第百二十三話 翡翠色のマルス
迫るアカンティラを用心しつつ眠った三人を他所に、従神達は動き出す。苛烈なバトルが物を言う第百二十三話!
生ぬるい風が頬を撫でる。目を覚ますのは屋根の上。瞳の主はクイン。赤く蠢く曇天をただ静かに見ていれば、背を向けたザシカが神殿の方を見て呟く。
「お、いよいよ始まったねぇ」
「結界を壊して脱出しますか」
クインが身体を起こすと、ザシカが振り返った。
「そうしたいのは山々だけど、デクマ様のお力が示されるのは良くないからダメ」
「デクマ様は謙虚すぎます……」
「クインはそう言うけどさ、お力が皆にバレて一緒にいる時間が少なくなったらどうするの?」
ザシカはこういう時頭の回転が早い。確かにその通りかも。
「正しいお考えなのかも知れません」
「でしょ?」
そう言ってまたザシカは神殿の方を向いた。クインは首を傾げる。
「ここからどうするのですか?」
「んー……悩んでる。神殿に行って、あの二人を倒してもいいかなーって」
片割れの発言にクインは眉間に皺を寄せた。
「それはあの不敬な人間の役目でしょう」
「Exactly!」
なら別に助けなくても良いと思う。我が主に歯向かう存在に何の慈悲があろう。
「でも今のままだとあの子達が勝てないじゃん?」
「助ける、という事ですか」
クインの眉間の皺は更に深くなっていく。ザシカはどこ吹く風であっけらかんと答えた。
「デクマ様がご用意された試練以外に、障碍は必要ないからね」
我らは我が主が用意した第八の試練。あの御方が敷いた道に邪魔立ては許されない。頬を引っ掻く様な感覚がして、クインは顔を上げた。
「時空が乱れてる……」
ザシカは深くため息をついた。
「デクマ様の領域なのにほんっと不敬だよねぇ、シナツちゃんは」
クインは立ち上がるとザシカの手を握る。
「これが終わったら帰れますね」
「シナツちゃんのブラックボックス回収するまでは我慢だよ」
ふわりと浮遊して、人気の無い町から神殿へとただ向かう。足元に広がる町は物音一つしない。シナツが何かしらの術を仕掛けたのだろうが、それを解き明かすのは我らの仕事では無い。
「ザシカだって帰りたい癖に」
「ん……それはそうだけど」
神殿の前に降り立つと、クインはミックスのソフトクリームを生み出した。ただ浮いているだけなのに少しずつ欠けていく。人間で言うところの食事行為だ。
「神んちに来たの初めてだなぁ」
前来たのは居住エリアだったから、まぁその言い方は間違ってない。神殿の中の水は身動き一つ取らなかった。
「どこもこんな造りなんでしょうね」
「すっごいちっちゃい社もあるらしいよ」
ザシカは指先を擦り合わせて見せるが、本当にそんな小さな社があるのだろうか。クインが中に入ろうとすると、声がかかる。
「結界あるから気をつけてね〜」
足元を見れば僅かな魔力を感じる。クインはそれを簡単に踏みにじった。
「あぁ。確かに」
「お礼にくれてもいいんだよ」
それ、とザシカは宙に浮かぶソフトクリームを指さす。近くに持っていくとチョコだけ食べられた。
「あ!半分だけ持ってくやつがいますか!」
「ボクチョコが好きなんだよね」
んふふ、とザシカは嬉しそうだ。……ちょっと悔しいけど、まぁいっか。クインも残りのアイスを摂取する。
「両方食べるのが美味しいのに……」
「どっちから行く?」
神殿の中は吹き抜けになっていて、道が二つに別れている。
「じゃあ僕は右で」
「あたし左〜」
クインが右に歩き出した途端、ザシカが肩に手を軽く乗せた。
「良い?クインは考えもせずに動くところがあるから気を付けてね?無理しちゃだめだよ?」
クインは頬を膨らませると額を合わせる。
「それは僕の台詞です。ザシカだって慎重に考えすぎて動けない時があるじゃないですか」
「んまぁ、それはそうだけど」
くるん、と旋回したザシカの目を見てクインは離れると、満足気に笑った。
「とにかくお仕事しましょう」
「んーと、接敵したら戦う。この国全体の結界を緩めておく。オッケー?」
