07:救うための定義
タイトルを少し変えました。
「魔術……!?」
驚きの声を上げたのはリリシャナだ。私も驚いて表情を変えてしまった。
魔術とは、魔物が扱う法術ならぬ術。だからこそ魔術と呼ばれる。法術が世界の仕組みに則った法則を用いて発動するなら、魔術は世界の法則を歪めて発動するものだ。
「法術も魔術も、その源となるのは〝マナ〟。世界に満ちたエネルギーそのもの。違うのは、法術はこの世界の法則に沿っているのに対して、魔術は世界の法則を歪めることで成立している。だからこそ、魔物は排除しなければならない」
「魔術を扱う者が存在することで世界が歪み、汚染されるから……」
言うなれば、魔物の存在だって魔術によって歪められたからとも言える。彼等の存在そのものが魔術の産物であり、魔術はこの世界から排除されなければならないものだ。
「そう。だから私は魔術を法術に置き換えられないか、その研究をしているの。それが私の――リライターとして成立を目指す概念ね」
「……コバコル司書長、貴方はリライターとしての資格を持っていたんですか」
「聞かれれば答えるけれども、言いふらすことでもないから」
こんなに身近にリライターがいるなんて。もし、彼女が監督官も務めているのだとすれば私は観察される機会が多かった筈だ。
見抜けなかった自分の迂闊さと、リライターと言えどもコバコル司書長は特に普通の人と変わらないことへの驚きと興味が胸の中で複雑に絡み合っていく。
「それで〝治癒〟の話に戻すわね。私は魔術を応用して〝治癒〟を再現した新たな法術を編み出したわ。まぁ、不完全なものなのは変わらないけど」
「不完全なんですか? でも、傷は癒えて……」
「癒えてないわ」
「え?」
私の指を見ていたリリシャナが不思議そうに首を傾げる。確かに傷口は塞がったように見える。けれど、塞がっただけと言うのが正しい。
「傷口の処置するという意味では〝治癒〟と同じ。でも、それは結果であって本質じゃない」
「そうよ、正解。私の編み出した〝治癒・亜流〟は結果は〝治癒〟と同じになる。けれど、過程も本質もまるで違うの」
「傷を癒える、というのを〝本当に治した〟のと、〝あくまで傷が塞がった状態にしている〟では違う」
肯定するようにコバコル司書長は頷いた。確かにどっちの法術も傷をなかったことにするという結果は同じだった。
けれど、その過程と本質は違いすぎる。〝治癒・亜流〟は傷をなくすために法術で認識をズラし、傷口を塞ぐことで治ったと思わせるだけだ。術の影響に無理矢理抵抗すれば治療された結果もなかったことに出来る。
一方で、〝治癒〟は違う。その本質は傷を塞ぐのではなく、傷をなかったことのようにして癒すのが本質だ。だから結果は同じでも〝亜流〟でしかない。
「だから〝治癒〟は特別なのよ。最後に神が人に与えた法術、その意味も、真価も、本質も、私たちはまだ何も悟れていない。だからこそ、私は〝治癒〟の先にあるものを理解することで神の御心を理解出来ると思っているのよ」
「……では、〝治癒〟を使いこなすには神を理解しないといけないということですか?」
「それが一番だけど、理解しても納得出来るかどうかは別でしょう? 納得出来るならそれで良いし、それでも諦められないなら私みたいに研究するしかないわ」
苦笑しながらコバコル司書長はそう言った。
どんな形容をすれば良いのかわからない感情が私の中で渦巻いていく。そんな私の肩にコバコル司書長は手を置く。
「よく悩んで、向き合って、その果てに道を選ぶことが大事なのよ。オルエラさん。貴方は壁にぶつかっているの。焦る気持ちも、もどかしい気持ちもわかるつもりよ。だからこそ足を止めて、周りを見てみたら良いんじゃないかしら」
「……周りを見る……」
「お手本なら、まずそこに一人いるでしょう?」
指し示されたのはリリシャナだった。コバコル司書長に示されたリリシャナは少しだけ狼狽えたようにして、落ち着かなさそうに肩を揺すっている。
〝治癒〟が使えるようになりたいか、と言えばそこまでじゃない。でも、〝治癒〟の在り方が神の在り方を悟る方法の一つだと言うのなら無視は出来ない。
私には使えない〝治癒〟を完全に扱えるリリシャナは、私にとっては参考にしなければならない人物なのだと、コバコル司書長はそう言いたいのだろうと思う。
「よく学んで、良い道を進めるように祈っているわ。励みなさい、後輩たち?」
* * *
話が終わって閉館した図書館を後にした。
リリシャナはあれから無言で、私の様子を窺うように何度も視線を向けて来ては逸らすというのを繰り返している。
「……言いたいことがあれば言えば?」
「いやぁ、そういう訳じゃないんだけど……むしろ、気の利いたことが言えないから困ってるというか……」
「困る……?」
「私にとって〝治癒〟がそこまで大袈裟な法術だと思ったことはなかったから、正直ビックリしてる。コバコル司書長が私のことを参考にしなさいってオルエラさんに言ったけど、私の何が参考になるのかな、とか思ったりとかして……」
頬を指で掻きながら言うリリシャナは困惑しきった様子だった。
そんなリリシャナを見て、私は不意に胸の中に浮かんできた疑問があった。それはするりと口から滑り落ちるように、声となってリリシャナに届く。
「リリシャナは、他人を救うことを馬鹿らしいと思ったことはないの?」
「……え? オルエラさん……?」
「貴方が治療した人が、貴方を傷つけようとしても許せる? そもそも誰かを傷つけようとした人を癒せる? 治癒する人を選んで、それを贔屓だとか、差別だとか、不公平だと思う人がいることを考えたことはないの?」
私の問いかけにリリシャナは足を止めて、私を真っ直ぐ見る。
リリシャナよりも数歩、前に進んで背中を向けながら私は言葉を続ける。
「神は言ったわ。隣人を愛しなさい、と。でも、なら争いは起きるの? 隣人を愛おしく思えば誰かを傷つけることもしようとは思わないものじゃないの? なのに人は傷つけ合って、争い合う。そんな人間を癒したいと、そう思えるの?」
――人は愚かだ。愚かであるならば、そんな種族は滅びるべきじゃないの?
