第58話 別れのコンチェルト
ロジェがヨハンに頼みにくいお願いごとをしたりヨハンが次の町の『何か』から呼ばれたり列車の中で仲良くなった皆にお別れを言ったりする第五十八話!
「勉強か?」
「いやその、小説を読もうかと……」
普通に『辺境の言語について』って書いてあるが。とヨハンは突っ込もうとしたが、泳ぎまくっている目が面白いので何も言わずにいた。
「ふぅん。君はどういうのが好きなんだ」
「ノンフィクションとかかしらね」
目の泳ぎは更に激しさを増して、バターが出来るくらいの速さだった。観念した少女の瞳がヨハンを真っ直ぐ見る。
「……その、お願いがあって」
「出来ることなら何でも」
「言葉を、教えて欲しくって」
ヨハンは応接室の椅子に座ると、ロジェも同じく座った。
「将来、超古代文明と神代の五大帝国時代を交えた研究をしたいと思ったの。その為には言葉を知らなくちゃダメだって思って」
ロジェの借りた本には小説は含まれておらず、言語学の本だけが種類別にあった。
「……ううん。言葉を知りたいって気持ちはあるけど、それ以上に貴方と同じ言語を喋りたいと思って……」
擦り切れた裾を掴んで、少女は居心地が悪そうに続ける。
「な、なんて言ったらいいのかな……分かんない、もう少し纏めて話すと……いや、ごめん今のは忘れ」
「忘れられるか」
自室に駆け出したロジェの手をヨハンが掴むと、腕の中で釣り上げた魚くらいにびちびち激しく抵抗する。
「やだーーーーっ!出直す!出直すもん!」
「もにょもにょ言いやがって……いつものズバっとした物言いはどうした」
「な、なんか恥ずかしくて言えないんだもん。今までこんな事無かったのに……」
ヨハンが手を離すと、少女は大人しく椅子に座り込んだ。
「言いたいことまとまらないし、明日でも」
いい?と聞こうとする前に男は隙を与えず言う。
「ちゃんと聞くからちゃんと言え」
ロジェは一瞬苦い顔をすると、スカートの裾を力強く掴んだ。深呼吸すると、意を決して言葉を紡ぐ。
「私は将来、超古代文明と神代の五大帝国時代を交えた研究をしたいと考えています。もちろん貴方の話す言語を学びたいという気持ちはありますが、それ以上に形容出来ない感情があります……が、正解?」
「別に正解は求めてない。そんな理路整然に話すこともない」
今にも逃げ出しそうな少女を止める為に冷たい視線を送った。
「本音はなんだ」
「本音って何よ。今のが本音よ」
「君は焦ると手を後に回す癖がある」
「げっ」
「……というのは嘘だ。」
「ハメたわね……」
「で、何を隠してる」
「……何となく。言わなくても分かるでしょ」
ロジェは耐え兼ねて視線を逸らした。
「察しはつくが君の口から聞きたい。残すからこそ言葉の意味がある」
察しがつく、とは言ったものの正直ヨハンには半分くらいしか理解出来ていなかった。超古代文明の研究を深めたいと思って聞いたのだろう。それだったらここまで隠さないはず。
「貴方と旅をして、超古代文明の謎を解き明かしたいと思った。サディコのいた水道もまだ何にも分かってないし、天慶国のシボラ遺跡だって埋まったままだし。謎を解き明かす為には言葉が必要だから、貴方から学びたいと思った。これは本当」
ちら、とロジェは気まずそうにヨハンの顔色を伺う。
「続けて」
「だけどそれは……貴方を傷つけてしまうんじゃないかと思った。貴方は帰りたがってる訳だし、愛しい思い出を無闇に傷つけて良いのかってすごく思った。だから言語を教えて欲しいって言うの、すごく勇気がいったの」
ロジェは少し震えた声で、
「でもそれ以上に、貴方が話していた言葉を喋れるようになりたいって思ったの。その……理由は自分勝手だけど……もし私が何か話せたら、貴方の傷が癒えるんじゃないかって」
「……なるほど」
はっきり言うと、信じられなかった。エリックスドッターのはぐれ者である彼女の中で、自分がそこまで大きな存在になっていたとは。
「思ってた通りだった?」
「いや……そうだな」
想像以上だ、と言おうと思ったが止めた。それ以上に彼女には伝えなくてはならないことがある。
「覚悟はあるのか。超古代文明を追うということは朧月夜家から永遠に目をつけられるということだぞ。普通の幸せは得られない」
「はっきり言って覚悟は出来てないと思う。だけど世界に不満だけをもって、理不尽に耐えることしかしてなかった時とは違う」
震えて不安そうな顔はどこへやら、少女はにへら、と気の抜けた笑顔を零した。
「それに……私にとって、貴方と遺跡にいた時間は楽しかったよ。まぁ、私も血脈的には超古代文明の人間だからかな」
燃える瞳には未来への希望が爛々と揺らいでいる。
「たとえ結果が出なくても、私はそれを望むから。止めないよ、ヨハン」
研究を続ける為の手足をもがれても、魂を奪われても、この子は続ける。それだけの気概が絶対にある。
朧月夜家に愛された家に生まれ、研究で疎まれるのなら。この子の心に爪痕を残し、夢を見つけられたのなら。
それはきっと間違いなく、この世界に新たな光をもたらすのではないか?
