05:不完全な〝治癒〟
「〝ライブラリ〟」
呟きを一つ、すると私の目の前に光で出来た本の頁が現れる。
そこに記されているのは私が使用可能な法術の一覧だ。その中の一つ、〝治癒〟を指でなぞるように触れて目を閉じる。
脳裏に広がるのは、かつてこの〝治癒〟を齎した神のイメージだ。人の持つ治癒力を高め、傷を塞いでいく。
けれど、そのイメージは灰色でぼやけているように見える。これは私の〝治癒〟に対しての理解が浅く、行使までに至っていないことを示している。
頁から指を離してイメージを追うのを止めて、私はそっと溜息を吐く。それから机の上に乗っていたナイフを手に取って、指を刃に沿わせた。
ぷつり、と指の先に痛みが走る。指には赤い線が引かれ、そこから血が滲み出てくる。その血を舌で舐め取ってから、私は小さく呟く。
「〝治癒〟」
淡い光が指先に灯り、赤い線はだんだんと薄くなっていく。痛みもなくなり、元の状態に戻った自分の指を眺める。
「……自分にかける治癒なら使えるようになってきたが、他人にかけられないのは何が原因だ?」
自分の身体にかける治癒なら、まだイメージが浮かび上がるし普通に使うことが出来る。けれど、それを他人にかけるとなると具体的なイメージが浮かんで来ない。
法術の精度を上げるには法術そのものへの理解が必要だ。それを身体に覚えさせるか、理論として頭に叩き込むのか、どちらにせよ辿り着く場所は変わらない。
「自分には治癒が出来て、他人には使えない……」
これでは癒しの法術を覚えた所で本来の目的を達成することは出来ない。
やはり自分には癒しの法術は向いていないのか、とさえ考えてしまう。……それはそれで自然なことなのかもしれない、何せ私は人間が嫌いだ。
神が恩恵を与えるのも、救われるのにも値しない存在だと思っている。この人間への思いが癒しの法術を他人にかけられない理由なのだとすれば、私には無理なのだろう。
「時間の無駄だった……?」
そこまで口にして、脳裏に浮かんだのはリリシャナの顔だった。
思わず顔を顰めて視界を覆い隠すように手を乗せる。そうして暫しの葛藤の後、席を立った。
* * *
「え? 〝治癒〟を教えて欲しい? ……私が? オルエラさんに?」
「そう言ったつもりだけど」
最近、昼食の時間になっては現れるようになったリリシャナに私は教えを請うていた。
リリシャナに頼るぐらいなら教師に聞いてみることも考えたけれど、それで評価に響いては水の泡になってしまう可能性がある。
それなら癒しの法術を教えてくれそうなのがリリシャナしか浮かばなかった。
リリシャナは口を大きく開けて、食べようとしていたサンドイッチを掴んだ手が止まってしまっている。
そんなに私が教えを請うのが予想外だったのか。私もらしくないことをしているとは思うけれど、無駄なことは出来るだけしたくない。
ようやく動き出したリリシャナは何事もなかったようにサンドイッチを口に運び、そして勢い良く喉を詰まらせた。
「むぐっ、ごほっ! ごほっ!」
「何をしているの……」
「ご、ごめ……けほっ、けほっ……!」
胸を勢い良く叩きながら咽せるリリシャナに私は飲み物を手渡す。それを勢い良く飲み乾して呼吸を整えてからリリシャナは私を見た。
「オルエラさんだよね?」
「……私以外の誰に見えるというんだ?」
「ご、ごめん。えぇー? だって、オルエラさんだよ? 何でも完璧にこなしてるオルエラさんが私に〝治癒〟を教えて欲しいなんて、そんなの全然予測してないよ」
「……別に、乗り気じゃないというなら無理強いはしない」
「あぁ、いや! そうじゃなくて! むしろ私の方がお世話になっている身だからここで恩返しをさせてください!」
世話と言うなら、私よりリリシャナの方がしているように思えるけれど。こうして昼食を頼んでもないのに作ってくるし。
ただ思っていても口にはしない。どうせ話した所で不思議そうな顔をされるだけだ。同じことは繰り返さない。
「でも、オルエラさんもそうだったんだ」
「……私も?」
「あぁ、うん。聖女志望の子ってやっぱり結構いるんだけど、〝治癒〟ってその篩い分けになってる法術でもあるんだよね」
「つまり、使えない子はそこで弾かれると?」
「んーーーー、まぁ、厳しい道だとは言われるね。自分にはかけられても、他人にかけられないと聖女としては厳しいというか……」
私と同じように自分にはかけられても、他人には〝治癒〟をかけられない者もいるらしい。
なら、その原因はどこにあると言うのか? 本人の資質に左右されるもの? それとも理解が足りてないだけ?
