図を取り出した。
「このまま北だな」
「漕ぐの疲れちゃった」
「漕がないと魔物に喰われちまうぞ」
「丸呑みかなぁ」
「骨の髄まで砕かれるかも」
そっかぁ、とロジェは呟くとヨハンにもたれて視線をあげる。彼も手を止めて船を流れに任せる。
「ヨハンは丸呑みされるか噛み砕かれるかどっちがいい?」
「丸呑み。痛くなさそう」
『なるほど。丸呑みが性癖だった、と……』
メモメモ、と呟きながらサディコは揺れる船底で爪を使ってメモをする。
「違ぇよ。何勝手に断定してるんだよ」
「丸呑みが性癖ってなに?」
「君も余計なことは聞かなくていい」
ロジェは口を割らないヨハンからサディコに向き直って、使い魔の可愛い耳に囁いた。
「どういうこと?詳しく教えてよ」
『いいよっ、てうわぁぁぁぁ〜〜〜!』
ヨハンは悪魔の首根っこを掴んで明後日の方向に投げた。綺麗な軌道を描いてどぼんと波間に消えていく。
「あっ!サディコ!」
「大丈夫だ。アイツは死なない」
サディコは波の間からぽんぽん飛び上がって苦しんで……いや、楽しんでいる。なんか笑い声聞こえるし。
「んもー。ヨハンは酷いことをするんだから」
「……口は欲を孕むんだ」
ヨハンは呟くようにして口を触った。
「『食べちゃいたいくらい可愛い』って言葉があるだろう」
「あるわね」
「人は包む、包まれることで欲を発散する。……と、俺は考えている」
「ヨハンはそういうのに興味があるの?」
きょとん、と首を傾げた少女に、瞳に興味を湛えた男は緩やかに笑った。
「さぁ?どうだろうな?」
『……ヨハンの遠回しな言い方のがよっぽどセンシティブだと思うよ』
海から舞い戻って来たサディコは船の縁に手を上げてじっとりと男を見つめる。
「どこがだよ」
『てか気づいてる?さっきから船動いてないよ』
「漕いでないからな。このまま流れに乗っていけば着くそうだし」
『そうじゃなくて、船が動いてないの』
「そうか。つまり目的地に着いたってことだ」
「え?」
噛み合ってない会話に少女はただただ首を傾げるが、目の前の男はどこ吹く風だ。
「採掘場の近くでは船が止まるという言い伝えがある。それに、めちゃくちゃ魔物がいるとも」
『うん。やばい量いる』
水を滴らせながら船に乗り上げてきたサディコはヨハンの服にびちゃびちゃの身体を押し付ける。完全に仕返しだ。
「お前……俺の服で身体を拭くなよ……」
『気のせい気のせい』
というかそんな呑気なことを言っている場合じゃない。海面にはいつの間にか霧が立ち込めて、波が低くなっていた。小船の三倍くらいはある魚影がこちらの様子を伺うように悠々と泳ぐ。
「いやいや!呑気にしてる場合じゃないって!襲われちゃうわよ!早く船を動かなさいと!というか動かないのも魔物のせい!?」
『まぁ……魔物も様子を見てるっぽいし、あんま気にしなくていいんじゃない?』
水気を切ったサディコは主人に目配せしながらそれに、と付け加えて。
『何か考えがあるようだし』
視線の先はヨハンだった。確かに彼は先程から船の上でふんぞり返ってのんびりとしている。少し起き上がるとヨハンは水辺を軽く触った。
「船が動かないのは魔物せいなんかじゃないぞ」
「妖精、とか……?いやでもこんな海のど真ん中には居ないはず……」
「自然現象だ。『死水』という」
しすい。聞いた事のない言葉だ。命の瀬戸際に似つかわしくない唖然とした顔をするしかない。
「な、なにそれ……」
「海水の上に淡水が乗っかると、こんな現象が起こる時がある。ここじゃ必ずと言っていいほどあるらしい」
霧が薄くなった先には、煉瓦作りの塔が見えた。途中からかき消されて実際の高さは如何程か分からない。
「……変ね。だって海って海水でしょ。なんで淡水があるのよ」
「それがカノフィアが今も動いてる証なんだよ。ここで層を作る淡水は、カノフィアの排水だって言われてる」
「なるほどねぇ。……で、これどうするの」
「待つしかないなぁ」
ヨハンはさっきよりも伸びて空を見上げる。
「待つの!?死んじゃうわよ!」
「嫌か?」
「死ぬのはごめんよ」
不老不死でも命を大事にする彼がこんな態度なのだから、そこまで心配しなくていいのだと思う。だけど、こんな魚影渦巻く海の上で十分後も生きている自分が想像できない。
「水面を浅く漕ぐんだ。そうすれば進める」
ロジェとヨハンはオールを手に取って水面を軽く撫でる。魚影の一つが水面に近付いて来た。船が揺れる。
「その生き物は──」
「だめ。静かにして」
ロジェは漕ぐのを制止する。魚影は五つの穴が等間隔に並んだつるつるした背を船に向けた。
カノフィアに乗り込もうとする一行だったが、乗り込む前にも後にも波乱しかなく……?永遠に続く科学都市、イカれたメンツが出まくる第六十三話!