「……構わない。教えてやるがタダはちょっとな」
そこまでの覚悟を持っているのなら、もうヨハンには何も言えない。軽く息を吐いて軽やかなロジェに告げる。
「もちろん、私が用意出来るものなら」
「『おはよう』と『おやすみ』と、俺の名前を。元の世界の言葉で言って欲しい」
「それって……」
少女の表情に驚嘆と喜びが浮かんだ。ヨハンは呑気に返す。
「俺は君になら境界線を踏み込まれても気にしない。……だから、言って欲しい」
ロジェは伏せた視線を合わされる前に、思いっ切り飛びつく。当のヨハンは飛び付き方が強かったので一瞬苦しかったが。
「嬉しい!ヨハン大好き!」
「それはどうも。ほら、勉強始めるぞ」
「今日から初めてもいいの?」
飛びつきから離れると彼女はどこか気恥ずかしそうに手を後ろにやった。
「早いに越したことはないだろ?」
「うん!」
歓喜の声を上げてぴょんぴょん跳ねる少女を見ながらヨハンは茶器から受け取ったある物を告げる。
「そうだ。茶器からのお礼として服を頼んでおいた。部屋に置いてあるから、好きなの選んでくれ」
「どれ貰ってもいいの?」
「良いってさ。勉強の前に見に行くか?」
「そうしようかなぁ。ごめん、ちょっと待ってて!」
扉を閉める音の少しあと、また喜びの声が聞こえる。それを聞きながらヨハンは少女が借りてきた本を開いた。『辺境の言語について』の特別章には、『異界の言葉』の記述がある。
「『<.V7{(おはよう)』、か」
数百年この口で紡がなかった言葉。誰に言っても伝わらなかった言葉。それを今、言おうとしてくれる人がいる。
「……故郷の言葉は良いな」
部屋から出てきたロジェを見ながら、そんなことを呟いた。
「突然で悪いんだけど、明日早くに出ようと思うの」
「なぜ?」
朝食を綺麗に平らげた二人は、応接室の椅子に座って呑気なことを呟いていた。
「もしアリスに先を越されてたら検問されるでしょ」
少女の足元で元気になったサディコが魔獣の肉を貪るのを見ながら、ヨハンは眼球をぐるりと動かして。
「……アイツらのことをすっかり忘れていた」
そう言えばそんなヤツらもいたな、とヨハンは呟く。
「ボケるのには遅いわよ。ちゃんと思い出して」
「ボケるのに遅いってなんだよ」
「あんた五百歳超えてんだから。その歳でボケてちゃダメでしょ」
なるほど。いや全くなるほどでは無いが。ヨハンは珈琲をすすりながら少女の話を聞く。
「明日早くに出て私の魔法で飛べばいいかなって思ったんだけど、どうかしら?」
「不眠不休でか?死ぬぞ?」
『天気が良いとは限らないし、やめておいた方がいいよぉ』
そうは言ってもねぇ、と言葉を捻り出しながらロジェは続けた。
「姿を変えても検問じゃバレるし、多分近くで飛んでる魔法使いなんて見つけたら倒しに来るだろうし」
「ギリギリで降りるっていうのはどうだ。そっから徒歩ってことで」
「まぁそれなら……」
ヨハンは次の駅周辺の地図を開いた。ロジェはある一点を指し示す。
「何か後ろめたいことがある人は、アイゼンフェルドで降りるの。見通しが悪いから逃げ切れるのよね」
『その辺って一番監視されてない?』
「そうよ。だから……ここで降りるのはどうかしら」
少女の指はアイゼンフェルドの東、目的地の次の駅よりも奥の断崖を指した。
「途中下車して港町の北に進んだら海があるのよ。崖と海の間なら、警備も手薄だと思う」
「どうして?」
「『還らずの海』では魔法は使えないの。だから多分、魔法使いじゃない人が監視してると思う」
「なるほど。それなら入れそうだな」
「そうと決まれば準備準備!皆にもお別れの挨拶をしないとね!」
