第五十五話 追憶のイーター
ロタスを救う為に奔走する一行。ロジェは追いかけ、ヨハンは戦い、そしてサディコは。主無き鉄道を取り返す第五十五話!
「俺は……」
こんな面倒事ごめんだ。他人の為に命を懸けるなんて冗談じゃない。これまでもこれからもその筈、だったのに。
「ロジェスティラが戦ってるのに、おめおめ逃げられるかよ。俺もやる。不老不死がいれば少しは戦力の足しになるだろ」
本当は凄く嫌だ。だけど、あの子が他人の約束を守る為に必死に頑張っているのを横目にのんびり休むのはもっと嫌だ。
「そう来なくちゃな!よぉし!景星はあたしと組めよ!あんたは茶器とだ!」
蘭英はまたまた向かってきた煙生命体をぶん殴ってホームランを打ち出す。
「あたし達は車両の奥側に行く!あんた達は手前側を散策しな!」
この暗闇の中窓を開けて二人は後方にすっ飛んでいく。やはり仙人だ。自分達人間とはやることが違う。
「ヨハン様。私達も参りましょう」
「あぁ、そうだな」
いつの間にか名前を知られていた茶器と共に、二人は前方車両へと向かった。
「はぁっ!はぁっ!はぁっ!」
ロジェは足をもつれさせながら暗闇の中を必死に走っていた。目指すは鷹。あの光る球体結界を纏った存在だ。
「『捕獲魔法』!」
細長い白いチューブ状の捕獲魔法が球体捕まえようとするが、魔法が通らない。だがそれ以上に違和感がある。ロジェは自身の手に着く『ヴァンクール』を見た。
「なに、これ」
ゆっくりと明滅して、光っていた文字盤の魔法陣が少しづつ欠け始めている。恐らく残りの魔力残量だ。これが無くなれば魔法は使えないし、倒れる。
「嘘でしょ……!」
走っても走っても追いつかない、ハルパスが作り出した異空間。この異空間は鷹に追いつけないように設定してある。だから設計を読み解いて穴を探さないといけない。
背後を振り返るとさっきの車掌室が間近に迫っている。もしこの空間が閉じれば空間と空間の裂け目に閉じ込められて確実に死ぬ。
だから回復魔法をかけながら走り続けて、魔力消費量が多い空間魔法を使わなければならない。こんなん無理ゲーだ。
諦めそうになったが、いやいや、と少女は首を振った。私は理論だけは良く出来た。これを無理だと言ったら私には何が残る?
諦めるな。考えろ。今までもそうやって乗り越えて
来たじゃないか。まずはこの異空間の設計を読み解いて、何が必要なのかしっかり考える。ヨハンの鬼畜トレーニングがこんな所で役に立つなんてね、と心の中で笑いながらロジェは必死に走った。
『ぐるる……』
車外の暗闇の中、サディコはハルパスから離れて低く唸った。列車は光を目指して走っていた。
ハルパスの力は強大だ。未だ列車を走らせ、異空間に閉じ込めている。
『ねぇ。そもそも目的はなに?こんな事してなんの得もないじゃん』
異空間を作り出し、列車を走らせる。魔力を食うこの行為はハルパスに何の利益ももたらさない。損得を大事にする同種の悪魔だからこそ、サディコは状況を不審に思っていた。
【縄張りを荒らされたからだ】
『でもぼくじゃないんだよね?他に悪魔が乗ってたの?』
【否……北の悪魔……】
耳慣れない言葉を聞いてサディコは首を傾げる。
『北の悪魔?それってなんなのさ?』
【あれが荒らした。あれだ。あの黒い茨。あれが我が領土を荒らしたのだ!】
ハルパスは苦しみながら空中を旋回している。何かから逃げようとしているらしい。
『だからってこんな悪魔らしくないことしなくていいじゃん!もう止めようよ!』
【否!否!否!】
『……こりゃ駄目だね。完全に正気を失ってる』
