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ラプラスの魔物 Secret Seekers  作者: お花
第四章 夢心遺却列車 最果鉄道
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第五十七話 静寂のエーノ

ヨハンが茶器にお礼を言ったり記憶を取り戻したハイサムとロジェが今後のことについて話したり超古代文明の文字を勉強したりする第五十七話!

「無くならないよ。改めて契約し直した」


「それってどういう……?」


不思議そうに首を傾げる茶器をハイサムは軽く諌めた。


「茶器。俺の事よりもお客人を頼む。俺は自分で部屋に戻れるから」


「畏まりました。ではお二方、元の部屋に……」


メイドの声をさえぎって、少女の影から声がする。


『待ってよ。まだ一番の罪人の尋問が終わってない』


影に潜む使い魔はロジェへと問うた。


『耐えられそう?』


「何とか」


『悪いけどちょっと頑張って。さぁハルパス。言い訳を聞かせて貰おうか』


サディコの声と共に、天井から烏が落ちてきた。腹にも残った傷から黒い血液が絶え間なく流れている。余程ロジェの攻撃が効いたらしい。ふらついた足で一行の前に立つ。


【……此度の凶事は北の悪魔がやったこと。儂のせいではない】


『責任転嫁だけどまぁいいや。それで?戦ってる時も言ってたけど北の悪魔って何?』


【あれに名などない。神代の残滓だからじゃ】


神代の残滓。つまりいろんな信仰が混ざりに混ざった存在。ロジェはオサンビ様を思い出してゾッとする。


【会って話してみるといい。人外が追いやられた今世で、古今比類なき強さを持つ者】


『名前は?』


【言えぬ。呪いじゃ】


ハルパスはそれきり黙りこくって、車掌室のエンジン前で眠り始めてしまった。ロジェはヨハンに向き直って疲れた笑顔を作る。


「……ヨハン。えへ、怪我しちゃった」


「だから止めろと言ったんだ。こんなぼろぼろになって、本当に……」


待ち望んだ赤。服の端々に染み付く必要のない赤が滲んでいる。それを見たくなくて、ヨハンはロジェを抱き寄せた。


「どれだけ心配したと思ってる!君はたった一回しか生きられないんだぞ!」


「ヨハン……」


腕の中がいきなりずん、と重くなる。瞼を閉じたロジェがいて、焦って慌てて声を荒げた。、


「ロジェ?ロジェスティラ?しっかりしろ!」


『狼狽えすぎ。ただの魔法の使いすぎだよ。こりゃ暫く寝るだろうねぇ』


影から欠伸と、珍しく疲れきった声が聞こえて。


『……ぼくも疲れた。部屋に戻ろ?』


とにかく部屋に戻ることにしたのだった。



ロジェを抱えて部屋に戻ると、ただ静寂と暗闇だけがあった。ほんの数日空けていただけなのに、数年ぶりに帰ったような感触。


「サディコ。起きてるか」


ヨハンが問いかけるも返答は無い。電気をつけると、少女の疲れの色をはっきりと感じる。


「……ボロボロだな」


青年の言う通り、ロジェの服は酷い有様になっていた。脇腹は縮れて、腕は激しくほつれている。『ヴァンクール』に近い部分なんて黒焦げだ。


寝かせるにしても靴を履かせたままという訳にはいかない。ソファに座らせて靴を脱がす。が、靴も底が半分抜けていた。


「何だこれ」


靴下には染みがついていた。血だ。好奇心に負けて脱がすと、何の変哲もない普通の足がある。


「……なるほど。魔法で治すと血だけ残るのか」


羽織っていたマントを脱がせてソファに置く。動きで髪が揺れると、頬に傷を顕にした。


「顔に傷作りやがって……」


ヨハンは救急箱を出すと、消毒して絆創膏を貼る。怪我程度、魔法で治すだろうから余計なお世話だと思うが、あのクソ悪魔への仕返しと言ったところか。ロジェを寝かそうと姫抱きにしたが、この温度は、あまりにも。


「……ぬくい」


たった一度で終わってしまう命。手首は細くすぐにひしゃげてしまいそうだし、首なんて片手で折れてしまいそうだ。なのにどうして人の為にここまで懸けてしまうのか。それこそがこの少女の在り方なのだとしたら、何故神はこの子を祝福しないのか。


