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ラプラスの魔物 Secret Seekers  作者: お花
第六章 人閒如夢擬態船 マリア・ステラ号
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第九十八話 代理人のクレラ

命からがら慧昊から逃げ出したロジェは、泉で全てを明かす。示し合わせたように現れた李苑の変化。里が大きく変わる第九十八話!


ロジェは一階に戻ると窓から李苑の部屋に忍び込んだ。月明かりが李苑の頬を柔らかく照らし、その寝顔は穏やかそのものだった。


サイドテーブルには水と小皿がある。薬を飲んだことは確実だが、核心に迫るものは無い。テーブルをなぞるが粉らしいものは何も残っていなかった。


ロジェは静かに立ち上がると、部屋を出る前に一度だけ部屋全体を見渡した。何も動かした形跡を残さないように、彼女は慎重に歩を進め、扉の隙間から廊下を伺う。


すばやく部屋を後にし次の目的地へと向かった。慧昊の部屋だ。あるとしたらそこしかない。ディンとの約束もある。この屋敷にいられるのもあと半刻くらいが限界だ。


再度屋敷に来た時の記憶を思い返して慧昊の部屋へ向かう。罠が無いことを確認してロジェは静かに慧昊の部屋の扉を押し開いた。軋む音ひとつ立てぬよう、慎重に。


部屋の中は変わらず整然としていた。棚には分厚い書物が並び、机の上には几帳面に揃えられた資料の束がある。壁際には鍵のかかった薬箱が置かれていた。確か、前来た時には無かったはず。


ツキヨモギの粉末があるとしたらここだ。慧昊ほどの男なら管理は徹底しているはず。机の引き出しか、あるいは身につけているか。後者の可能性が高い。が、それならお手上げだ。


ロジェはもう一度精神を研ぎ澄ませて部屋を探知した。魔力を発するものが一切無い部屋だ。こういう要人の家には結界が貼ってあったり、魔力を探知すれば即捕獲の罠があったりするものだが、この部屋にはそれがない。特有のゆらぎが無い。


なら、一か八か。ロジェは解呪魔法をかけると、カチリと音がしていとも容易く小箱は開いた。辺りの雰囲気に変わりは無い。薬箱の中には複数の瓶が並んでいる。その中のひとつ、紫色のラベルが貼られた小瓶を取り上げる。ラベルには端正な文字で『ツキヨモギ』と書かれていた。これだ。


ロジェは小瓶を懐に滑り込ませると、箱の中をさらに探る。他にも証拠がないかと部屋へ視線を巡らせたとき、机の上に無造作に置かれた資料の束が目に入った。


ロジェが起こした騒ぎに気を取られて片付けそびれたのだろうか。一枚を抜き取り、月明かりに透かすようにして読む。


『終わりの病に関する試験記録 被検体:李苑』


その文字を見た瞬間ロジェの心臓が跳ね上がった。『李苑にツキヨモギを呑ませた』と記載がある。ロジェの仮説を否定したとしても、慧昊を根拠に話せば里の皆は満足してくれるだろうか。彼女は素早く数枚の紙を抜き取り、それらも懐にしまった。


