第百二十四話 薔薇色のクピードー
同じく異空間に飛ばされたザシカは、イツァムと出会う。従神同士の熾烈なバトルが続く第百二十四話!
「んー……どこ行っても迷路だなぁ。鬼ごっこしたら楽しそう。あ、隠れんぼも良いかも!」
入り組んだ迷宮、歪んだ空間。その狭間をスキップしながらザシカは行く。三番目の扉を開いた辺りで人影が見えた。
「第一村人はっけーん。ごめんね、ここってどこかなぁ」
白い軍服を着た男が振り返る。金髪に青い目。絵に描いたような風貌のイツァムは、サーベルを抜いて突きつけた。
「諸君は時空の従神か」
「あれ?敵?そっかぁ。残念……ていうか!」
ザシカはサーベルを指先一つで押し返しながら指を突き立てる。
「青色の目!青はデクマ様の色なんだよ!この不敬者めー!」
場に相応しくない声を荒らげるも、イツァムの目の鋭さは止まない。
「目の色で何が測れると言うのです。所詮ただの色でしょう」
「そんなこと言っちゃう不敬者には罰を与えちゃう。良いよね?」
少女の纏う雰囲気が、鋭さを帯びる。イツァムはもう一度武器を構え直した。
「問おう。諸君は時空の従神か」
「そうだよ。名前はザシカ。君はイツァムくんだったよね?」
何も知らなければ、目の前にいる少女は可愛らしく映るだろう。だが相手は時空の従神。可憐な笑みを浮かべていても油断してはならない。
「名前など些事。諸君に名乗る名など無い」
「えー。勿体ない。知り合ったからにはちゃんと挨拶しないと」
「どうせ死ぬのにか?」
イツァムの嘲笑に、笑みが固まって片眉が上がる。引き攣った口角をザシカは浮かべた。
「……あれェ?ボク負けるって思われてる?それは心外だなァ」
ザシカは空間に手を伸ばした。が、目的の物が見つからなく、目を白黒させる。武器が引っ張り出せない。
「武器出せない!無しで勝てって?無茶言うなぁ、早くササッと終わらせた方が絶対良いのにぃ」
はぁぁ、と心底しょんぼりすると、ザシカはイツァムの前から姿を消した。
「この空間面白いなぁ。無茶苦茶してる様に見えて、ちゃんと筋が通してある」
空間にアナウンスするように響く少女の声。気配を辿ろうにも散ったそれは見つからない。狼狽えた男を見たザシカの声が頭上から降ってくる。
「……おやァ?ボクのこと探してる?アッハ、バッカだなぁ。見つかるわけ無いじゃん」
空を見上げれば真っ暗なそれ。空間を箱庭化したザシカは、ドールハウスで遊ぶ子供のような表情を浮かべてイツァムを見下ろしている。
「諸君の目的は何だ。何故シナツ神に付き纏う」
「シナツちゃんの排除だよ」
「報告にあった少女の味方では無いのか?」
「あ、ロジェちゃんのこと?違うよ。ボクらは誰の味方でもない」
降りかかってきた手から何とか逃れて別の扉に入っても、隙間から除く桃色の瞳からは逃れられない。
「そっち行ったの?じゃあ落としてみよっか」
目の前の廊下が落ちた。穴に指が突っ込まれて、イツァムを探し続ける。
「でー……さっきの話だけど、ロジェちゃんには試練が課されてる。それを測るのがボクらのお役目。シナツちゃんが何もしないならスルーしたけど、ここまで大事にされちゃったらねぇ」
目を伏せているうちにイツァムを見失ってしまった。指を滑らせて絨毯を撫でるが、指先にぶつかるのは小さな家具ばかりだ。
「あれ?どこ行ったの?」
ザシカはため息を着くと空間に入り込んだ。歪んだドアを一つ一つ開けていけば、特に軋んだ部屋に辿り着く。ここはシナツの書斎。実際に在るというよりも、心象風景みたいなところかな。
少女は足元に落ちていたノートをおもむろに拾い上げ、投げた。軌道を描いていたそれはぴたりと止まる。
「ふぅん。そっかぁ。カミが永遠を求める。悲しいことだねぇ」
それらしい口上を述べる少女の背後に動く影が一つ。向こうから来てくれたのなら有難いなぁ。くるりと振り向くと、出会い様に斬撃が一つ。
「これで終わりだ、従神」
ザシカはイツァムの顔を見上げて小さく驚きの声をあげると、斬った身体はそのままに、背後に新しくザシカが生まれる。
「あーあ、ボクの可愛い身体が……」
ザシカが抱えた元の身体の傷口からは血は出ない。あぁでも、これは……産まれる。
「ならばもう一度!」
イツァムが剣を振り下ろすその前に、変化は起こった。
──どろり、と。斬り裂かれた身体の裂け目から、影のような液体が溢れ出した。それは血ではない。何かを孕む、暗闇そのもののような、ぬるりとした質感。
イツァムは思わず後退る。黒いそれが、かすかに蠢いた。頬に付着した物を拭えば、手袋を汚した。先に目が着いたワームの様なものが生の匂いを求めて蠢いている。
「……気持ち悪いな、なんだこれは……」
布を食い破って皮膚に入って来たそれを魔力で慌てて潰すも、視界が激しく揺れる。揺れた中でも不思議そうに首を傾げる少女が見えた。
「おや。精神耐性はあるんだ。んー……」
ザシカは触れる様に肩を押すと、倒れたイツァムの前に立って、愉悦を浮かべながら顔を覗き込んだ。
「イツァムくん、可愛いね」
「なに、を……」
「ボクは人を模して作られてるんだ。だから斬れば血が出てくるし、ちゃんと腕も落ちる。だけどイツァムくんは太刀筋が良いから、中身が出てきちゃったみたい」
視界が激しく揺れる。ザシカの“中身”──思考の欠片、神経の糸、無数の視点がイツァムの体内に滑り込む。脳が焼け付くような痛みの中で、イツァムは気付く。自◼の心の声◼中に、も◼一つの“声”が◼ざってい。
「聞こえてる?ねぇ、聞こえるよね?」
今イツァムくんの右側で話してるんだよ。そっちじゃないよ。こっちこっち。
「ぅ、わ、ぁぁぁぁぁッ!?」
イツァムは叫びな◼ら剣を振り下◼す。偉いねぇ。◼が、刃が触れる前に、触手のよう◼神経が彼の腕◼絡め取った。それ幻覚だよ?