腕の中には鮮明な赤がある。艶やかな髪を梳いているうちに、やっと分かった。今まで自身の手から零れ落ちた全てのものは、こうやって手を伸ばして留めれば良かったのだと。


「……眠ろうか、ロジェスティラ。疲れたろう」


何となく自分も疲れた気がする。流石に脳みそを弄り回されたら疲れもするか。ヨハンはそう一人心の中で呟きながら、彼女を寝台に寝かせた。胸が膨らんでは、へこむ。呼吸の証。


あぁ良かった。生きている。彼女はちゃんと生きているのだ。ヨハンは部屋の電気を消すと、自室に戻った。








「……朝か」


いつの間にか夜は明けていた。ヨハンはベッドから渋々起き上がると、寝間着から着替える。応接室に出てもロジェが起きている気配がない。


まぁいい。取り敢えず茶器の所へ行こう。部屋からエントラスに向かい、スタッフに話を聞くとどうやら車掌室にいるらしい。


あと五日でこの列車は港町 プエルトンに着くというアナウンスを聞きながら、ヨハンは車掌室の扉をノックした。


『はい。どちら様でしょう』


「ヨハンだ。今いいか」


あらあら!と嬉しそうな声が扉の向こうから聞こえて、茶器が出てきた。なんでこんな喜んでるんだ。


「ヨハンさん!元気で何よりです!」


「不老不死だから大丈夫だ」


「とにかく中へどうぞ!」


誘われた先はあの金ピカの車掌室だった。ボイラーの前ですやすやと眠る白い大鴉が一羽。ハルパスである。思わず眉間に皺を寄せる。


「……何でこいつがこんな所に?」


「正式にハイサム様の使い魔となりましたので、車掌室を巣にしていらっしゃるのです。もう悪さはしませんよ」


「そうだ。ハイサム。アイツはどうなったんだ?」


見当たらないが、とヨハンは辺りを見渡して言った。


「元気ですよ。今は散歩に出られておいでです」


「結局、契約云々ってのは何だったんだ」


茶器は申し訳なさそうに首を傾げて苦く笑う。


「さぁ……私も魔法には詳しくありませんので……ロジェスティラ様がお聞きになれば分かるかと」


「ロジェでいい」


間髪入れずに告げたヨハンに、茶器は不思議そうに言った。


「そうですか?ではロジェ様と」


金ピカのボイラーはぷしゅう、と間の抜けた蒸気音を出した。さて、そろそろ部屋に戻ろう。


「あんたも元気そうで良かった。俺は戻るよ」


「お待ちを。お礼がしたいのです」


茶器にしては珍しく強い口調で言うものだから、ヨハンは振り返るしか無かった。


「謝礼金ってやつか?」


「そうです。金銭は厳しいですが、宝石なら幾らでも出せます。服などには困っていらっしゃいませんか?日用品なども揃えられますよ」


「……そうか。それなら宝石を幾つかと、旅の品を貰いたい。銃弾と……あとロジェの服もだな」


「分かりました。後で部屋に遣いを出しますので、詳しいことはその者に仰って下さいね」


ヨハンは部屋に戻ろうとした、のだが。まごついて、ポケットから紙切れを出した。


「やる。要らなかったら捨ててくれ。D☆D☆Q☆/)。間違いなくあんたの名前だろ?」


紙切れには『D☆D☆Q☆/)』と綴られていた。呼ばれなくなった、かつてのメイドの名前。


「……それ、私の名前。私の本当の名前。どうして……」


「あんたの上司に色んな意味で世話になったからな。仕返しがてら、奪われたあんたの名前を取り返せないか考えていた。別の世界の言葉だから発音できるらしい」


聞き馴染みのない発音で済まない、と男は詫びた。しかし、茶器の目は潤んでいた。


「あの時からもう、諦めていたのに……こんな、ことが……」


「俺は魔法使いでも人外でも何でも無いから、あんたの契約は解除できない。不老不死は依然有効だ」


茶器は真名である『D☆D☆Q☆/)』を、繰り返し繰り返し発音している。


「まぁ、ちょっとした気休めに貰っておいてくれ」


