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ラプラスの魔物 Secret Seekers  作者: お花
第七章 夢魘不如意夢境 転移空間
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第百二十一話 解き明かされぬイグノラムス

ボランティアを通して知った国の異常事態と、明らかにならない異変。そしてシナツの苦悩とは?ロジェがある人物と出会う第百二十一話!

翌朝。


教会の司祭室の中、鎌に器具を取り付けながら難しい顔をしているロジェにユリウスは言った。


「ミクトリに接触出来たのは良かったんじゃねぇか?」


「まぁ……そうね。黒幕から出向いてくれたんだし」


「どうだ?強かったか?」


笑いながら問うユリウスに、少女は目を逸らす。


「死霊遣いだったわ。生者だと苦戦するかも」


「戦うってなったらオレの出番だな」


食後に暖かいお茶を持って来たテュリーは椅子に着いた。


「しかし、以前計画は不明瞭のままです。何も情報は得られなかったんですよね?片割れの方も分からないままですし」


「うぬぬ……はい……」


痛いところを突かれた。やっぱりこの人は容赦が無い。


「祭りまであと三日です。何か情報を掴まないと仕掛けられません」


それはそうなんだけどぉ、全くもって返す言葉が見つからない。沈黙が訪れた静寂を切り裂くようにノックの音が響く。


「テュリー司祭」


信者と話をしたテュリーは直ぐに終わったらしく、部屋に戻って来る。


「すみません。ボランティアの事で話があったようです」


「そんなこともしてるのか?」


「はい。良ければ参加されますか?何か話が聞けるやも」


ロジェもユリウスも、今この国で親しい人間はテュリーしかいない。ここで横の繋がりを作っておくことは大切だ。


「そうね。お世話になってるし、そのお礼も兼ねて」


「ではこちらへどうぞ」


司祭室から出て廊下を歩き、書棚が押し込まれた部屋に入る。机の上にも書棚の間からも収まりきらない紙切れが吹き出していた。壁紙や明かりによってギリギリ清潔感が保たれている調子だ。


「すげぇ書類だな」


「皆さん記録魔なんですよねぇ」


ロジェは手元に落ちていた紙切れを拾い上げる。


「ふーん。統計取るのが好きな人がいるんだ……」


どのように統計を採ったか、データ元は何なのか、何が影響しているのかが事細かに書いてある。その中に気になる記載があった。


「ね、この医療関係のデータグラフが下がってるのはどうして?ここにも『?(はてな)』って書いてあるけど」


「あぁ。数ヶ月前から話題になっているヤツですね。我々は医療技術を持たないのですが、公演を聞いて頂く代わりに医師を斡旋するボランティアをしています」


「……そのお金はどこから……」


「何か?」


ニコリ。貼り付けた笑みにロジェは首を振る。


「いいえ」


「していたのですが、今月は依頼がほぼありません。病人が居ないのです」


「病人が、いない……」


ユリウスは顔を顰めた。幾ら科学技術が発展した国でもそんな事はありえない。


「怪我人も住宅支援も減っています。その代わり炊き出しは増えている様ですね」


デュリーが探し当てた紙からは同じく理由が判然としない統計結果が出ていた。


「それが、ここ数ヶ月の話」


うーん、とロジェが唸っていると、ユリウスは肩を叩く。


「炊き出しに行ってみようぜ。菓子なんかも持ってったら喜ばれるかもしんねぇ」


「それは良い考えですね。……あぁでも、気を付けてください。人の欲は深いものです」


テュリーの当然の指摘にロジェは深く頷いた。


「もちろんよ。皆に均等に分けるようにするわ」


「普段ならそれで良いのですが……まぁ、行ってみれば良いと思います」



そんな会話をしたのが半刻前。今、三人は晴天の広場で行われている炊き出しに居る。信者達は具材が詰まったスープとパンを与え、配っているのだが。想像していた景色と違うものが目の前にあった。