深呼吸。まだ気配はない。……今のうちに出よう。ロジェは静かに部屋を抜け出し、扉を閉めると、再び暗闇へと紛れた。









竹林の小川に浮かぶ蛍を抜ければ、蓬泉の周りには既に人だかりが出来ていた。ロジェは息を切らしながらディンに駆け寄った。息を整えている姿を見てディンはたじろぐ。


「ロジェさ……ロジェさん!?」


「ごめんね、遅くなっちゃって……」


「そうじゃなくて。傷ですよ傷!何があったんですか?」


衣服も貫通した慧昊の攻撃はロジェに深い傷を残していた。治さなかったのはこれからの説明の為だ。


「慧昊と一悶着あってね。ヨハンは?」


「お目覚めになりました。ロジェさんのメモを見て目がくっつくくらい眉間に皺を寄せてましたけど」


ヨハンの怪訝そうな顔を思い浮かべてロジェは笑う。


「あはは、でしょうね……貴方に失礼なことを言ってないと良いんだけど」


「大丈夫ですよ。何もありませんでした」


「そっか。良かった。それじゃあ……」


一拍置いて、ロジェは人々を見やった。


「始めましょうか」


泉の周りに集まった里の皆の視線が、ロジェに一身に向けられた。


「皆さん、夜遅くにお集まり頂きありがとう御座います。今日はこの泉について、そして当主様の状態について、お教えしたいと思います」


少女は一呼吸置くと、芯の籠った声で述べた。


「最初に結論から述べます。この泉には、寄生虫がいます」


ロジェの言葉に、里人たちの間にざわめきが広がった。


「寄生虫……?」


「そんな……嘘でしょ……」


「罰当たりなヤツめ!」


戸惑いと疑念が入り混じった視線が彼女に注がれる。ロジェはゆっくりと、しかしはっきりと頷いた。


「私は泉の水を調べました。猫の解剖をして、その内臓を確認し、水の成分も詳しく分析した。その結果……この泉には確かに、寄生虫が住んでいることが分かりました」


「そんなこと……!」


誰かが息を呑んだ。ロジェは続ける。


「猫の体内……胃からは、泉にいる寄生虫と全く同じものが検出されました。そして、瞳の色が変わっていたことも確認済みです」


動揺している民を見ながらロジェは畳み掛ける。


「泉の水を飲むと瞳の色が変わる。だけど、それは"この里の当主に選ばれたから"なんかじゃない。寄生虫が体内に入り込んで影響を及ぼしていたからなんです」


衝撃に声を失う者、信じられないと首を振る者、何かを言おうとして口を開きかける者。ロジェは全てを正面から受け止めるように立ち続けた。


「当主 李苑様が『終わりの病』に伏せっていられるのも、寄生虫が原因であるとロジェ様はお考えなのです。傍で見て来た私から言わせて頂くと、可能性は高いでしょう」


ディンの低くしっかりとした声が辺りへ響いた。


「それじゃあ……当主様が今、お元気なのはどういうことなの?本当はその……お亡くなりになるはずなのよね?」


ロジェは静かに頷いた。


「慧昊が李苑様にツキヨモギを呑ませているからだと考えているわ」


里の人々がざわめき出す。疑いを持つ者もいれば、何かに気づいたように顔を強張らせる者、納得したように頷く者もいる。


「私は慧昊の部屋でこれを見つけました」


ロジェは懐から紫色のラベルの貼られた小瓶を取り出した。


「これはツキヨモギの粉末。当主にとっては『穢れのある食材』と言われていますが、民間だとお菓子の材料、そして……虫下しの薬として知られています」


もう一枚の証拠を掲げる。


「これが李苑にツキヨモギを飲ませた、という試験記録です」


その瞬間、場の空気が凍りついた。


「慧昊様が、当主様に……?」


ロジェは目を逸らさなかった。


「ええ。慧昊は李苑様に寄生虫を殺す薬を飲ませていました」


やっぱりあいつはダメなんだ、まさか慧昊様が、など様々などよめきが起こっている。


「当主の資格は、泉の水を飲み、瞳の色が変わることで得られる。でも、それは寄生虫のせいだったんです」


気づいた者が、顔を引き攣らせる。


「まさか……」


「李苑様は、当主ではなくなる?」


