第108話 雪降るコンクルシオー
絶体絶命のロジェの前に現れた一人の人間。それは世界を暴く新たな仲間だった。意外な新キャラが登場な第百八話!
セラフィーネはふわりと浮かび上がり、八枚の漆黒の翼が雪の空に広がる。空気が震え、風が唸る。魔力の奔流が氷の世界を軋ませた。
「さあ、どちらから解して差し上げましょうか?」
ロジェは舌打ちすると、身を翻しながら地を蹴った。手に魔法陣が浮かび上がり、凍てつく地面を割るようにして鋭い氷柱が連続してセラフィーネを襲う。
「ぶっ飛ばしてやるわ!」
氷柱は雷鳴のような音を立てて飛び、セラフィーネの周囲に炸裂する。しかし、八翼の悪魔は一歩も動かず、笑みさえ崩さない。
「ふふふ、お嬢さん……冷たくされるのは慣れておりますのよ?」
氷が触れる寸前、セラフィーネの周囲に黒い球体が展開される。氷柱は触れた瞬間、無音で霧散した。
「吸収結界ね!」
ロジェが舌を噛む間にセラフィーネは指を一本立てて軽く振る。直後、空気がぐにゃりと歪み、ロジェの足元が爆ぜた。
「あっ!」
爆風に飛ばされながら、ロジェは地面を転がり、木の幹に激突した。血が滲むがすぐに立ち上がる。背後の少女だけは何としてでも守らねば。
逃げも守りの一つだ。もう一度魔法を繰り出すにも分が悪い。一度立て直す為にも逃げよう。ロジェが少女の手を引いて森に逃げようとしたその頬に衝撃波が掠める。
「はぁぁぁぁぁっ!」
大声と共に森の木々を投げ倒した衝撃波は、セラフィーネの右腕をもいだ。あまりの事に彼女もぼんやりとしたが、分離した腕を見て笑っている。ロジェも呆然としていた。
「……なにあの威力」
「うふふ……欲しいものが一つ増えちゃったわねぇ」
白いマントを羽織った、成人した男性と思しき黒い大鎌を持つ姿が目の前にあった。それは何も言わずにセラフィーネに顔を上げている。
「そこのお嬢さん達はまた今度にしてあげましょう。それじゃあね」
そう残すと、セラフィーネは空間に溶けていった。男は振り返る。
「そこの人、大丈夫か?」
差し伸べられた手は冷たい。顔には面頬がある。前分けにされた髪と目はオリーブ色だった。明るく快活で、正義感の塊でありそうながらもどこか諦観があった。
「大丈夫よ。ありがとう」
男はロジェを立たせると、ロジェの少女と手を繋いでいた方の手から目を逸らした。
「あー……それしまった方が良いぜ。怖がるやつもいるだろうしな」
不思議に思って手を見ると、一繋ぎになった腕の骨がある。何より不思議なのは色。翡翠のような輝きを放っている。
「あ、あれ!?女の子は?」
「知らねぇなぁ。オレが来た時からアンタ一人だったし」
どれだけブンブン振っても骨が外れることは無い。寧ろ手がぴくぴく動いている。
「それはアンタのモンか?えらい手が込んでる様に見えるが。てか、本物じゃね、それ」
「よ、よね……」
「じゃ、オレはこれで」
「待って!」
ロジェが思わず声を張った。男の背に、白い雪がふわりと積もっていた。大鎌の切っ先にまで薄氷が張るこの寒さの中、彼はそれを払うこともせず、ただ静かに振り返る。
「ん?なんだ?お礼はいんないぜ?」
「えっと……その、すごく強かったわね。傭兵か何かかしら。その武器、少し見せて欲しいな、なんて……ね?」
誤魔化し誤魔化しでロジェは伝えると、男は少しだけ黙り込んだ。この男はあの悪魔について何か知っている。それに、きっと力になる。……そんな確信があった。彼は口の端を持ち上げる。
「通りすがりの武器商人だって言ったら信じるか?」
「……ありえないくらい強い武器商人ね」
ロジェが咎めるように笑うと男は苦笑して肩をすくめた。オリーブ色の目が、面頬の隙間からこちらを探るように覗く。
「じゃあ正直に言うか。オレの目的はあの悪魔を殺すことなんだよ」
「は?」
「都に帰る途中、死神と出くわしてな。なんやかんやあって、悪魔を追ってる」
