第二話 運命のパンタレイ
ある人物と出会ったことから、ロジェは数奇な運命に巻き込まれていく。実家からの手紙、理事長の言葉、その思惑とは?
「アリスじゃない。……どうしたの」
「どうしたのはこっちのセリフよ。こんなとこで何をしてるの?」
白々しい態度にロジェは苛立ちを隠しきれずに睨みながらアリスの横を通ろうとした瞬間だった。
「別に。もう行くから。じゃあ──」
『所有者を認識致しました』
「は?」
腕時計の様なものから、声がする。機械が発するには暖かい声。それに対して、ロジェは惚けた声しか出なかった。
『所有者のデータベースを構築します』
「ま、待ってよ……何なの、コレ!」
気づけば、彼女の足元に淡い光の魔法陣が展開されていた。周囲の空気が一瞬ピリつく。
『データベース構築中……お手を触れな』
──はずだったのだが。
「都合が良いわ、ロジェスティラ。社会的に死んで頂戴」
何を今更、と叫ぼうとしたが時既に遅し。機械が『手を触れるな』というのはそれ相応の理由がある。……例えば怪我をする、とか。
空間に亀裂が入って、嘲笑っているアリスの手が切れた。彼女の指先に赤い筋が滲む。浅い切り傷。社会的信用を失うにはそれだけで十分だった。
「うっ……ううっ……ひっく……」
先程の表情と変わって、膝をついてぽろぽろとアリスが泣き始める。
「う、そ、でしょ」
「酷いわロジェ!私、あなたの為を思って言ってあげていたのに!」
ロジェの先程の騒動とアリスの金切り声が相まって沢山の人が集まってくる。もし魔法が使えたら、さっきの言葉を録音してやったのに。……あぁ、また魔法。
「私の事が嫌いだったのね!?じゃなきゃこんな酷い事しないわ!」
「おいロジェ!何があったんだ!」
飛んで入ってきたルネに、アリスが抱き着く。呆然としているルネの横を、騒ぎを聞いて駆け付けたアンリエッタがロジェをじっと見詰めた。
「ロジェ、これは一体どういうことなの……?」
彼女は諦観に満ちた眼差しで、このよく分からない腕時計の様な機械を見つめた。
「……詰まるところ」
「退学ってことよ」
あの騒動の後、理事長が駆けつけ、ギャン泣きするアリスとロジェを引き離して部屋に戻る様に言われた。
戻ったのだが、次の日に理事長に呼ばれて、今ロジェは理事長室の前にいる。予定時刻まで十五分。まぁいいだろう。ノックをして、
「失礼します、理事長」
『入りなさい』
ロジェは重い扉に手をかける。身体全体を使って開けると、金属が擦れる音が響いた。
分厚い金属の扉を抜けた先には、太陽が燦々と輝く理事長室がある。天井は高く宗教画が描かれており、左にも右にも大きな本棚が見える。
部屋の突き出た部分には書斎があり、其処に理事長は居ない。右側の本棚の近くに、太陽の光に当たって輝くお茶用の椅子が二つと丸机が二つある。人の良さそうな初老が、ロジェに視線を渡す。
「ふぅ……。こんにちは、理事長」
「こんにちは。さ、昨日の話をしよう。紅茶に蜂蜜を入れてもいいかな?」
「はい」
ロジェは茶器の準備をしている男の元へと足を進める。白髪と白い髭を蓄えて、席に座るよう促した。
「お座り」
「失礼します」
頭を下げて椅子に座る。きらきらの蜂蜜の上から、夕陽色の液体が注がれる。
「お茶菓子はクッキーとかあるから、好きに食べてね」
「……はい。有難う御座います」
「本題に入ろうか」
「お願いします」
理事長は真っ直ぐロジェを見詰めて、
「まずは事実確認をしよう。君は何か道具を使い、生徒を傷付けた」
「誤作動を起こしたみたいなんです。何かは分からないんですけど」
理事長は訝しげに左腕についている腕時計を指さして、
「君の腕の、それが誤作動を起こしたんだね。それは何なのだい?」
「分かりません。オレンジ色の髪をした男の人に着けられたんです。外し方も分からないから昨日からずっとこのままで……」
ほんの少しだけ気まずそうに俯きながら、ロジェは橙髪の男を言われた言葉を思い出す。
「彼は『魔力量が多いのに、全く魔法を使えない人』を探していたそうです。たぶん……私のことです」
「成程ねぇ」
俯いた顔を上げて視線を理事長に向けた。彼は特に表情を変えない。微笑みにも失望にも見える表情だ。
「君に対する処罰が決まった」
「退学、ですよね」
「まぁそれはそうだけど。条件付きで退学だ」
「……条件付き?」
今度は確かに理事長の顔が笑顔になる。何を笑っているんだろう、この人。
「『アリス=ジャンヌ・レヴィが在学中は、籍を置かない』ことにした。」
「……じゃあ、実質二年の停学ってことですか。」
そういう事になるね、と言いながら理事長はエリックスドッター家の紋章が描かれた手紙を渡す。この双頭の鷲の紋章は……父のものだ。