「慧昊様がそれを……?」


「でも李苑様の病気は治るって事じゃねぇのか?」


「そもそもあの証拠って本物なの……?慧昊様がそんなことする人には見えないわ」


ロジェは小瓶と資料を握りしめながら、里の人々を見渡す。彼らの表情には、困惑と警戒、そして少しの恐れが滲んでいた。


当然だ。この泉は彼らの生活の中心であり、信仰の対象ですらある。突然それが危険だと言われても、簡単には信じられない。


「証拠はすでに見せたでしょう?私が持っているのは、泉の水の分析結果、ツキヨモギの粉末、それに李苑が薬を飲んでいたという記録……それだけじゃないわ」


ロジェは冷静に言葉を続けようとした、その刹那。


「皆の者!」


鋭い声が響き渡る。人々が一斉に振り向いた。竹林の影から、涼しい顔をした慧昊が姿を現す。肩口から血が滲み、衣服の隙間から深紅が覗くが、彼の足取りに迷いはなかった。


「そいつの言葉はまやかしだ」


低く響くその言葉に、人々はどよめいた。


「あんた……!」


ロジェは冷静さを失って男を睨みつける。ヨハンが泉に辿り着かなかったということは、ここからはロジェの独壇場だ。


「慧昊様……!」


「お怪我が……!すぐに手当をせねば!」


「気にするな」


慧昊は片手を上げ、動揺する人々を制した。そしてまっすぐにロジェを睨みつける。


「里を荒らすのも大概にして貰いたい」


「荒らす?どこが?元よりあんたの頼みでしょ」


ロジェもまた、怯むことなく慧昊を見据えた。が、慧昊は彼女の気迫を鼻で笑った。


「泉に寄生虫がいる?当主の資格が虫によるものだ?馬鹿げた妄言だな。そんなものお前が仕組んだ茶番ではないのか?」


「茶番ですって?よくそんな事が言えたものね!」


ロジェは冷ややかに笑う。


「これを見なさい」


彼女はツキヨモギの小瓶を月夜に天高く掲げる。


「あなたの部屋から見つけたわ。李苑様に飲ませていたのでしょう?」


「それがどうした」


慧昊は動じることなく言った。


「病の治療のために薬を飲ませるのは当然だろう?」


「そうね。でも、これは"虫下し"よ?」


その言葉に、人々の顔が強張った。慧昊の表情も一瞬だけ硬くなる。


「虫下しが必要だってことは、李苑様の病の原因が寄生虫だとあなた自身が認めていることになる」


慧昊の顔から笑みが消えた。僅かに目を細め、沈黙する。ロジェは更に追い打ちをかけた。


「それに、李苑様にツキヨモギを飲ませたという試験記録もある。貴方が知っていながら、皆には一言も言わなかった証拠よ」


慧昊の拳がわずかに震えた。里の人々の間に、再び疑念と不安が広がる。


「慧昊様……まさか……」


「本当に……隠していたのか……?」


慧昊は、静かに深く息を吐いた。そして、再びロジェを睨む。


「お前……本当に厄介な娘だな」


「どうも」


ロジェは肩を竦めた。慧昊の手がわざとらしく暗器に伸びるのを見て身構えたが、男はため息をついた。


「……だがもう、十分だ」


どよめきが起こる。何だ。彼は何をするつもりなのか。


「景星め。嘘偽りでは無かったか」


疲労感……それを超えた達成感がロジェに向けられて、少女はあまりの異様さにたじろいだ。


「やれやれ。人遣いの粗い弟子だ」


泉の周りの民達のところへ里長である李苑を連れて来たのはヨハンだった。寝起きらしく髪のはねを気にして、服も普段と違ってだらしない。くあ、と欠伸ひとつ。


「ヨハン!」


「どうやら保険で済んだらしいな」


李苑はおずおずと不安げに慧昊へ近づいた。慧昊が目を見開いて叫ぶ。


「李苑様……それにお前まで……!」


「案外傷は浅かったらしい」


ヨハンが慧昊を睨みつけながら言った。慧昊の腕には刀傷が刻まれ、血が乾きかけたままの状態で残っていた。


「何故ここにいる……!?」


「そこに立ってる弟子の遣いだ。目覚めるかどうかも分からん俺に魔法で姿を変えて付き人の代理を頼まれた。李苑をここに連れてくる為の代理をな」


冷酷な表情のままヨハンは慧昊を見下ろした。