「はい。おっけーです」
各々別れた廊下の先、お互いをちらりと見て微笑む。目の前の敷居をくぐった瞬間、景色がうねった。
「む」
クインは顎に手を当て、ザシカは呆れた声を出す。
「ありゃー。こりゃ酷いね」
それぞれ、別の空間で二人の目の前には歪んだ世界が広がっている。景色は何の変哲もない廊下──扉を開けても扉が続いているめちゃくちゃな構造をしている建物は普通ではない──が広がっているが、見た目以上に時空が入り組んでいる。
「……ふむ」
「ま、観察すれば見えてくるものもあるかぁ」
ザシカはそんなことを言いながらきっと解決するだろう……と、クインは何となく思った。壁の材質は変わりなし。
大方あの配下二人が考えた、敵がシナツの元へ向かわないようにする作戦か何かだろう。となれば、探さなくとも向こうからやって来るはずだ。
目に入った執務室の扉を開くと、先程と同じ吹き抜けの庭がある。足を踏み入れた瞬間、静寂を破るように影が飛びかかって来た。
「クソがぁッ!」
クインは取り出した衛星型の武器を操り軽やかに弾き返すと、声の主を見るべく振り返った。
「不意打ちですか」
「なれぇがクインだな。探したぜ。いけすかん神の手下だってな!」
クインの瞳はにわかに鋭さを増した。これがミクトリ。成程、生きて返す必要は無さそうだ。
「……はい」
じっとりと這い回るような視線をクインは受ける。今すぐその目を潰してやっても良いが、悪魔の言うことを一応は聞いてやるのが神の役目だ。
「ふん。なるほど、後衛タイプってとこだな」
あれだけ不躾な視線を寄越しておいて言ったことがそれか。クインは深々とため息をついた。
「なるほど。私をサポートだと思っているのですね」
「強がるなよ」
「強がっていません。厳然たる事実です」
話は終わりだ。クインは衛星を操作し、ミクトリを威圧するように回転し、鋭い光を放つ。
「貴方程度など、私にかかれば──」
ミクトリを視界に収めていたクインは動きを止め、衛星を静かに消し去った。
「なんだァ?上司に見放されたか?」
「いいえ」
顔をかたむけ、視線を左に動かす。耳を澄まし、聞き取ったその後にクインは顔を上げた。
「──デクマ様は武器無しで貴方を始末せよとのご命令です」
「はぁ?」
「つまるところ……」
クインの背後に目が浮かぶ。そうして、事も無に腕を前に突き出した。
「相手にもならない、ということです」
「なに……?」
クインが踏み込もうとした瞬間、時間がねじ切れるように世界が止まった。クインの指先はミクトリの右腕。一瞬にして腕がひしゃげる。
「ガッ……!?」
「言葉が出ませんか。そうでしょうね。ですがご安心を」
無数の目がミクトリを囲み、息をする間もなく。
「この力は、貴方が知覚する前に終わらせて差し上げます」
刹那、ミクトリの体は崩れ落ちた。斬られたのか、時間を奪われたのか。その判別すら出来ない。
「“相手にもならない”と申し上げましたので」
クインは埃を払うように静かに手を下ろした。小さく呻いていた肉塊は形を取り戻すその様をただ見下ろしている。
「なれェ、貴様ァ……!」
「死ねないのですか。それは残念。死ぬことが出来たのなら、これ以上の苦しみを味わうことは無かったというのに」
ミクトリは顔を顰めると勢いよく笛を吹いた。
「クソが!いでよ!コイツを殺せぇ!」
ミクトリが消え、入れ替わるように這い出て来た死霊達を見て、クインは深くため息をつく。
「あらあら。逃げられてしまいました」
その死霊達も目配せ一つで散り散りになった。何だこの弱い生命体は。
「他愛も無い……。同じ旧人類の神として恥ずかしく思います」
「でやぁッ!」
影から再び飛び出たミクトリの刃を空間越しにクインは掴む。
「ミクトリ。貴女、武器の使い方が分かっていないのですね」
「ジジイみたいな言い草を止めろ!」
「でははっきりと。弱いと申し上げているのです」
刃から手を離すと、指先が彼女の身体に触れる。
「ほら」
