第百話 終わらないヒストリア
旅路を終えたロジェはサディコと共にヨハン帰還作戦を実行しようとする。終わりに近付きつつある旅。しかし今までの旅を発表する機会がロジェに訪れて……?物語は終わらない第百話!
長い旅路の果てにヨハンの屋敷へと帰還したのは、およそ一年ぶりのことだった。この屋敷を出た時から随分と (悪い意味で)大物になったとロジェは思う。
しかし、かつての居場所に足を踏み入れた瞬間、三人の胸に湧き上がったのは懐かしさよりも僅かな緊張と警戒だった。
扉を押し開くと乾いた埃の匂いが鼻を突く。乱雑に散らばる書物、ひび割れた薬瓶、倒れた椅子や破れたソファのクッション。天井から垂れ下がる蜘蛛の巣が、時間の経過をありありと物語っていた。
「予想はしてたけど酷い有様ねぇ」
特に目を引いたのは、無理やりこじ開けられた本棚と、床に散乱した書類の数々だ。エントランスに散らばっていた本や書類も更に数をましている。
「もうちょっと丁寧に扱って欲しいんもんだ」
ヨハンが床にしゃがみ込み、乱雑に放り出された紙の束を手に取る。だが、多くは破れたり焼かれたりしており、ろくに読めるものは残っていなかった。
「大切なものは取られてない?」
「銃器が何個かいかれてるな。それ以外は……無い」
『うわぁ。やられてんねぇ』
サディコの声が響いたのはロジェの部屋だった。足を踏み入れると埃と破壊の数々。衣類には一切手をつけていないというのがらしいというか、なんと言うか。何故か知らないが机が真っ二つになっていた。
「ここまでしなくても良いのに」
『ムカついて壊したんでしょ』
比較的衛生的な場所に荷物を下ろすと、何かの金属を蹴ってしまった。拾い上げると金の塊。……銃弾か、これ。
ともかく片付けを始めないと。ヨハンの書斎に足を踏み入れた。机の上にはカップがある。中を覗き込み顔をしかめた。元は紅茶だったのかもしれない液体は干からび、茶渋の跡を濃く残している。その傍には、一冊の古びた書物が落ちていた。
ロジェが手に取ろうとした瞬間、
「それは触るな」
ヨハンの声が低く響いた。彼の視線は冷ややかだったが、その奥にはかすかに何かが揺れている。何かを、思い出そうとしていて、それが叶わない顔。
「ごめん。大事なものだった?」
「……いや。いや、なんでも無い」
ヨハンは一瞬だけ頭を抱え、本を拾い上げると、それを無造作に棚へ突っ込んだ。ついでに埃も舞う。
「捨てるものだけまとめちゃいましょ。そうすれば家の掃除も片付けも全部魔法で出来るわ」
「便利だな」
「でしょ?」
ロジェはヨハンが掃除しているのを横目にポケットから手紙を出した。送り主はぺスカ王立マグノーリエ魔法研究所。既に内容は確認したが、もう一度手紙を開ける。
「準備は出来たのか?」
「まだ。発表にギリギリ間に合えばいいなって思ってる」
「それ間に合わないやつじゃないのか……」
手紙は『学会のお知らせ』だった。一年に一回、研究所は高等学院の学生にも発表する機会が設ける。内容は学術的なものであれば何でも構わない。修士生でも無いから学会という名の自由研究発表会みたいなものだ。
内容は学籍を剥奪されたロジェにも出て欲しいとのことだ。心に浮かぶのは理事長が提示した条件。『全てをひっくり返す発見をしたのなら、アリスが在籍していても学籍を戻す』。手にはそれらをひっくり返す超古代文明の数々がある。
「それにしても一年か。あっという間だな」
ヨハンはロジェの持つ手紙を覗き込んだ。
「ヨハンは長生きしてるから余計じゃない?」
要らないものを部屋の片隅に積んでいく。部屋は汚すぎる状態から汚い状態に戻って行った。
