4.そろそろ限界が来た
4.そろそろ限界が来た
「…………」
「…………」
騎士団の食堂。数百名が一堂に会してもまだ余裕で受け入れる広大とも言えるそこは、夕飯時まっただ中ではない為か比較的落ち着いた雰囲気だった。
アーチ型の高い天井には円形木型のシャンデリアが吊り下げられ、光球が煌々と食堂内を余すところなく照らしている。
上から下までの大きな窓ガラスの向こうには庭園があり、天空の星抱く群青から地平線へむかって薔薇色になる自然のグラデーションが見える。
と。そこまで現実逃避で意識を周囲にそらしていたが、そろそろ限界が来た。
「食券」
目の前のカウンターで笑顔で片手を差し出して、僕の手の中にある食券を要求しているのが、どうみても異母弟な件。
二回くらい目を袖で擦ってみたが、変化はない。
白い髪と褐色の肌、赤い瞳にコック服。そして食券を要求。
お前、何してる!?
僕の異母弟は、次期領主にして騎士団団長。なぜ居る。
居るのは百歩譲って良いとして、なに厨房で働いてる!?
「後つかえるから、いい加減に食券寄越せって」
呆れたとも困ったとも取れる顔で異母弟が僕の手から食券を引き抜く。
そのまま何が何だか理解できずにいる間に、流されて受け取り口まで進む。いや待て。本当に何で厨房で働いてるんだ騎士団トップ。いくらなんでもこれは僕の方が常識的な感覚だろう。絶対僕の認識の方が普通なはずだ。
「ほい。お待ちどうさま」
「お前、何やらかした!?」
「え。いきなり何」
定食の載ったトレーを出してきた異母弟に言うと怪訝な顔をされたが、僕の方が以下略。
「とりま、席いってて」
列が詰まるから。そう言われて、なるべく人の少ない目立たない席を探す。
十数人が座れる長テーブルの席、脚の低いローテーブルとソファの席、カフェのように小さく一人二人が掛けられる席など、席も色々ある。だだっ広いほどの規模があるからできる多様さだろう。天気も良いので今日は庭園の方にもいわゆるテラス席が設けられている。
外の方が目立たないかも知れないと、僕はテラス席の死角にある二人がけの席へと移動した。
白く丸い透かし彫りのアイアンテーブルとそれに合わせた椅子。夜風が仄かに花の香りを運んできた。
トレーを置いて、椅子に腰掛けると一気に微妙な疲れが両肩に降ってくる。
「いや、おかしいだろ……」
次期領主が何で騎士団の食堂で働いてるんだ。
ふと目の前の定食、200Cの【まんぷく日替わり定食】を見る。
「…………」
ゴクリと無意識に喉が鳴った。
今日の内容は瑞々しい鮮やかな葉物野菜のサラダにマッシュポテト、ホカホカとカリッと揚がった唐揚げに白さ眩しいタルタルソース、甘い香りのコーンポタージュ、目に優しく横たわる黄色のオムライスと鮮烈な赤いトマトソース。デザートはヨーグルトアイスだ。
これが200Cは安い。量だって少なくない。
「……………………」
「お疲れさん。て、食ってて良かったのに。悪いな」
ハッとして顔を上げる。
「シェルディナード」
「久しぶり。ガラルド兄上」
向かいの席に珈琲のマグを置いて、シェルディナードが腰掛けた。のと僕の腹が「キュクルルルルゥ」と悲鳴を上げたのはほぼ同時だったのだが。
やめてくれ。何とも言えない顔でこっちを見るな。絶対憐れみ入ってるだろ。
「まあ食えば。僕も飲んでるから」
「〜〜……いただきます」
スプーンでコーンポタージュを掬って口に運ぶ。予想した通り、コーンの甘みと温かさが喉から胃へするりと滑り落ち、中から暖まる。身体が喜んで、心がホッとするのがわかった。
「美味い……」
心の底からしみじみ言葉が湧き出てくる。
「うん……。ゆっくり食って」
確実に労りの色が異母弟の声に混ざっているが、やむ無し。
「仕事どうよ? 慣れた?」
「……いや。あまり、上手く……出来なくて」
上手くいってない、ではなく、『僕が』上手く出来ないのだ。
「ふぅん……。じゃあ、バロッサ兄上みたいに、別んとこにしてみる?」
「それはいい。今の、ままで」
それだけはハッキリ断っておく。今の仕事が満足に出来ないのに他の仕事が出来る気がしない。
「そ? 何ならバロッサ兄上と同じ所に配置変えも出来っけど?」
「要らない。……ところで」
「ん?」
「何をやってるんだ次期領主」
サラダを食みつつ、異母弟を見つめる。
「料理」
「そうじゃない。何で次期領主が厨房でそんな事をしてるんだと聞いている」
「えー? だって別に今は有事でもねぇし。暇だから」
「暇でやるな。暇で。次期領主の仕事は他にもあるだろう」
「もち全部やってるって。いいじゃん息抜きくらい」
「息抜きで仕事する奴が何処にいる」
「ここ?」
「…………」
次期と言いつつ、大分前、正確にはこの領都が作り始めの頃から領主の仕事はほぼこの異母弟が担ってきた。
それこそ十を超えた辺りからずっと。実質独りで。
法を作り、街を作り、この領地自体を作ったと言っても決して過言ではない。だからこそ、領民や騎士団員から異様なほど親愛を向けられているのを感じる。
僕の素性がバレたら本当にヤバいと確信出来るほどに。