「開けても?」
「構わないよ」
封を取って中の紙を取り出す。綺麗な白い紙に、ほんの数行文字が書かれている。
「……『学籍無くば、エリックスドッターの領地を踏むことは非ず』。実質二年の勘当って事ですか」
「そういうことになるね」
のんびりと理事長は腕を組みながら答える。相変わらずこの人は底の知れない人だ。
「とある生徒の学籍が関係している退学処分。解決する術はあるかもしれないね」
「それって」
ぱちりと理事長はウィンクをした。この人仮にも先生なのに、提案してくることが正気の沙汰では無い。
「一年ってのは長い。優秀な君なら二年もかからないかもね」
一人の生徒を追い出すことを、果たして優秀と言うのだろうか。
「もちろん、二年待っても良い。二年待ってくれたら、研究職を提供しよう」
研究職。魅力的な響きだ。今のところロジェの中で、一番なりたい職業である。
「気付いて居るんだろう?ロジェスティラ=ヴィルトゥ・エリックスドッター。己が身の心の声を」
理事長のやたら芯のこもった声に、彼女はしっかりと彼を見詰めた。
「そうだ……君はしっかりと分かっている……己が身に起こる全ての理不尽は、『魔法さえ使えれば解決出来る』と思っていながらも、この世は根本的に理不尽だと、君はしっかりと理解しているんだ……」
……そうだ。例え魔法が存在しない世界に行っても、ロジェは救われない。『人の救われなさ』を、ロジェは知っている。
「二年だ。二年ある。色々な所に行ってもいい。それこそ『様々な見聞を得て、今の私にとってあの退学は為になるものでした』なんて言ってもいい」
いつの間にか背後に立っていた理事長の声が降ってくる。
「もしくは……。『たった一秒も、私の心では待てませんでした。全てをひっくり返してやりたいと思いました』なんて言うのも、悪くないかもしれない」
慌ててロジェは立ち上がった。まるでそれは、何かに突き動かされた様に。……それと、この空間を支配する異常な空気から逃れる為に。
「し、失礼します……!」
慌てて駆け出したロジェを引き止める声は無かった。よしんば引き止められたとしても、ロジェは立ち止まりたく無かったが。
理事長室から随分と離れた廊下、絞り出した声でロジェは叫んだ。
「あーもう、何なのよ!どいつもこいつも頭イカれてる奴しかいやしないじゃない!」
「ロジェ?」
「うわぁぉぁっ!」
中庭まで逃げ込んだロジェは、声をかけられて素っ頓狂な声を上げた。振り返ったその先にはアンリエッタが居る。
「あ、あぁ……へティか。何よ、ビックリするじゃないもう」
「別に驚かせたかった訳じゃないんだけど。ごめんねロジェ。それで、話は……」
「心配しなくても大丈夫よ。退学だったんだから。でも。」
非常に『奇妙』な話である。ロジェを嵌めたアリスはロジェの事を邪魔だと思っていたからとかいう理由付けで済みそうだ。無理やり理由を付けるのなら、だが。
理事長がアリスを追い出したがる理由も分からない。アリスの実家は研究所に多額の寄付をしている。
その任務を、ロジェに任せるのも。まるで何かを知っている様に、実家がロジェを許すのも。だって私は、魔法が全く使えないんだから。……要らない子だから。
「ロジェ?」
「ああ、うん。奇妙だなって、思ったの……それだけなの」
思案に耽っているロジェに、へティはちょっと笑いながら、何かの小箱を渡した。
「じゃあこれはもっと奇妙かもしれないわね」
「……何なの、これ」
「旦那様からよ。中身は知らないわ。今しがた送られて来たの」
へティの手の中には手触りの良いベルベットの小箱があった。何か高級な装飾品が入っているのだろう。
「開けても?」
「元々あんたのよ」
渡された小箱を開けると、中には狙い澄ました様に指輪が入っている。楕円の宝石は緑に近い青色をしていて、ロジェが填めるには少し大きいかもしれない。
「……決めた」
指輪を見つめた視線が、宝石越しに帰って来る。ゆるりと顔を上げた。
「何を?」
「私、この研究所を出るわ。……まぁ元々出なきゃいけないんだけど。退学だし」
月末には荷物を纏めて出なければならないのは確実だ。理事長の行動、ロジェを取り巻く全ての状況、奇妙な指輪。
これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。着けられるのではなく着けて、追い出されるのではなく出ていく。今度は、自分の意志で。
「へティ。ルネと一緒に探して欲しい人が居るの」
ロジェは有無を言わさないような瞳でへティを見詰めた。
次回予告!
ロジェはアンリエッタからある物を受け取ると、腕輪の持ち主を目指して学校を飛び出す。ヨハンと名乗った青年が明かす神秘とは?物語が大きく動き出す第三話!