第百十話 夢は叶わない
ロジェはユリウスへと超古代文明が存在したことを告げる。そして二百年後の未来ではヨハンがオルテンシアと死闘を繰り広げていた。お楽しみが続く第百十話!
ヨハンは初めてこちら側の世界に私を誘った時、緊張したのだろうか。薄皮と骨に守られた心の臓は激しく動いて、じんわりと汗をかく。そっと手を差し伸べてロジェは笑みを作った。
「ねぇユリウス。貴方は信じる?この世界は文明が一巡した世界だって」
ユリウスは鎌を置いて顔を疑問に大きく歪めた。
「はぁ?まだ頓珍漢なこと信じろって言うのかぁ?」
確かにユリウスの言う通りだ。改めて突拍子もない自分の言動を客観視して、ロジェは何だか面白くなってしまった。
「うふふ。いきなり言われちゃそうよね。超古代文明って分かる?」
「月影のことしか知らねぇな」
「それよりずっと昔の話、空に帝国が浮かんだ古代文明よりもっと昔、人類の技術は頂点を極め、神を造り出すに至った」
どれだけ科学が発展しても、人々は何かを託さずにはいられなかった。超古代の神々達は、彼らの祈りを抱えて溶けていった。
「マリア・ステラ号は変化のない平和の為に神を、カノフィアは探求を見守る神を造った」
どの神も皆、民達がいなくなったことを認められなかった。ただ楽園へと連れていこうとした者達。
「だけど先鋭化した文明は長く続かず、どの運命も辿る運命に基づいて滅びた。ここは超古代文明の遺跡群の一つだと思う」
詳しくは調査してみないと分からないが、『観測』や『守護』という記載があることから、何かしらの記録や防衛の為の施設だったのかもしれない。
だけどそれらを無かったことにして、人々から幸福になる権利すらも消し去るとしている者達がいる。
「この世界は神や魔物が蔓延った神代の時代を数百年前に終えて、『ラプラスの魔物』が治める専制君主的な世界に変わった。だけど、実態は神代の頃と何も変わっていない。今見ているこの『秘密』を、無かったことにしている」
ロジェは声を荒らげた。
「私は……私達は、それを追っている。全てを明るみに出して、本当の人の世が来る為に」
神も人外も人間も、何者も何からも奪わせはしない、ただ人間が生き物、動物として生きていくことのできる世界が、それこそが創造神たる『ラプラスの魔物』が望んだ世界なのでは無いのか?
「私は神代を終わらせる。終わらせてみせる。人が人である為に。人が人でいる為に」
ユリウスは鎌を持ち上げてくすりと笑う。
「……はは。言えるじゃねぇか」
言える?ユリウスの言葉にロジェは首を傾げると、うねる目の門の前に立った。
「アンタ、路頭に迷ってますーって顔ずっとしてたからな。連れてってもいいか迷ったんだが……オレの目は間違ってなかったみてぇだ」
ユリウスは扉に手をかけた。目は涙を零し続け、水溜まりを作り始めていた。
「行こうぜ。この先に何が待ってるか楽しみだ。オカルトとか科学を超えたすげぇもんがあるんだろ?」
「何も無かったらごめんね」
何で謝るんだよ、とユリウスは笑う。
「そうだ。その……チョー古代文明の遺物は壊せるのか?」
「問題なく壊せるわよ。あ、でもいろいろ集めたいからあんまり壊さないでよね」
彼は自信満々に笑うと、扉の奥から伸びる光に叫んだ。
「わーってるって。行くぞ!」
ロジェのいる過去から二百年と少し。学会のあったあの日、刺し違えたヨハンとオルテンシアの運命もまた動いていた。赤いベルベットにお互いの血が染み込んで止まるところを知らない。
久しぶりに込み上げて来た血を吐いて、ヨハンはオルテンシアから離れた。鉈を差し込まれ、傷を作った少女は笑みを浮かべてうっそりと男を見つめているだけ。
ふらつきながら少女を睨みつけると、近寄ってくる兵士にヨハンは叫んだ。
「くるな……!がはっ……!」
鉈で支えを作るも目の前が覚束無い。これまでかと覚悟した瞬間、聞き馴染んだ声が聞こえる。
『ヨハン!もうちょっとだけ頑張って!』
ヨハンの影から現れたのはサディコだった。巨大な影が自分を跨いで、兵士達に低く唸りながらヨハンの前に立つ。