「なんか、思ってたのとチガウ……」


「そう、ね。皆太ってるわ」


三人の眼前に広がっていたのは、『太っている』という言葉では済まないほど、異形化した人々の姿だった。


「確かに言われてみればこれも異変ですね。自分や周りにそういう人がいないので、てっきり普通のことかと」


それは呑気で言ってるのか、精神操作の魔術をされて言ってるのか分からないからやめて欲しい。ロジェはちらと心の底から呟くテュリーを見て呟いた。


「あんなに太っててご飯が必要なの?」


「最初はこちらも追い払っていたのですが、貰えないと分かるとあのまま死ぬんですよ。三日後に」


「……え」


死ぬ。しかも三日で。人間は三週間くらいなら食べなくても持つ。水を飲まない三日なら分かるが、食べないと死ぬ、なんて。


「発見された死体が数体ですし、国の外で見つかったものですから、全員がそうとは言えませんが。信者に掴みかかった男が城壁の傍で死んでいたようです」


ふぅむ、とテュリーは手に顎を乗せた。


「肥満のまま餓死することはおかしい事ではありませんが、これはどうにも……最近色々あって忘れていましたね」


「結構大事な事じゃないそれ!?」


「いやー、失敬失敬。今思い出したから良いじゃないですか」


からっとした表情で笑うテュリーを、ロジェは睨むことしか出来ない。この人こんな訳の分からない人だったんだ。


「てなると水か?不老不死になる水……」


水が問題っていうのは有り得るかもしれない。月影の里の件もあったし。ロジェはユリウスの意見に納得しようとした瞬間、テュリーが口を挟む。


「それで済めば良いんですがね」


空には暗雲が立ち込めてきた。風も冷たい。


「仮にシナツ神が黒幕だとしましょう。彼女は風の神、天気を司る神です。水が問題だとすれば、他にも何らかの方法をとっている可能性があります」


雷鳴が轟いて、信者達は炊き出しのご飯を軒先に片付けていく。ロジェとユリウスも椅子と机を片付けていると、空を見上げてテュリーは言った。


「……これは長引きそうですねぇ」







「風の王、天気の姫、我が神よ。今日もお恵みに感謝致します」


「これぐらい……造作もないことです……」


しとしとと降り続ける雨は神殿の中庭を濡らして、神官たちは頭を垂れる。その中のひとりが、やや言葉を選ぶように口を開いた。


「されどシナツ様。イツァム様の夜が続けば、人は休息を得られ、ミクトリ様の静けさが訪れれば、命は区切りを知ると申します。それと同じように……御身もまた、然るべき時には休みを要されるのでは、と……」


柔らかい口ぶりだった。祈りに似ていた。けれどシナツの胸を掠めたのは、なぜだろう。「夜」や「死」と同列に語られたこと。そして「然るべき時には休め」と、きっと間違いなく身体を案じていて、そのはずなのに、まるで観測するような言葉。壊れてしまうだろうと、諦めの言葉を一つ。


