第六十話 白銀のディアボルス
町に乗り込もうとする前にヨハンが持ってるヤバめな紙を拾っちゃったり『北の悪魔』と出会う第六十話!
朝日が届く灯台の中。カセットコンロに沸騰した鍋を置いて、レトルトの携帯食料をヨハンは入れた。ロジェは食器の準備をしながらベッドの上に寝転がるサディコをゆする。
「サディコ。起きなさい。もう朝よ」
『んむ……』
「あ。そうだ、今のうちに再契約しとこ」
ロジェがサディコに手をかざせば、マルコシアスの印が甲に現れた。魔法でうなじに隠す。
「結局誰も来なかったな」
「有難いけど罪悪感しかないわ」
「すぐ寝てた奴がなんか言ってるー」
うぐぅ、とぐうの音らしきものが喉をついて出た。
「こ、このベッドには多分、眠くなる魔法がかけられてたのよ!たぶん!きっと!おそらく!」
「へー。魔女が言うんだったらそうなんだろーなー」
ニヤニヤしながらヨハンは指先でレトルトをつついた。
「上から下まで探してみたが、あの日誌以外何も無かった」
「あー。入った時に見つけたあの?」
「そう」
「町の人に聞き込みしてみるしか無いかもね 。目立つことは避けたいけど」
「魔法で何とか出来ないのか?」
「見た目は誤魔化せるけど、『魔法で見た目を変えてること』は別の魔法で分かるからね」
ままならないものだな、とヨハンは呟いてぐらぐらと煮だった鍋に手を突っ込む。火傷した傍から治癒していく傍ら、ロジェは未だ起きないサディコの足を軽く叩く。
「いい加減起きなさい。置いてくわよ」
『んぅ……分かったよぉ……分かったから……』
サディコはようやく起き上がって長く長く伸びる。
「寝起きが悪いなんて珍しいな」
ヨハンは封を切ったレトルト食品をロジェに渡した。
『別の悪魔のナワバリって寝心地良くないんだよね。寝ては起きての繰り返しって言うか』
このレトルト食品群は『最果鉄道』から貰ったものだ。『カロリー控えめ!なのに満腹!?世界お粥セット』……というらしい。ロジェのは海鮮風味、ヨハンは牛肉風味だ。
「これ食べたらカノフィアに行くのよね。行き方は分かってるの?」
「昔使われていた採掘場が海の上にあるんだ。それを使えば行けるんだとよ」
「ボートとか漕げる?」
「経験はある。君は?」
「休暇で遊んだ時にちょっとあるくらいかしら」
ロジェは熱すぎて味がよく分からないまま、口にお粥を乗せる。サディコは眠そうにしながら顔を少女の背中に押し当てた。
「あんたが人の姿になって漕いでくれたらいいのに」
『今際の際になってあげるよ』
「また凄く先の未来ねぇ」
ロジェはお粥をさらえて片付けを始める。カノフィアはどんな所なんだろう。多分暗いんだろうな。今までの古代都市も皆暗かったし。昔は一体どんな姿をしていたんだろう。
「食器洗ってくるから、この辺の片付けを頼む」
ヨハンは使い終えた食器をぬるくなった鍋に突っ込んで立ち上がった。その瞬間、見計らったようにポケットから古ぼけた紙切れが落ちた。
「分かったわ。……あれ。ねぇ、なんか落としたわよ?」
「それは!」
『ロジェ!読み上げちゃダメ!』
ヨハンとサディコの必死に形相に、何とかロジェは『し』を言わずに済んだ。『しるな みるな わかるな つむぐな しらぬことこそ しんこうのみち』。
「これはなに?」
日に透かしても何も無い。女の絵と紋章の絵。この紋章、見覚えがある。学校で習ったものだ。
『発動しない。妙だね』
「発動ってなに?二人は何か知ってるの?」
ヨハンとサディコは顔を見合わせる。