サディコ自身、北の悪魔なんて存在を聞いたことがなかった。悪魔は序列、強者を大事にする。故に強い悪魔は皆知っているのだ。一悪魔であるハルパスをここまで狂乱に落としめるものであるならば、サディコが知らない筈が無かった。
となると、相手は知らぬ悪魔だ。この神代が終わった人間の世界で新しい悪魔が産まれるなんて信じられない。
【グィァァァァァァウ!】
ハルパスは煙を纏わせた宝石弾をサディコに繰り出す。追尾付きの厄介な代物だ。颯爽と避けて、思案する。兎にも角にもコイツの体内からロタスを引き剥がさないと主人を助けることが出来ない。
ロタスがハルパスになっているのか、はたまたハルパスがロタスの精神を操っているのか。コイツの得意分野的に恐らく後者だろう。サディコは周りに魔法を浮かべて、それを放った。
ハルパスは軽く唸ると分身を始める。各々サディコに対して罵詈雑言を吐き始めた。そう、コイツは精神魔法を使う。それもエグイのを。
【壊せ、無いのなら対価は要らない……】
罵詈雑言で済めばいい。読心術はありがちだし、心をすり減らす程度なら最高だ。心の隙間につけ込まれる?悪くない。
ハルパスの精神魔法はもっと先、取り返しのつかない所にある。
『波長のチャンネルが合わない……』
サディコは波長を駆使してロタスの居所を探す。が、見つけても少しづつチャンネルが合わなくなっていく。
ロタスはハルパスの精神世界の中にいる。それを感知して飛び上がって分身のハルパスを食い散らかすと、残った本物の悪魔に喰らいつく。しかし結界で弾かれた。
【無駄だ。あまり動くと死が近くなるぞ。儂の力を知らないことは無いだろう?のう、地獄の坊ちゃんよ】
サディコは軽く嘲笑いながら悪魔の目論見を跳ね除けた。
『ぼくの目的はお前を倒すことじゃないよ』
【はて。負け惜しみかの?】
ハルパスは嫌味ったらしく首を傾げる。
『そう思いたかったらそう思えばいいんじゃない?』
足元に黒い煙が近寄ってきた。これが精神魔法を増長させ、さらにその先を見せるもの。
サディコは身体を水に変じさせ、煙を体に取り込んで部分的にハルパスと化す。そしてそのまま結界に突っ込み、首筋に噛み付いた。口に苦味が走る。
【ははっ!自殺行為じゃのう!】
羽ばたきでサディコは吹き飛ばされ、噛み傷も直ぐに癒える。しかしこれでいいのだ。後はハルパスが気づかないよう戦い続けるだけ。
『……頼んだよ、ロジェ』
使い魔はよろよろと立ち上がる。ダメだ、視界がぼやけてきた。まだ戦わなくてはならないのに。
【血を喰らっては一溜りのないだろうなぁ。直ぐに回るじゃろ】
ハルパスの力。この世で最も強大な精神魔法。それこそは。
煙で精神を汚染させ、強制的に体内の全てをどろどろに魔力化させたのち、ハルパスの魔力に接続される……つまり、強制的に他者を思い通りにする力。催眠術のように解けたりせず、ものの数秒で廃人に出来る魔法。
『ゲホッ、ゲホッ……』
早速サディコの口から数滴の血が出てくる。あと数分もすれば全ての内臓がひっくり返ってそのまんまぶち撒けるだろう。
【良いだろう、いたぶってやる!儂に刃向かった褒美じゃ!】
『じいさん歳なのに結構な変態だね』
ここはハルパスが創り出した突貫的な異空間。だから噛み付いて、コイツの精神世界とロジェのいる異空間を繋げた。大丈夫だよ、ロジェ。あの鷹がきっと導いてくれる。
サディコは震える身体を動かして、異空間の主である悪魔に魔法をうち放った。
深淵へと突き進む列車の中で、ヨハンと茶器は客室へと駆け込んだ。
