8.人生初!
8.人生初!
食堂の件から数日。
しっかり食事を摂るようになったからか、同僚との距離が今までに無いくらい縮まって精神的に楽になったからか、仕事でやらかすのが格段に減った。
あれからは昼食はアデルとルイスの二人と食べるようになり、今度の週末には仕事終わりに飲みにも誘われた! 僕が同僚に誘って貰えた! 初!
と、まあ以前と比べたらあり得ないくらい幸福なのだが。
「今日も見つけられなかったな……」
薫衣草の君(と僕は呼ぶことにした)とはあれ以来会えていない。
一目会って御礼をしたい一心で、気をつけて見ているのだが、願いは未だ叶わず。
「……視界が悪いとは言え、あれだけ見事な方を見逃す筈はないと思うのだが」
退勤後に寮に戻って私服に着替えてから、騎士団を今日は表から出る。表側の出入り口から出ると、そこには広場があり、一度そこのベンチに腰掛け、夕陽で色づく自分の前髪を摘んでみた。
顔の半ばとは言わないが、それに近いくらい伸びた前髪。
後ろ髪も首の付根くらいまで伸びていたので、今は軽く縛ってまとめてある。
今まで理容室に行く余裕がなく(兄上は理容師を部屋に呼びつけて切らせていたが)、適度にハサミで切っていたせいで貴族時代の髪からは考えられない有り様だ。
とはいえ。先日の救護医ではないが、何も部屋に呼びつけてとか超一流の店で、なんて考えず、食堂を利用して全額ほとんど食費に回さなければならないような事態になっていないなら、定期的に整えられると今更ながらに気付いた。
まあ……髪を切れなかったのは費用だけが原因ではないのだが。
「ガラルド。お待たせ」
「ルイス」
待ち合わせていたルイスの姿を見つけ、ベンチから立ち上がる。
今日はなんと! ルイスに誘われて騎士団の外にある大衆浴場に行く予定なのだ。
実家も寮の部屋も規模は違うが部屋に浴室があったので、外にわざわざ入浴に行くなんて考えたこともなかった。考えすら無かったのだから当然、人生初!
ちなみにアデルは同じく寮住まいだが、ルイスは通いとの事だった。
「じゃあ行こうか」
「よろしく頼む!」
「あはは。ガラルドはいつも楽しそうだね」
「恥ずかしながら、同僚と出掛けるのが初めてで」
気恥ずかしさから頬をかく。
「そっか。ふふ。それなら、楽しんでくれると良いかな」
ルイスはふわりと笑ってそう言った。
「行こうか」
「ああ!」
※※※
幾つかタイムスケジュールの関係で陣を乗り継いだ末、僕は領都の東エリアにある一画に立っている。
「これが…………銭湯!」
ルイスに連れて来てもらったのは、公衆浴場。異界の島国にある施設を参考に作られた建物だ。
元となった異界の施設では、それはそれは高い煙突があるそうだが、そちらとこちらでは様々な条件が違う。その影響で目の前にある施設にその高い煙突はない。
その代わり、暖簾と呼ばれる入口の短い垂れ幕など、細かな所は再現している。
「ほら、入るよ」
ルイスの後に続いて入るとまずは下駄箱という靴を入れるロッカーと腰掛け、遊戯機が並んだロビー。下駄箱に靴を入れ、消毒された館内専用のサンダルを履く。下駄箱の鍵がついた腕輪をして、番台と呼ばれる受付へ。
大人は一回300C。下駄箱の鍵となっている腕輪に中で使うロッカーの使用権も付与され、ロッカーの鍵も兼ねる仕組みだ。
男女で入口も浴場も違う。男湯の方へと進むと、飲み物の販売をしているエリアを挟んで脱衣所へ。
「シャンプーとかタオル持参してないならそこの自動販売機でね。コインランドリーもあるから必要なら風呂入ってる間に洗濯乾燥まで出来るよ」
「便利だ」
いそいそと自動販売機でシャンプーなどを購入。異母弟に食堂の食券を貰ったおかげで給料日までの食事は目処が立っているから安心と言える。
衣服や貴重品をロッカーに仕舞い、大浴場へと。
「おお。色んな種類が……」
「タオルはお湯に入れないようにね。さて、まずは身体を洗ってからだよ」
身体を洗ってとりあえず普通の湯船に入る。
「ふぅぅ……」
「温まるねー」
「こんなに素晴らしいものがあったのだな……」
泡々の湯や薬湯、サウナなどいくつもの湯船があった。
身体の芯までじんわりと暖められ、心からほぐれていく心地だ。
「これもこの領地だけらしいけどねー」
「そうなのか?」
「うん。まあ、お隣さんとか、他の領地にも造り始めた所はあるみたいだけど……。元々はこの領地だけだったらしいよ。何せ人間の労働者の為にって造られたからね」
「ああ。なるほど」
シアンレード領は七つある階層の一番上、環境に混じる魔力が一番薄く、陽の出ている時間、特に朝が一番長い階層だ。そして、異界と接する『穴』が一番空きやすい階層でもある。
この穴。偶然空く場合がほとんどで、いつもはそんなに大事にはならないのだが、空きやすいのは『空けやすい』にも繋がるわけで。
時折、様々な所から狙って穴を穿ち侵略してくる事がある。大体百年か二百年か、あるいはもう少し余裕をもった間隔で。
同じ所から来る輩もいれば、とりあえず異界ならどこでもで侵略に乗り出したご新規もいる。