「列車の中でそれを見つけたんだ。何か役に立つかもしれないって」
『で、ぼくは伝えるのを止めた方が良いって言ったんだよね。それ呪われてるから』
「えっ!?呪われてる!?全然そんな感じしなかったけど!」
『ヴァンクール』を使い始めてからというもの、魔力を帯びていたり呪いがあるものはある程度見分けてきた。なのにこの紙からは何も感じなかった。やっぱりお前は魔法が使えないんだということが突きつけられたような気がして、ちょっと辛い。
『そうそう。「こういうのがあったんだよ〜」って人に伝えると呪われるの。さっきみたいに、事故で知ると発動しないみたいだけど』
「あんたはなんも無いの?」
『ぼくは悪魔だからね。呪いはムコー』
「なるほどねぇ……」
マルコシアスは主人の質問には誠実に答える。『答える』ということは確実に認知して行われるものだ。事故のように知ることは出来ない。それなら、
「……会いに行ってみない?」
「どこにいるか分かるのか?」
「そりゃ魔法よ」
紙切れ自体に見える魔法は何もかかっていない。これなら探知魔法もきくだろう。
「『探知』」
ロジェがそう呟くと、紙切れから煙の様なものが上がる。
「どうやって追いかけるんだ?」
「煙の後を辿るのよ」
自信満々に微笑むロジェの頬を、空いていた窓から強い海風が撫でた。日誌を激しく捲った風は、煙を容易くかき消す。
「……消えてるけど大丈夫か?」
「だ、大丈夫だもん!とにかく行くわよ!海風が吹く前に!」
風前の灯火の煙を追って、一行は町に入った。昨日とは違って人通りが激しい。歩道を歩いているにも関わらず、自動車の通りが激しく轢かれそうだ。
「今日って何かあるのかな」
「祭りがあるとか?」
『仕事じゃないの?』
「そういや普通に平日だったわね」
「旅してると忘れるよな」
トラックが巻き上げた風と共に、紙くずが舞い上がる。正体はビラだった。よくよく見れば、町の至るところに落ちている。
「なにこれ」
「そっちに飛んでっちゃった!?ごめんごめん!片付けるよ!」
道の向こうから申し訳なさそうな中年の気の良さそうな男が走ってくる。
「いえ、大丈夫です。あの、これって……」
「いやぁごめんね。新宗教を布教するためのビラみたいでねぇ。町中これだらけで片付けるのが大変なんだよ」
ビラには『『北の悪魔』は都の花の神が正体』と書いてある。都の花の神が誰だか分からないが、恐らくアリス達の仲間なんだろう。発行元はルルド紙製社。レヴィ家が運営する会社だ。
「それにしても訳の分からんことが書いてあるね。ここに土着神なんていないのに。いるのはエルフィア様だけだよ」
「エルフィア様、ですか?」
「そうそう。海の大魔女って呼ばれててね。その昔、かつてのファステーラを守っていたのさ。『海の大魔女 エルフィアは かつて港を治めきし ある日大きな白波に さらわれ帰っていったとさ 郷に帰っていったとさ』……って歌、知らない?」
落ち着いていて、それでいて軽やかな歌には聞き覚えがある。寝つきが悪かった幼子の頃、母がよく歌ってくれた曲。
「子守唄で定番の曲……」
「そう。子守唄がうちの町の名物なんだよね。言い伝えでは、『海の大魔女は白波に乗って帰っていったが、いつの日か幾千万の人魚の唄に乗って帰ってくる』……なんて言われてる」
丁度傍を装飾が派手なトラックが走った。荷台には赤薔薇がぎっしり詰まっているのが見える。良い香りを車道に残して、トラックは彼方に消えていった。