軽やかな足取りで朝食プレートを廊下に置いたロジェを横目に、ヨハンは部屋添えつけのパンフレットを取りだした。
「次の町は確か……プエルトンって言ったかな」
「そうそう!知ってたんだ?」
「あぁ。暇な時にパンフレットを読んでたんだ」
歯を磨いている音を聞きながら再び開くと、観光名所、美味しいもの、アクティビティ……等々の情報がてんこ盛りだった。おもむろに冊子の次のページを開くと、古ぼけた紙が入っている。
それは黒インクで描かれた絵だった。表には煉瓦の壁に磔にされた女の姿がある。修道女らしき服を着て、ふわふわの短い髪に長く曲がった角。俯いているため顔はよく見えないが、薄ら笑っているように見える。足からは山羊と鹿の足、鱗に覆われた人魚のような尻尾。混ぜ物、という印象を受ける。
裏にはヘルメスの杖。赤字で奇妙な文字が書いてあった。
「『しるな みるな わかるな つむぐな しらぬことこそ しんこうのみち』」
分からないことはその道の専門家に聞いた方が良い。幸い近くにいるのだし。ヨハンは紙切れを取りだしてサディコに見せる。
「なぁサディコ、これ……」
『言わない方がいーし見せない方がいーよ』
視線もよこさずに使い魔は言い放った。
『そう書いてあったんでしょ』
「……あぁ」
『別に害あるものじゃないよ。見せようと思って見せてはいけないだけ。知ろうとしてはいけないよ』
歯磨きから帰ってきたロジェを見て、ヨハンはポケットに仕舞った。
「どしたの?なんかあった?」
「いや、何でもない」
「そう?それならいいけど。私皆にお礼言って来るから、ヨハンもそれ片付けたら来てね」
分かった、と声を荒げずに言い切って朝食プレートを片付けた。歯磨きをしようと部屋に戻ろうとすれば、背後から声が降りかかる。
『それ持ってくつもり?』
「役に立つかと思って。さぁサディコ。行くぞ」
『はぁい』
僅かな不安を抱きながら、暗くなった部屋を見詰めた。
とにかくまずはハイサムと茶器にお礼を言おうということで、車掌室に向かった。そういう訳で扉を開けたのだが。
「あら。皆揃ってるじゃない」
ハイサムと景星と蘭英、茶器がお茶をしている。景星と蘭英はともかく、ハイサムと茶器は仕事をしなくて良いのだろうか。
「おっ。これで皆揃ったな」
「こっちに来てお菓子食べなよ」
「い、いや、私達はお礼を言おうとしただけで……」
ロジェは景星の提案に退くが、丁度二つ空いていた椅子を指す。
「オレ達もそうなんだよ。まぁとりあえず座れば?」
「荷造り中かもしんないのに引き止めるのは悪くないか?」
蘭英は乾物のお菓子を食べながら景星を窘めた。確かにそうだな、と彼は言うと。
「じゃあちょっとだけってことで」
「そうね。少し失礼するわ」
「ていうか何でこんなぴったり集まったんだ」
ヨハンは珈琲に手を伸ばした。茶器からミルクと砂糖を出されて、砂糖を一つ受け取る。
「乗車させてくれたお礼を言いに。ハイサムと茶器にはお世話になったし」
景星はオレンジジュースだ。ロジェは冷たい紅茶を貰う事にした。
「アタシはまたノルテに戻らなきゃなんないから、そのお願いかな」
蘭英は珍しくだらけて思いっきり伸びる。BBQ味のポテトチップスが口の中に吸い込まれていった。
「とうとう下車命令が出たんだよ。天慶国にもまだ妖怪が出るらしいから倒しに行けって。それが終わったら仙界に一回戻って来いって。……あそうだ。帰りのお金出さなきゃ」
立ち上がった蘭英を茶器が制する。
「帰りの乗車賃は玄女様から仰せつかっておりましたので」
「あんた下車命令が出るの知ってたの……!?」
「あと数回程度というお話を聞いていただけです。詳しくは何も」
長い間乗っていらしたので、とメイドは付け加えた。蘭英は力が抜けきって椅子に座り込む。