「〝治癒〟は基本であって、それ故に特殊みたいな法術だからね」
「基本であって、だからこそ特殊……?」
「例えば癒やしの法術には〝解毒〟とかあるでしょう? あれは自分にもかけられる人は他の人にかけられるよ。でも〝解毒〟が出来ても〝治癒〟を使えない人はいる」
「……原因は?」
「それは……わからない。後になって使える人も出てきたし、何か理由はあると思うんだけど、明確にこれが原因! って言うのはわかってないんだよね」
肝心な所で答えを持っていないリリシャナに溜息を吐いてしまいたくなる。けれど、後天的に使える人もいるという話だ。まだ無駄になったとは決まってはいない。
「〝治癒〟と他の癒しの法術の違いを探して、原因を突き止めた方が早いか?」
「あ、それ良いね。論文にも出来そう」
「しかし、〝治癒〟は神によって齎された法術だ。その歴史も長いのに誰も調べなかったなんてことはあるのか?」
「うーん……言われればそうかも? それだったら図書館に行ってみない? そこでなら何かわかるかもしれないし」
「図書館か……」
今までは法術の使い方や種類を覚えるために図書館を利用していたが、詳しい理論や研究書といったものは手につけていなかった。
そこにヒントがあったかもしれない、と思えばリリシャナに頼る必要はなかったんじゃないだろうか。何故、そこに気付けなかったんだ、私……。
「それなら私も手伝うよ、興味あるし」
「……本音は?」
「論文のテーマが決まってなかったんです! 助けて!!」
「君は決して勉強が出来ない訳じゃないのに、どうして毎回提出課題に追われているんだ?」
リリシャナと組むようになって知ったが、この子はどうにも単位取得の課題提出を後回しにする悪癖がある。
いつもギリギリになって慌ただしく課題を提出していたり、期限を延ばして貰えないか頼み込んでいる姿を見ていると不思議になってくる。
決して頭は悪い訳ではないし、要領も悪いとは言えない。なのに何故かいつも慌ただしそうに何かに追われているのが不思議でならない。
「それは、私も色々と理由があってだね……あぁ、でもこの論文は別に期限がある訳じゃないよ! 卒業に必要な論文だからね!」
「卒業論文、か」
聖ヨーイトナ学園を卒業するというのは、卒業出来るだけの単位を得て、資格を得られたことを意味する。けれど、だからといって学生でいられなくなる訳ではない。
卒業資格を得ても授業に出席しても良いし、学園に留まり続けても良い。そんな自由な校風があるのが聖ヨーイトナ学園だ。
勿論、卒業資格を得た瞬間に自分が望む職に就いたり、国に帰ったりするのが一般的ではある。聖ヨーイトナ学園に残る者は、学園の施設を利用したかったり、イェシェア聖国での就職を望む者が多い。
正直、リライターになるまでは卒業資格を得ても学園から去るつもりはなかったので卒業論文には興味がなかった。
「将来、聖女になるなら〝治癒〟の研究論文は良いテーマだと思う」
「そう思うよね!? あっ、オルエラさんの卒業論文は私も手伝うから、お相子ってことで! もしくは共同論文がいいかな!?」
「今、決める必要はないと思うが……君と違って私は論文には困らない」
「さっすが! オルエラさんは凄いね! なので、どうか、どうかお助け下さい……! 私、論文とか纏めるのは苦手なの……!」
……先程、私がリリシャナの世話になっているとも思っていたが、前言撤回しても良いんじゃないだろうか。つい、そう思ってしまうのだった。