「お客様がいらっしゃいません。どういうことなんでしょう……」
「悪魔が何かしたんだろう」
それより、とヨハンは付け加えて。
「コイツらを何とかしないことには何にも始まらん」
煙生命体を鉈で蹴散らしながらヨハンは進む。しかし、手応えは何も無い。
「銀の銃弾も効果が無いですね。ハーブは嫌うようですが」
茶器の持っていたハーブには火がついており、確かに周りの煙生命体は少し離れたところで彼らを見ている。訝しげにヨハンは首を傾げる。
「……それは?」
「ローズマリーです。お台所から拝借してきました」
あぁなるほど、と合点がいった。通りでキッチンの良い匂いがする。
「そうだ。これもヨハンさんに教えておかないと」
茶器は車両の入口近くにあるレバーを押す。壁の一部が剥がれてありとあらゆる武器が露出した。銃を始め、ナイフ、モーニングスター、鎌、おまけに手榴弾もある。
「何か武器が欲しければお持ち下さい。例えばほら、これとか」
茶器は手榴弾を手に取ると熟練の手さばきでピンを抜いて投げた。二人は椅子の影に隠れると爆発音を聞く。
それが終わってヨハンが爆破跡を見ると、粉々に吹き飛んだ場所が一瞬歪んで元に戻る。
「直った……?」
「この列車は壊れません。だから厄介なんですよ」
「なるほどな……」
とりあえずヨハンは鉈を、茶器はナイフを構えた。そして、煙生命体に向かった。
同刻。
「よっと!」
蘭英は扉を蹴破って客室の中に入った。先の二人が遭遇したものと同じ、煙生命体が出迎える。
「景星。これ何とかできそう?」
「うーん。ちょっと厳しいかな……」
そう言いつつも、景星は煙を氷に閉じ込める。
「行けるじゃん」
「それがねぇ」
煙は粘性を持った液体になり、氷から溢れ出る。捕まえた時よりも多い液体が床を汚していた。
「全く。ロタスはとんでもない悪魔と契約したもんだよ」
「とにかく列車全体を氷漬けにする。それで他の乗客を保護にに行こう」
「そんなことしてたら霊力切れで死ぬよー?」
吹っ飛んできた煙生命体を蹴散らしながら蘭英は返す。彼女の指は天井を示している。
「ここはあたしが食い止める!あんたは天井を蹴破ってこの空間を壊すんだ!」
煙は前よりも数を増やして蘭英に近寄ってくる。
「この数を相手するなんて無理だって!ロジェが異空間を破るまではここで足止めをして──」
「ヨハンと茶器はどうするんだ?」
蘭英の言葉に分かった、とだけ返して天井を突き破る景星を見る。残された仙は木刀を構え直した。
「ま、タダ単にコイツらと戦いたかっただけなんだよねー」
煙生命体──アダマースは、ハルパスが得意とする宝石魔法で生み出した使い魔だ。砂海には歴史がある。数百年前には遊牧民がいて、そのずっと前には大国があって、神話の頃から人々が王国を築いては滅びてきた地。
故に、砂漠に眠る宝石は人の気持ちを知っていて、ハルパスの宝石魔法と相性が良い。アダマースは固形物を媒体にした煙状の使い魔。今まで全く戦ったことない敵。
頭上から何かに大きなものをぶつけた音が響いて、亀裂が入った音がする。景星も何とか頑張って上手くやってくれているようだ。
「ふひっ!最高だな、テメーら!」
さぁどうやって倒してやろう。複数個体だったアダマースが一つの大きな煙になったのを見て、興奮しながら飛びかかった。
ロジェは変わらない暗闇を延々と走り続けている。強化捕獲魔法を使った。捕まらない。鷹の前に壁を作った。止まらない。強い光を発生させて目くらましをしようと思った。逆に自分の目が使えなくなった。
全く止まらないのである。