〝治癒〟の体現者が神の意志を汲み取る人だったからだと言うなら、人は愚かだとは思えないのか、と。
何故、リリシャナは〝治癒〟が使える? 誰かを癒すことで、誰かに裏切られたことはないのか? 裏切る可能性に思うことはないのか?
そんな思いから出た問いかけ。私は振り返らないまま、リリシャナの答えを待った。
「オルエラさんがどうしてそんなことを聞くのか私にはわからないけど……私は答えられないよ」
「……答えられない?」
「わからない。だって、人を助けたいって思ったら……私はきっと、手を伸ばすことを躊躇わないと思うから」
「それが、結果的にこの世界に不利益を齎すのだとしても?」
勢い良く振り返って、リリシャナを睨むように見ながら私は言った。
リリシャナは眉を寄せた表情で私を見つめていた。互いの視線が絡み合い、お互いの温度差の違いが空気を悪化させていく。
「貴方が助けた人が、これから助けるだろう人が、もしも将来、貴方やこの世界にとって悪しき者になったとしても手を伸ばすの?」
「そんなの、だから考えられないよ」
「どうして?」
「私には、人の未来だとか、世界がどうなるのかなんてわからないから。だから――その時、誰かを助けたいって思った気持ちを信じると思う」
その答えに、私は思いっきり歯を噛みしめる。そんなの何の解決にもなってないし、解決をする気もない。愚かで、短慮で、賢明でもない思考だ。
気持ち一つで世界は救えない。その思いこそが世界を歪めると言うのなら、やはり人は間違った存在ではないの?
「オルエラさんは、そんなに人が憎いの?」
「……だったら、どうするの?」
「どうするって、私にはどうしようも出来ないけど……でも、言いたいことはある」
「……言いたいこと?」
「全部憎んで、正しいものばかり選んで。先のことばかり考えないと生きていけないなら、そんな生き方は……――寂しいよ」
……寂しい? 私の生き方が? 私の願いが、ただ寂しいものだと言うの?
人は愚かで、世界を滅茶苦茶に侵す存在で。そんな愚かさが憎かった。認められない存在だった。誰も共感することはなかった。
私は一人だ。一人で良い。誰も私の正しさを信じてくれないなら、それで良い。私はそれでも完全に否定されるまでは、そう生きることしか出来ない。だから――。
「――寂しくなんて、ない」
一人で良い。一人で良いから、全てを利用してでも私はもう一度、神に問うんだ。
私は、間違っているのかと。間違っているのだとしたら、私はどうあるべきだったのか。
消えるべきなのは人間なのか、それとも――この私なのか。
「寂しくなんて……ない……!」
私は、世界がよくあるために神の使いとして生まれた天使なのだから。
だから結果として世界が正しくなるなら、それで良い。私が世界にとって消えるべき存在なら、早くこの心ごと砕いて欲しい。
あぁ、神よ。どうして、貴方は何も私に答えてくださらないのですか――ッ!
「オルエラさん……」
「――来ないで」
距離を詰めようとしたリリシャナを牽制するように、私は尖った声を出す。
「……貴方と私は、利害関係が一致しただけ。だから踏み込まないで。互いに利用する、そうでしょう? それが出来ないなら――私はもう、貴方に関わらない」
「……わかった。そういう約束だから、ね」
「……今日のことは忘れて。私は何も聞かなかった。貴方も何も言わなかった。それが出来ないなら、私たちは関わり合うべきじゃなかった」
突き放すように言い放って、私はまた背を向けて歩き出した。歩く速度は早歩きになって、そのまま私は勢い良く駆け出してしまう。
今は、少しでも早くリリシャナと距離を取りたかった。彼女こそが、神によって認められる正しさの持ち主だったとしたなら、否定されるべきなのは自分だ。
否定されるべき存在だと確信してしまえば、私はきっとこの心臓を抉り出してしまいたくなってしまうから。神にさえ不要だとも言われないこの存在を嘆いてしまうから。
* * *
「――……それでも、私は貴方に手を伸ばしたいと思うんだよ。オルエラさん」