第九十六話 秘密は目を覚ます
アイリスの手引きのまま、秘密を暴き始めるロジェ。慧昊の手助けにより更に彼への疑念を深める。そこで見つけた真実とは。里に大きな変革が訪れる第九十六話!
慧昊の前に立ちながらロジェは今朝方のことを思い出していた。
朝起きたら枕元に手紙があったのだ。多分昨日のことだろう。
「あ、ロージーからだ。あの子も早いわねぇ」
封を切って中を見ようとした瞬間だった。ディンから朝餉のお誘いがかかる。
「ロジェさん。起きてご飯でも食べませんか?」
「今行くわ」
「調査の程はどうですか?」
出された焼き魚の骨を丁寧に取りながら、ロジェは頭を抱えた。
「だめかもしれない。なんにも分からない」
「一度慧昊様にお話しましょう。もしかしたら許して頂けるかも」
「……許すかしらね。身の振り方を考えないと」
なんて話したのが数時間前。ロジェは当主の館に呼び出されて、慧昊の前でそんなことを思い出していた。
「結果の程は?」
「……分かりません」
奥歯を噛み締めてロジェは返した。慧昊の深いため息が一つ。空間に落とされる。
「呆れたな。あそこまで顔に出しておいてそれか。期待した分損したよ」
「返す言葉も御座いません」
「あと半日ある。王都に連絡するから、荷造りをしておくことだ」
ロジェは呆然としながら館を出た。逃げるべきだ。だけど逃げたところでどこに行くあてがあるのかも分からない。異界である月影の里が、この世界で一番安全な場所だと言うのに。ロジェはあぜ道に腰かけた。
「……どう、すれば……」
髪をカーテンにして俯いていたロジェは、揺らめく水面の向こう側にひょっこりと使い魔が顔を出すのを見た。
『お困りだねぇロジェ』
「……何回調べてもただの水なのよ」
『じゃあもう調べるだけ無駄だね』
「そんなこと言ったって……」
無慈悲な物言いに何かを言うことも出来なかった。サディコは一つ付け加える。
『ねぇロジェ。泉に魔力が無くてさ、特定の人間にしか発動しないのなら、それは魔法の出番じゃ無いんじゃない?』
……そうか。そうかもしれない。ロジェは我に返って顔を上げた。
『解答は必要?』
「自分で探してみる!」
こんなところで座ってる場合じゃない。足をもつれさせながらもディンの家に帰る。開口一番、彼へと叫んだ。
「もう一度泉に行きたいの。付き合ってくれない?」
「喜んで。何をされるつも、うぉわぉっ!?」
ロジェはディンの手を引っ張って泉に急行した。
王都で囁かれていたある生命の話。もしかしたらそれが泉の秘密の正体かもしれない。
泉につくと周りに生えている草木に手を触れた。何かが齧った跡がある。
「……この、草……」
息を切らしながらディンは答えた。
「はぁ……はぁ……泉の周りに生えてるツキヨモギ、ですね。動物がよく食べるんですよ。当主様は穢れがあるからっ、て食べないんですが……。今日のお菓子の材料にしようかな……」
「これ貰ってもいい!?」
「ど、どうぞ……。ただのヨモギ草ですが……」
ディンから許可を貰うと少女は無心でヨモギを採取し始めた。
「それと顕微鏡を借りたいんだけどアテはある?」
「慧昊様がお持ちです」
慧昊が、顕微鏡を持っている。その言葉に一瞬手を止めた。やはり彼は真相に気づいていたのだろうか。ロジェは疑問を抱きながらもディンへ頼んだ。
「借りれるのなら借りてきて欲しい。頼める?」
「はいっ!」
ディンが走って行くのを横目に、ロジェは採取を進めた。
期限まで残り十二時間。
「借りれました!」
資料を確認しながらロジェは顕微鏡を受け取った。
「ありがとう。ねぇ、この試験管は貴方の私物?」
「いや、元より慧昊様が貸し出してくれたものです。『いるだろう 』と」
「……なるほどね」
彼が真相を知っているのは明白だ。だがどうしてここまで回りくどいことをさせるのだろう。雑多に物を考えながらプレパラートを作って顕微鏡で水の成分を確かめた。