抵抗するほ◼に、そ◼は柔らかく、ぬ◼りと、皮膚◼舐める◼うに締め付けてくる。あらら。実体化しちゃった。
あは。どんな幻想見てるんだろうね。ボクの目の前の君は、ただ泡を吹いて目を剥いて叫んでるだけだけど。
怖いね、知らないことばっかりだね。中身が他人になる気分はどうかな。ボクがたくさん見えてるの?今度は大きな生き物に食べられる感覚?可哀想だねぇ。まぁ、何にせよ。
「使い終わったらこの空間ごと潰してあげるから、怖がらずに壊れてね」
目を閉じる。イツァムの上に乗ったまま、ただ同化する感覚を与え続ける。鼓動がどんな風に動いているか、神経物質の数、呼吸の数に至るまで。
息を吐いたその瞬間、同じ様に鼓動が動いてザシカは目を開いた。
「……ふぅ。どう、イツァムく……」
下に転がるのは反応を示さなくなったイツァムだった。ザシカは馬乗りになって瞳孔に光を当てる。収縮は……してるっぽい。
「こりゃだめだー。やりすぎちゃったかな。瞳孔の反応はあるから生きてると思うんだけど……」
それにしてもここまで溜まっているとは思わなかったなぁ。元の身体から溢れ出した中身は空っぽで、ただ洞の一つに僅かな輝きが残っている。
なんと言うかこれは、キャッシュクリアのようなもの。……いやらしい行為じゃないよ?ほんと。
「うん。やっぱり人間体は可愛い!ひっさしぶりにやったけど、ロジェちゃんにも上手く出来そうだし……良い練習台になったよ」
ザシカの抜け殻は砂の様に崩れ、一つ残った触手がイツァムの皮膚の中に滑り込む。その様を見て少女は笑みを深くした。耳元に口を近づけ、手を腕に滑らせる。
「イツァムくんが強いの知ってるよ。筋肉も鍛えたんだよね。武器好きだったもんね。使いたかったよね?」
くすくす、とザシカは笑う。
「だからね、今までのこと全部忘れちゃおうね。ルシファーとかシナツとかどうでも良いじゃん。そうでしょ。選ぶって面倒だもん、支配されるのがお似合いだよ」
ザシカは立ち上がって深くため息を着く。
「でもね、瞳が青色なのが良くなかったよねぇ。だって青はデクマ様の色だし」
今日はいい買い物も出来たし、まぁいっか。空間の淵を軽く蹴って脱出すれば、宙に浮かんで空を見上げるクインがいる。ふわりと浮かんで近寄る。
「たっだいま〜!怪我は?」
「問題ありません。ザシカは?」
「全然平気!ボク強いから!」
クインも元気そうだ。憑き物が落ちたような顔をしているし、自分の役目が『破壊』であったことをちゃんと思い出したんだろう。ただどこか浮かない顔をしている。
「どうやら私は後衛型だと思われていたようです」
「え〜?全然違うのにねぇ。クインって意外と殴るの好きでしょ?」
「好きではありません。ただ必要だからやるだけです」
頬を膨らませたクインを見てザシカは悪戯っぽく笑った。
「へぇ?イメチェンしてみる?」
「イメチェン?」
「メリケンサックとかつけて、『殴るのが仕事です!』って顔してみたら?」
どんな顔ですか、それ。と言いかけてクインは一瞬金髪刈り上げスタイルになった自分を思い浮かべる。……うん。無い。
「悪趣味です」
「あはは!でも似合いそうだなぁ〜」
「……真面目に聞くんじゃなかった」
クインの溜息にザシカが食いつく。
「良いじゃん。ボクなんて勝てると思われてたんだよ?」
「私とはまた別のベクトルで強いんですけどね」
自分が『破壊』なら、彼女は『観察』。ただ、それを隅々まで行ってしまうから、概して被害者は精神的に凄惨な目にあっている。
「でしょう?良いものも手に入ったし、ほくほくだから許してあげるかぁ」
これはまた何か飼ったな。言われてみれば髪のツヤも服の質も良くなっている。新しくしたのか。
「……ちゃんと元いた場所に置いてきなさい」
「放し飼いしてるもん!」
「それで宜しい。うちでは飼えませんからね」
「もって帰ってきたことないじゃん……」
むすぅ、と膨れたザシカの頬を指でつついて、クインは足元を眺める。
「さて。舞台は整いました。ボクらが出来るのはここまで」
「シナツちゃんが倒されるまで、ゆっくりしてよっか」
クインは静かに頷くと、二柱は空間の狭間に消えた。
従神による蹂躙が終わったあと、一行は目を覚ます。広がっていたのは生命の動き一つないツォルナの姿だった。シナツとの決戦が近づく第百二十五話!