ロジェは詳しく問いたださなかった。曖昧な相槌を返す。
「ふぅん」
「商売しながらな。だからさっきの八翼の悪魔……セラフィーネだっけ?あいつもそうだ。次に会う時はちゃんと倒してやるよ」
ロジェは小さく息を呑んだ。ふざけているようで、その言葉の裏に、強い信念と現実的な覚悟があるのがわかる。
「アンタの名前は?」
「ユリウス・レオナール・レヴィ。オレのじいちゃんが付けてくれた名前さ。長ぇだろ?」
「……レヴィ」
レヴィって、あのレヴィ家だろうか。だろうかというよりむしろ確信だ。あの家は武器で成り上がり、その血塗られた歴史を消し『ラプラスの魔物』に取り入った家だから、間違いない。が、この際四の五の言ってられないし、私が嫌いなのはアリスなのだからと押し込んで言う。
「お願い、私も連れてって。魔法が使えるしあの悪魔に用があるの。絶対に足手まといになんてならないわ」
ユリウスはその言葉に一瞬だけ目を細めた。凍えるような風が吹き、二人の間の雪を巻き上げていく。
「……アンタ、名前は?」
ロジェは無意識に、翡翠色に輝く骨の手を握り締めていた。
「ギルトー・エイルズ。好きに呼んで」
「オレのことはユリウスって呼べ。よろしくな、赤毛のヒーローさん」
白い雪の中、大鎌の男と赤髪の少女は並んで歩き出した。
しんしんと雪が降りゆく曇天にも関わらず、ノルテの市場は賑やかだった。骨身に染みる寒さを温めたいからか、通る者たちからは酒の匂いがする。
ロジェの前を歩くユリウスは武器商人らしく、腰には各国の刻印が彫られた小型の試作武器をいくつも下げていた。歩く度に金属の擦れ合う音がする。
「どこに行くの?」
「武器の調整。アンタも欲しいもんがあったら買っとけよ」
寒さからロジェは袋に詰めた骨をぎゅっと握り締めた。ユリウスは路肩に出ている商店で宝石や鉱物を買い占めている。
彼に着いて行く以上、先立つものは必要だ。姉から手渡された写真は、『あの場所へ迎え』と囁いてきた。
「ちょっと買い物に行ってくる」
「了解。オレはしばらくこの辺にいるから、終わったら帰って来いよ」
ロジェは写真を握り締めあの路地裏に向かう。戸籍を作ってもらったあの路地裏にある店だ。あの店主の話が本当ならば、きっと店があるはずだ。道順を思い出しながら店へと向かうと、あの古ぼけた扉がある。ドアノブを握ると回った。開いているようだ。
「ごめんください」
店内の様子は二百年後と何も変わらなかった。カビ臭くて古ぼけていて、なんのガラクタかよく分からないものが点在している。
ロジェの足音を受けて、人影が身体を起こした。影は男だ。歳は五十代くらいで古ぼけ煤けたスーツを身に纏い、肌は異様に白く痩せこけ、ちょび髭を生やして紅い目を爛々と輝かせている。二百年後と何も変わらない。
「……いらっしゃい」
「物を売りに来たんだけど」
「見せな」
古写真で、青と赤の国旗の前で微笑む少年少女の写真だ。服も景色もこの世界と変わらない。決定的なことは魔法がない、ということだけだ。店主は眉根をひそめた。
「こんなもんじゃお話にならないね。ただのガラクタじゃないか。別のモンは無いのかい」
「無いわ。これだけ」
「じゃ帰りな。ウチはゴミ捨て場じゃないからね」
「ゴミじゃないわ。別世界の写真よ。とんでもなく高くつくはず」
ロジェは店主を軽く睨んだ。その瞳に少女の面影は無い。
「幻視を持っていない層には人気らしいわね」
店主は舌打ちすると、虫眼鏡を取り出して舐めるように写真を見る。男は写真を光にかざしながら問うた。
「どこで拾った」
「塔よ」
「空間の?」
「そう」
痩けた目をロジェと写真の交互に移すと、店主は息を吐いた。
「お前、名前は?」
「ギルトー・エイルズ」
「聞かねぇ名だな。あの塔に行って帰って来た奴はいねぇ。嘘じゃなかったら知ってるはずなんだが」