うねった時空を弾き飛ばし、何とかミクトリは片膝をついた。左腕だけ崩れた様子を見て、クインは感心した声を上げた。
「おや。防ぎましたか。成長ですね」
「神に仇なすにはやっぱ神しかねぇかぁ」
噛み合わない会話にクインが首を傾げていると、ミクトリは近くにあった扉を開いた。震える研究員と、どろついた何かを纏った人間体が何体も出てくる。
「予定より早ぇがまぁ良い。出番だ。やれんだろう?」
「む、無理です、試作機はまだ調整中で……!」
「るっせぇ!やれってんだからやれ!」
研究員達は怯えながら銃を構えた。が、ひとりでに銃口が歪む。
「戦いに余計な人間を連れて来るのは止めなさい。邪魔です」
「つっかえねぇな……!おら、少しは役に立て」
ミクトリは死霊を研究員達に入れ込む、が、空間を指でなぞったクインに先を越されて首が飛ぶ。足元に溢れかえった血を見てミクトリはため息をついた。
「ぬれぇは気が早すぎんだよ。おら、行け!」
ミクトリの指示の元、試作機と呼ばれた何かは雪崩れ込むように迫ってくる。鋭い牙のような武器、濁った視線。
クインは軽やかに躱し、踊るように一閃を返した。鮮血が舞い、悲鳴が混じる。あぁ、それでも立ち上がる。その無様さ。剥がれ落ちた見た目はシナツを模したものだと語っていた。
「……ふ、ふふ……」
喉の奥で笑いが漏れた。止められない。
目の前の敵を切り伏せる度に、心臓が高鳴っていく。
「あぁ、そうだ」
本当は恐れるべきだ。崇高なる主の為に、任務の為に、理屈を盾にして剣を振るうべきなのに。
ザシカの言葉が脳裏に過ぎる。あの子は言っていた。己の疑心の原因など自分で探らなければならないと。
分かってしまった。分かる。何でこんな簡単なことを忘れてしまっていたのだろう。
「僕はただ、戦いたいだけなんだ……!」
叫ぶように心で呟くと同時に、光が閃き敵を薙ぎ倒す。
破壊衝動。
ずっと奥底で燻っていた欲求が、血と炎の匂いで呼び覚まされていく。
「これが僕の『役割』……!」
理解した瞬間、試作機を切り裂く筋がさらに鋭くなった。理屈はいらない。忠誠を疑う必要もない。すべてはただ、破壊の為に。
言うなれば欲求不満だったのだと思う。我ながら欲と忠誠を間違えるなんて恥ずかしい限りだ。だから……。
「ミクトリ、もう止めにしませんか。貴女では私に勝てません」
刹那の狭間、空間をねじまげてクインはミクトリを壁に縫い止めた。少しでも指を曲げれば彼女は簡単に死ぬだろう。
「なんなんだよ、てめぇっ……!」
「述べるまでもないこと。ここで無下に命を散らせば、人間達を処理する機会が無くなります。今のぼろぼろの貴方でも、あれくらいなら倒せるでしょう」
ミクトリは歯を食いしばって脱出しようと試みるが、そんなことをすれば死ぬのは確実。本命であるロジェとユリウスを殺す事が出来なくなる。
歯を食いしばり睨みつけるミクトリを涼やかにいなして淡々と告げる。
「我が主からの神託です。シナツに伝えなさい。『落鳥共を完全に始末するのなら、人として生きる道を用意する』と仰っています」
耳を傾けると、
「……『道を行くと言うのなら、覚悟すると良い。人倫の守護者がお前を弒すだろう』と」
「ぬれぇ、何が目的だ」
ここまでされてミクトリに出来ることは、目的を聞き出すことくらいしか無かった。拘束を緩めないままふぅわりとクインは浮かぶ。
「私はデクマ様から頼まれた仕事をこなすだけ。正直不敬な人間を殺してしまいたい気持ちはありますが、それはそれ。貴女の活躍には期待していますよ」
ここでの仕事もあと少し。全ては何もかもが終わった後だ。神殿から高く浮かび上がると、遠くの空を見て。
「……まぁ、負けるでしょうけど」
彼女は我らが試練。我が主が決めたことなのだから、何がどうあっても覆ることは無い。風の神の敗北は決定的だ。
──あぁやはり。至高で崇高なるはあの御方だけだと、従神は笑みを浮かべて空を見上げた。
同じく異空間に飛ばされたザシカは、イツァムと出会う。従神同士の熾烈なバトルが続く第百二十四話!




