第百十六話 宙のコンシリウム
また厄介な神デクマに呼び出されたロジェは、どういう風の吹き回しか助言を受ける。そうして人々の話を聞くも、拭えない違和感が二人を覆って……?人々と神の第百十六話!
「成程。貴様は知を求めてここに来たのだな」
二人の小間使いを押しのければ、万有に浮かぶ神殿の主、普段通りにデクマが玉座に座ってこちらを見下ろしている。
「私いま──」
「睡眠中だなどという小粋なジョークをかますつもりなら止めておけ」
「おもしろ〜い」
「楽しいですね」
人の眠りを妨げておいて良くもまぁジョークなどと宣ったものだ。ロジェは苛立ちを抑えきれずにデクマに食ってかかった。
「あんた、今度は何の用?タイムマシンの話はもう終わったことよ」
「なぁに。貴様にヴルカンについて教えてやろうと思ってな」
ヴルカンという言葉にロジェは動きを止める。人形で遊んでいたザシカとクインは、ロジェの腕にくっついて玩具を動かし始めた。
「全知全能のデクマ様が?やっさし〜い!」
「惚れ惚れしますね」
「貴様は人間と話し合い、妥協点を探ろうとしている……が、止めておけ。ヴルカンは話し合いの通じる相手ではない」
自信満々の笑みはなりを潜めて、最高神は人間に知恵を与えようとしている。
「奴はルシファーに唆された人造神の一柱だ。ただでさえ火の神という気性の荒い神に、どう話し合いが出来よう」
「……あんたは、人間を襲っているのがヴルカンだって言いたいの?」
人造神の最高神がそう言っているのならそうなのかもしれない。ただ……何となく、違和感が残る。
「そうだ。貴様とて見ただろう」
「でも、女の子を襲わなかったのは……」
「村の人間を襲うほどあの獣も馬鹿では無かったが……とうとう理性を失ったように見える」
肘をつきながらデクマは笑った。
「これは善意だ。我とて人間が死ぬのは見ていて面白くないからな」
何を馬鹿なことを、とロジェが叫ぼうとした瞬間、強烈な眠気が襲ってきた。とても立っていられない。
「あれぇ?眠い?」
ザシカが崩れ落ちたロジェの右耳に立って囁いた。
「眠そうですね?」
クインが嬉しそうに左耳から情報を流し込む。
「ちょっと待って、わたしまだ、聞きたいことが……!」
伸びた手はデクマに届くことはなく、力無く落ちていく。
「小娘に甘やかな眠りをくれてやれ」
忌まわしい神の声の後、声を揃えてはぁ〜い!と嗤った二つの声に、ロジェは意識を持っていかれる。視界には少しだけ口元を吊り上げて嗤う、蒼玉の双眸が残った。
静かな湖面に響く鳥のさえずり……そして呻き声。こんな風におきたのは二回目。ヨハンに二日酔いかまされた時だっけ……。
「う、うぅ……」
重苦しそうに声を上げたロジェは、毛玉になった髪の毛を手ぐしで整えながら目を覚ました。
「起きたか。うなされてたぞ」
同じ頃に起きたのだろうか。ユリウスの声もかすれている。
「でしょうね……はぁ……」
『甘やかな眠り』と言ってさっさと眠りに戻らせてくれたら良かったものの、与えられたのはザシカとクインに拘束され起きるまで延々と綿菓子を食べさせられる夢。こういう場合の『甘い』はそういう意味じゃないし、というかあの二人はデクマの何なのだろう。
手下……みたいな?だとして、あれらは人造神、人間が創り出した存在だ。つまりあれらを創った人間がいるってこと?あれを創り出せるくらい性格がひん曲がってるってこと?ヨハンもそこそこだったのにあれ以上に?マジで?嘘でしょ?