「やっぱりそうだ。水の中に何かいる……」
サディコの助言から睨んだ通りだった。今王都で囁かれている『寄生虫』という、目には見えないが生きている存在。まさかこの目で見ることになるなんて。
「これは……卵……なんか動いてる……?」
水中で細長く蠢く何かを確認したあと、ロジェはもう一つ泉の泥から作っていたサンプルをセットした。
「水の中の生体と、泥の中の死骸が一緒……」
ロジェはその姿を一通りスケッチしたあと表に出た。庭の片隅に置いていた紙袋を開けると、鼻を突くアンモニア臭と、内臓が腐敗した甘ったるい悪臭が混じっていた。
「うぅ、最悪……」
中には泉の近くで死んでいた猫が入っていた。既に何日も経過しているようで腐っている。マスクと手袋をしてメスを構えた。解剖するのは初めてだから合っているかどうか分からないが、ともかく一思いにやるしかない。
慎重にメスを入れる。皮膚を切り開いた瞬間、さらに強烈な臭いが鼻をついた。
「っ……!」
思わず息を止め、顔を背ける。腐敗した体液がじわりと溢れ、内臓が見え始めた。胃を傷つけないように注意しながら切り進め中の内容物を確認する。
胃の中にあったのは半消化された植物と、蠢く何か。
「これ……ツキヨモギだ……」
特徴的な葉を持つツキヨモギがあった。だがそれだけではない。胃の内部をよく観察すると、小さな白いものがうごめいている。
寄生虫だ。
「生きてる……」
この腐敗した状態でもなお動いているのは異常だった。通常なら宿主が死ねば寄生虫もいずれ死ぬ。だがこいつらは違う。まるでこの死体の中で新たな命を育んでいるかのように活発に動いていた。
しかし、消化されたであろうツキヨモギの下にいた寄生虫は皆死んでいる。恐らく内容物を食べたのだろう。やはりこの薬草は寄生虫を殺す働きがあるのだ。
ロジェは慎重にピンセットで寄生虫を摘み上げ、別の瓶に入れる。さらに胃の内容物を探ると、そこには……小さな卵が無数に張り付いていた。
「寄生して胃の中で繁殖するのね……」
ロジェは次に猫の目を確認する。腐敗が進んでいるにも関わらず、その瞳だけは不自然なほど鮮やかな翠玉色を保っていた。
「……やっぱりそうなんだ」
「猫ですか。珍しい」
ロジェの解剖にディンはひょこ、と顔を出した。慌てて解剖を隠す。
「ごめん。すぐに埋葬するから」
「いえいえ。お気になさらず」
てっきり文句を言いに来たと思っていたから、ロジェは拍子抜けしてしまった。
「……臭い結構すると思うんだけど」
「ここいらじゃ珍しいですから」
「猫が?」
「それもそうですけど、 動物が」
ディンの言葉に少女は首を傾げた。
「水が合わなくて一年もすると衰弱して死んじゃうんです。この猫もそのクチですね」
だからこの里の農業には未だに家畜が使われないんです、と肩を竦める。ディンは労わるように猫の頭を撫でた。
「……あの泉の水は毒だわ」
ロジェは猫から発見した内容物をスケッチしながら呟いた。
「毒?瞳の色だけ変わる薬品なんてあるんですか?」
「そういう毒ではないわ。目視が難しい寄生虫がいるの」
ロジェは自分のスケッチを見比べた。泥の中の死骸と胃の中の生体。二つは酷似していた。
「水を飲んだ動物に寄生しその体を蝕む。でもね、人間には毒にならないからこれまで誰も気づかなかったのよ」
ディンは難しい顔をした。
「それならどうして『翠玉の瞳』が現れるんですか?」
「この寄生虫の主食は人間のメラニン色素。つまり、寄生された人間のメラニンが減って瞳の色が変わる。翠玉色にね。穢れの無い食べ物は全て、メラニンの生成を助ける食べ物よ」
「じゃあ、翠玉の瞳はただの寄生虫の影響?」
ロジェは冷静に頷く。
「ええ。だけど、問題はそれだけじゃないわ。人間に害がないと言っても長い間この水を飲み続ければ、寄生虫は体内を食い荒らし、やがて『終わりの病』を引き起こす」