「気休めなものですか。あぁ、ハイサム様に呼んで貰わなければ!」


ヨハンは軽く微笑んで忠言する。


「……なぁ茶器。どれだけ時間が過ぎても、自分の大切なものだけは失わせるなよ」


「あの方はきっと、この時の為に私を不老不死にしたんだわ。ねぇハイサム様」


全然話を聞かない茶器に、ヨハンは軽く肩を竦めた。、


「……やれやれ、どこまでいっても月の子供達だな……」


『月の子供達』。主と慕う相手に対して妄信的なのは変わらずか。男は喜ぶ茶器を見ながら自室へ戻った。







「……これも違う。やっぱり無いのかな」


部屋から抜け出したロジェは、図書館車両の中で言語の本を閉じた。息を吐いて椅子に背を預ける。身体はだるくて頭は回らないし、魔法である程度直したが服もぼろっちい。


「次の停車駅は港町のプエルトン、か」


山積みになった言語の本の隣には地理学の書物がある。インテリオール海沿岸に存ずるプエルトンは、青い海と白い建物が織り成す景色が有名な街。かつて、無限に続いた海には人魚がいた。もう百年ほと目撃例がない。


「だめだ。やっぱり本人に聞いた方がいいわね」


ロジェは重たい身体に鞭打って立ち上がると、机に置いた分厚い本に手を伸ばす。


「手伝おうか?」


声に顔を上げるとハイサムだった。ロジェはにわかに顔を綻ばせる。


「あら。もう元気になったんですね」


「まぁね」


ロジェが頼む前にハイサムは本を易々と抱えて元の場所に戻していく。


「お礼が言いたくてね。今いいかな」


「えぇ。構いませんよ」


良かった、と褐色の男は笑うと、ロジェを図書館車両の奥の部屋へと連れて行った。車両の半分ガラス張りになっていて、何の変哲もない砂漠の景色が楽しめる。


「先の件は世話になったよ。本当にありがとう。列車も俺も助けてくれた」


「どう致しまして。……棚ぼたみたいなところはあるけど」


ハイサムはテーブルに葡萄を置いて差し出した。


「君には色々話しておきたいんだ。俺の事とか。付き合ってくれるかい?」


「構いませんよ。そのつもりで来たんですから」


紫の実を口に入れると、ここからずっと遠い異国の味がする。


「神代の時代が終わって数十年。俺はこの砂海に住む遊牧民だった。族長の息子だったが、族長になるのが嫌で放浪してたんだ」


砂海はハイサムの昔から今までを観ていて、今も変わらずここにある。


「つるんでいた所を遣いに見つかって、仲間は皆殺された。俺だけ生き残ってこの列車に乗ったんだ。……ってことが、この本に書いてある」


ハイサムは抱えていた分厚い本を出した。確かこれは鷹が姿を変えていたもの。中身はずっと気になっていたが、これはもしや。


「もしかしてこれ、日記なんですか?」


「そう。記憶を対価として渡す前の俺が書いた日記。本当のことを書いてあるかは分からないが……」


「本当ですよ。ハイサムが歩んできた人生を、魂を通して見ましたから」


日記は鷹に姿を変えて、悪魔に見つからないよう逃げ続けて来た。それを知らないハイサムは眉をひそめて笑う。


「でも記憶なんて当てにならないぜ?」


「記憶は改竄できても、魂は嘘をつけないんです。だからその記録は本当ですよ」


「そうなのか?盗賊を百人倒したとか書いてあるが」


「……それは嘘かも」


少女は微笑んだ。ハイサムのことだ。ちょっと格好つけて書いておこう、みたいなところはあるかもしれない。そうだ。もう一つ気になっていることが会った。


「そう言えば契約は有効がどうのって……あれは何なんですか?」


「あぁ。記憶を対価に寿命を貰ったんだ。これに乗って逃げ続ける為に。その頃から茶器と一緒でね」


神代が終わって数十年というのだから、今から八百年近く前の話になる。となると、茶器とも長い付き合いになるのか。彼の奇行に慣れている節があると思っていたが、それほどとは。