「どーしたー?すげぇ顔してるぞ〜?」
「い、いやちょっと、夢が怖かったかなって……」
「夢が怖かったかなってなんだよ。まぁいいいけどよ。食事を軽く済ませて早く村に戻ろうぜ」
ロジェは懐から材料を取りだした。今日の朝食は簡単なサンドイッチで済ませる。硬いパンを頬張って飲み込んだ後、一呼吸置いてロジェは問うた。
「……ユリウスはヴルカンのこと、どう思ってる?」
「魔物だと思ってる。あんたは……答えが出ねぇって顔してんな」
あたり、と言いそうだった。ユリウスは本当に人のことを良く見ていると思う。……いや、私が顔に出すぎなだけかもしれない。
「アンタの誰かの力になりてぇって気持ちは嫌いじゃないぜ。だがな、ヴルカンと会った時に何もせずに襲われるってことは止めてくれよ」
ロジェは少しだけ身を硬くした。昔の自分だったらギリギリありそうな事だから。多分もう、今はしない。
「アンタは誰かを助ける為に悪魔を倒してんだろ?」
ユリウスは最後の一口も程々に、荷物を準備しながら言った。
「……そうね。ありがとう」
「お礼を言われるようなことは何もしてねぇよ」
「優柔不断って良くないなって気付かせてくれたから」
少年は軽い笑みを浮かべると、
「ま、それならいいんだけどさ。行こうぜ」
とびきり良い声音で言った。
昨日の遺体は巣から離れた場所に安置していた。獣避けも虫除けも腐敗止めもかけておいたから、問題ないはず。
だが、二人を待ち受けていたのはもっと奇妙な事態だった。
「……妙だわ。襲われてない」
獣避けは魔獣が寄って来なくとも、魔法を感知できない動物が寄ってくる。その為大抵周辺には獣の痕跡が残るものだが、その類がない。
「見ろよ、足跡がある」
大きな爪を持つ足跡。砂が乾いて何本指かは分からないがそこそこ大きな魔獣だ。
「尚のことおかしいわね」
「大型の魔物が獲物を食わずに隣で寄り添って寝てたってことだもんな」
足跡は焼け焦げていて、遺体に近づき暫く留まったあとどこかへ消えている。暴れた時に出来る草木の乱れや土の盛り上がりもない。
「……まぁいい。とにかく連れて行こうぜ」
ユリウスは遺体を担いで、村の方面へ続く斜面を下りる。湿気た空気が頬を濡らした。しばらく歩くと村が見えて、ロジェは広場に声をかける。
「ねぇ!誰か手を貸してくれない?」
村民達は互いの顔を見合せるばかりで二人を見ない。ロジェは仕方なしに叫んだ。
「……人が死んでたの!魔物らしきものに襲われて──」
「見せてみろ」
ガタイの良い男が前に出て来ると、ユリウスは布に包んだ遺体を下ろした。顔を見ると表情を強ばらせていた男は目を見開く。
「……コイツぁ隣村の奴だぞ」
男の呟きを聞いて村民達はざわめき出した。
「手間かけさせて悪かったな。コイツをどこで見つけた?」
「大型の魔物が咥えてた。姿は良く見えなかったが」
「かみさまじゃないよね……?」
湖のことを教えてくれた幼女が、涙を称えながらロジェとユリウスを見詰めていた。その視線に目を背けることしか出来ない。
「……わかんねぇ。ちゃんと見てねぇから」
ロジェは遺体を見つけた時のあの咆哮を思い出していた。
「ヴルカンは……二柱いるの?」
「一柱しかいねぇよ。神様なんだから」
では、あの咆哮はこの遺体を襲った魔獣よりも強い個体だったということか。厄介ね。物思いに沈んでいると男から言葉が飛んでくる。
「遣いを出して知らせたいとこだが、隣村の街道で獣害が増えてる。悪いが頼まれてくれねぇか。あんた達、腕が立つんだろ」
「そこそこな。だが、タダって訳にはいかねぇぜ」
男は当然の事のように頷いた。
「金と食料は出す」
もう一つ聞きたいことがある。遺体の隣にあった足跡だ。
「分かったわ。……ねぇ、ひとつ聞きたいんだけど、この遺体の隣に足跡があったの。大型の魔物っぽかったんだけど……」
「足跡が焼け焦げていたわ」
「ヴルカン様だな。間違いない」
「人を襲ったりするの?」
「襲わない。そもそも物を食う神様じゃねぇ」
さっきから話がいまいち繋がらない。整理すると獣害の犯人はヴルカンであり、ヴルカンは乱心した人造神であり、でも物を食う神様ではなく、遊びで殺していると仮定すると遺体の傍につく理由が不明で、ヴルカンより強い魔獣がこの山に住んでいる。……どういうこと?
