第105話 神々のエゴイズム
景星と再び巡り会ったロジェは、何とかして元の世界の記憶を取り戻そうと奮闘する。次々と明るみになる事実に、ロジェは覚悟を決められるのか。エゴは何かを突き詰める第百五話。
「景星……?貴方、詩酒仙 景星よね?」
「俺のフルネームを知ってる人なんて珍しいなぁ。まぁいいや。俺の歌を聞いてってよ」
そうやってまた詩吟を始めようとした景星をロジェは遮る。
「景星!私よ!ロジェスティラ!分からない?」
「ごめんね。旅をするから忘れてることもあるかもしれない」
ただただ申し訳なさそうに首を傾げた景星にロジェは怯まず叫んだ。
「貴方と契約したわ!貴方の友人も知ってる!慧昊っていう堕仙!」
景星はロジェの言葉を聞いて、更に困惑したように眉を寄せた。
「慧昊?なんであいつが堕仙ってこと、知って……」
景星は微かに目を細めると、周囲を見回した。歪んだ大衆達はこちらを見つめている。ロジェをいなすために小さく息をついた。
「ここじゃ目立つ。こっちだ。」
そう言うやいなや、ロジェの手を取り、細い路地へと引きずり込んだ。
「……で、ロジェスティラ。君は誰?」
人気のない裏路地で、景星はまっすぐにロジェを見つめた。飄々さは成りを潜めてただ少女を見下ろしている。
「だから言ったでしょ。私よ、ロジェ」
「慧昊のことを知ってて私って返答は無いでしょ。新しい仙人とか?どこの神に仕えてるの?」
景星からしてみれば自分のことを詳しく知っているのは仙人だけだという理論なのだろう。ロジェは訂正しようとするが、相応しい説明が思いつかない。
「違うわよ。んー……どうしよ。この世界だから景星は私が誰か分からないのよね……」
「平行世界で俺らは知り合いってこと?じゃあこの世界でも俺は君に会ってるはずだよ?」
出会いは大きな分岐点だ。平行世界は数あれど、A世界でBが友人ならば、C世界でもBが友人ということが多い。少なくとも知り合っているのが普通だ。ただ、ここは上書きされた世界。普通の平行世界とは勝手が違う。
「そう……なんだけど、ここはその……少し性質の違う平行世界なの。……そうだ!」
ロジェはぽん、と手を叩いた。
「景星だけ繋げればいいんだ!」
言うが早いか、ロジェは逃げる景星の足に軽く手を添えると魔法陣を書き出した。
「えっ!ちょっと待っ」
逃げようとする手前にロジェは呪文を叫ぶ。
「『衝突する世界』!」
魔法陣が光り輝いたかと思うと、金色の光と爆発音、白く立ち上がる煙が残った。ロジェの前にはひっくり返った景星だけが残る。
「あー……やり過ぎちゃったかな。景星?聞こえる?分かる?けーせー?」
ちょんちょん、とロジェが指でつつくと景星は飛び起きた。
「うわぁぁぁぁぁっ!?あ、え、あ……?」
目を白黒させてロジェを何度も見返しながら、辺りを伺う。
「良かったぁ目が覚めた。大丈夫?私の事分かる?」
「わ、分かるよ……大丈夫。久しぶりだね、ロジェ」
「ふふん。上手くいったみたいね」
上手くはいってないと思う。結構荒療治だったと思うし。景星は適当に返事した。
「あぁ、うん。それは、そう」
転がっていた景星は起き上がってロジェの背後に近付いてきた異形に対してレイピアに手をかける。
「下がって。魔物だ」
「違うのよ。あの人は人間」
「あんな姿をしたものが?平行世界だと普通なの?」
説明するしかない。ロジェはとにかく話した。ここまでどうやって来たか。今までの世界は何だったのか。そして、あれは何なのかと。一通り理解した景星は微笑んだ。
「なるほど。上書きされた世界ね」
「分かるの?」
「知覚は出来ないけど知識として知ってる。『ラプラスの魔物』がどれだけ上書きされた世界の存在を消そうとも、世界自体は蓄積するからね」
となると、と景星は付け加える。
「さっきの異形は幸福な人生になる選択肢を選ばされている人間ってことだ」
「どういうこと?」
「良く聞こえるけど、実態はただ快楽を与え続けられているに過ぎない。とっくに脳は焼き切れてるから、ゾンビみたいなものだよ」
ではなぜ景星はそうでは無いのだろう。純粋な疑問をロジェはぶつけた。
