1.過去の自分が殺しに来る
1.過去の自分が殺しに来る
大理石の白い廊下にぶちまけられた灰色の水。そこには、同じ水を頭から被って両手両膝をつく長い前髪の白髪暗緑色の瞳の青年、つまり自分の姿も映っていた。
「っとに鈍臭せぇなぁ!」
苛立った声に思わず反射で肩が震える。
「うーん。いい加減に何とかならないかな?」
チームを組んでいる少し歳上か少し歳下の二人の青年が、声と同じ色を瞳に浮かべてこちらを見下ろしてきた。
なお、いじめではない。
何せ、やった事は違えど成果をリセット状態に持ち込んだのは何度目かだからだ。怒るのもやむ無し。
二人は一様にげんなりした様子でこちらを見て、大きくため息をつく。
「あーっ! もうオレら先いってやってっから」
「とりあえずここはやっといて? 他はボクとコイツでやっとくから」
じゃあな、と二人は返事も待たずに居なくなる。
当然だ。僕のせいで作業が遅れているんだから。待ってたり、一緒にやっていたら分担箇所が終わらない。
(何でこんな事も出来ないんだ……)
現在の仕事は簡単だが量のある掃除。
特殊なことは何もない、至って普通の掃除である。
なのに、だ。
僕は灰色の水溜りを作った廊下を見る。
自分が不注意で蹴倒したバケツ以外、障害物など何も無い見通しの良い場所。大きく明るい窓は開いていて、初夏の新鮮で爽やかな空気が駆けていく。
ポタポタと雫が髪から落ちる。白い見習いの制服もまだらな染みをつけてみすぼらしい。
滑って転んで掃除用具を巻き込んで。
さっきの言葉通り、鈍臭い。ついでにモップを洗っていたバケツの水を被って二重で臭い。
ここで働くようになってついた癖で、歯を食いしばる。
癖になるくらい繰り返した動作が、そのまま僕の無能の証みたいでウンザリした。
ここは七つの階層から成る世界、第一階層の半分を担う領地の領都にある騎士団。
僕はその騎士団で雑務兵という所に所属している、いわゆる雑用係の見習い。
配属されたのは三年前。現在の次期領主である異母弟にちょっかいを出し、それまでの行いもあって領主の令息から今の立場に処された。
今の僕は領主の令息でも、貴族でもない。
当たり散らして喚ける元気があったのは最初の一年だけだ。
一年もイキッてたのか、とも言えるが。
(僕は何でなんにも出来ないんだ……)
兎にも角にもそれが出来たのは、まだ状況が理解出来ていなかった時だけ。
※※※
「何だこの狭くて薄汚い部屋は! 私達に物置きで過ごせと言うのか!」
「あり得ないだろう!」
「いや、有り得るし普通の二人部屋だから」
「二人⁉ ふざけるな!」
「そうだそうだ!」
「ふさけてないふざけてない」
※※※
瞬間的に脳裏に浮かび上がる黒歴史。
あまりの事に思い出すだけでも全身が羞恥心で震える。
(うあああぁぁっ! 一年近くあんな言動してたとかっ!)
ちなみに、あり得ないとかそうだそうだとか言ってるのが、自分。死ぬ。
その時の兄と自分を困ったような苦笑で見ていた異母弟の顔を思い出し、更に地味に精神が削られる。
処され雑務兵として働く事になった時、ほぼ着の身着のまま騎士団の寮へ連行……放り込まれた。
※※※
「使用人がいないだと⁉」
「普通いねーから」
※※※
自分でなく兄の言葉だとして今はキツい。あの時は兄と一緒に絶句して信じられないと思ったが、信じられないのはお前の思考だと言ってやりたい。
過去の自分が殺しに来る。来てる。
どんな呪いより怪異より自分の黒歴史の方がよほど強い。必殺の威力。必ず殺すと書いて必殺。勘弁して。
羞恥心で死ぬ。
全てを振り払うように、心を殺すようにして床掃除に没頭する。雑念退散、黒歴史封殺。
泣きたい。
どうにかそこの掃除を終えて、用具を片付け、先ほど分かれた二人に合流。報告して検印を貰うと一日の仕事が終わる。
二人はサッサと帰っていき、僕は独りポツンと残された。
辺りはもう薄闇で、臭いも気になる為、人に遭うのを避けてなるべく人の気配がない通路を通る。まるでネズミにでもなった気分だ。ドブネズミかな。
(フッ……今の僕にはお似合いだよな)
ドンヨリと気分が滅入って重くなる。さらに追い打ちを掛けるように、キュルルと腹から鳴き声がした。
(……部屋に行けば、とりあえず水はある)
数日前から水しか口にしていない。今、手元の残金は3,000C。給料日まで残り十日。
何か急な出費などがあるかもと思うとギリギリまで手を付けずにおきたい。
無様な腹の音は聞かなかった事にして、壁にもたれるように移動する。
次第にクラクラとした目眩のような感覚が襲ってきて、あっと思った時には視界が傾き、床と頬が触れた感触を最後に意識が暗転した。
パンドラの箱を更に二重底にしたい気持ちわからなくもないですが、みなさんいかがでしょう?
ちなみに現在視点のガラルドが兄と共にやらかした事については、『レプリカ・ハート』をご覧下さい。
いつも読んで下さってありがとうございます。