国外追放
念願が叶って聖女となった日、父から勘当されてしまった私はその翌日には馬車に乗せられて、国境沿いの関所まで連れて行かれた。
昨日は暖かく感じられた風が冷たく、景色も色褪せて見える。
「ミュウ、ミュー!」
「おいで、マルル」
こんな私に唯一、ついてきてくれたのはマルルという精霊の幼体だ。
半年ほど前に、山で魔法の修行をしていたときに銀色に淡く光る白い綿毛で出来た毛玉のような生き物が傷付き倒れているのを見つけた。ちょこんと、頭に双葉の芽のようなモノが生えていることから、私はこの時点でこの生き物が普通ではないと察しがついた。
治癒魔法をかけて傷を治すとこの子は喜び、妙に懐かれてしまったので、それからずっと一緒にいる。
図鑑で調べるとこの光る毛並みは精霊族特有のモノらしいというのは分かったが、何の精霊なのかとか詳しいことは何も分からなかった。とにかく、何らかの精霊で、淡く光るのみで魔力の使用も出来ないことから、まだ幼体だということのみが判明しただけだった。
「ミュウ、ミュ、ミュー!」
「でも、一人じゃないってだけで心は軽くなるわ」
マルルと共に関所の門の前に立ったとき、私はこの子がいる心強さに感謝した。
「ルシリア様、本当によろしいのですか? 旦那様に頭を下げてローエルシュタイン家の者として暮らした方が楽かと存じます。何より安全です」
ここまで付き添ってくれたメイドのアネッサはマルルと共に生きる決意を固めた私に心配そうな声をかける。彼女はローエルシュタイン家の分家筋にあたるエルガー男爵家の次女で、我が家に奉公にきており、幼馴染だ。
そうよね。これからはあなたの世話にもなれずに……、お金も自ら稼いで平民として生きねばならないのよね。
貴族として、侯爵令嬢として生きた方が、何一つ不自由がないのは分かっている。
だけどね、アネッサ。あなたは分かっていないわ。一番、大事なことを。
「濡れ衣を着せられたまま、生き長らえることに私は銅貨一枚分の価値も感じられないわ。どんなに華美で高級でもずぶ濡れのドレスなど着る気にはなれないし、それなら乾いた布切れ一枚を羽織った方がマシというもの」
それは私の小さなプライドなのかもしれない。
今まで、まっすぐに突き進んでいた自分を守るための最後の防波堤。
ここで、自分が不当に貶められて生き残ったとしても私には何も遺らないわ。
でも、自分を貫いたのならば、死んでも生き様は遺すことが出来る。誰が評価するわけでもないけど、それが私だって胸を張っていられるんだから。
「ルシリア様は昔からそうでしたね。力が絶対の価値を持つローエルシュタイン家でどんなに蔑まれていても、その瞳は常に前を向いておられた」
「頑固なだけよ。アネッサ、心配かけてごめんなさい。私は私の道を進むわ」
「ご武運を。そういえば旦那様は当面の生活をするためのお金すら渡していませんでしたね。これは私からのせめてもの気持ちです」
アネッサは私に銀貨二枚を渡した。
ここで私に情けをかけたことがバレたら、彼女にまで迷惑がかかるというのに。なんせ、私は家宝を壊したとされる大罪人なんだから。
たった二枚の硬貨がズシリと重く感じられる。
「幼少よりルシリア様の努力を見守っていた私に出来ることがこの程度なのが口惜しいです。待っていてください。このアネッサがあなたの名誉を守るために必ずや冤罪だと証明してみせます」
「わ、私のことを信じてくれるの?」
「もちろんですよ。ルシリア様が家宝を壊すなどあり得ません。それくらい分かります」
嬉しかったわ。一人でも信じてくれる人がいることがこんなにも嬉しいなんて。
でも、バレたらアネッサに迷惑がかかるかもしれない。
本当に受け取っても良いものなのかしら?
