第百十五話 見上げる人々
共和国と村からそれぞれヴルカンの話を聞いたロジェは、住処と言われる湖へと急ぐ。現れたヴルカンは衝撃的な物を持っており……?デクマのウザ絡みが増える第百十五話!
揺れる馬車、湿気た空気、それがやっと止まった時、ユリウスは息を吐いた。
「ふぅー……遠かったなあ……」
「馬車じゃなかったらどうなってたかと思うわ」
ノルテからシャディンヌ村はそう遠い場所では無い。直線距離だけで言えば三時間程度だ。しかし、ヴァルメラ共和国は渓谷で出来た国と言われる。高低差の移動でかなりの時間を食ってしまうのだ。
「それによぉ、ヴァルメラの役人って厳しいからさぁ。訳の分からんイチャモンつけられて入れなかったら溜まったもんじゃないしよ」
ユリウスは駄賃を渡すと馬車から降りた。むわりとした湿気が肌を包む。目の前には緑に覆われた山と、小規模な街がある。
「共和国だと厳しくなるのかしら」
目の前の崖をずるりと降りて草っ原に降り立った。もう間もなく夕暮れだと言うのに、曇った空は真夜中のように辺りを暗くしていた。村に近づけば騒ぎ声がする。
「あれなんだ?祭りか?」
どう考えても祭りとは思えない罵声と怒声が、役人の大軍と村民の大軍の間で繰り広げられていた。
「だから!ここは儂らの村だと言っとるだろう!」
「解決出来ないのだから我ら軍を呼んだのだろう!」
「だとしても火神様を殺すなど……毛頭許せん!」
「そうよ!この国はこの火山でやって来たものじゃない!」
「観光地を守って国民を殺すなどとはあってはならんのだ!それにあれは火神ではない!邪悪な魔物だ!」
あはは、とユリウスはのんびりと笑う。ロジェは頭を抱えた。
「おーおー、盛り上がってんなー」
「あれはどっちのコミュニケーションもだめねぇ……」
「挨拶はしときてぇけど、そういう雰囲気でもねぇしな……」
ここは引こうか、とユリウスが発言しようとした瞬間、役人に声をかけられる。
「ん?お前達、何者だ」
「げ。見つかったよ」
すごすごと歩き去ろうとしていたユリウスは、渋々役人の前に立つ。
「私達は旅の者です。用あってこの火山に来ました。身を守る術はあります。通して下さい」
あっさり身の上を話したロジェに、ユリウスは呆然とした。
「こ、怖いもの知らず過ぎる……」
「通す訳にはいかん」
「そうだそうだ!」
こういう時には意見が合致するのよねぇ、とロジェは思いながら、矢継ぎ早に続ける。
「調査をしに来たんです。私は魔法使いで、彼は護衛。邪魔なんてしません」
それでも唸る役人に、ロジェは耳を口に寄せた。
「……何なら、魔物討伐もしますよ」
「お前……」
普通の人なら聞こえない様な声量だったが、ユリウスはやはり五感が鋭いのだろう。慌てて止めようとするも時すでに遅し。
「話だけ聞こう。来なさい」
話はまとまったらしく、ロジェと役人は歩き出した。背後には村人の罵声付き。
「二度と来るな!」
長い物には巻かれろってのはこういう意味なのかもな、と思いながらユリウスは続いた。
村から少し離れたゲルの中。何人かの役人に監視されながら、ロジェとユリウスは座っていた。髭を蓄えた隊長らしき恰幅の良い男が、見定めるように二人を見ている。
「さて。まずは君達の名前を聞こう」
「オレはユリウス。こっちはギルトー」
隊長の視線はとうとう二人の身分を証明出来そうなものを見つけられなかったらしい。喉から僅かに声を絞り出して問うた。
「……失礼だが、身分証などはあるかね」
「持っていません。旅の途中で無くしました」
それ言うのかよ、とユリウスはちらとロジェの顔を見たが、彼女の顔は至極真面目だ。
「流れ者に助けを乞うというのは恐ろしく思われるかもしれませんが、私達は腕は確かです。もし任せて下さるのだったら、報酬もいりません。何だったら手柄は全て国軍のものにしてもらって構いません」
手柄を国軍のものとする……そのフレーズに惹かれたらしい男は、眉根を上げた。僅かに上擦った声から、仕方ないという演技を始める。
「……まぁいい。我々も最早選べる手立ては残っていないのだ」
張り詰めていた空気がほんの少し柔らかくなった。
「君達はどこまで知っている?」
ユリウスは今まで聞いた話を説明した。火山で異常事態が起こっていること、ヴルカンストスという魔物が暴れていること……。一通り聞いていた隊長はしかと頷いた。
「なるほど。そこまで知っていれば話が早い。端的に言うと、モン=エルグの火山活動が活発化しているのだ」
彼は手を組んで深いため息をついた。
「問題は、火山活動とは別のものだと思われる不可解な現象と、麓で獣害が多発していることだ」
この国は気候は温暖だが、一度自然が牙を向けばあっさり飢饉に陥ってしまう立地的な問題がある。畜産を生業とする村では獣害は敵だ。