『良かったぁ間に合って。傷治してあげるからさ、これからしなきゃなんないことをよく聞きなよ』
足元が光ったかと思うと痛みも血も何もかも消えて行く。
『オルテンシアは、一人の人間に幾つもの幸福な他者の人生を詰め込む世界を実現させたいみたい。ヨハンの役目はそれを制すること』
「制するってどうやって……」
『ここはぼくが食い止めるから、ヨハンはオルテンシアを追いかけて』
向かってきた兵士を何とか蹴散らすサディコを見ながら、走っていくオルテンシアを目で追う。
『……もうじきこの世界は使い物にならなくなって閉じられる。完全に閉鎖するのなら創造神達の許可が必要だけど、今は『マクスウェルの悪魔』が決まってない。代理で誰かが立つ必要がある』
「まさか……!」
『やっと分かった?あの神器に見合う者は『マクスウェルの悪魔』の『聖定』を得ることが出来る。ロジェは間違いなくそんな世界認めない。閉じられても再定義し直して、またこの世界を復活させる』
朧気な記憶が徐々に戻ってくる。あの神器にはこうなることを鑑みて付けた消滅機能があった。それでさっきは爆発して、それで確か、そんな機能を頼まれて付けたような気が、する……。
『一時はオルテンシアの思い通りになる世界が訪れるけど、そこはロジェが何とかしてくれるから大丈夫……だと思う。ヨハンはロジェを助けてあげて』
自分はタダの人間だ。世界最高峰の魔法使いならまだしも、人間が神を止めたり助けたりすることは出来ない。
「俺は別に魔法使いじゃないぞ」
『祈りは神に届くから』
祈り。ずっと内に秘めていた、神への祈り。もしどうしようもない自分を救う神があるのなら、願いを叶えてくれる神があるのなら。その願いが届くのなら、願うしかない。ヨハンは鉈を持つ手に力を込めた。
『長話し過ぎた!行って!』
「お前は!?」
『ぼくはここであいつらを倒す!ヨハンは早くオルテンシアを追いかけて!』
後ろを振り返りながら走るヨハンをちらと見てサディコは微笑んだ。この世界は間もなく閉じられる。世界としての機能は停止され、自分が自分だと感じることが出来なくなる。
だから託す。ヨハンの祈りがロジェに届いて、この世界を再定義し直して、『空間の塔』の本当の姿である、あの場所へと向かうことが出来たのなら。
『……ロジェ、ヨハン。頼んだよ』
ヨハンは兵士達を容赦なく撃ちながら先へ急いだ。階段を上がる度に階下で激しく争うサディコの音は強くなる。廊下の奥で紫の髪がなびいた。
「待て!」
耳元で囁くような笑い声を無視して、ヨハンは荒い息を吐きながら、彼女の後を追っていた。オルテンシアの血の足跡が、白い廊下の上に続いている。
追い詰めたのだ。創造神であろうと、所詮は少女の形をした化け物だ。不老不死を失ったこの身体でも――叡智と執念で、喰らいついてやる。
カーテンをめくると水晶の様なホールに出た。装飾見る限り学会などで使う様ではなくて、芸術的な催しをする為のものだろう。その装飾に溶け込む様に、オルテンシアは奥に一人立っている。
薄紫の髪は灯火のように揺れ、瞳はきらきらと輝いて──マリシアが見せたあの忌々しくも惹き付けられる光と同じ──いる。まるでここが、彼女の舞台であるかのように。
「年貢の納め時だ」
ヨハンは銃を上げた。少女はくすくすと笑うだけで意に介さない。
「年貢の納め時……そうかもねぇ。まさかここまで抵抗されるなんて思ってなかったわ」
少女はこちらへ近づく。近くで見れば、少女は胸と口から血を流し、魔法で治癒していない。不老不死では無い俺相手ならその必要も無いと判断されたのかと思うと憤怒が込み上げたが、喉奥にしまい込む。
「ねぇヤン。聞いてもいい?どうして貴方は私の作る世界を認めないの?」
「もうちょっと短く質問することは出来ないのか?んなもん求めてねぇからだよ」
少女は不思議そうに首を傾げたままだ。
「何がダメなのかなぁ。幸福なんて多ければ多いほどいいでしょ?一人の人生にその人が歩む可能性のあった、別世界の人生全てを詰め込んでいるだけ。確かに意思は無いけれど、それは今も一緒でしょ?」
踊るように少女はくるくると回りながら続ける。