その問い混じりの言葉にロジェは返さなかった。男はニタリと笑う。
「塔の魔女の遣いか……はたまた本物か。試したいところだな」
「早く買い取ってくれないかしら」
ロジェは苛立ちながら呟いた。
「まぁまぁそう言うなよ」
男の言葉に下心が混じった。お姉様達ならこんな時どうするのかしら。あしらうのか、はたまた……と思い浮かべてロジェは首を横に振った。
「早くして頂戴」
「はっ。言いたくねぇなら言わせるまでだ!」
店主の周りに魔法陣が浮かび上がる。市販でバラ売りされていそうな弱い魔法陣。この男、吸血鬼の割にあんまり魔法が使えないようだ。鍛錬をしていないのかもしれない。力の構成が不安定だ。『ギルトー・エイルズ』を捕まえようとして、魔法は散り散りになった。男はその様を見て呆然としている。
「名を奪えない、だと……」
「偽名だからね。先を急いでいるから早く済ませてくれないかしら」
反応の鈍い男に愛想を尽かしたロジェは、腕をまくって皮膚を見せた。
「私の血を一瓶あげる。お代は血とその写真を合わせた分を貰うわ」
「俺が損してるだけじゃねぇか」
「お腹すいてるんでしょ。一食浮いたと思いなさい」
腹の虫がさもしい店内に響いた。あの調子では暫く獲物にありつけていなかったのだろう。男はため息をついて、ありったけの硬貨と札束を置いた。
「持ってけ」
「約束ね」
ロジェは瓶を置いて、皮膚にナイフを突き立てた。魔法で湯水のように溢れた少女の血は順調に瓶に溜まっていく。満ち溢れた瞬間、ロジェが何かを言う前に男は血にかぶりついた。その様子にため息をつく。
「……はぁ。それじゃあ私は行くわね」
硬貨と紙幣を鞄にしまって、むしゃぶりつく男を横目にロジェは店を出た。神や魔物が跋扈した神代も過ぎに過ぎてしまうと、人を襲えない吸血鬼が出てくるのか。勉強になったが、何だか寂しい話だ。
表通りに戻るとなおも悩むユリウスがいた。離れた時から選んでいた宝石と鉱石を延々と交互に見比べている。
「アンタ、まだ悩んでたの……」
「おぉ。欲しいもんは買えたか?」
「そうね。ねぇ、そろそろ日が暮れるから宿に行った方がいいと思うんだけど」
おぉ、そうだな!とユリウスは明るく言い放つと右手に持っていた鉱石を買った。悩んでいた割に買うのは早い。
「どこか決めたりしてるの?」
「あぁ。オレの家、つーか別荘?でいいだろ?」
「もちろん」
別荘か。良い響きだ。やはり力を持つ貴族とあらば、別荘を持つのが基本だ。ロジェは幼い頃、家は本邸ばかり豪勢で、別荘が無いことに不満を持っていた。今思えば非常に贅沢な悩みである。
「着いたぜ。二階上がって右側の部屋使えよ。風呂は一階。鍵も閉められるから心配すんな」
ユリウスは連れて来たのは普通の木造の一軒家だった。ノルテの大通りの一軒家だから、それはもちろんそこそこ値の張る物件だとは思うが、少し拍子抜けだ。
「豪邸じゃなくて悪かったな」
「思ってないわよ、そんなこと」
「ほんとかぁ?」
ユリウスは悪戯っぽく笑うと扉を開けた。誰もいない家はひんやりとしている。
「変な話、オレは都じゃそこそこ名を知られてて金はあるんだが、ここに召使いは置いてない。気を遣うしな」
ユリウスは薪を暖炉にくべた。案内されたソファに座ると暖気が身体に当たって気持ちいい。
「……知ってるわよ、貴方のこと」
「そうか。オレもそこそこ有名になったかな」
がはは、と笑うユリウスに釣られてロジェも笑う。
「アンタはどこの出身だ?」
「王国の外れに住んでるの」
「見たとこ魔法使いって感じだが……」
「当たり」
当たり障りの無い言葉を言って、揺らめく炎を見詰めていた。ユリウスも同じだ。にわかに声の調子を優しくして問う。
「アンタは何で悪魔を追ってる?」
「……それは……」
ユリウスから悪魔を追う理由を尋ねられたロジェだったり、再び遺跡探索に戻ったり。超古代文明の遺跡が現れる第百九話!