「だけど俺は記憶を取り戻した。対価としてはもう成立しない。だから代わりに魂をやったんだ」


ロジェは開かれた日記をちらりと見た。今は使われていない文字が多々見受けられる。


「『俺が死んだら魂をやる。代わりにこの列車と、俺に寿命を』ってな」


ハイサムの話を聞いても、彼女には納得しきれていない部分があった。何故そこまでして『最果鉄道』に乗り続けるのか、ということだった。


「……あの、その。不躾な質問なんですけど、この列車のこと、嫌いにならないんですか?」


彼は一瞬目を大きく見開くと、大人が子供に言い聞かせる時のような優しい笑みを浮かべる。


「君は『最果鉄道』が嫌いかい?」


「いやいや!私は凄く楽しかったです!綺麗な部屋に無限に使えるアメニティとか!ご飯も美味しかったし快適でした!でも……」


ロジェは彼の人と同じ人生を歩んだ事がないから分からない。だけど分からないなりに、自分だったらそんな目に遭ったら降りる気がするから。


「ハイサムは乗りたくて乗った訳じゃないし、列車の為に働き続けてきたから……人って強制されるとどんな好きな事でも嫌じゃないですか。そういうのは無かったのかなって」


ハイサムの顔色を伺う。きっといつもと変わらぬ笑みが浮かんでいるのだろう、と思っておずおずと視線をあげると、難しい顔していた。


「……嫌だったかも」


「え?」


予想していなかった返答に面食らう。残り一つの葡萄をハイサムは平らげた。


「嫌だったけど、嫌なことばかりじゃなかった。いつの間にか居場所になってたって感じかな」


首を傾げたまんまのロジェに、彼は軽く笑い飛ばした。


「君はまだ分からないかもしれないけど……趣味とか好きなことを仕事にすると、いろいろむつかしいんだ」


「……あんまり分かりません」


絶対好きなことを仕事にした方が楽しいのに。でもやっぱり、本当の本当に好きなことでも、強制されたら嫌なんだろうか。


「ははっ!それでいいんだよ。君だけの答えを見つけてくれ」


ハイサムが立ち上がったのを見て、ロジェも立ち上がる。


「付き合ってくれてありがとう。あー……その、余計なお世話なんだが、何の本を探してたんだ?」


ハイサムなら何か知っているかもしれない。ただ周りに聞かれるのも何となく嫌なので、ロジェは裾を引っ張ってお願いした。


「……耳貸してください」


「ん?」


耳打ちから離れたハイサムは訝しげに顔を顰めた。


「……そういう本は知らないな。この列車には仙人が乗ってるが、そういう人達には聞いてみたのか?」


「まだです。それにこの広い列車でまた会えるかどうか……」


「それなら、本人に聞いてみるのが一番じゃないかねぇ」


やっぱりそうか。ロジェは肩を落とした。


「……サプライズにしたかったんですけど、そんなことは言ってられませんものね」


「直で聞くのが一番だよ。そういうのは」


最近このフレーズを言われることが多い気がする。私ってもしかして遠慮しがちなのかしら。


「分かりました。そうします」


「おう。もうちょっとで港町には着くけど、それまで旅を楽しんで行ってくれよな!」


ロジェはきっちり九十度のお辞儀をして、図書館を後にした。







客室ではヨハンが魔力を排する甘い水を飲んでいた。普通の水を飲んで口直しをすると、茶器から受け取った水差しを応接室で眠るサディコにかける。


『なにしてんの』


使い魔は掠れた声で目を開けた。自分に真顔で水を注ぐ男を見ている。


「茶器にもらった。身体に良い水なんだと」


落ちてきた水は一滴残さずサディコの身体に吸収された。確かに魔力たっぷりの水だ。


『へぇ。傷の治りが早くなりそう』


「それなら良かった」


『そう正直に話されるとむず痒くいんだけど』


「俺にツンデレを強要するな」


別にそういうこと言ってるわけじゃ無いんだけどなぁ、とサディコは心の中が浮かんだが言うのをやめた。普通に身体がダルい。


『……元気になったらもうちょっとツッコミするよ』


「早く元気になれよ」


早く主人と再契約しないとなぁ、とぼんやり思案していると客室がノックされる。入ってきたのはロジェだった。手の中には枕に丁度良さそうな分厚さの本がある。

ロジェがヨハンに頼みにくいお願いごとをしたりヨハンが次の町の『何か』から呼ばれたり列車の中で仲良くなった皆にお別れを言ったりする第五十八話!

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