「で、でも……景星はそんな風になってないじゃない」
「君と関わった者は『ラプラスの魔物』の魔法から外れたということだろうね」
その口ぶりはまるで、ロジェが『マクスウェルの悪魔』だと言うことに気付いているような言い方で。
「……気付いてたの。私が『マクスウェルの悪魔』だって」
「今気付いた。こんな世界の中で正気を保てるのは、『マクスウェルの悪魔』の加護があるからに他ならない」
しばしの沈黙。ロジェは話題を変えようと焦って景星へと問うた。
「景星はどうしてこの町に?」
「塔の魔女……君の姉様方に会いに」
「あら、仲良しだったのね」
意外だ。男の人は大抵姉様方を怖がって会いに来ない。あの塔に入ったら最後、生きては出られないからだ。
「会いにって言ってもここで歌うだけだよ。あの人達に直で会うとただじゃ済まないからね」
「そう?お姉様方はお優しいのに」
景星が少し怯えながら伝えるが、ロジェにはあまりピンと来なかった。
「天下の魔女様も妹には敵わないか」
路地裏から外を見渡した景星は、異形蔓延る街を視界に収めてため息をつく。
「さて。どうしたものかね。こんな世界じゃロクに商売も出来ないし……」
「お願い景星。助けて欲しいの」
「『マクスウェルの悪魔』様に頼まれたとあっちゃ断ることは出来ないね」
景星の微笑みをロジェは強く否定した。
「違うわ。……なるつもりも、無い」
「どうして?」
「そんな器じゃ無いからよ。それに、私がならなくても問題無いもの」
ロジェは自信なさげに胸に手を当てて景星を見上げる。
「『マクスウェルの悪魔』を喚び出すことまではやるから、相応しい人を探さないと」
「君は強いから、『マクスウェルの悪魔』にならなければ死ぬとかは些細な事なんだろうね」
「嫌だけど仕方ないわ」
負わされた重要な責務を果たせなかったのだ。罰は仕方ないことだろう。
「なら狂ったこの世界から出られずに、永遠の生を得るってのはどう?」
「……え?」
「ここは『ラプラスの魔物』が捨てた世界。すなわち、当代の加護が無い。正気でいられるのは『マクスウェルの悪魔』のお陰だけれど、それを得ないというのであれば君は間違いなく発狂する」
街を出ていく景星の足取りは確かだ。塔の方向に歩いて行く。
「あの異形は膨大な魔力を受けた存在だ。そんなものに曝露し続けたらどうなるか、分かるよね」
「待って景星、どこ行くの」
ふらつきながら近付くロジェを見て景星は薄ら笑った。
「君に見せたいものがあってね」
景星の足取りは確かだった。塔があった場所に軽い魔法陣を描きながら彼はどこか楽しげに口笛を吹いている。
ロジェは石垣に腰を下ろしその背を目で追いながら、胸に不安を抱えたまま問うた。
「それで、見せたいものって何?」
「ちょっと待ちなよ。君にとってはなかなか興味深いものなんだからさぁ」
彼は意味深な笑みを浮かべた。ロジェは眉をひそめたが、それ以上の問いはしなかった。
しばらくして景星は魔法陣を描き終えるとロジェの隣に座った。景星は軽く呪文を唱えると魔法陣の上に霧が現れる。遠くの場所を照射する投影魔法だ。
最初は誰を写しているのかよく分からなかった。最後に会った時よりずっと顔色が良かったからだ。
「……麗子?」
マグノーリエと思しき場所に、彼女はいた。麗子は家族と思われる人達と共に通りを歩いていた。何も知らなければただの家族団欒だ。
けれど、その姿はどこか歪だった。
父や彼女の妹である葉子はそのままだが、壊れかけた人形の様な姿をした女を麗子は母だと言って慕っている。
次に投影されたのはバフォメットだった。今の彼女とは似ても似つかない陽気な姿。金や本をばらまいているが、その視線の先には紙の人型しかない。
次々に場面が変わる。サディコは家族と共に走り回っているがその姿は悪魔ではなくただの獣だ。猟師に罠を設置されては、足を怪我しているらしい。傷跡が模様になっていた。
最後に……ヨハン。研究所だろうか。今よりもずっと明るい表情で、メガネなんかかけて友達と笑っている。ただ……何かしらの違和感があるのか、こちらの方を見つめて、友達に呼ばれてどこかに行ってしまった。