ロジェは首を傾げながらも頷いた。
「そう……分かったわ。それじゃあもう出るわね」
「隣村からモン=エルグに入れ。……それで、ヴルカン様を終わらせてやってくれ」
男は顔を覆いながら掠れた声で言った。
「何でよ。何も襲わないんでしょ?それに貴方は何の権限があって、そこまで……」
「俺は村長の息子だ。うちの村にだけ問題があるんならまだいいが、隣村にまで迷惑かけらんねぇ」
ヴァルメラは村の集合体。共同体から弾かれでもしたら生活が立ち行かない。……そんな苦労が滲んだ表情だった。
「……頼むよ」
疲労が刻まれた表情に、二人は頷いた。
テレヴァ村は、モン=エルグの山腹に広がる、小規模な畜産の村だ。幾度となく火山に押し流されてもこの土地に人が住み続けるのは、とにかく肥沃な土地であるからだろう。
従来よりも短期的に高級なキノコ (魔道具用と食用含む)が採取出来ることから、一攫千金を狙って出稼ぎに来る者も多いと聞く。
二人が村に入ろうとすると、入口付近で大福の様なふくふくとした丸い老婆が笑顔で声をかけてきた。
「聞いてるよ。遣いだね。わたしはここの村長じゃ。良くここまで連れて来てくれた……」
老婆の傍に立っていた二人の男が遺体を受け取って村の中へ入っていく。
「山に入るのも聞いてる。……シャディンヌの民はなんと?」
「ヴルカンを倒して欲しいと」
皺で隠れた瞼が悲しそうに下がった。
「……そうかい。悲しいねぇ」
村長は何とか自分を鼓舞しているらしかった。空元気の声で二人を村に招く。
「旅のお方。急いでいるところ悪いが、一つ話を聞いて言ってくれんかね。もう語る事は無いだろう、ヴルカン様のお話をね……」
彼女が語った話は、こういうものだった。
──────・──────
いと久しき昔、星いくつも巡りて、
幾星霜もの時、過ぎたりけり。
その頃、モン=エルグの頂に、ひとりの神宿りき。
名をばヴルカンストスと称す。
火を司り、熱を抱き、紅蓮にして鉄の御身、
雄々しくも静かなる、山の主にして、獣らの王なり。
ヴルカンは、ただ見守る者なり。
炎の力を貸すことも、押さえつけることもせず
ただ、山に座し、地の咆哮を聞き
熱きものらが流るるを、受け止める者なりき。
或とき、空に裂け目でき、
天と地とをつなぐ管立てられたり。
管の底には大きなる鉢置かれ、
鉢の中では水が唸り、煙を吹きて歯車を回す。
人ら曰う、その歯車こそ力の道。
神の火より得たる熱をもって、
光を呼び、地を照らし、遠き声さえも届かせるとな。
されど、その歯車も、
ヴルカンなくしては回らぬと語り継がる。
神は語らず、姿も見せぬ。
モン=エルグの主、ヴルカン。
火の神にして、今も山に息づきたまう。
顕れざれども、消え去らず、
誰そ、見ずとも、確かにそこに、在す。
──────・──────
「ヴルカンは見守る神……」
やっぱりさっきから話が繋がらない。ヴルカンが乱心して人を襲ったとしても、遺体の傍に居続けるだろうか。伝承の姿と事実の辻褄が合わないのだ。何となく腑に落ちない……。
「このお話を知っているからか、わたしにゃとてもヴルカン様がそんなことをする神様には思えんのだよ……」
テントの中心の焚き火が揺れた。老婆の前にある虎の人形は、ザシカの持っていたそれと同じだった。
「そうは言っても、乱心していらっしゃるのなら止めねばならぬ。シャディンヌの民からも言われたであろうが、どうか我等からも武勲をお祈り申し上げる……」
平に平に頭を下げた老婆の顔を上げさせると、終わったら祭り来て欲しいと言ってくれた。この国では噴火が起これば浄火祭というものをやるそうなのだが、シャディンヌ村とテレヴァ村は一等賑やからしい。彼らの奉っていた神が乱心した今、唯一の心の拠り所なのだろう。
山腹を進みながらロジェはユリウスへ呟いた。
「この村の人達って、火山で村がめちゃくちゃになることを不幸だって思ってないのね」
「まぁ……昔からの慣れだろうよ」
私なんて大雨降ってるだけで嫌なのに。この国の人達は逞しい。
「凄いなぁ。そうだ、ちょっと気になったんだけど……」
ロジェは土を踏みしめながら呟いた。
「さっきのおとぎ話に管の話があったじゃない。やけに具体的だと思わない?」
「そうだな。歯車を回すヴルカン……なぁ、もしかして……」
ロジェの言わんとせんことを察したのか、ユリウスは立ち止まる。
「モン=エルグも超古代文明の遺跡なんじゃないのかなって……」
「じゃ、じゃあ……ヴルカンも悪魔じゃなくて人造神ってことか!?」
そうです。人造神です。と言ってしまいたかった。のだけれど、悪魔を追わねば死ぬ身の人間にそれは酷だ。
「い、いやまだそうとは決まった訳じゃないけど……」
少年の顔面は蒼白だ。背負っている鎌のことを思い出させようと、口から何とか言葉を出す。
「か、鎌の反応はどうなのよ」
「近いのは近いみたいだが……ヴルカンが悪魔じゃなかったら、どうすればいいんだ……」
ユリウスは呼吸を浅くしながら叫んだ。
「あ、アンタの力で何とかならないのか!?」
わたしの、ちからで。……私ではなくとも、『マクスウェルの悪魔』でなら難なく解決できるだろう。
……そうだ、覚悟を決めるとき。ユリウスにお世話になっているのだし、力を持っているのならそれをしっかり使うべきで……。
「……分かったわ……それ、なら……」
契約の刹那、低い声が響いた。
【待て。覚悟もせぬまま契約はするものではない】
モン=エルグの中に入った二人は、ヴルカンの誘いを受けて探索を進める。人々の間で情報が錯綜していた理由が明らかになる第百十七話。