ロジェは顔を顰めながらディンを見詰めた。
「……寄生虫に汚染された水を飲むこと。これが全ての正体よ」
ディンの表情が強張った。
「もしかして……李苑様が幼くして病に伏せったのもそれが原因なんですか?」
「多分ね。彼女の母親が妊娠中に蓬泉の水を飲んでしまった。だから李苑様は生まれつき寄生虫を持っていたの。体が小さくて免疫も弱い幼児には、発病まで時間がかからなかったのね」
「そ、そんな……」
『終わりの病』は治せる病気だった。そのことを突きつけられ、ディンはただ視線を泳がせることしか出来ない。
「蓬泉の周りに生えていたツキヨモギ。動物たちが齧った痕があったわね」
「……ああ、なんでか不思議でしたけど……」
「それは動物たちが本能的に解毒しようとしたからよ。この植物には寄生虫の活動を停止させる成分が含まれている。終わりの病の解決策は、このツキヨモギを呑むことよ」
「……もしかして」
ほぼ事実に近しい推測だらけの中で、ディンは確信に迫っていた。
「そう。慧昊は李苑様に飲ませている。全てはヤツの掌の上だったのよ」
悔しそうに顔を歪ませるロジェに記録役は詰め寄る。
「念の為聞いておきますが、どうしてそう思われるのですか」
「終わりの病の熱は下がることは無い。だけど李苑様の熱は下がって、腹痛と下痢の症状を訴えていた。ツキヨモギは虫下しの役割を持つから、彼女の下痢を検査して寄生虫の死骸が出ればそういうことになる」
結果が出るのはすぐだ。検便すればいい。慧昊の許可さえ出れば全てが明るみになる。信じていたものが全てひっくりかえったディンは酷く動揺していた。
「どういうことです。慧昊様は一体何を考えて……」
「分からないわ。もし彼が当主になりたいと言うのなら、李苑様を殺して成り変わればいいんだもの。なのに助けている」
ロジェは思い当たる動機をいくつか思い浮かべたが、どれもこれも相応しいものはない。ロジェに根回ししたことからある一つの仮説が立ったが、これも相応しくないだろう。濁しながら呟いた。
「あるいは……李苑様で実験しているのかも。何にも分からないから彼に問い質すしか無いわね」
「な、なら……!長老達に知らせないと!」
「ダメよ!慧昊はこのことを知っていたはずだわ。何もかも手筈が良すぎるもの」
もう一つ分からないのはコレだ。何故全てわかっていてここまで自分にさせたのか。それが全く分からない。
「もし私が全て知ったとなれば確実に始末しに来るはず」
現に彼は王都に通報の準備を進めている。長老に伝えれば余計に混乱を招くだけだ。この手段だけは取りたくなかったが、もうやるしかない。ロジェはディンをしっかりと見詰めた。
「いい?ディン。よく聞いて。私はこの事実を村の皆に公表する。それが始末されない唯一の方法だもの」
「そんな……!危険です!今すぐ逃げられた方が……!」
「私は逃げない!」
あまりの剣幕にディンはたじろいだ。ロジェは猫を埋葬しながら呟く。
「……ここで逃げたら何にも変わらない。私は慧昊のことを知りたい」
着ていた防護服を全て脱いで、いつもの動きやすい格好に整える。
「だから……貴方にお願いがあるの。夜、泉に人を集めて欲しい。貴方が言うのなら、きっとみんな集まるから」
「ロジェさん……」
ディンはこくん、と頷いた。
「分かりました。どうかご無事で。僕も……やれるだけやってみますから」
ありがとう、とロジェは告げる。さて、部屋に戻ってある物を書かなければならない。保険だ。メモに計画をザクザク書くと一度だけ魔法が使える結晶を作って、地下に眠るヨハンの隣に置いた。
「……ヨハン。頼んだわよ」
それだけ言って、ロジェは駆け出した。
期限まであと十時間。
ロジェはアイリスからの手紙で慧昊について衝撃的な事実を知る。突破口になった事実はロジェを屋敷に駆り立てて……?里の思惑が渦巻く第九十七話!