「火山性では無い地震、突然に飛び散る火花、火口部分ではない場所からの火柱……我々は村が出来た頃から存在すると言い伝えられているヴルカンストスという獣型の魔物が原因だと考えている」
男は幾つかの資料を二人の前に置いた。調査報告書だ。
「シャディンヌ村の彼等は、火山噴火に伴う避難には納得している。だが……彼らはヴルカンストス……ヴルカンを神として崇めている。獣害が奴のせいだと言っても聞き入れてくれない」
「他の可能性は無いのか?」
神代が終わってから魔物の姿は少なくなったが、こういう山深いところにはまだ多くいる。人が寄り付かない渓谷なら尚のこと多いだろう。
「ほぼ無い。この辺りは活火山が多く、ヴルカン程でもなければとても肉食の大型の魔物が住める環境では無い。精霊や小型の魔物は多くいるが、家畜や人間を襲う魔物はヴルカンしか考えられない」
……どうやら、ヴルカンという魔物は単なる魔獣では無いらしい。かなり凶暴な様だ。
「この際、あの魔物を倒してくれるのなら何だっていい。協力してくれないか」
ゲルから離れたロジェは、役人から貰った通行証を陽にかざしていた。鉄錆は付いているがデザインとして可愛らしい。
「で。共和国の犬になった訳だが。どうすんだーこっから」
ロジェもユリウスも、役人から提案を二つ返事で引き受けた。濡れた草原を踏みしめながら村へと向かう。
「犬になんてなってないわ。村の味方もするもの」
「すげぇこと言うな……」
ゲルから数十分のところに村はある。暗くなろうとしていた夕闇を感じてか、村には明かりがついていた。
「多分だけど、両者には決定的な情報が足りてない。片や悪魔、片や守り神だもの。新しい宗教を布教する時に悪魔を神化したりすることがあるけども、今回は違うでしょ」
「たしかになぁ」
「皆に話を聞きましょう。私達、役人から紙で情報を聞いたけど実際に見てはいないわ」
ユリウスは役人から渡された書類を見た。『火口部分から赤い煙が出た』というのが、文でしか載っていない。これは正直あてにならない。
ロジェは村に入ると、同じ歳くらいの女の子に声をかけた。
「あの……」
少女はロジェの姿を見て目を見開くと、荷物を抱えて走り出した。
「あそこまでしなくて良いのになぁ」
「役人と話したのがまずかったかしら」
「だろうな。ま、こういう時は……」
時刻はまだ十六時。いるかどうか限られているが、いることに賭けるしかない。
「聞く相手が限られてくるんだよな」
「ちょ、待ってよユリウス、どこ行くの」
ユリウスは村の集会所、公園、巡り巡って村の外れまでやってきた。おぉ、とユリウスは声を上げてその存在に近づく。
「よ」
「こんばんは」
二人が声をかけたのは手毬で遊ぶ少女だった。ロジェとユリウスの姿を見ると、鞠を片付けて今にも走り出そうな感触を見せる。
「あ、あなたたちは……」
「私達、ヴルカン様のお話を聞きに来たの」
「た、倒すんでしょ!神様を!」
叫んだ少女をロジェは近くにしゃがんで宥めた。
「そんな事しないわ。役人さんもあんまり詳しくなかったから、この村の人に聞こうと思ったんだけど誰も答えてくれなくてねぇ」
なるべく優しく、困った声音を聞いた幼女は、ぽつりぽつりと呟く。
「……ヴルカンさまは、火山の守り神なの」
「守り神……」
ロジェはメモ帳を取り出して幼女の証言を書き留めていく。
「噴火しそうになったら火口から赤い煙を出して、何度も何度も吠えて下さるの」
「声が火口から聞こえるのか?」
「そうだよ。何度も吠えて下さるの。あたし達のこと、守って下さるの」
話が乗ってきた幼女は、警戒心を忘れて流暢に嬉しそうに話し出す。
「だからここまで村が発展できたって、お父さんもお母さんも言ってる。ヴルカンさまが悪者なんておかしいよ……」
「どんな姿をしてるか知ってる?」
幼女は俯いて顔を鞠に伏せた。視線だけがこちらに向く。
「……笑わない?」
「もちろん」
ロジェの言葉に安堵した幼女は、消え入るような声で言う。
「……おっきいねこちゃん」
「ね、ねこ……?」
ユリウスはなるべく驚かないように驚嘆の声を上げた。
「この山の向こうに、湖があって……あたしそこに一人で遊びに行ったりするんだけど、そこで見たよ」
二人が理解できていないことを察したのか、幼女はまくし立てるように話す。
「おっきいシマシマのねこちゃんが、湖の隣にあるね、真っ直ぐ行ったところにある小さな池で寝てた。あたし怖くて叫んじゃったら、ねこちゃんは火山の奥に入ってったんだ」
縞縞の大きな猫。それは多分、虎だ。この辺りじゃ見かけないから知らないのは無理ないかもしれない。
「あれはきっとヴルカンさまだよ!本当に悪い魔物だったらあたしのこと食べちゃうもん!」