「……つまり、私の力は……限りあるものだと、そう言いたいのですか?」


「滅相もございません!」


神官は深く頭を垂れた。


「ただ我らは、シナツ様の雨をひとときでも長くけられることを願うのみ……」


彼らの声音は純粋だった。けれど、純粋であればあるほどシナツの胸には黒い影が広がる。神殿の外に出れば雨粒が頬を伝う。汗か涙か、自分でもわからない。


神は心配などされない。頭を垂れて、人間は威光の助けを知る。であれば私は神ではないのか。心配されるなど、人間の理解の範疇であることだと。


その疑念に自ら気づいた瞬間、シナツは小さく息を呑んだ。

何を考えているの、私は。疑い深くなってどうするの。

こんなふうに、誰かを信じられない自分こそ……神にふさわしくない。何より、人間らしすぎる。


「……良いのです。わたしは……神。疲れるなどと、決してありません」


そう口にした笑みは、晴れぬ雲のように翳っていた。別の神官が声を上げた。


「シナツ様……本日もお疲れでございました」


「……ええ。人々に雨を届けられたのなら、それで良いのです」


 安堵の吐息を漏らしながらも、胸の奥のざわめきは収まらない。「疲れる」という言葉に過剰に反応してしまった自分。疑っているのは神官たちではなく、自分自身なのだ。


そんな思考を振り切ろうとした時、先の神官が言った。


「恐れながら申し上げます。神官長の御意向で、来月から神殿には各国の研究者も足を運ぶとのことです。我が国は科学大国。ゆえにこそ、神秘と理が手を取り合うべきと……」


「研究者……?」


シナツは小さく繰り返した。


「はい。シナツ様のお恵みを記録し、人々に広く伝えるために。歓迎すべきことでございましょう」


笑顔を浮かべ、祝い、安堵する神官たち。けれどシナツの胸には冷たいものが落ちてきた。


歓迎すべきことだ。そう、科学と神秘の融和。それがこの国の誇り。ツォルナが永きに渡り、宗教の名のもとに科学を弾圧することなく、またその逆もなく、誇らしい繁栄を築いた部分。


頭では理解している。


なのに、脳裏に浮かぶのは研究者たちの目線だった。瞳が舐めるように、余さず細部を捉えようとする光景。祭壇に立つ自分を……神としてでなく、「解析すべき現象」として。


シナツは引きつった笑みを作った。


「……ええ。喜ばしいことです。ほん、とに……」


その笑顔が強張っているのを、誰も気づかない。神官達はシナツの笑みを見て微笑んでいた。


……わたしは、本当に神として見られているのだろうか。


押し込んでいた疑念が、雨雲のように心の内を覆い尽くしていく。大丈夫、だからミクトリとイツァムがいるのです、何も何も、不安に思うことは無い、そうなのです。


神官達が次の祈りに向けて歩き去った後も、中庭の椅子に座って考えていた。


頭上を見上げれば曇天。思考は別の神へと向かった。

デクマ。ラプラスの魔物。

彼らは、人々から“暴かれる対象”としてではなく、畏れと憧憬を伴った純粋な信仰を受けている。民は彼らの前で膝を折り、眼差しに熱を宿す。


その視線の先に、わたしはいない。いや、違う。いてはならない。人は皆自由意志を持つべきだ。


「……私は人々に自由意志を与えるためにいるのです。神の威光で心を縛るなど、決してあってはならない」


誰にともなく呟き、理屈で塗り固める。大丈夫。ミクトリもイツァムもいる。何も……恐れることは無い。








雨は暫く止まなかった。二人とは道を別れ、自由に空を飛ぶ。


白く艶やかな城壁に足をつけて、空を見上げる。青と紫が混じったそれは優しく心を包み込んだ。


手の内に生じるのは幻想の霧に包まれた杖。目を閉じれば姿が見える……様な気がする。見えてしまったらもう後戻り出来ないことも、何となく分かっている。


神になるつもりは無い。それは今も変わらない。利己心の塊だし、余裕は無いし、神を倒そうとまでしている。


……けれど、利己心については。何となく分かってきたことがある。『マクスウェルの悪魔』は人の為の神。


私は人の為の人でありたい。権能を受けても尚、やっぱり人でありたい。この権能に祈る人々に報いる為に。だからこそ利己心を認め、己が目標を達成すること。それは人々の指針になるのでは無いか。私に祈るのなら、私がまず私を救わなければならないのだから。