「さて。そろそろ魔法をかけてもらおうかな」
ヨハンは掃除をする手を止めた。
『掃除しても部屋が汚いってあるんだねぇ』
しみじみとサディコは目の前の惨状を見つめる。至る所本は積みっぱなし、どうやって取るか分からない紙切れが挟まっている。
「仕方ないだろ。置く場所ないんだよ」
「こんなんじゃ魔法かけても前と変わらないままでしょうね」
ロジェはくすりと微笑んで軽く指を鳴らすと、空気中に魔法陣が浮かび上がった。散乱した本がふわりと宙に浮き、分類されながら棚へ……収まることはなく、ロジェが初めてこの屋敷に訪れた時と同じように高く積み上げられた。
埃も何かの汚れもふわりと浮き上がり、みるみるうちに綺麗になっていく。空気を取り込む為に天窓が開いた。木漏れ日が差し込んで良い風が吹く。
「……うん。前と変わんないまんま」
そう言いつつもロジェの声には喜びが混ざっていた。
「汚れながらも楽しい我が家、だな」
『あはは。帰ってきた感じするー』
「家具の修繕魔法もかけないとね。このままじゃ寝るところが無いわ」
同じく魔法をかける。割れていた机は元通りになり、積もっていた埃も綺麗さっぱり消える。食器類を綺麗にする洗浄魔法もかけて、これで屋敷の汚れは一通り落ちた。
「とりあえず住める状態にはなったわね」
ロジェが腰に手を当てながら満足げに頷く。
埃っぽさが消えた空間に、ようやく屋敷本来の静けさが戻っていた。もっとも物が多すぎるせいで決して広々とはしていないが、少なくとも「廃墟」と言われるような有様ではなくなった。
「これで何日かはまともに過ごせるな」
ヨハンも片付いた部屋を見回しながら、床に転がっていた椅子を起こして腰を下ろした。
『ねぇねぇ、せっかく帰ってきたんだしさぁ。お祝いしない?』
サディコが尻尾を振りながら提案する。
「お祝いって何するのよ」
『んー、美味しいご飯とか、パーティーとか! ぼく、お肉いっぱい食べたいなぁ』
「……お前、肉が食いたいだけだろ」
ヨハンが呆れたようにため息をついた。ロジェはクスクスと笑って同意する。
「まぁ、確かに何か特別なものを食べたい気分ではあるわね」
しかし、疑問が一つ浮かび上がる。
「……ねぇ、食材って残ってる?」
ロジェが書斎から飛び出して台所の扉を開けた瞬間、微妙な沈黙が流れた。
ヨハンとサディコも興味本位で覗き込むが、中には乾燥しきった野菜の切れ端と、得体の知れない瓶詰めが少し残っているだけだった。
「な、なによこれ……」
『うわぁ、これはひどいねぇ……』
サディコが鼻をひくつかせながら言う。
「俺が不老不死だし食料棚に何も無いのは当然だな」
「当然って、そんな涼しい顔で言うことじゃないでしょうが」
ロジェが額を押さえた。
「仕方ないわね。買い出しに行くしかないわ」
『えぇ~。めちゃくちゃ遠いじゃん』
「文句言わないの。ご飯抜きになっちゃうわよ。手早く行って帰ってきましょ」
ヨハンも立ち上がり、コートを羽織る。
「買い物なんて久しぶりだな」
「お金はちゃんとあるの?」
「それは問題ない」
ヨハンは懐から小袋を取り出して振る。中にはジャラジャラと硬貨の音が響いた。どうやら、長い旅の間にしっかり稼いでいたらしい。
「それじゃ行きましょ」
「行先は決めてるのか?言っとくが王都はダメだぞ」
「なんか適当な街にしよっかなって……」
ヨハンは口に手を当てて少し考えると、ある街の名前を出した。
「レジオノアって街がある。交易の拠点として栄えているが、そこまで大きなとこじゃない」
「良いじゃない。そこにしましょう」