幼女の訴えが辺りに響けば、それを聞きつけた大人がやってくる。母親らしき人物が幼女の手を引っ張った。
「何を話してるの!」
「お、おかあさん……」
「早くこっちに来なさい」
母親はちらと二人を見て幼女を抱えると、手毬をぶんぶん振りながら叫んだ。
「ほんとだよ、お姉ちゃん!ヴルカンさまは悪い魔物じゃないんだ!たすけてあげて!」
幼女の姿が小さくなりながらも、泣き声だけがはっきり聞こえる。今の話を聞いて向かうべき場所は一つだ。
「湖に行ってみるかぁ」
ロジェは頷いて、幼女が遊んでいた空き地の奥、『この先湖』と書かれた看板をくぐった。
まもなく陽が落ちるカルデラは盆地であることもあってか、村よりかは薄暗かった。夕陽を迎えた後の夜空だけが水面に浮かんでいる。その湖を取り囲むように森があった。
「綺麗なとこだな」
「野宿するには最適ね」
ユリウスは湖のほとりに手を突っ込んで口に含んだ。満足気な笑みをロジェに向ける。
「水も綺麗だし、魚も動物もいる。食うには困らなさそうだな」
眠る場所には困らなさそうだ。今日はヴルカンの巣を見つけて探索を終わりにしよう。ロジェは幼女の言葉を思い返していた。
「湖の隣の、真っ直ぐの池……そこにヴルカンはいるのよね」
そうだ、という返事が返ってこない。ユリウスに視線を遣ると、鎌を抱えて辺りを警戒している。
「どうしたの?」
「こっちを見てる」
ロジェは探知魔法をかけたが、引っかかるのは小さな小動物ばかりだ。見られて困るような気配の魔物はいない。
「……魔法で視た感じ、気配は無いわね」
「逃げたんだ」
「エーテルの気配に敏感らしいわね」
「注意して行くぞ」
夜の森に入ってしまったのだ。ヴルカン程ではなくとも、肉食性の魔物は居てもおかしくない。鳴らす土音にも気を配りながら歩みを進めると、言っていた池らしき場所に出る。
「ここがあの子の言ってた池か……」
池は四m程の小さな池だった。そこだけ木が伸びていなくて、月が落ちている。ロジェは池の奥へ進むと洞穴を見つけた。
「これ、かな……」
「巣にしちゃえらい綺麗だな」
気配は無い。手にかけて中に入ると、大きな虎一匹くらいは眠れるスペースがある。
「臭いも全然しないわね。何も無い。寝に来てるだけって感じだわ」
中を軽く見ても、綺麗に敷き詰められた藁があるだけ。糞尿はもちろん、食べかすの小骨一つ見つからない。十分探索してユリウスが言った。
「……取り敢えず出ようか」
そうね、と言って外に出ると、もうすっかり夜だ。野宿をするには遅いかもしれない。早く設営しないと。
「ユリウス、今日はもう──」
「下がれ!」
ロジェを池の端まで下がらせたユリウスの視線は、先程までいた洞穴の上に注がれた。
「アイツだ……!」
茂みが邪魔で姿は完全には見えない。が、洞穴に生えた草木を踏み、覗く爪と瞳。そして……咥えて、滴り落ちるもの。滴った血は人らしき腕を這って、洞穴の前を汚している。
「あれがもしかして、ヴルカン……」
「来てくれるってんなら話が早い!今ここでぶっ飛ばしてやる!」
ユリウスの声に応じてロジェも構える。獣が死体を落として二人に襲いかかろうとした瞬間だった。
──グゥゥゥゥゥゥ……
重低音が、谷を震わせた。ロジェの髪を震わせるような、そんな声。
風でもない。地鳴りでもない。それは唸り声だった。聞いた瞬間、魔物がその場で硬直する。魔物は悔しそうに何度もギャウギャウと吠えたが、山頂から漂う威圧感に二度、三度、震えるように足を引き──
そして、獲物を置いて茂みの中に逃げ出して行った。
獲物はどしゃりと音を立てて草木を赤く濡らしている。かき分けて見ると、男の死体だった。
「これは……」
ロジェは手を合わせて布に男を包んだ。
「夜が明けたら村に帰ろう。今日から張り込みだ。ヴルカンを見つけよう」
静かにロジェは頷くと、咆哮が響いた山頂付近を見遣る。
「そうね。それに……どうやら一匹じゃなさそうだわ」
山頂には立ち込める煙は月明かりを消していた。
「おっきいねこちゃんって言い方、可愛いよねぇ」
判然としない意識に、甲高い声が響く。
「子供は得てして恐怖には気付かないものです」
判然としない意識に、落ち着いた声が響く。
「明日が来ることを信じて疑わないもんね」
甲高い声は虎の人形を口を広げて、人形に歯を立てた。
「それは貴方もなんでしょうか」
落ち着いた声は戦車を使って虎をあっさり倒した。
「ねぇ、ロジェちゃん?」
明確なる意識に、ザシカとクインの笑みが残った。
また厄介な神デクマに呼び出されたロジェは、どういう風の吹き回しか助言を受ける。そうして人々の話を聞くも、拭えない違和感が二人を覆って……?人々と神の第百十六話!