「ルシリア様、遠慮するお立場ではありません。もし返すと仰るなら、その銀貨を捨てて帰ります。お金を捨てるなど貴重な体験ですが、私にそのようなことをさせないでください」
わざと戯けたような口調でアネッサは受け取らなくてはお金を捨てるとまで言い放つ。
彼女には世話になったわ。よく、この亜麻色の髪を梳いてもらったっけ。
夜みたいな色で嫌いだったこの黒い瞳も、意志の強さが宿っていると褒めてくれたわ。
「アネッサ、あなたの心遣い……ありがたくもらっておくわね。でも、決して無理はしないで。私の汚名を返上するよりも自分の生活の安全を守って――」
「残念ながら、それはお約束出来かねます」
「えっ……?」
「私もお嬢様と同じで頑固者ですから。信じた道を歩ませて頂きます。隣国でもお達者で」
ニコリと朗らかな笑みを見せながらアネッサは私に別れの挨拶をした。
ごめんなさい。最後まで心配をかけて。
あなたがいてくれて、私は救われていたわ。落ちこぼれだと言われ、それを庇っていてくれた母が亡くなっても、私が自分の道を進めたのはあなたのおかげだから……。
情けを受けられるのはこれが最後。これから先は甘いことを期待しちゃダメ。
だからこの銀貨が重いのよ。アネッサの優しさとか思い出とか、全部が詰まっているんだから。
私は関所で手続きを済ませて、故郷であるアーメルツ王国から、隣国のエルガイア王国へと足を踏み入れた。
◆
「さて、どうしましょう」
「ミュ、ミュー」
私の独り言にマルルが呑気そうに返事をする。
足を踏み入れた、とか頭の中で偉そうなことを言ったけど本当にノープランなのよ。
感情的になって何も考えずに追放処分を受けちゃったし。
そう。私は何一つ、今後の見通しなど考えちゃいない。
だって仕方ないでしょ。昨日、国から出ていけと言われて、興奮冷めやらぬうちに今日なんだから。
とにかく、まずはお仕事を探さないと……。でも、そんなに都合よく――。
「誰かーーっ! 医者か治癒魔法が使える者はおらぬかーーーっ!」
早くも途方に暮れかかっていた私の耳に叫び声が聞こえる。
医者か治癒魔法? 急患でも出たのかしら?
これでも私は教会に認められた聖女。治癒魔法はもちろん使えるわ。
アーメルツ王国から追放された私が役に立つか分からないけど。
「どうしました? 治癒魔法なら使えますが」
「な、何? ほ、本当か? 頼む、辺境伯様を助けてほしい! いつもは主治医が同行しているのだが、今日は関所で書類を受け取るだけだからと、屋敷に残したままで……」
医者か治癒魔法を使える者を探していた男は、お腹を押さえて苦しんでいる老人を助けてほしいと訴える。
辺境伯ということは、この辺りの土地の領主様ということになるわね。なるほど、主治医の方がたまたまいないときに発作が出たのか。
「ちょっと失礼します。治癒解析……!」
私は辺境伯の背中に触れて、治療専用の解析魔法を使った。
これは私のオリジナル魔法で、微量の魔力を体内に流し込み異常のある箇所を見つける魔法である。
「なるほど、この辺りね。治癒魔法、解毒魔法……!」
「ふ、二つの魔法を同時に……?」
多重魔法――これは私が魔力不足を補うために身に着けた技術の一つだ。
きっかけは一つの魔法の威力が小さいなら重ねがけをすれば良いという安直な発想だったんだけど……。こうやって別々の効果の魔法を同時に使えるようになったのは思わぬ僥倖だった。
これが出来るようになって、私の力の使い方は飛躍的に上手くなったわ。教会が私のことを聖女に足る力があると認めるほどに……。
「これで治療は終わりましたが……」
「も、もう終わったのか? 早すぎないか? 治癒術師に診せたときは十分以上はかかったが」
男は私の治療が一分かからずに終わったことに懐疑的な表情をした。
そうね。術を発動させるスピードも訓練して早くしたから、そう感じるかもしれないわね。
とにかく、多くの術を早く放つことが出来れば、大きな力にも対抗できると思った私は長い修行を経て、誰にも負けないスピードで術を繰り出せるようになったという自負はある。
「ぬおっ! 軽いぞ! 体が軽い! あの頃の若さが蘇るような軽さだーーーっ!」
「辺境伯様がスキップしておられる!」
良かったわ。治療が成功してくれて。
あんなに元気になるとは思わなかったけど、やっぱり誰かの役に立つって良いものね……。
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