「良かったじゃん。これで自由に旅が出来るんじゃない?」
景星はぽんぽんと蘭英の肩を叩く。
「さぁ……どうだか。玄女様の気分次第だね。アタシとしては、修行は嫌いじゃないからいいんだけど、そろそろ飽きてきたっていうか……」
「蘭英は何を倒したいんだ?」
「でっかい龍とか倒したいなー。もうあんまりこの世にはいないけど」
感情がごちゃついた声を上げる蘭英を見ながら、ロジェは景星にも問う。
「そういや景星は?確か港町に行くって言ってなかった?」
「そ。酒を頼んでたから、それを貰って一旦仙界に戻ろうかと」
仙界。神代の終わりに新たに出来た世界。神代終わりの仙人は清いところでなければ生きられなかった。だから隔離場所として神々が作った世界だ。
「確か霊山に登って帰るんだっけか」
サディコは少しだけ小さくなってロジェの膝に乗る。撫でると嬉しそうに目を細めた。
「普段はそうなんだけどね。インテリオール海にもまだ道が残ってるから、それを辿って帰るつもり」
「あの海にもまだ異界に繋がる道なんてあるんだ……」
海と山は異界に繋がる場所。なのだが、信仰が薄いこの世界ではそんなことはもう信じられていないし、繋がる場所は珍しい。
「『還らずの海』では魔法が使えないって聞いたが」
「使えないのは使えないね。魔力に誘き寄せられて恐ろしい魔物がうようよ近寄ってくるから。まぁ道は仙人以外通れないし。入ってしまえば安全なんだよ」
なるほどなぁ、とヨハンは呟いてチョコを食べた。何となしにハイサムはロジェ一行に問う。
「君達は最後まで乗っていくだろ?」
「いえ。到着の一日前には出てしまおうかと」
「君達は色々ワケアリだもんね」
悪戯っぽく笑う景星に蘭英からのデコピン制裁が飛んだ。普通にちょっと痛そうだ。
「そうか。それじゃあもうお別れかもな」
「本当にお世話になりました」
綺麗にお礼をしたロジェにハイサムは有り難そうに笑った。
「いいや。俺達の方が世話になったよ。なぁ茶器」
「えぇ、ハイサム様」
「残り少ない時間だが、楽しんで行ってくれ」
席から立ち上がってロジェはハイサムに頭を下げた。
「有難う御座います。蘭英も景星も、またどこかで」
蘭英は緩やかに一行に手を振る。
「また会えたらいいな」
「プエルトンで会うかもね」
景星の言葉に、ロジェはそうねと言って軽く握手をした。ただ、仙女はヨハンを見ている。
「あんたも」
「おう」
「良い時間を歩めるといいね」
「……お互いにな」
同じ世界出身の不老不死。こんなとこで出会えるとは思っていなかった。これも旅に出た恩恵か。横目で微かにロジェを見る。手を振って部屋を出ると、不思議そうにロジェが首を傾げていた。
「蘭英と何かあったの?」
「いや、別に」
「そっか。まぁ仲がいいのは良い事だけど」
「さてと。荷造りに戻るか」
横を歩いていたロジェは道を塞ぐように立ち塞がる。何やら企んでいる顔だ。
「荷造りもいいけど、もっと他にやるべきことがあるわ」
「え?やるべきこと?」
「私、この列車全然満喫してないのよ。温泉車両とかスイーツ車両とかジム車両とかゲーム車両とか」
『ぼく温泉車両行きたいなぁ』
「そうよね!使い魔専用のお風呂があるんですって!」
サディコもすっかり元気になってぴょんぴょん、と廊下で飛び上がっている。『ヴァンクール』を付けた手が差し出されて、それで。
「ね?ほら行きましょうよ!」
「……はいはい、分かったよ」
その手を掴んで、歩き始めた。
次回予告!
新章開幕!『最果鉄道』から降りたロジェ一行は港町 プエルトンを迂回して向かっていた。しかしそこでも待ち伏せされており……?私軍が動き出す第五十九話!