「……ほんとはね、こんなことするつもり無かったの。テュリーを助けたかっただけ。テュリーはね、代々『マクスウェルの悪魔』を継ぐ家だったの」
思わせぶりにオルテンシアは顔を曇らせた。憎たらしいことこの上ない。
「だから私のお付きになったんだけど、ね。テュリーはいつまでも『聖定』が降りなくて、お姉ちゃんに降りちゃった。壊れたあの人の人生を取り戻せなくて、何が神だ!って思ったの」
屈託なく夢を語るオルテンシアに、鋭い視線を寄越す。人の幸福が何だの、おつきの幸せが何だの。それは結局言い訳でしかない。
「……何が人の幸せだ。何が側近の気持ちを慮っただ。お前は自分の地位を手放したくないだけだろう!?」
オルテンシアがただの魔法使いであったのなら、彼女の言い分にある程度の理解は示すことが出来ただろう。
「人の幸福を願うのなら、最初からそう世界を作れば良かった!お前のまやかしの催眠術なんかより、もっと平和に世界を作る方法がお前にはある!」
ただ、彼女は『創造神』で。この世を如何様に変えることが出来る。だからこそ、この憤怒は収まらないのだ。
「なのに!それをしなかったのは!ただの怠慢だ!結局不完全な魔法で世界を覆って、人間からちやほやされたかったに過ぎない……!それをさも人の気持ちが分かったなどと誤魔化しやがって……!」
「私は神だよ。だから分かる」
薄ら笑いを浮かべた少女にヨハンは畳み掛ける。
「ならどうしてマリシアを何の説明も無くこの世界に連れて来た!転移の衝撃で死んだ奴らに同じセリフをもう一回言ってみろ!」
彼女に対して僅かながら慈悲はあった。だが、それももう終わりだ。彼女は全くと言って良いほど、あまねく全てに何も思っていない。
「良いかオルテンシア。覚悟しろ」
微小を浮かべていたオルテンシアの笑みが凍りつく。
「お前に歪められた運命、世界、生命、その全てが今からお前に降りかかる。それは世界があるべき形に戻すものだ。お前の望む世界じゃない」
信仰が無い神は存在しない。今世界を在るべき形に戻す為に、ヨハンはオルテンシアを言い貫いた。
「俺は……人間はお前を倒す。これは世界の総意だ」
「あは……ははは、穏やかじゃないねぇ……」
「今、お前の首を持って新たな時代の礎にしてやる!」
ヨハンの言葉は、静けさを切り裂く雷鳴のようにホールに響いた。怒りと、絶望と、それでもまだ残る微かな希望が、その瞳の奥に燃えている。ヨハンの炎をかき消すように魔法が高速でヨハンに飛んでくる。
「ヤン?今なら死ねるんだよ?無理をして世界に抗う必要は無いんじゃないかな?」
術式が施された鉈で攻撃を跳ね返すも、やはり一つ一つが重い。隙を伺おうと少女を見てもそんなものはなく、格の違いを見せつけられる。
「死ねるって素晴らしいことだと思わない?ヤンがやっと、"人間と同じ土俵"に立てたってことだもの!」
ヨハンは必死に攻撃を捌いているのに、彼女は詩吟を紡ぐかのように喋っている。それが疎ましくて銃を撃ったら簡単にはたかれた。
「……やっと人間になったのに、なったら神に歯向かうなんて、お仕置してあげなくちゃね?」
よく回る口だと他人事のように思うと、足元から水晶が伸びて肩を貫く。何とか心臓に直撃は避けた、が。
「はーっ……」
「痛い?怖い?寒い?苦しい?血の流れる感覚を思い出した?思い出してよ。醜く足掻いて、人間ってこういうものだってこと、私に見せて!」
「ッ――く、そ……!」
爆ぜるような音。オルテンシアの足元から咲く花のような魔法は、魔力の結晶が飛び散らせた。ヨハンはそれを回避しきれず、肩を裂かれる。焼かれる。痛い。嫌だ。
死ぬのが嫌だ?……たぶん、違う。それに焦がれて、五百年生きたのだ。何も無ければこのまま息絶えただろう。
であるならば何が嫌なのか。重力を知らない少女を睨んだ時、答えが分かった。
コイツの曲がった道理が通るのが、絶対に嫌なのだと、強く強く、思ったからだ……!
オルテンシアとの死闘を繰り広げるヨハンだったり、ロジェに祈ったり、ロジェはユリウスと共に移籍の奥へ入ったりする第百十一話!