「これは……どういうこと?」
ロジェは思わず景星を振り返った。彼は肩をすくめながら答える。
「幸福に暮らしているように見えるだろう? けれどこれは『ラプラスの魔物』が創り出した偽りの幸福だ。彼らは選択を奪われ、ただ与えられた快楽に浸っているだけに過ぎない」
ロジェは息を呑んだ。彼女の知るヨハンは、こんな不安げな瞳をしていなかった。麗子も、サディコも。彼らは皆、自分の意思を持って、苦しみながらも生きていたはずだ。だけど。それでも、彼らが抱く第一の感情が『幸福』だというのなら。
「……元の世界に、戻す必要は無いと思うの」
裾を掴んでロジェは声を絞り出す様に言った。
「君らしくないね」
「エゴじゃない。それに……この世界の人達はすごく幸せそうだわ」
確かに違和感はあった。だけど、現に彼らは幸福なのだ。自分がとやかく言えようか。
「麗子は家族と一緒だった。バフォメットはやっと人前に出れるようになったし、ヨハンもサディコも、仲間に囲まれて楽しそうだった」
「君はまだ気付いてないのかい。この世界の最たる異変に」
首を傾げたままのロジェに、景星は淡々と続ける。
「この世界には『ラプラスの魔物』がいない」
景星はどうやって気付いたのだろうか。仙人の勘というやつか。
「当代は自分の存在を引き換えにこの世界を創り上げた。……って、さっきお上が言ってたよ」
景星は立ち上がって荷物をまとめた。足で軽く魔法陣を消す。
「ねぇ景星。どこ行くの?」
「この世界は全ての平行世界を束ねる、木で言うところの『幹の世界』。『ラプラスの魔物』がいない『幹の世界』なんて、他の収束する平凡な平行世界と同じ。だから……」
彼が描く新たな魔法陣は『空間転移』の魔法を示していた。場所を移動するのでは無い、世界から移動するということ。
「さっきこの世界から出ろって命令が下ってね。閉じるんだって」
「閉じる?この世界を壊すってこと!?」
ロジェは石垣から飛び降りた。
「そうだよ」
「じゃあ……私や皆はどうなるの……?」
震える声で問うと、男は作業をするような無異質な声色で放つ。
「君は『マクスウェルの悪魔』。天上に上げられて『ラプラスの魔物』と世界を創り直す役目を担うことになる。他の皆は……」
俯いていた景星が顔を上げた。
「消える」
呆然としていたロジェは、景星へと縋り付く。
「消える、って、そんな……お母様にもお父様にも、ヨハンにもサディコにも二度と会えないの?他の皆も、消えるの?景星は消えないよね?」
「俺も消えるよ。『景星』っていう外見だけが残って、記憶は刷新されてまた世界に投げられる。君の家も含む因果の被害者達は皆消えるだろうね。言い方は悪いけど、世界のバグだから」
ロジェは先程この仙人が放った『世界を創り直す』という言葉を反芻していた。そんなこと出来っこない。出来る出来ない以前に、全く実感が湧かない。
「私に、世界を創り直す、なんて……そんな……」
「君はきっと間違いなく100%、また同じ世界を創り出すだろう。ここが世界の分岐点。因果を解くか、世界を君の手で創り直して『全てを知ったロジェスティラ』として生きるか」
でも。それはエゴじゃないのか。彼らは今、とても幸せなのだ。老病死苦から解き放たれて、目の前の世界を何一つ疑わずに生きている。そんな幸せな世界を、ヨハンやサディコ、家族や大切な人達を失いたくない、ただそれだけの理由で神を引き継いで良いわけがない。
「エゴを嫌がるのなら、考えるのをやめた方が良い。神だって人だって等しくエゴだ。オルテンシアは願いの為に自分の存在を差し出した。創造神がエゴで世界をめちゃくちゃにする時代、何を迷うことがある?」
『ラプラスの魔物』は利己を示した。それなら何も、何も気にする事はない。だけど、彼女がそうしたからって、自分もそうしていい理由なんて断じてない。
「わたし、は……」
ロジェは景星の言葉を元に、自分の気持ちを考える。そうして魔法石を何のために使うのか。物語が大きく動き出す第百六話!