「騒がしいでしょ?あと数日でそのお祭りがあるんだ。エルフィア様が帰ってきても大丈夫なように、一年に一回はお祭りをするようにしてる」
一日だけじゃ意味ないんだけどね、と男は気恥しそうに笑った。
「長々と話して悪かったね!旅人さん?ぽいし、楽しんで行ってよ!」
「お話、面白かったです!ありがとう御座いました」
ロジェが頭を下げると、ヨハンは持っていたビラを訝しげにつまみ上げた。
「何でこんなもの……」
「『北の悪魔』の信仰を無くすためよ」
ロジェはしたり顔でビラをつつく。
「『都の花の神』が誰のことかは分からないけど、その神に信仰をすげ替える。そうすれば『北の悪魔』は弱体化出来るって寸法」
「効果あるのか?」
『あんまないと思うけど』
サディコはロジェの足元で耳裏をかいた。
「同感」
「なぜ?」
「信仰はその存在を知らないと集まらないもの。だけど、『北の悪魔』の信仰元は『知らないこと』……つまり、根源的な恐怖」
一拍置いて、
「暗闇が怖いとか、死が怖いとか、病気が嫌だとか、罵倒されるのが嫌だとか、そんなものを糧としている」
少女の視線の先には白い町並みと、煉瓦の壁。
「それに、『北の悪魔』がこのビラの流入を許可したってことが、効果が無いことの何よりの証拠だわ」
再び強い海風が吹く。ロジェの手に握られていたビラは薔薇と一緒に巻き上げられて、どこかに吹き飛ばされて行った。
「早く来いって言ってるんじゃないのか?」
「……かもね。行きましょう」
郊外から町の中心部である広場に出ると、人がごった返していた。屋台もある。
「元祖 プエルトンのブイヤベースがありますよー!」
「捧げ物の薔薇と蝋燭はいらんかね!」
人々の声と熱量に押し潰されながら、ロジェ達は何とか路地に抜ける。ほぅ、と気の抜けた息をした。
「凄い人だかりだわ」
「薔薇とロウソクを捧げるみたいだな」
『ねぇ。あのささげもの、ってのはなに?』
サディコの視線の先には新品の煉瓦が積み上げられていた。ロジェは代わりに隣に書いてある看板を読んで要約する。
「自分が恐ろしく感じている事を煉瓦に書いて奉納するみたいよ。克服出来ますようにって」
「壁を壊さないと弱体化なんて無理だろ」
ヨハンは路地の影から少し先に聳え立つ壁を見た。自然物である崖よりも優に高い壁に、人々は触れたり祈ったりしている。
『……あれ?都の魔法使いがいる……』
サディコが弾かれた様に何かに気付いた。彼らが崖を超えて入ろうとすれば茨が邪魔をして入れない。魔法が無理だからこそアナログに立ち返って剣で切ろうとしているようだが、それでも結果は同じ。こちらのことには気づいていない様だ。
「私軍のリーダーはテュルコワーズなのだけど、敬愛っぷりが凄いわね。じゃないとこんな負け戦、出来ないわよ」
大人の世界はそういう訳には行かないのかもしれないが、貴族の家ならある程度乗っかる話は選ぶだろうから、やっぱりオルテンシアを敬愛していないと出来ない事なんじゃないのだろうか。ヨハンは眉をひそめた。
「敬愛?アイツ、オルテンシアのことが嫌いじゃないのか?」
「そうなの?真摯にお仕えしてるって話しか聞いたことないけど」
「いや、アイツは確か魔法が使えないんだよ。だから『ヴァンクール』を作った時、アイツが主人だと思ってたんだ」
目を細めながら呟くような声で話すヨハンを見て、ロジェは呆然としながら振り向く。
「だから……アイツじゃなくて、君だったから、本当に嬉しかったんだよ」
「それ、本当なの?」
「本当だよ。嘘ついてどうするんだ」
「じゃあなんでそれを貴方が知ってるの」