「なんで、どうしてっ!きゃあっ!」
ロジェは何かに躓いて思いっきり前に転けた。足元を見ると拳くらいの石がある。
「いったぁ……」
膝を見ると擦りむいてしまっている。一度止まると走りたくなくて、途方に暮れて前を見る。しかし、目の前の風景は先程のものとは全く違っていた。
視界の先は夜の森だった。小川が無限にあり、先程まで追われていた暗闇を飲み込んでいる。見上げると夜空が拡がっている。
「あ!鷹!」
慌てて辺りを見渡すも、鷹はすっかり姿を消してしまっていた。……取り敢えず一旦小川の水を飲んで落ち着こう。
「これ、サディコの魔力……」
水からは使い魔の気配。サディコがヒントをくれたらしい。水を介して世界を調べると、記憶が流れ込んでくる。
「……ここは誰かの心象世界?かな?」
森の中を暫く歩くと、炎を取り囲んで歌っている人々がいる。影は数人。恐らくロタスの心象世界──人の心の世界──だろう。深層心理の奥に上手く入り込めたのだし、上手く聞きこめば鷹の居場所も分かるだろう。
「すみません。ここら辺に鷹が……え?」
「また砂漠の歌かよ!」
「良いだろ?超ノれるじゃん!」
「俺もまぁ嫌いじゃねぇけどよー。飽きちまったし別の歌を歌えよ」
「そうよぉ。ほら、都で流行りの歌はどうかしら?」
ロジェが見たのは、数人の中で歌い踊るロタスの姿だった。ただ、周りの輩達は正直いって品性が無い。至る所に傷があり、罪人証の刺青。
なぜ彼がこんな所で歌っているんだろう。ロタスにはそう言う願望があったとか?もう一度ロジェは声をかけ直す。
「あの、すいません!この辺で鷹を見ませんでしたか?」
大きく声を張り上げても彼らの耳には届かない。不審に思って手を伸ばすと、自分の手が透けている。どうやらロタスの心象世界に入るのをよく思わない奴がいて、干渉を拒否されているらしい。
「にしても××××、良くやるよな。そのお陰でこっちは助かってんだけどよ」
輩の内の一人が、重そうな麻袋を見せた。はちきれんばかりの宝石が入っている。
「礼には及ばん。俺を族長にしたがるオヤジへの仕返しさ」
××××、と呼ばれたロタスは苛立ちを隠さないまま踊るのをやめて、焚き火の前に座り込んだ。
「んねぇーぇ。××××はどうして族長になりたくないのぉ?」
「俺まだ十六だぜ?遊びてぇんだよ」
「族長になったらもっと遊べるんじゃないのぉ?」
「そんなもんなったらもうお前に会えなくなるだろ?」
やだぁ、と女は笑った。知り合いのこういうところは見たくなかったわぁと思いながら気まずくなって視線をずらした。
「にしてもよ。お前、追っかけられたりしねぇのか?」
「嗅ぎまわってはいるみたいだけどな。街で遣いがいてびっくりしたよ」
「あぁあの!びっくりしたわねぇ」
「一緒に捕まるのはごめんだぜ」
「大丈夫だって。捕まるとしても俺だけだ」
暫く黙って会話を聞いていたが、この世界の手がかりになりそうなものは何も無い。諦めて去ろうとした瞬間だった。
「俺が渡せんのは身体と名前くらいなものだからな」
「……名前」
ロジェは足を止める。身体と名前。両方ともハルパスに捕らわてしまっている。
しかし、『ロタス』が偽名だったら?
そうだ。『最果鉄道』はコードネーム制。ロタスにも真名があるはずだ。名前が伏せられて聞こえないのはバレてしまうとハルパスの契約が無効になるから。名前を知れば、この状況を打破出来る!
ロジェは焚き火に向き直った。その瞬間だった。
ハルパスに捕らえられたロジェがとある方法で逃げ出そうとしたり、悪魔の呪いがヨハン達にも降り注ぐ第五十六話!