「さしものお前も、当主様がいたとあれば迂闊なことは出来んだろ?」


慧昊は態とらしく肩をすくめる。


「ははは……そんな確証はどこにも無い。下手をしたらお前の弟子に手を出してしまうかもしれないな」


ヨハンは無表情のまま聞いた。慧昊の様子を見ると『手を出すかもしれない』というのは冗談なのだろう。煮えたぎる何かをなんとか抑える。


「手加減した覚えはないが……それでも死ななかったのは、運が良かったってところか」


ヨハンは冷たく慧昊を見据えた。慧昊が今も生きていることは、それほど重要ではなかった。


それよりも、今、目の前で立っているロジェの姿。それが問題だった。


ロジェの赤い髪は乱れ、肌には無数の傷跡が刻まれていた。服は破れ、血に濡れている。彼女はまだ立ってはいたが、その足元はふらついていた。


「酷くやられたらしい」


彼女は小さく笑った。


「私は大丈夫よ。こんなの魔法で治せるし」


その言葉を聞いても、ヨハンの瞳に宿った殺意は揺るがなかった。次の瞬間、銃が慧昊に向けられていた。


「お前がやったのか?」


短く、静かな問いだった。ヨハンは引き金に指をかけた。


「聞くまでもないか。俺の愛弟子をこんな目に遭わせた時点でお前は死んで当然だ」


そのとき、李苑が動いた。彼女はぐらりとよろめきながら、ヨハンの腕を掴んだ。見上げる瞳は翠玉ではなく……琥珀色。


「待って!お兄ちゃん!」


「そうよ。落ち着いて」


ヨハンの目がロジェを見た。彼の指はまだ引き金にかかったままだった。


「そんな姿にされて、それでもまだ庇うのか?」


ロジェは微かに笑った。


「当たり前でしょ。私は貴方が人を殺すのを見たくない。それに……」


少女の言葉にヨハンの目が細められた。彼女は畳み掛ける。


「そんな小さな子供の前で、大切な人を殺すの?」


李苑の見上げる瞳は大きく、その身体は小さい。それでも大きく手を広げて、震える足を携えて慧昊を庇っている。この風景を見た。沢山見た。踏み躙った。それをもうしないと、願ったんじゃなかったのか。


それに殺してしまえば、滾った好奇心はどう収めればいいのか。


ヨハンはしばらく沈黙した。手に込めていた力が抜ける。やがて、ゆっくりと銃を下ろした。これはきっとたぶん、好奇心が理由で。


「アイツに感謝しろよ」


少しでも触れれば決壊しそうだった殺気が消える。少女は安堵して慧昊へ向き直った。


「その代わり。ちゃんと全部話してくれるわね。堕仙 凌 慧昊」


ロジェの言葉を聞いて全てを暴かれた慧昊は楽しそうに笑った。


「くははは……!そこまで言われれば答えぬ訳にもいくまい。いやはや、素晴らしい限りだ。貴君は私が見てきた中で一等優秀な学徒だな」


泉はしん、と静まり返った。幕引きだ。


「それでは話そう。私が愛していた者たちのことを」


彼が語ったことは、こうだった。


私は景星と同じ頃に天に昇り、そして道を極めた。日増しに進んでいく研究。だが……私は仙人が嫌になったのだ。


彼ら仙は究極の境地でありながら、魔法や仙術だけに頼り、科学を疎む。理解出来なかった。許せなかった。可笑しいだろう。彼らは全ての究極の局地だ。であれば、突き詰めたそれが術ではなくても受け入れるのが道理であろう。


私は生物を愛していたが、神の創造物であり、最早分かりきっていることを研究して何になるというのが仙達の言い分だった。何もかも嫌になって、仙を辞めた。堕仙だ。


天から堕ちるということはどういうことか。それは天から見放されるということ。全てから嫌われるということだ。


陽のあたる場所には出られない。日に当たれば激痛が走る。それは暗闇でも変わらない。最初の十年は激痛の年と言われ、この段階で命を絶つ堕仙も少なくない。

ついに慧昊は全てを明かした。その口から語られる真実とは。里を立つことになったロジェはディンから『契約印』について知らされるが……?とりあえず一段落な第九十九話!

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