──あぁ、それこそがきっと。人の為の神。


「ぁの……」


背後からの声にロジェは肩を震わせた。振り返るとプラチナオレンジの髪をし、極彩色の衣装をまとった少女がいる。


「ひえっ……あ、ごめんなさい、降ります」


城壁から離れようとしたロジェの服の端を少女は引っ張る。ロジェは力の方向を振り向いた。


「待って待って。良いんです、ここに居てください」


「でも入場時間も過ぎてるし……」


城壁見学は半刻前に過ぎている。不法侵入として怒られても文句は言えない。


「わたしも似たようなものです。……それにしてもあなた、飛ぶのが上手いね」


少女の言われるまま、ロジェは城壁に足をつける。


「そうかな。最近練習し始めたばかりなんだけど……」


「そう、なの……」


少女の表情は一瞬止まった。無理に明るい笑顔を作ってロジェに微笑む。


「えっと……どうしてここに?」


「考え事してたの。貴方は?」


「わたしもそう。似てるね」


「わたし、は……いろいろ、お役目があって。それで悩んでる……んです」


少女は神殿の方へ向いた。豪風が髪を弄ぶ。


「お役目がどれくらい大変か分かんないけど、私も似たようなことで悩んでる」


「そうなんですか……?」


ロジェの同調に少女はにわかに微笑むと、首を傾げた。


「うん。自分のやれる範囲で頑張るつもり」


「そっかぁ……凄いなぁ、わたしなんてだめだめで……」


少女の視線は足元に揺れる。そうは言ってもやっぱりそこまで自信は無いかもと思いつつ、慌てて訂正する。


「私だって言ってるだけで出来るかどうかは分かんないよ」


頼りない笑みを浮かべた少女は、何も言わずに空を見上げる。視線の先には、太陽が赤く紫に空を染め上げていた。


「明日は雨かな。夕焼けが綺麗だわ」


「……そう、ですね。雨かもしれません。この国に降るのは、シナツ……さまが入ることを許した雨、だけですけど……」


「そうなの?」


「はい。気象に関してそうみたい、です……」


確かに。この国はドームがあるのにも関わらず雨が降っていた。そう思うと益々人造神じみてくる。少女はロジェの顔を覗き込んだ。


「あの……お名前は……?」


「私はエイルズ・ギルトー。よろしくね」


「……こう言ってはなんですけど、どっちが苗字が分からないお名前ですね……」


儚げな見た目より結構ものをハッキリ言うタイプの様だ。ギャップが面白くて笑ってしまう。


「あは。私もよく間違えるんだ。まぁ作家名みたいなものだからかな」


「作家さんなのですか?」


「そんなところ。貴方は?」


「えと……わたしは、やえ、八重といいます」


「この国にしては珍しい名前ね」


どっちかと言うと天慶に多そうな名前だ。少女は気を良くしたのかにこり、微笑む。


「ふふ。そう、ですね。そうかも……」


また少女は神殿に目を遣った。何かに気付いたらしく、早口で捲し立てる。


「……そろそろ帰らなくちゃ。……わたし、神殿で巫女をしています。その……お祭りまではいらっしゃるのでしょうか。えと、旅人さんっぽかったので……」


「うん。いるわよ」


「じゃあ、その……お祭りの日、遊びに来てください……おもてなし、したいですから」


それだけ告げると、八重は高く飛んで行く。飛行技術は頼りなさげで今にも飛ばされてしまいそうだ。


「……風が強くなってきたわね」


夜も老けてきた。そろそろ戻らないと。これだけ風が強ければ今日は冷えるだろう。


「この国に変化は無い。異変はあるけど、それ以外は何もない……聞き込みも目立った情報は無かったし……」


異変はある。しかし、動きは無い。ただ人々が生きているだけ。脳裏に恐ろしい考察が過ぎった。


「まさか……もう、終わってる、とか……?」


もし計画が途中ならば、異分子である自分達をミクトリやイツァムは殺しにくるはず。現に探していた様だし。なのに必要以上に追わないということは、もしかしてそういう事なのでは。


「……これは……マズったかもしれないわね……」


風を歩くようにしっかりとした飛行魔法で、ロジェは帰路に着いた。


煮え切らない状態のままユリウスは研究所に足を運ぶ。そこで出会った衝撃の人物とは。自体が動き出す第百二十三話。

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