口早に尋ねると、ヨハンはまた考え込む。
「それは……」
彼らがいる遥か上空に浮かぶ桃色のヴェールが、色濃くなったのと同時に、ヨハンは気の抜けた笑顔を見せる。それは変化を許さない。
「いや、気のせいかもしれない」
『ちょっとぉ。人騒がせだなぁ』
「ビックリしちゃったわ」
肩を竦めたロジェを見て、ヨハンは恥ずかしそうに笑った。
「ごめんごめん。ほら、早く並んで奉納しよう」
ヨハンはロジェに赤薔薇と蝋燭を渡した。壁の祭壇に捧げる為の列に並ぶ。
「蝋燭も香り付きなんだな」
『香り付きって言わない。アロマキャンドルって言うの』
「蝋燭は蝋燭だろ?」
「蝋燭って呼び方が可愛くないじゃない」
「呼び名に可愛さって必要なのか?」
「いるわよぉ。大事なことだわ」
『そうだよ、めっちゃ大事だよ』
「何でお前が庇うんだよ」
ヨハンはロジェの足元にいるサディコの頬をつついた。つつかれた指を使い魔は血が出るくらい噛み返す。
「てめぇ……やりやがったな……」
『なに?ぼくとやり合うつもり?』
「くだらない事で喧嘩しないの。ほら、順番が回ってきたわ」
前の人の捧げ方と同じように、赤薔薇を左に置いて火をつけた蝋燭を右に置く。その後手を合わせて祈るようだ。
ただ、祭壇の奥にある、磔にされているモノが気になって仕方ない。それはあの絵の女だった。目は静かに閉じられ、白雪の髪がロウソクの炎に当てられて煌めいている。
兎にも角にも、後ろに人がいるのだからさっさと祈るしかない。ロジェは膝をついて手を合わせた。刹那、人々のどよめきが消える。慌てて立ち上がるも、周りには。
「人が、いない……」
『結界の中にいるみたいだね。気をつけて』
「了解」
ヨハンは腰に着けた拳銃に手をかけて、誰もいなくなった広場を見やる。ロジェは祭壇の奥に目をやるも、そこには誰もいなかった。
「逃げられたのかしら」
『『北の悪魔』と恐れられているヤツがそうサクサクと逃げるかなぁ』
「そうだねェ、マル坊」
誰もいなくなった広場に、妙齢の女のような、嗄れた声のような、どちらともつかない声が響く。ずるり。と何か重いものから這い出た音がした方向をむくと、異形の女がいる。あの、磔にされていた女が、目の前に。
「久しぶりの逢瀬なんだ。ヒトがいたら気が散るだろう?」
真黒の二重の山羊の角を持ち、白雪のようなふわふわとした短い髪の女。隙間から覗く黒い目は山羊の瞳。古ぼけた薄汚れたワンピースからは山羊の右足と鹿の左足、だらりと魚の尻尾は地面を擦っていた。
身長は優にニmを超えている。恐ろしい圧の中で、ロジェはやっと知識に辿り着いた。
「あな、た……そうだわ、思い出した!」
「……クックック。ようやく気づいたかね」
異形の女からは血の混じった牧草の様な匂いがする。
「人獣合わさりし姿は対立の権能、紫紺の炎は知恵の権能、角は勝利を、豊穣を見せ、右は溶解、左は凝固。その瞳は無限の欲望を引き出し、脚は健康を、耳は人心を掴む。その姿を以って、九つの権能を示す」
その九つの権能ゆえ、全ての魔法使いの憧れにして、神に匹敵する力を持つ者。
「それあって、名をバフォメットという……!」
ただ、ただ。それは──バフォメットは、口角を歪めて。
「ご紹介どうも。ワタシはこの辺りの土地神をしているバフォメット。まぁ、混ざりモノだがねェ」
次回予告。
バフォメットから契約を持ちかけられたロジェだが、高すぎる対価に躊躇してしまう。代わりにヨハンが何かを差し出すことになったが……?エイルズの正体が分かる第六十一話!