ただし、とヨハンは付け加えた。
「問題は今もあるかってことだ」
不老不死特有の時間感覚を忘れていた。ロジェはおそるおそる問いかける。
「……一応聞いておくけど、最後に名前を聞いたのはいつ?」
「確か……百二十年くらい前だったはず」
唖然としているロジェにサディコは伸びつつ答えた。
『ま、当たって砕けようよ。どの道ご飯は無いし』
「そ、そうね……」
ロジェが魔法陣を展開すると、柔らかな青白い光が空間を満たす。
転移魔法が発動し、一瞬にして視界が歪む。次の瞬間、彼らは屋敷の埃っぽい空気から一転、賑やかな市場の喧騒へと足を踏み入れていた。
「ちゃんとあった。のわぁっ!」
後ろからぶつかった反動でよろめいたロジェをヨハンは支える。
「昔から変わってないな、ここは」
道端では商人たちが声を張り上げ、新鮮な果物や肉、パンを売り込んでいる。通りを行き交う人々の姿は活気に満ちており、旅人や冒険者の姿もちらほらと見られた。王都と比べて高い建物は無く、二階建てくらいがちらほら建っている。
「買い出しに来たりしたの?」
「いや。昔は屋敷の近くに街があったからそこで買ってた。ここに来るのは相当な用事がないと来なかった。めちゃくちゃ遠いし」
ロジェはヨハンの屋敷に訪れたあの日のことを思い出す。馬車に乗りすぎて目眩がしてきたんだっけ。
「あぁ、そうだったわね……転移魔法があって良かったわ。食料を買いましょう」
少女は手際よく市場を見回し、新鮮そうな野菜や果物、肉を物色し始める。
「サディコは何が食べたいの?」
『お肉!』
「そりゃ知ってるわよ……何の肉がいいの?」
『鶏肉かなぁ。今なら二十羽くらいいけるよ』
サディコが目を輝かせながら、ぶら下がった大きな鶏肉を指さす。
「良いな、鶏肉。オーブン焼きがいい」
ヨハンは軽く目を伏せて微かな記憶にふけっていた。
「オーブン焼きねぇ。一応作れるは作れるけど……」
「なら頼もうか」
ヨハンが苦笑しながら、肉屋の店主に声をかけて勘定をしている。近くの屋台で酒を酌み交わしていた二人の男が、会話を交わしていているのが聞こえた。
「にしても『聖定』が終わんねぇとか聞いたことねぇよ」
「まだ一年だぜ?昔は十年くらい決まんねぇ時もあったらしい」
ロジェは静かに耳をそばだてた。男達の会話は続く。
「平和って言えんのかねぇ。『ラプラスの魔物』様は目覚めたらしいし」
「あんな小さい子に何が出来るんだか」
「滅多なこと言うんじゃねぇ。創造神様だ。そこいらの大人よりかは賢いだろうよ」
不遜な物言いをした相方に男は諌めるようにして声を潜めた。勘定の終わったヨハンは、遠くを見つめるロジェに耳打ちする。
「どうした?」
「オルテンシアが目覚めたんだって」
「……そりゃあ、また波乱の予感だな」
男の会話に釘付けになっているロジェに、ヨハンは気にも止めずに返す。
「あんまり気負うことは無いんじゃないか。発表が終わって塔に行って俺を元の世界に返せば全部終わる」
「まぁ、それはそうなんだけど。……なんか荷物多くない?」
ヨハンの荷物は両手一杯だ。あまりの重さに手が白くなっている。それだけでなく、両肩にも何か引っさげている。
「五羽買った」
「そんな量の袋じゃないと思うわ」
「あと牛肉を含めた遍く肉と野菜とパンと小麦粉と……」
『大盤振る舞いだねぇ』
悪戯っぽく笑うサディコにロジェは呆れるしかない。
オーブン焼きを堪能した二人と一匹。そして学会への準備を進めるロジェ。当日になっても未だ緊張するロジェだったが、そんなことを全て忘れてしまうような事件が起きる。物語が急展開を迎える第百一話。




